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帝都の大学
持て囃される
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どっ、と久しぶりに聞くその音は、一生懸命に的に向かうリュディガーには申し訳ないが、ほっ、とする音だった。
およそ一週間、この弓射の鍛錬場にはなかった音と光景だからだ。
十矢射掛け終え、結果は二矢。極端に落ちてもいない、平均以下の結果。
病み上がりだから、と理由にできないのは、彼リュディガーにとってはそれが常の結果だからだ。
やれやれ、と首を振る彼は、矢を回収しに的に向かって歩きだす。そして、引き抜いた矢を矢筒に収めながら戻ってくる彼は、自嘲気味に肩をすくめた。
「どうします? 続けますか?」
そう尋ねるのは、彼が昨日大学に復帰したばかりだからである。
「無論続ける」
「なら、少し休憩して、気分を切り替えましょうか」
戻ってきたリュディガーは、ああ、と提案を受け入れ、キルシェが腰掛ける階段の傍に腰を据えた。
視線は真っ直ぐ、先程まで射掛けていた的へ。それはどこか睨みつけるようで、しばしそうしていた彼は、手首をほぐすように軽く振るった。
「__昨日は、君は居なかったな」
「私はほら、お見舞いで毎日会っていましたから」
昨日は、それはそれは大学は大いに賑わった。
それもそのはず。昨日は彼が戻ってきた日。その日は、学生らの有志が大学をあげて慰労会を催したのだ。
普段はそんなことを許さない学長も、この日ばかりは目を瞑り、夕方から故郷に戻ったそう。__不在という口実を作るためである。そうしたお膳立ては全て、リュディガーの担当教官であるビルネンベルクがである事は、キルシェもよく知るところ。
現役の龍騎士と愛龍が迎えに来て、周囲をはばからず装備を整え飛び立ったのだ。龍帝従騎士団は帝都が国内外を問わず誇る精鋭部隊。帝国民なら、幼い頃から憧れを持っていて当然という仕事だ。その存在が間近にいて、しかもその様を見て興奮しない者ものなどいないだろう。
「当然のことをしただけで、それに被害を最小限とはいえ……」
苦笑を浮かべる彼が、その慰労会を感謝こそすれ、心の底から受け入れ難かったのはいうまでもないだろうが、彼らの厚意を無碍にはできない。今夜だけ、と言い聞かせ主役を演じていたのだろうことは、キルシェの想像に容易い。
幸いにして、大学内に今回最小限の被害を被った地域に直接縁ある者はおらず、同州出身がいるという程度だったから、憚ることはなし、と皆こぞって彼を労ったのだ。
大学の本棟の中心にある吹き抜けの広間を中心に、書庫以外の隣接する一階の部屋を使い、飲めや歌えの騒ぎとなった。
そして今日、キルシェが見た限り、そこそこの学生の顔色が冴えなかったのは、おそらく慣れない酒に呑まれたからだろう。
「恥ずかしかったの?」
「まあ、担ぎ出されることは慣れていないからな。そういう柄じゃないんだ。__ビルネンベルク先生の、親切という名の腹いせだ」
「まさか」
「いや、断言できる。今朝、部屋に呼ばれていったら、それらしいことをほのめかしていた。あの方はシュタウフェンベルク卿だけじゃなく、私にも容赦ないということがよくわかった」
会話している間も、弓射の鍛錬場が見えるところを通過する者が、リュディガーを見つけると、軽く声を掛けて手を上げてくる。
以前までなかった光景だ。もちろん、彼が暇をもらっている龍騎士だと知って、声を掛けてくる者はいたにはいたが、今のようにそこまで関わりない学生まで遠巻きには見ることはあっても、接触をしてくることはなかった。
「すっかり注目の的ですね」
軽く手を上げて応えるリュディガーに言えば、勘弁してくれ、と軽く項垂れる。
「__弓射があんな腕前なのに」
キルシェは、小さく笑った。
「でも、叙勲されたのでしょう? えぇっと__」
「一頭龍小綬章」
キルシェが言葉を探すまでもなく、リュディガーが項垂れたまま言う。
一頭龍小綬章__一頭龍章という勲章は、彼曰く、武功をたてた者に龍帝から下賜されるもので、式典を催すほどではないが、それなりの位置づけであるらしい。
