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帝都の大学
別れ路の慟哭 Ⅲ
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「……耳飾りに気づいたのは、君だったか」
赤く腫れた手を労る彼に問えば、わずかばかりに息を詰めた気配がした。
「……ああ」
「そうか……」
魔物に襲われる事件があったのは、3日前。
翌日、日が昇って霧が薄れてから、遺品等の回収がされた。
それにエルンストも関わっていた。
引き上げられた遺品のひとつに見覚えがあった彼は、すぐさま帝都へと舞い戻り、大学へと報せ、ビルネンベルクに出向いてもらって確認をしてもらった。
遺品はすでに、遺族のもとへと届けられていると、ビルネンベルクから聞かされている。
キルシェの訃報をリュディガーが聞いたのは、2日目の昨日。そして今日、こうしてここにいるのは、キルシウムのお陰だった。
通常であれば、帝都からは一週間前後はかかる距離だ。
すぐに駆けつけて状況を確認したかったが、あまりにも距離がありすぎる。父ローベルトのもとを訪れ、様子が可笑しいことを気にかけられたが毅然と平静を装い、いつものように世話をして__それでも無意識に足は帝都の東、街道の始まりに向いていた。
そうしていると、突然目の前にキルシウムが降り立ったのだ。__乗レ、と。
龍から降り立ったこと、そして認識票を確認した州軍の者は、非番の龍騎士だと思って、状況を説明してくれたのだ。__そして、今に至る。
しばしの無言の後、ため息交じりに彼が言葉を零す。
「__見間違いであったなら、と思ったよ」
「……」
「……お前は、ビルネンベルク様に教えられたのか」
「ああ……」
「遺品は……キルシェ嬢のものだと確認を取れたあとすぐに、ご遺族のもとへ届けられた」
「……先生から伺っている」
__彼女の、養父に、か……。
もう一方が揃ってから、引き渡す__では駄目だったのだろうか。
__駄目に決まっているな。
証拠があるのなら、すぐに報せに行くべきだ。
「聞いた話じゃ、密葬にするそうだな。そうっとしておいてほしい、と」
__そうっと、か……。
それは何故だろう。
自分の目論見が、彼女の死で狂ったからだろうか__。
戻ってきた従順な養女を、嫁がせ地位を盤石にする目論見。
__相手は龍騎士の大隊長以上の地位で、やっと釣り合いがとれるような存在。
有名貴族か、はたまた州政府の中枢にいるような輩か__。
__どちらにせよ、彼女が死んだことを嘆くことはないだろうな。
どこまで話しが進んでいたか知らないが、顔さえも合わせていないのだろう。近々会うはずだったラウペンの令嬢が死んだ、という程度。
__不幸だと、決めつけないで。
彼女のその言葉が、どうにも胸につかえていて、今でも鮮明に声も顔も思い出せる。
リュディガーは目を伏せて、労られている手に意識を向けた。
じんわり、と包み込む石が温かい。この石は火性を帯びた魔石で、こうして部分的に温めるためのものである。
指先にも血が通い始めたのか、ちりちり、とする感覚が出てきた。ここに至るまで、自身の手の有様など気にもしなかった。
「……もう大丈夫だ。感覚が戻ってきた。__ありがとう」
言って、彼の手から逃れ、握り込まされた石を彼に返す。
視線をどうしても合わせられず、リュディガーは視線を事切れた魔物へと向けた。
__こいつが、殺した……。
事切れてしまっているそれを、今更さらに嬲ろうとは思いはしないが、怒りのやり場がどこにも向けられない。
しかし不思議なもので、腸が煮えくり返る想いでいたというのに、事切れた魔物を見るにつけ、次第に自身の心が凪いでいく心地がする。
魔物の傍で龍騎士のひとりとやりとりをしていた獣人が、キルシウムの顔に近い首を、恐れることなく軽く撫でるのが見えた。キルシウムは嫌がる素振りを見せない。
龍騎士が駆る龍は、主人か、あるいは同胞とみなした者以外に触れられるのを、あまり好まない。
一般人も、龍という存在には畏敬の念を持っているため、羨望を抱くことはあっても、軽々しく触れようとまではしないものだ。
「__その男は、やはり龍騎士だったか」
歩み寄る獣人の声に、エルンストは顔を上げる。
