【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

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帝都の大学

あの日のあの龍は

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 チュルチを受け取ってお代を払うリュディガーは、それを軽く示す。

「食べてみればいい」

「えぇっと……」

 言葉に詰まっていれば、くすんだ赤いチュルチをキルシェに持たせた。

 少しばかり、ずしり、と重いチュルチ。なめした革のような照りのそれは、見れば見るほどおよそ食べ物のようには思えない。

 そしてなにより、思っていたとおり、硬い。爪を立てれば跡はつきそうであるが、手で千切れるような代物ではなさそうである。

「__味は色でいくらか違うのでしたか?」

「少しは違うね。葡萄の種類で色が違うから。黒っぽいのは、皮が黒い葡萄っていう具合に。固くならないように蜂蜜も入れているけど」

「ああ、やはり。__黄色いのは、白い葡萄の果汁で蜂蜜が入っているからかですか?」

「ああ、そうだよ」

「じゃあ、すべての色を1対ずつ」

 まいど、と言って吊るしているチュルチに手を伸ばす店主を見て、キルシェは慌ててリュディガーの袖を引いた。

「そんなに食べられないわ」

「先生への手土産だ」

「……なるほど」

 ネツァク州の名家のビルネンベルク。その出自の担当教官は、久しく故郷に戻っていない。祭りにも出ないとなれば、故郷の伝統的なお菓子というのを口にする機会はなかなかないのかも知れない。

 追加で買った分__4対8本を指に下げ、お代を支払い店主と軽く手を上げて店を離れるリュディガーに、キルシェも店主へ頭を下げて、慌ててついていく。

「あれだけ物欲しげに眺めていて、買わないのは店主に悪いだろう」

「そんなつもり無かったのよ。どういうものなのかな、って不思議で眺めていただけで……でもたしかにそうよね」

 手にしたチュルチを改めて眺めるキルシェ。

 これを観察しているとき、果たしてどんな間の抜けた顔で見ていたのだろう。

 未だにもって、甘いだろうという程度しか味の想像ができていない代物だ。

「__それから、父も食べるだろうから」

 リュディガーの父祖はネツァク州出身であるから、やはり馴染みがあるのだろう。

 その彼は人の流れを見極めて、邪魔にならないところで歩みを遅くしながら、ぐるり、と広場を見渡した。

「お代は、その食べた感想でいい」

「……わかりました」

 これには困ったよう笑うしかなかった。

 言いながら、リュディガーが二件隣の別の店で足を止める。

 そこはチュルチの店とは違いはっきりと甘い匂いがする店で、見れば黄金色に輝く小ぶりの花のお菓子と、蚕の繭のようなものを扱っている。

 蜜に浸されたような輝きの花のお菓子は、よくよく見れば切込みを入れた金柑を砂糖で煮詰め、上から押して花のように仕立てたものだった。

 それの隣に並ぶ繭のお菓子は、きらり、と輝く蚕の繭は糸状の飴に包まれたお菓子で、中身は薄い桃色の餡。

 リュディガーが言うに、薄い桃色の餡は木蓮の花で作った甘い餡らしい。

「__木蓮って食べられるの……」

 食べられる花は、キルシェももちろん知っている。だが、あの肉厚の花弁の木蓮の花をまさか餡に仕立てる食文化があるとは思いもしなかった。

「こうした餡だけじゃなく、揚げ物にしたりもするらしい」

 でしょう、とそれらを蓮の葉に包んでもらっている店主に尋ねれば、そうだよ、と店主は笑いながら答えた。

「そうなの」

 木蓮は、初夏に咲く。夏至である今日は、帝都近隣では花の時期は終わっているはずだから、北部も北部か、あるいは標高が高いところでならまだ咲いているのかも知れない。

 __高木でしょうに……。

 収穫するのはひどく危ないのではないのだろうか。しかも山岳地帯であるならなおさら。

「__これは、この時期だけのために作るんだよ。お祝いのために。餡の色が褪せちゃうから、この時期だけの特別なお菓子だね」

 おまたせ、と渡す店主から受け取るリュディガーは、いよいよ持つのに難儀しはじめていて、店を離れる前に、キルシェは日除けの布を取ってそれを包みとして使うように勧めた。

 彼は案の定、難色を示したが、それを押し切る形で彼が持つチュルチと、揚げ物の包み、そして今しがたのお菓子を半ば強引に奪うようにして包んでしまえば、彼もそれ以上は抵抗を示さなかった。