一頭龍小綬章は、元帥、団長の立ち会いのもと、龍帝の名代として天麒と地麟という、神聖な霊獣により下賜されたのだそう。
天麒と地麟は、もともと麒麟と呼ばれる一体の神聖な霊獣__瑞獣の一種。任意に一対の霊獣になることがきでる。文字通り、天麒は高天原__龍帝の傍に、地麟は地上にいて共に連絡を取り合う。
麒麟は__天麒、地麟ともども__額に一角を持ち、鹿の身体の背には龍の鱗。体躯は常用馬より大きいが、馬車馬のように筋骨隆々とした馬ではなく、華奢。金色の鬣と尾は陽光を五色に弾く__と伝えられている。
この霊獣は蓬莱から龍帝の祖が渡ってきた際、随行したとされ、龍帝一家を守護する護法神の筆頭である。
「__名誉なことだが、こちらの成果が見合っていないと私は思う。謹んでお返ししたいが、それはならんと団長に一蹴されてはな……。他の者への示しにならないのだそうだ」
「でも、実際に活躍したのは事実なのでしょう?」
リュディガーは物言いたげに開いた口を、キルシェの顔を見るなり噤んでしまった。
飲み込んでしまった言葉を言うよう、首をかしげて促したが、彼は、いいんだ、と首を振る。
「__叙勲されても、やることは決まっているのだからな。それに向き合うことにはかわらない」
勢いをつけて伸び上がるようにして立ち上がったリュディガーは、一度伸びをする。それはあまりに軽妙な動きで、つい先日まで療養していたとは思えない。
「そうだわ、リュディガー。試してみたいことがあるの」
「何だ?」
いざ、と弓を取り直したところで彼が振り返った。
「元帥閣下からご助言頂いて、ひとつひとつ可能性を潰していこうと思って」
元帥閣下、と聞いて、リュディガーの顔に少しばかり険しくなる。
「__可能性?」
「弓射の上達を妨げになっている可能性のもの」
言いながらキルシェは立ち上がり、対してリュディガーは腕を弓にくぐらせて、肩にかけて腕を組んで言葉を待った。
「まずは、食事」
僅かに彼の眉が潜められる。
「療養中の食事の量を見たけれど、ここのとは雲泥の差だったわ」
「それは、武官の施設だから__」
「それはそうだけど、貴方たち、有事に備えて、粗食に耐えられるようにも訓練しているって聞いたわ」
これはラエティティエルからそれとなく聞いたことだった。
「ま、まぁ。__しかし、それは」
「貴方、痩せていたのでしょう?」
ぐっ、と言葉に詰まるリュディガー。
これもラエティティエルからもたらされた話だ。龍帝従騎士団で保管されていた彼の装備の制服が、そこそこのゆとりがあったという。
「なので、学食とは別に何かしら用意します」
「用意って__」
「掛け合ってみます。食堂の方に」
幸いにして彼は今、かなりの人気者だ。融通はかなりきいてくれるだろうし、ビルネンベルクを通じて頼むこともできなくはない。
__最悪、私が街で用立てればいいのだもの。
「空腹だと頭が冴えるし、集中できるというのはわかるの。朝飯前っていう言葉もあるのだから。だけれど、貴方は常に腹八分目以下だった可能性があるのよ。軽い飢餓状態だったかもしれない。そんな体調で、かなりの集中力が必要な弓射が十分にできていたとは言いにくい」
粗食に耐える訓練をしていた身体だ。それについて極端に鈍くなっている可能性は否めない。
__彼は痩せこけていたと聞いているし……。
彼の父ローベルトが最初に出会ったときの彼を、そう表現していた。
何があってそうなっていたのかは定かではないらしいが、幼い頃から粗食に慣らされてしまっていたのかもしれない。
「それに、療養明けだから、しっかり食べた方がいいに決まっているでしょう。簡単なことだから、まずは試してみたいの」
「……わかった。従おう」
了解した彼は、しかしどこか半信半疑__否、疑念しか抱いていないようだった。
それでもキルシェは、ありがとう、と穏やかに笑みを返した。
__馬鹿らしいと思われるのは当然だものね。でも一応。
彼はそもそも能力はある。あるはずなのだ。
本人は気づいていないらしいが、馬以上に不安定だろう龍の鞍上で、矢馳せ馬の真似事をやってのけたという証言があるぐらい。
元帥が言っていた通り、実力を発揮できないということは、何かしら妨げがあるはず。
それを虱潰しに潰していって、様子を見る__その最初に思い当たったのが、これまで見かけてきた彼にとっての適切な食事の量だ。