「装備が甘いので、判断に迷ったぞ。無謀なこともしかけていたしな。__暇をもらっていたのだな、お前さんは」
険しい表情だったエルンストは、リュディガーにばかり気を取られていたからだろう、その獣人の姿を見てあっけにとられたような顔をした。
「ビルネンベルク……様……?」
直ぐ側まできて、槍を抱え込むようにして支えにし、屈む獣人。
その表情は、人の悪い笑みを浮かべている。
「いかにも。しかと正直に話せば__私は、アルティミシオン・フォン・ウント・ツー・ビルネンベルクだ」
これには、リュディガーもエルンストも言葉を逸した。
アルティミシオン・フォン・ウント・ツー・ビルネンベルク。帝国の重鎮たるその名を知らぬものはいない。
重鎮とされているから、もっと年配の姿を想像していたが、獣人の性なのだろうか、アルティミシオンは壮年というには若い見た目だった。ただ、貫禄は間違いなくある。どっしり構えて、何事にも動じなさそうな雰囲気。
慌てて、居住まいを正して跪礼をとるが、くつくつ、と笑われて制される。
「公の場ではない。やめてくれ。__色々と面倒で、州軍の連中には、ただの南兎の民で通っているのだからな。お前さんたちが龍騎士だから、正直に明かしたに過ぎん」
ちらり、と彼が見やった方から、人の群れがやってくるのが見えた。
さきほど離れていった州軍である。
「あとは、彼らに任せてもよかろう。現れるとしても、もはや雑魚ばかりだろうからな」
ふむ、とひとりごちたアルティミシオンは、リュディガーの肩に手をおいた。
その手は、よく知るビルネンベルクと似たような、長い指先の手。だが、武人らしく節くれだって力強く見えた。
「詳しくは聞かないが、親しい知り合いが不幸に見舞われたのだろうことは察した。__気をしっかりもて」
リュディガーは応えられず、視線を落とすに留める。そこには、遺髪。__銀の遺髪があった。
おい、とエルンストが肘で小突くが、反応さえできない。
非礼だとは思う。だが、それがどうした。
__どうでもいい。
国家の重鎮に非礼を働いて、それで罰があるのであれば、それを受けてもいいように思う。
__罰してくれ……。
息が詰まる。
いっそ罰してくれたほうが、いくらか気が楽になる__気がする。
__彼女は、もう、いない……。
重くのしかかる現実に、呼吸が苦しくなる。
本当に手の届かないところに行ってしまった。
もう二度と会うこともできない。
もしかしたら、いずれ__描いていた淡い期待さえも、打ち砕かれた。
__彼女の未来を潰した責任の一端は、俺にある……。
故郷へ戻る決意をしていた彼女。
どのような想いで、この道を進んでいたのか。
絶望していたのか。それともわずかばかりでも、戻ってからの展望に希望をいだいていてくれたのだろうか。
どちらにせよ、魔物に襲われた恐怖はすべてを凌駕したことだろう。
「……心中察してあまりある」
独り言のように言って、大きな手が離れていった。
「死別はいくら重ねても、身を裂かれるような気持ちに苛まれることに違いない」
リュディガーは、布の上の銀の遺髪を遠い視線で見つめた。
夢で、この銀の髪が広がる寝台で寝たのを思い出した。窓から差し込んだ月の明かりに照らされて、息を呑むほど美しかったのを覚えている。
__あの夢は……。
あれは、自分の妄想や願望が生み出したただの淫夢ではなかったのか。あるいは、死にゆく彼女の想いが『もの』となって__とそこでリュディガーは首を振る。
__なんて都合よい解釈をするんだ、俺は。
「……ビルネンベルク公。これを、お預かりしても?」
「私よりも親しい貴公が持つほうがよかろう。__良きに計らえ」
「ありがとう存じます」
衣嚢からハンカチを取り出す。__そのハンカチは、キルシェから贈られたものだ。
銀の御髪に手を伸ばす。
手の震えがおさまらない。
「__寒いな……悴んで……」
思ってもない言葉で誤魔化して、自嘲しながらぎこちなく銀の御髪を拾い上げてハンカチに乗せる。
__……私と貴方は、これ以上一緒にならない運命だったのよ。
思い起こされた言葉に、喉が詰まった。
視界が滲むのは、頭に当たる雨粒が肌を伝って目に入り込むからだ。
他の遺髪も続けて拾い上げ、丁寧に包んで、懐に忍ばせる。
__良きに、か。
良きに、とはどうすれば良いのだろう。
