【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
97 / 247
帝都の大学

不快な視線

しおりを挟む
 冬至の矢馳せ馬の候補になってから、早2ヶ月が経とうとしている昨今、キルシェは帝都の街を歩くことが楽しみになっていた。

 それも、独りきりで、である。

 リュディガーに蛍の飛ぶ穴場へ案内され、人知れずそうした名所があることを知った。その後、冬至の矢馳せ馬の候補に選ばれ、街を巡回する乗合馬車に乗る機会も増えたことで、キルシェは独りで出歩くことに対しての抵抗が減ってきていた。__否、ほぼなくなった、といっても過言ではない。

 __私は、一帝国人だもの。

 これまでも、文具や本などを贖うためであったり、あるいはビルネンベルクのお使いで出かけることはあったが、昨今のように目的もなく歩き回ることがなかった。

 新しいこと、新しいものを、散策する度に見つけられて、その新鮮さがやみつきになっている。

 帝都のことを網羅しているリュディガーに、少し近づけたような感覚がするのだ。

 それを話の種にして彼と語らうこともまた、楽しい。外を独りで散策してきたことを聞く度、彼はとても歓迎するような顔になってくれるからだ。

 この日は、帝都の五苑の左京にあると聞いた、工房が立ち並ぶ区画へと来ていた。

 宝飾品を加工する工房、鍛冶屋、革細工屋、木工、石工、織機__大きな平たい鍋で煮詰めるものは繭か。

 繭は初夏から秋にかけて何度かに分けて、断続的に、かつ短期的に集中して入荷する。この日は、ちょうど入荷した翌日だったらしい。

 繭の処理は時間との戦いだと、読んだことがある。忙しなく下処理を行う働き手は、しばらくは一日中交代しながらの生活に違いない。

 織機の置かれた工房の横には、生糸を扱っている店があった。

 こちらは、店という表の顔が強く、店番は先ほど見かけた働き手よりもゆったりと動いて接客をしていた。

 断りを入れて、中を覗かせてもらえば、色とりどりに染め上げられた生糸がずらり、と並んでいる。宝石とは違う艶やかさがあって、目の保養だけでなく、心も踊らせてくれる。

 個人の客にも売ってはくれるらしいこの店。

 目の前の賑やかさと、高揚した心に刺繍糸に思わず手が出そうになったが、おそらくすることはないだろうと思い、踏みとどまる。

 キルシェは服の補修に使えそうな糸のみ買うことにして、店を後にした。

 ふと、空を見上げる。

 薄暗い空。

 賑やかな色彩の生糸の店とは、対称的な鬱々とした色である。

 __雨が降るのかしら……。

 夏の盛り。

 帝都はそこそこの高さの山を北に背負っているから、風があたって雲を作りやすい。夏ともなれば、午後には天候が崩れることもしばしばだ。

 日傘を差して、キルシェは通りを歩いた。

 もう少しだけ、と探索することにしてどんどん進んでいくが、空はさらに暗さを増す。

 通りから路地へ。路地から路地へ__ただでさえ弱くなっていた日差しを、両側の建物が遮って少しばかり暗くなる。

 空模様もあってか、人気がかなり遠のいた。

 息を潜めたような路地であるが、すれ違う人とのことを考えて、キルシェは日傘を下ろした。

「……」

 向こう側から、案の定人が__男が現れた。

 それを認めて、キルシェは僅かに身体を片側へと寄せるのだが、相手側は全く避ける素振りが見られない。

 気づいていないはずはない。男とは目が合った__合っている。

 困惑しながらも進んでいき、ついにキルシェが足を止めた。対して男も足を止める。目の前の行く手を塞ぐように。
 
 __何……。

 よくよく見てみれば、無精髭を生やした男は、職人というよりも浪人という印象を覚える。

 男が見下ろすように鼻先で見つめてくる視線がどうにも不快で、その視線から逃れようと先に進もうとするが、じり、とキルシェの行く手を阻むように身体を出す。

 二度、三度__そう続けば、さしものキルシェも動揺してしまう。

 心臓が早く打ち始め、思わず日傘の柄を握りしめた。

 抗議の声をあげようとも思ったが、なんとなく深く関わり合うべきでないと踵を返す__が、背後の男は付かず離れずの距離で続いてくる。

 __たまたま、こちらに用事があったのよ。

 彼はそもそも、進行方向だったではないか。

 __そう、ただそれだけのこと。

 ただどうにも、行く手を阻んだ不可解な行動や、男の不快な視線が脳裏にまとわりついて離れない。

 少し足を早める。

 背後の男は、少し大股になったようだ。

 さらに足を早める。

 男の足さばきが、早くなった。

 これはいよいよ可笑しい。

 キルシェは、駆け出した。

 すると、後ろの足音も、駆ける音になった。

 __嫌……! 嫌……!

 何故、追う。

 何故、ついてくる。

 ぼんやりと男の目的を予想してみたが、どれも身震いするものばかり。

「誰か……っ!」

 この先を曲がれば、と踏み込んだところは、思っていた景色__キルシェが通って来た道ではなかったのだ。

 __嘘……。

 此処で自分が迷路のような路地に踏み込んでいた事実を知ったキルシェは、泣きそうになりながらも堪えて、とにかく走る。

 飛び込むように曲がった先も見覚えのない路地で、こうなってはとにかく男を振り切ることに専念することにした。

 ひゅい、と短く高い指笛が背後から聞こえたような気がした。

 ちらり、と背後を肩越しに見れば、その距離は思っていた以上に近かく、男が口元を、にたり、と歪めるのがはっきりと見える。

 小さく悲鳴を上げて、右か左か__悩む間もなく、キルシェは路地を曲がった。

 少しばかり広い通りに出たものの、人の姿は見当たらない__否、見つけた人の姿は遠すぎる。

 それでも一縷の望みをかけてそちらへ駆け寄ろうとすれば、キルシェが向かう数歩先に躍り出る人影。

「__嫌!」

 恰幅が良いその男は、背後に迫る男と同じ部類だと瞬時にキルシェは悟って、通りを進むのを諦めて路地へと飛び込む。