__それから、もうひとつあるけれど。
これは、彼に伏せて実行する予定だ。
およそ一週間、この弓射の鍛錬場にはなかった音と光景だからだ。
十矢射掛け終え、結果は二矢。極端に落ちてもいない、平均以下の結果。
病み上がりだから、と理由にできないのは、彼リュディガーにとってはそれが常の結果だからだ。
やれやれ、と首を振る彼は、矢を回収しに的に向かって歩きだす。そして、引き抜いた矢を矢筒に収めながら戻ってくる彼は、自嘲気味に肩をすくめた。
「どうします? 続けますか?」
そう尋ねるのは、彼が昨日大学に復帰したばかりだからである。
「無論続ける」
「なら、少し休憩して、気分を切り替えましょうか」
戻ってきたリュディガーは、ああ、と提案を受け入れ、キルシェが腰掛ける階段の傍に腰を据えた。
視線は真っ直ぐ、先程まで射掛けていた的へ。それはどこか睨みつけるようで、しばしそうしていた彼は、手首をほぐすように軽く振るった。
「__昨日は、君は居なかったな」
「私はほら、お見舞いで毎日会っていましたから」
昨日は、それはそれは大学は大いに賑わった。
それもそのはず。昨日は彼が戻ってきた日。その日は、学生らの有志が大学をあげて慰労会を催したのだ。
普段はそんなことを許さない学長も、この日ばかりは目を瞑り、夕方から故郷に戻ったそう。__不在という口実を作るためである。そうしたお膳立ては全て、リュディガーの担当教官であるビルネンベルクがである事は、キルシェもよく知るところ。
現役の龍騎士と愛龍が迎えに来て、周囲をはばからず装備を整え飛び立ったのだ。龍帝従騎士団は帝都が国内外を問わず誇る精鋭部隊。帝国民なら、幼い頃から憧れを持っていて当然という仕事だ。その存在が間近にいて、しかもその様を見て興奮しない者ものなどいないだろう。
「当然のことをしただけで、それに被害を最小限とはいえ……」
苦笑を浮かべる彼が、その慰労会を感謝こそすれ、心の底から受け入れ難かったのはいうまでもないだろうが、彼らの厚意を無碍にはできない。今夜だけ、と言い聞かせ主役を演じていたのだろうことは、キルシェの想像に容易い。
幸いにして、大学内に今回最小限の被害を被った地域に直接縁ある者はおらず、同州出身がいるという程度だったから、憚ることはなし、と皆こぞって彼を労ったのだ。
大学の本棟の中心にある吹き抜けの広間を中心に、書庫以外の隣接する一階の部屋を使い、飲めや歌えの騒ぎとなった。
そして今日、キルシェが見た限り、そこそこの学生の顔色が冴えなかったのは、おそらく慣れない酒に呑まれたからだろう。
「恥ずかしかったの?」
「まあ、担ぎ出されることは慣れていないからな。そういう柄じゃないんだ。__ビルネンベルク先生の、親切という名の腹いせだ」
「まさか」
「いや、断言できる。今朝、部屋に呼ばれていったら、それらしいことをほのめかしていた。あの方はシュタウフェンベルク卿だけじゃなく、私にも容赦ないということがよくわかった」
会話している間も、弓射の鍛錬場が見えるところを通過する者が、リュディガーを見つけると、軽く声を掛けて手を上げてくる。
以前までなかった光景だ。もちろん、彼が暇をもらっている龍騎士だと知って、声を掛けてくる者はいたにはいたが、今のようにそこまで関わりない学生まで遠巻きには見ることはあっても、接触をしてくることはなかった。
「すっかり注目の的ですね」
軽く手を上げて応えるリュディガーに言えば、勘弁してくれ、と軽く項垂れる。
「__弓射があんな腕前なのに」
キルシェは、小さく笑った。
「でも、叙勲されたのでしょう? えぇっと__」
「一頭龍小綬章」
キルシェが言葉を探すまでもなく、リュディガーが項垂れたまま言う。
一頭龍小綬章__一頭龍章という勲章は、彼曰く、武功をたてた者に龍帝から下賜されるもので、式典を催すほどではないが、それなりの位置づけであるらしい。
一頭龍小綬章は、元帥、団長の立ち会いのもと、龍帝の名代として天麒と地麟という、神聖な霊獣により下賜されたのだそう。
天麒と地麟は、もともと麒麟と呼ばれる一体の神聖な霊獣__瑞獣の一種。任意に一対の霊獣になることがきでる。文字通り、天麒は高天原__龍帝の傍に、地麟は地上にいて共に連絡を取り合う。
