【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

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帝都の大学

満を持して

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 それから、3週間が経とうかという頃。

 他の学生よりも少しばかり多めの食事を摂るようになって、どうにかこうにか、四矢から五矢の当たりを行ったり着たりするところまで腕が上がってきた。それは、彼の指導を任されてから最も良い成績。快挙といってもいいぐらいだ。

 本人が一番驚いているのは、知らぬうちに腹を空かせていたことが、成績不振に繋がっているのではないか、というキルシェの読みがあながち間違いではなかったということが証明されたから。

 そんな単純な話ではない、と誰しもが思うことだが、彼の場合それが大きかったということだろう。

 しかしながら、安定して四矢、五矢を射掛けられるようになって、そこから再び伸び悩み始めた。

 次いで、キルシェは行動に出た。

「__じゃあ、リュディガー。ビルネンベルク先生に呼び出されているから、一時間ぐらい失礼するわ。ごめんなさい」

「ああ。気にしないでくれ」

 軽く手を挙げる彼に頷くキルシェ。

 彼をひとり残し、鍛錬場から建物へ入り、渡り廊下を進み本棟へ至る__と、そこで足を止め、身を潜めながら鍛錬場が見えるところまで戻った。

 __気づかれてはいない。

 ひとり残してきたリュディガーが、まっすぐ的を見据えている姿を見て、ほっ、と胸を撫で下ろす。

 __集中を途切れさせてもいないわね。

 キルシェは、わざと弓射の鍛錬の時間に用事を作り、最初こそ彼の指導をしたが、すぐに離脱した__風を装ったのだ。これが、キルシェのもう一つの手。

 この日に至るまで、かなりの根回しをした。

 鍛錬場にリュディガーがいたら、見かけても声をかけたりしないように、と、ビルネンベルクを通して、すべからく全ての学生に申し伝えておいたのだ。

 リュディガーのために、とお願いすれば、龍騎士の彼へ尊崇や憧憬を抱く学生らは理解を示してくれるからそれはとても助かった。

 お陰でこの一週間、鍛錬場に居る限りは声をかける者はいなくなった。だからこそ、実行に移したのだ。

 リュディガーが矢を番える。キルシェは、固唾を飲んで見守った。

 軽妙な音を立てて、リュディガーの弦が啼き、矢が走った。少し間を空け、再び。間を空けて、もう一矢__そして十回弦を弾き、的を見やれば、六矢が的に当たっていた。

 キルシェはひとつ心臓が大きく打って、声が出そうになるのを手で押さえた。六矢は一度だけあった成績だ。

 しばし、その的を眺めていたリュディガーは、どこか立ち尽くしているようにも見受けられたが、軽く首を振って隣の的へ移動した。その的を見据えながら、予め置いておいた矢筒を拾い上げ、空の矢筒へ矢を移し替える。

 さて、と大きく深呼吸をして、屋を番えるリュディガー。改めてもう一度、彼は放つ。

 次は七矢。

 キルシェは、胸の前で手を握り込む。

 さらに隣に移って、矢を鞘に収め、番え__もう一度。

 今度は八矢。

 呆然と立ち尽くしているリュディガー。彼らしからぬ間抜けな顔で、後ろ頭を掻いている。

 均せば七矢の、合計二十一矢。

 それの意味するところは__。

 キルシェは、駆け出して鍛錬場へと舞い戻った。

「できたじゃない!!!」

「__っ?!」

 身体を弾ませるほど驚いたリュディガーに、キルシェは駆け寄った。その勢いに気圧されたらしい彼は怯んだように半歩下がるのだが、そんなことはお構いなし、と彼の左手の腕を掴んでキルシェは的をまっすぐ指差した。

 3つの的には、それぞれ六矢、七矢、八矢が貫いている。紛うことなき、今の彼の実力がそこにあった。

「合格できるところまできていたのよ! リュディガー!」

「あ、ああ……そうなのかもしれないが……」

「よかった、これで光明が見える__いえ、もう掴めたも同然だわ!」

「たまたまだと思うのだが……」

 いいえ、とキルシェはきっぱり否定した。

「__貴方、誰かしらがそばにいたら、それを気にしてしまって当たらない質だったのよ! それこそ毎日のように顔を突き合わせている私ぐらいの気配で気を散じてしまうぐらい、気にしてしまう質!」

