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帝都の大学

ニーナとニノ

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 どことなくその表情が、思いつめたようなものに見え始め、キルシェは心配になってきた。

 何故彼がこれほど思い詰めるのか、キルシェには分からない。

 __そこまで私、態度がひどかったかしら……。

 普段と変わらなかったはず。

 慇懃いんぎん無礼でもなかったはず。

 __でも、どう捉えるかは相手次第よね……。

 どうしたものか__途方に暮れはじめたキルシェを他所に、彼は徐に、膝に両肘を置き、前傾姿勢となって川面をみやること暫し、やっと口を開く。

「__一昨日、コンブレンに来たのは、どうしても外せない用向きがあったからだ。それの延長ということもあって、ニーナ嬢とご尊父との夕食会になって……。……用向きというものが……その……」

 またも、今朝のように言葉を探して言い淀む彼に、キルシェは恐る恐るではあるが言葉を発した。

「……お墓参り、ですよね?」

 目を見開くリュディガーは、弾かれるようにキルシェへと顔を向ける。

「ニーナ様から、少しだけ伺いました」

 彼のその顔はいくらか強張ったように見受けられた。

 そして、再び__否、今度は足元へと視線を落とす。

「……シュテファン・フォン・ロイエンタール__彼が亡くなったから、私が中隊長になったという話もか?」

「え?」

 キルシェは、目を見開く。

 それを見て、リュディガーは自嘲気味に口元を歪めた。

「私は、同期で昇格が一番早かった……。それは、彼が殉死し、空いたからこそなれただけだ」

 キルシェは、リュディガーが両手を握りしめるのを見逃さなかった。それも、そこそこの強さで。

「死亡の報せとご遺体を届けたのも、私だ。__シュタウフェンベルク大隊長とともにな」

「殉死だと、伺いましたが……」

「ああ。魔穴からこぼれ出て、討伐しそこなった魔物を索敵していて……その最中に。不意打ちを食らって……。ともに行動をしていたのが私だ」

 足元を見つめる彼の目元に、力が込められる。

「庇い切れなかった……」

 __庇う……?

 キルシェは反芻する。途端に、心臓がきゅっ、と縮こまった心地に息を詰めた。

 以前見かけた、双翼院で療養していた満身創痍のリュディガーの姿がまざまざと蘇る。

 彼が言う庇うという行為が文字通りであるなら、満身創痍どころではすまなかったのではなかろうか。

「ロイエンタール家__ニーナ嬢とはそこからの付き合いだ。御嫡男である頼れる兄君を亡くされて……泣くでもなく、なじるでもなく……呆然と心をどこかにやった様が気になってしまって……」

「……そうだったの」

「最近になって気分が上向きになってくれたから、表へ出る練習になるならば、と__それで、一昨日の夕食の席とブリュール夫人の晩餐会へ、私も。……パスカルの紹介もあったがな」

 重く、少し長めに息を吐くと、リュディガーは身体を起こして空を見上げた。

「……私にも、妹がいた。ニノと言う……生きていれば__17か」

 __妹……リュディガーの妹……。

 だが、彼はローベルト・ナハトリンデンの養子。

 ガリガリに痩せ細っていたリュディガーは、ふいにどこからともなく独り現れた。様子見を兼ねて、しばらくローベルトが農業を手伝ってもらうことを口実に、食事を分けて、その流れで養子に迎え入れた。