 キルシェは満足気に笑って頷いて、先を促す。

「他にはある?」

「そうだな……あとは__」

 その後にもういちどぐるり、と見渡した彼は、平たい鉄の大皿で米と魚介を煮るようにして炊いた南部の黄色い米料理と、広場を去り際に、ついでのように山査子サンザシを砂糖で煮崩して固めた棒状のお菓子と、その並びで柘榴ザクロを絞った飲み物を贖った。

 ではここを離脱するのだろう__そう思っていたが、彼は広場の外れに見つけた石の椅子の空いている所に誘導した。

 そこへ腰掛けさせると、竹筒に入れて手渡された柘榴の飲み物を飲むように促す。どうやら、喉の乾きを見越して贖ってくれたものらしい。

 連れ回したから、と言う彼は、お代を受け取る気配はない。ありがたく素直にそれを受けって、キルシェは口をつけた。

 丁寧に絞ってあるらしいそれは、柘榴の内側の薄い膜の欠片もなく、とても飲みやすかった。

 天候に恵まれたこの日は風こそ涼しいが日差しが強いので、人混みで疲れ、火照った身体にはとても染みるようである。

 喉が渇いているだろうリュディガーにも勧めるが、彼は君の分だ、と言って受け取らなかった。

 __色々集まっているのね。

 知らないもの、ことが多い。

 出店も見て回れてよかった、とキルシェは思うのだった。

 そして、ふと疑問に思った。

「__リュディガーはどこにも行けるの?」

「転移装置のことか?」

「ええ。私は、こことイェソド州の転移装置しか使えないわ」

 各州へと瞬時に行ける転移装置は、制限がある。

 転移装置を使うには、感応石の一種を消費して使わなければならない。

 この世には、《もの》、《アニマ》という不可知の流れがある。これは大気にも地中にも、水中にもあり、龍脈とも呼ばれ、目視できない流れ。

 特別な力を持つ獣__所謂神獣や瑞獣といった魔性の異形は、これを見つけ出して乗ることができ、通常考えられない速度で移動できる。速さは格によっても流れの速さでも異なる。

 そうでない一般人は、この転移装置を使うことで龍脈で移動することを実現させている。一般人が見えないはずの龍脈を利用するための道具、というのが一般的な解釈で、厳密な構造はわかっていない。__古代の叡智と言わしめる所以だ。

 転移装置を使うためには、感応石を消費しなければならない。っして、それはそこそこの値段で、転移する瞬間の感覚が嫌な者は、時間がかかっても別の交通手段を使うのだ。

 さらに、行ったことがない州都の転移装置も利用できない。転移装置の要たるあの岩が、自身の光で捉えた人影を記憶しているらしい。故に石が覚えていないと使えない。

 初めて訪れた州都ではかならず転移装置を視界に納めて触れるのだ。そうして石に覚えてもらう。
その石の記憶を利用して、利用を制限することも可能。今は、すべての者の往来を制限しているのは、これの延長だ。制限措置などについての権限は、各州侯にある。

「私もすべてではないな」

「そうなの?」

 意外だ、とキルシェは目を見開く。

「よく考えてみてくれ。龍騎士の強さは龍を駆っているからとも言える。その龍は転移装置を使えない」

「それは知らなかったわ」

 言われてみれば、確かに龍騎士が龍とともに転移装置を使っている姿を見たことがない。

「だから、龍騎士が転移装置を行くとなれば、丸腰に近い状態で移動するということになる。そうした場面はもちろんあるが、やはり龍騎士は龍でもって移動するのが常だ。皆が皆、絶対にすべての転移装置を網羅しているわけではない。龍ですべて事足りているんだ。龍の翼は、十分速いから。州境までなら……一時間はかからない。少し速く飛ばせば30分から40分程度か」

「そんなに速いの」

「ただし、その代わり寒い」

「真夏でも?」

「真夏でも。低く飛んでも、当たる風が強ければそれだけ体感は寒く感じるし、速く飛べば飛ぶだけ風の当たりも強いから痛い。それらに耐えられれば、もっと速く行けなくはないのだろうが、私は試したことがない」

 冗談めかして言うリュディガー。

「冬の時期は、帝都の見回りでも、楽をしようとして低く飛ぶ輩もいるぐらいだ」

 __あれは、そういうことだったの……。

 冬の、まだ氷が張る時期の早朝のこと。

 いつものように弓射の鍛錬に励んでいたとき、帝都の上空を飛んでいた龍が、とても低いところを飛んでいたのを思い出して、思わず笑ってしまった。
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