麒麟は__天麒、地麟ともども__額に一角を持ち、鹿の身体の背には龍の鱗。体躯は常用馬より大きいが、馬車馬のように筋骨隆々とした馬ではなく、華奢。金色の鬣と尾は陽光を五色に弾く__と伝えられている。
この霊獣は蓬莱から龍帝の祖が渡ってきた際、随行したとされ、龍帝一家を守護する護法神の筆頭である。
「__名誉なことだが、こちらの成果が見合っていないと私は思う。謹んでお返ししたいが、それはならんと団長に一蹴されてはな……。他の者への示しにならないのだそうだ」
「でも、実際に活躍したのは事実なのでしょう?」
リュディガーは物言いたげに開いた口を、キルシェの顔を見るなり噤んでしまった。
飲み込んでしまった言葉を言うよう、首をかしげて促したが、彼は、いいんだ、と首を振る。
「__叙勲されても、やることは決まっているのだからな。それに向き合うことにはかわらない」
勢いをつけて伸び上がるようにして立ち上がったリュディガーは、一度伸びをする。それはあまりに軽妙な動きで、つい先日まで療養していたとは思えない。
「そうだわ、リュディガー。試してみたいことがあるの」
「何だ?」
いざ、と弓を取り直したところで彼が振り返った。
「元帥閣下からご助言頂いて、ひとつひとつ可能性を潰していこうと思って」
元帥閣下、と聞いて、リュディガーの顔に少しばかり険しくなる。
「__可能性?」
「弓射の上達を妨げになっている可能性のもの」
言いながらキルシェは立ち上がり、対してリュディガーは腕を弓にくぐらせて、肩にかけて腕を組んで言葉を待った。
「まずは、食事」
僅かに彼の眉が潜められる。
「療養中の食事の量を見たけれど、ここのとは雲泥の差だったわ」
「それは、武官の施設だから__」
「それはそうだけど、貴方たち、有事に備えて、粗食に耐えられるようにも訓練しているって聞いたわ」
これはラエティティエルからそれとなく聞いたことだった。
「ま、まぁ。__しかし、それは」
「貴方、痩せていたのでしょう?」
ぐっ、と言葉に詰まるリュディガー。
これもラエティティエルからもたらされた話だ。龍帝従騎士団で保管されていた彼の装備の制服が、そこそこのゆとりがあったという。
「なので、学食とは別に何かしら用意します」
「用意って__」
「掛け合ってみます。食堂の方に」
幸いにして彼は今、かなりの人気者だ。融通はかなりきいてくれるだろうし、ビルネンベルクを通じて頼むこともできなくはない。
__最悪、私が街で用立てればいいのだもの。
「空腹だと頭が冴えるし、集中できるというのはわかるの。朝飯前っていう言葉もあるのだから。だけれど、貴方は常に腹八分目以下だった可能性があるのよ。軽い飢餓状態だったかもしれない。そんな体調で、かなりの集中力が必要な弓射が十分にできていたとは言いにくい」
粗食に耐える訓練をしていた身体だ。それについて極端に鈍くなっている可能性は否めない。
__彼は痩せこけていたと聞いているし……。
彼の父ローベルトが最初に出会ったときの彼を、そう表現していた。
何があってそうなっていたのかは定かではないらしいが、幼い頃から粗食に慣らされてしまっていたのかもしれない。
「それに、療養明けだから、しっかり食べた方がいいに決まっているでしょう。簡単なことだから、まずは試してみたいの」
「……わかった。従おう」
了解した彼は、しかしどこか半信半疑__否、疑念しか抱いていないようだった。
それでもキルシェは、ありがとう、と穏やかに笑みを返した。
__馬鹿らしいと思われるのは当然だものね。でも一応。
彼はそもそも能力はある。あるはずなのだ。
本人は気づいていないらしいが、馬以上に不安定だろう龍の鞍上で、矢馳せ馬の真似事をやってのけたという証言があるぐらい。
元帥が言っていた通り、実力を発揮できないということは、何かしら妨げがあるはず。
それを虱潰しに潰していって、様子を見る__その最初に思い当たったのが、これまで見かけてきた彼にとっての適切な食事の量だ。
__それから、もうひとつあるけれど。
これは、彼に伏せて実行する予定だ。
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