請け負わせてもらったが、何も考えられない。
呆然と残骸を__霧が薄くなった谷を見やることしかできなかった。
赤く腫れた手を労る彼に問えば、わずかばかりに息を詰めた気配がした。
「……ああ」
「そうか……」
魔物に襲われる事件があったのは、3日前。
翌日、日が昇って霧が薄れてから、遺品等の回収がされた。
それにエルンストも関わっていた。
引き上げられた遺品のひとつに見覚えがあった彼は、すぐさま帝都へと舞い戻り、大学へと報せ、ビルネンベルクに出向いてもらって確認をしてもらった。
遺品はすでに、遺族のもとへと届けられていると、ビルネンベルクから聞かされている。
キルシェの訃報をリュディガーが聞いたのは、2日目の昨日。そして今日、こうしてここにいるのは、キルシウムのお陰だった。
通常であれば、帝都からは一週間前後はかかる距離だ。
すぐに駆けつけて状況を確認したかったが、あまりにも距離がありすぎる。父ローベルトのもとを訪れ、様子が可笑しいことを気にかけられたが毅然と平静を装い、いつものように世話をして__それでも無意識に足は帝都の東、街道の始まりに向いていた。
そうしていると、突然目の前にキルシウムが降り立ったのだ。__乗レ、と。
龍から降り立ったこと、そして認識票を確認した州軍の者は、非番の龍騎士だと思って、状況を説明してくれたのだ。__そして、今に至る。
しばしの無言の後、ため息交じりに彼が言葉を零す。
「__見間違いであったなら、と思ったよ」
「……」
「……お前は、ビルネンベルク様に教えられたのか」
「ああ……」
「遺品は……キルシェ嬢のものだと確認を取れたあとすぐに、ご遺族のもとへ届けられた」
「……先生から伺っている」
__彼女の、養父に、か……。
もう一方が揃ってから、引き渡す__では駄目だったのだろうか。
__駄目に決まっているな。
証拠があるのなら、すぐに報せに行くべきだ。
「聞いた話じゃ、密葬にするそうだな。そうっとしておいてほしい、と」
__そうっと、か……。
それは何故だろう。
自分の目論見が、彼女の死で狂ったからだろうか__。
戻ってきた従順な養女を、嫁がせ地位を盤石にする目論見。
__相手は龍騎士の大隊長以上の地位で、やっと釣り合いがとれるような存在。
有名貴族か、はたまた州政府の中枢にいるような輩か__。
__どちらにせよ、彼女が死んだことを嘆くことはないだろうな。
どこまで話しが進んでいたか知らないが、顔さえも合わせていないのだろう。近々会うはずだったラウペンの令嬢が死んだ、という程度。
__不幸だと、決めつけないで。
彼女のその言葉が、どうにも胸につかえていて、今でも鮮明に声も顔も思い出せる。
リュディガーは目を伏せて、労られている手に意識を向けた。
じんわり、と包み込む石が温かい。この石は火性を帯びた魔石で、こうして部分的に温めるためのものである。
指先にも血が通い始めたのか、ちりちり、とする感覚が出てきた。ここに至るまで、自身の手の有様など気にもしなかった。
「……もう大丈夫だ。感覚が戻ってきた。__ありがとう」
言って、彼の手から逃れ、握り込まされた石を彼に返す。
視線をどうしても合わせられず、リュディガーは視線を事切れた魔物へと向けた。
__こいつが、殺した……。
事切れてしまっているそれを、今更さらに嬲ろうとは思いはしないが、怒りのやり場がどこにも向けられない。
しかし不思議なもので、腸が煮えくり返る想いでいたというのに、事切れた魔物を見るにつけ、次第に自身の心が凪いでいく心地がする。
魔物の傍で龍騎士のひとりとやりとりをしていた獣人が、キルシウムの顔に近い首を、恐れることなく軽く撫でるのが見えた。キルシウムは嫌がる素振りを見せない。
龍騎士が駆る龍は、主人か、あるいは同胞とみなした者以外に触れられるのを、あまり好まない。
一般人も、龍という存在には畏敬の念を持っているため、羨望を抱くことはあっても、軽々しく触れようとまではしないものだ。
「__その男は、やはり龍騎士だったか」
歩み寄る獣人の声に、エルンストは顔を上げる。
「装備が甘いので、判断に迷ったぞ。無謀なこともしかけていたしな。__暇をもらっていたのだな、お前さんは」
険しい表情だったエルンストは、リュディガーにばかり気を取られていたからだろう、その獣人の姿を見てあっけにとられたような顔をした。