「うーむ……」

「こんな単純なことでこれほど……これほど覿面に顕著に結果に出るなんて__!」

「とりあえず、落ち着け、キルシェ」

 これが落ち着いていられるだろうか、と反論しようと思ったが、珍しくたじろいだ表情のリュディガーを見て、キルシェは我にかえって彼の腕を放した。

 あんなに声を上げて、大きく動いて__厳しく躾けられてきた自分にとって、それはあるまじき振る舞いだったと恥じ入るが、もはや後の祭り。

 穴があったら入りたいぐらいに顔が火照って、両手で覆う。

「すみません。ごめんなさい」

「い、いや。面白いものを見られた」

「忘れて、お願い」

「……努力はしてみる」

 重ねてもう一度、お願い、と念を押したときだった。そこに、乾いた手を打つ音が響き渡った。

 見やれば歩み寄ってくる姿がふたり。一方は拍手をするビルネンベルク。そしてもうひとりは__

「デリングたい……先生」

 ランプレヒト・デリング。大学での必修、馬術と弓射は彼が担当だ。

 彼は元国軍軍人。最終階級は大佐。階級としては龍帝従騎士団の大隊長に匹敵するものの、指揮する規模が違うため、一概に同位と扱うのは憚られる、とリュディガーは言う。

 リュディガーは即座に身体を向け、踵を打って背筋を正して武官の鑑のような直立不動の姿勢をするので、キルシェはキルシェなりに姿勢を正した。

 デリングは的を鋭く見つめてじっくりと観察してから、リュディガーへと視線を向ける。

 細められる目は、薄氷のように色素が薄く、白髪が目立つ髪は無造作に撫でつけられて、獅子の鬣のように見えた。

「修了を認めよう」

 明瞭な声で言い放たれたものの、リュディガーもキルシェも、理解に窮して反応するのに数瞬時間を要した。

 やっと理解したものの、あまりにも意外過ぎる言葉で、え、と間抜けな反応しかできずにいれば、ビルネンベルクが笑った。

「いやいや、よかったよかった。これで必修は終えたわけだ。後は、堅実にひとつひとつ数をこなしていけばいいだけの、簡単な大学生活だ」

「しかし、まぐれということも……」

 リュディガーは、はっ、と何かに気づいたように息を詰め、キルシェに振り返った。

「まさか、君が先生を呼んでおいたのか?」

「違うわ、私、そこまでしていない。先生にご覧頂く前に、何度か試してみるつもりだっただけだもの」

 キルシェは慌てて首を振る。

 そもそも効果があるかもわからない手段だったのだ。

 下手に構えすぎず、他人の視線も気配も気にせずにすむ状況がいかに彼に作用するのかが未知数。それを試していたにすぎず、これはしかも第一弾。これほど覿面に現れるとは思いもしなかった。

 なのに、そんなお試しの状況下で、担当教官のビルネンベルクならまだしも、弓射の教官までどうして呼びつけるというのだ。

「ナハトリンデン君が弓射をしているときは、遠巻きに実はこの数週間見守っていた。療養後の経過が気になっていたからな」

「お心遣いを。ありがたく存じます」

 武官らしく、きびきび、と頭を下げるリュディガーに対して、デリングは今一度、射掛けた的を見やった。

「……事実、私の目の前で結果を残せている」

「こんな形で、よろしいのですか?」

「構わんさ。それに前例はある」

「前例……」

「現元帥閣下がそれだ」

 え、とリュディガーが目を剥いた。

「私が知っている、彼の数少ない弱みだ」

「弱み……ですか」

「彼とは、先輩後輩の間柄だ。だからこれ以上は、私の口から詳しくは言えないが、まあ似たような状況だったことだけは教えよう。__本人に聞いてみるといい。弓射はどうだったのだ、と」

 リュディガーは戸惑った顔を浮かべ、とんでもない、と首を振れば、デリングはからり、と笑った。
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