 ローベルトの話を聞く限り、彼だけを養子に迎えたはず。ということは、ニノという妹はローベルトの実子だろう。

 __彼もお父様も、ご家族の話はしなかった……。

 今日までそれに触れなかったのは、キルシェ自身、抱える家族に難ありであるが故、深く踏み込まなかったから。

 自分が踏み込めば、相手にも踏み込んでよいという許可を与えたと同意だ。

 そして、生きていれば、と言う妹御の話から察するに、ナハトリンデン親子にとっても辛い思い出があるから、彼らは自らすすんでしてこなかったではなかろうか。

「ニノさん……聖ニノ?」

 リュディガーは懐かしむような顔で、無言で頷いた。

 聖ニノは、建国の際、龍帝の祖と協力し邪龍を打ち破ったとされる聖女だ。

 その功績にあやかり、聖ニノの名前をつけることもある。帝国全土でそれなりに聞く名前__特に廟がある東のネツァク州ではそこそこ多い女性の名前らしい。

 昨夜のドレッセン夫人が案内してもらう約束に喜んだというネツァク州の廟というのが、この聖ニノの廟である。

 __ニーナとニノ……。

 ニーナという名前は、ニノという名前の派生である。

 帝国は広く、古い名前の派生が混在している。

 ゲオルク、ゲオルギ、イェルク__これらもゲオルギオスという古い名前の派生。

「昔、ゲブラー州で、流行病があってな……その治療が終わって奇跡的に快復して、元気になって……好きだった乗馬をできるまでになったんだが……落馬して__亡くなった」

 思いもかけない言葉で、キルシェは息を飲む。

「領主様の付き添いで、隣街へ出かけていた私を迎えに行こうとしていたらしいんだ」

 領地管理人の息子の彼。

 領地管理人は、仕事上その雇い主たる領主の懐をよく知る存在で、ある種の腹心に近い立場となる。

 ローベルトはとても腕が立ち、信頼が厚かったのだろう。そして、その息子__養子であるが__リュディガーも話を聞くに利発だったから、領主に気に入られて小姓のようなことをさせられていたのかもしれない。

「二人の弟も、母も同じ病で亡くなっていたから……唯一、快復したニノがそんな亡くなり方で、父が可哀想でならなかった……」

 __4人兄弟だったの……。

 今の彼が色々と気が付き、躊躇いなく手を差し伸べる為人であることを見るに、養子とはいえ長子として下の子たちを面倒見ていたのだろう。

 夏至祭で独り店番をしていた少年とのやり取りから、それが伺い知れる。

「私もかかったは罹ったんだが……君も知っての通り、魔穴の瘴気に比較的強い身体だったおかげか、2日寝込んだだけで治った。父は未だに完治していない」

「まさか、お父様の肺の病は……」

「そう、同じものだ。後遺症とでもいえばいいのか……完治の見込みはない」

 力なく笑うリュディガーに、どうにも胸が痛む。

「そうだったの……」

 夜空を見ていたリュディガーは、視線を落として組んでいた手を見る。

「兄弟がある人から、兄弟を守れなかった……。兄弟がない__兄弟を失っていた私が生き残って……彼が叙されていた中隊長の座についている」

 詰るような物言いに、キルシェは握りしめられていた彼の手に、自分の手を重ねた。

 弾かれるように見るリュディガーに、緩く首を振るキルシェ。

「それは、ニーナ様には言わないで差し上げて。__とても、失礼なことだと思うの」

 やっと絞り出した言葉は、思いの外掠れていた。

「ああ。分かっている。そこまで愚かではない。……今、初めて口にした言葉だ」

 力なく笑い、やれやれ、と首を振るリュディガー。

「……中隊長になり部下を持つようになって、自身の至らなさを痛感させられていた。こんな私が上官でいいのか、と。__大学に入った本当の動機は、多くの命を負うための準備だ。命を任せられる、と……信頼に足る知性を身に着けたかった。矢面に立てるような人にならなくては、と。元帥や団長、シュタウフェンベルク左大隊長のような……」

 イャーヴィス元帥、シュタウフェンベルク左大隊長は、キルシェらが通う大学を卒業している人材。

 龍帝従騎士団の長であるフォンゼル団長は、叩き上げで大学を卒業している訳ではないが、彼の場合は団長というだけの器が備わっているのだろう。

 知性だけでもなく、力だけでもなく__そうした人材が、国の中枢には欠かせない。
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