「ビルネンベルク……様……?」
直ぐ側まできて、槍を抱え込むようにして支えにし、屈む獣人。
その表情は、人の悪い笑みを浮かべている。
「いかにも。しかと正直に話せば__私は、アルティミシオン・フォン・ウント・ツー・ビルネンベルクだ」
これには、リュディガーもエルンストも言葉を逸した。
アルティミシオン・フォン・ウント・ツー・ビルネンベルク。帝国の重鎮たるその名を知らぬものはいない。
重鎮とされているから、もっと年配の姿を想像していたが、獣人の性なのだろうか、アルティミシオンは壮年というには若い見た目だった。ただ、貫禄は間違いなくある。どっしり構えて、何事にも動じなさそうな雰囲気。
慌てて、居住まいを正して跪礼をとるが、くつくつ、と笑われて制される。
「公の場ではない。やめてくれ。__色々と面倒で、州軍の連中には、ただの南兎の民で通っているのだからな。お前さんたちが龍騎士だから、正直に明かしたに過ぎん」
ちらり、と彼が見やった方から、人の群れがやってくるのが見えた。
さきほど離れていった州軍である。
「あとは、彼らに任せてもよかろう。現れるとしても、もはや雑魚ばかりだろうからな」
ふむ、とひとりごちたアルティミシオンは、リュディガーの肩に手をおいた。
その手は、よく知るビルネンベルクと似たような、長い指先の手。だが、武人らしく節くれだって力強く見えた。
「詳しくは聞かないが、親しい知り合いが不幸に見舞われたのだろうことは察した。__気をしっかりもて」
リュディガーは応えられず、視線を落とすに留める。そこには、遺髪。__銀の遺髪があった。
おい、とエルンストが肘で小突くが、反応さえできない。
非礼だとは思う。だが、それがどうした。
__どうでもいい。
国家の重鎮に非礼を働いて、それで罰があるのであれば、それを受けてもいいように思う。
__罰してくれ……。
息が詰まる。
いっそ罰してくれたほうが、いくらか気が楽になる__気がする。
__彼女は、もう、いない……。
重くのしかかる現実に、呼吸が苦しくなる。
本当に手の届かないところに行ってしまった。
もう二度と会うこともできない。
もしかしたら、いずれ__描いていた淡い期待さえも、打ち砕かれた。
__彼女の未来を潰した責任の一端は、俺にある……。
故郷へ戻る決意をしていた彼女。
どのような想いで、この道を進んでいたのか。
絶望していたのか。それともわずかばかりでも、戻ってからの展望に希望をいだいていてくれたのだろうか。
どちらにせよ、魔物に襲われた恐怖はすべてを凌駕したことだろう。
「……心中察してあまりある」
独り言のように言って、大きな手が離れていった。
「死別はいくら重ねても、身を裂かれるような気持ちに苛まれることに違いない」
リュディガーは、布の上の銀の遺髪を遠い視線で見つめた。
夢で、この銀の髪が広がる寝台で寝たのを思い出した。窓から差し込んだ月の明かりに照らされて、息を呑むほど美しかったのを覚えている。
__あの夢は……。
あれは、自分の妄想や願望が生み出したただの淫夢ではなかったのか。あるいは、死にゆく彼女の想いが『もの』となって__とそこでリュディガーは首を振る。
__なんて都合よい解釈をするんだ、俺は。
「……ビルネンベルク公。これを、お預かりしても?」
「私よりも親しい貴公が持つほうがよかろう。__良きに計らえ」
「ありがとう存じます」
衣嚢からハンカチを取り出す。__そのハンカチは、キルシェから贈られたものだ。
銀の御髪に手を伸ばす。
手の震えがおさまらない。
「__寒いな……悴んで……」
思ってもない言葉で誤魔化して、自嘲しながらぎこちなく銀の御髪を拾い上げてハンカチに乗せる。
__……私と貴方は、これ以上一緒にならない運命だったのよ。
思い起こされた言葉に、喉が詰まった。
視界が滲むのは、頭に当たる雨粒が肌を伝って目に入り込むからだ。
他の遺髪も続けて拾い上げ、丁寧に包んで、懐に忍ばせる。
__良きに、か。
良きに、とはどうすれば良いのだろう。
請け負わせてもらったが、何も考えられない。
呆然と残骸を__霧が薄くなった谷を見やることしかできなかった。
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