 __もう、無理……。

 息が苦しい。

 普段から走っているわけではないし、大の男__しかし、男らはおそらく本気では走っていない__に追い立てられ続けて、体力は限界だ。

 足がもつれかけている。

 喉が乾いて、助けを求める声も上げる余裕がない。

 __リュディガー……っ!

 不意に脳裏によぎる彼のこと。

 帝都は治安が比較的いいとはいえ、多くの人が出入りする場所。女ひとりで出歩くならば、なるべく人が多いところを選ぶようにと助言され、自分もそれは心得ていたから、気をつけていた。

 だが、この区画がこれほど入り組んでいたのは、想定外。見通しもまるで利かない。

 地の利がないのは、あまりにも不利だ。

「……あっ!」

 どうしたら、と考えていたところで、足がなにかを引っ掛けてしまって地面へと転げた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?

雨宮羽那
恋愛
 元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。 ◇◇◇◇  名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。  自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。    運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!  なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!? ◇◇◇◇ お気に入り登録、エールありがとうございます♡ ※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。 ※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))

虐げられた私が姉の策略で結婚させられたら、スパダリ夫に溺愛され人生大逆転しました。

専業プウタ
恋愛
ミリア・カルマンは帝国唯一の公爵家の次女。高貴な皇族の血を引く紫色の瞳を持って生まれたワガママな姉の陰謀で、帝国一裕福でイケメンのレナード・アーデン侯爵と婚約することになる。父親であるカルマン公爵の指示のもと後継者としてアカデミーで必死に勉強してきて首席で卒業した。アカデミー時代からの恋人、サイラスもいる。公爵になる夢も恋人も諦められない。私の人生は私が決めるんだから、イケメンの婚約者になど屈しない。地位も名誉も美しさも備えた婚約者の弱みを握り、婚約を破棄する。そして、大好きな恋人と結婚してみせる。そう決意して婚約者と接しても、この婚約者一筋縄ではいかない。初対面のはずなのに、まるで自分を知っていたかのような振る舞い。ミリアは恋人を裏切りたくない、姉の思い通りになりたくないと思いつつも彼に惹かれてく気持ちが抑えられなくなっていく。

前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~

高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。 先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。 先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。 普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。 「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」 たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。 そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。 はちみつ色の髪をした竜王曰く。 「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」 番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

【本編完結】王子の寝た子を起こしたら、夢見る少女では居られなくなりました!

こさか りね
恋愛
私、フェアリエル・クリーヴランドは、ひょんな事から前世を思い出した。 そして、気付いたのだ。婚約者が私の事を良く思っていないという事に・・・。 婚約者の態度は前世を思い出した私には、とても耐え難いものだった。 ・・・だったら、婚約解消すれば良くない? それに、前世の私の夢は『のんびりと田舎暮らしがしたい!』と常々思っていたのだ。 結婚しないで済むのなら、それに越したことはない。 「ウィルフォード様、覚悟する事ね!婚約やめます。って言わせてみせるわ!!」 これは、婚約解消をする為に奮闘する少女と、本当は好きなのに、好きと気付いていない王子との攻防戦だ。 そして、覚醒した王子によって、嫌でも成長しなくてはいけなくなるヒロインのコメディ要素強めな恋愛サクセスストーリーが始まる。 ※序盤は恋愛要素が少なめです。王子が覚醒してからになりますので、気長にお読みいただければ嬉しいです。 ※本編完結しました。 ※後日談を更新中です。

とんでもない侯爵に嫁がされた女流作家の伯爵令嬢

ヴァンドール
恋愛
面食いで愛人のいる侯爵に伯爵令嬢であり女流作家のアンリが身を守るため変装して嫁いだが、その後、王弟殿下と知り合って・・

【完結】女当主は義弟の手で花開く

はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!? 恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

処理中です...