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煌めきの都
彼岸ノ球 Ⅶ
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直後、響き渡ったのは獣の咆哮だった。
それは勝ち誇ったそれではなく、悲痛な咆哮である。
何が、と弾かれるように顔をあげて見れば、四つ足の獣の身体を黒い棘が貫いて、動きを止められていた。
「呪い師、味な真似を……」
反射的に見たアンブラは、より顔色が悪くなっている。
「馬鹿な奴だ。痛いことには違いないが、決定打にはならんこんなものに、魔力を絞りきったか」
喉の奥で笑いながら、四つ足の獣は地についた四肢の重心をずらし、靄の塊のような身体を棘から抜こうと動く。
よく見れば、棘にはさらに細かい棘が生えていて、それが返しの役割を果たしているらしく、ぐちぐち、と生々しく肉を裂く音が聞こえる。靄のようにみえて、その中にはどうやら実体はやはりあるらしい。
身体が棘から抜けきる__と、そこで、新たな棘が身体の下から瞬時に生え、首を貫いた。
「まだ出せるか。忌々しい……」
口から赤黒い血を零しながら、動く範囲で振り向く黄金色の顔__顎を地表から新たに生えた棘が刺し貫く。
「見当違いだ。そもそもこれは彼の仕業ではない」
すっくと立ち上がるリュディガー。それはどうみても、負傷をしていない動きで、マイャリスは、目を見開いた。
「まさかお前、本気で私がクライオンを使えないと信じていたのか?」
リュディガーが言い放った直後、獣の身体から無数に棘が生え、中空へと縫い留めた。
刹那、一際大きな咆哮。先ほどとは比べ物にならないほどの咆哮は、どれほどの痛みを彼が味わっているか如実に表していた。
それを表情ひとつ変えず見つめるリュディガーの、その手元。
先程までの折れていた得物ではなく、アンブラの手にあった直刀が握られていて、アンブラを改めてみれば、その手には確かに直刀がなかった。
何が、どうして、いつの間に__マイャリスは彼らを交互に見、その最中、リュディガーが地を蹴って直刀を振るう。
縫い留められていた獣の首が、身体と切り離された。
不思議と瞬間の音はなかったが、そこを中心として、風が四方へ膨らむように広がり、黄金の草地を撫で、マイャリスの頬をやがてなでて通り過ぎていく。
湿った、人肌より少し温かい__否、生暖かい風。鼻に残る、肉の焦げた臭い。そのどちらも不快な気持ちにさせるもので、厳かな雰囲気の景色にはあまりにも不釣り合いである。
数瞬の後に棘が消失した直後、黄金色の首と身体とが支えを失って落下し、地面にぶつかる鈍い音がした。
中空へ、まるで蒸発するように霧散して薄れていく四つ足の獣の首と身体。そして、始終佇むにとどまるロンフォールを視線で牽制しながら、リュディガーはマイャリスらの元へと駆け寄ってきた。
「引き、受けるのは……これ、が、限度です……」
「すまない、アンブラ」
屈んでアンブラを覗き込むリュディガーの、顔の痣にマイャリスは眼が釘付けになった。
痣というよりも、入れ墨といえるほど、それははっきりとした輪郭を持っている。
「鏡は、何処かへ、堕ち、ました……。場所は、わかるそうで……」
「できるのか?」
リュディガーに視線を向けられ、我に返るマイャリス。
アンブラを見れば、ですよね、と視線で念を押され、マイャリスは辛うじて小さく頷いて返した。
リュディガーは懐から紫紺の大判の布を取り出すと、マイャリスに押し付けるように渡す。
その布は、瘴気の影響を軽減するための、口布にも使われる素材でできた大判の布地で、思わず息を止め、自分の口を押さえた。
__私、魔穴にいるのに口布をしていない。
「ここは、清浄な特異な場……口布を、しなくても差し支えない。……必要が、あれば、私がお伝えする」
アンブラが怠そうにしながら言い、マイャリスが頷く。
「その直刀が、お前の本来の得物か」
直刀に目を細め、ひとりごちるように言葉を漏らすロンフォール。
リュディガーはすっくと立ち上がって背後__ロンフォールの方へと身体を向ける。
「流石『氷の騎士』殿。スコルを屠るだけでなく__実の父の身体を躊躇せず剄られるとは」
ロンフォールが後ろ手に手を組んでこちらに歩み寄りながら、言い放つ。
「その娘の角に何ら驚かないあたり……お前、その娘の価値を知っていたか」
リュディガーの視線に牽制されたからか、ロンフォールは歩みを止めた。
近づいたとは申せ、普通の声量で会話をする限界の距離は保っていて、対峙し合うという表現が相応しい。
「龍帝の狗ということであれば、さもありなん__か」
「いや、彼女のことは予想外。驚かされたが__」
驚く、とリュディガーの言葉にロンフォールは嗤った。
「__大して驚いているようには見えなかったが?」
「……そうしたことを表に出さない主義なので」
「まぁ、確かにお前が表情を変えることは、滅多になかったな……寧ろ記憶する限りないか」
「私はそもそもキルシェ・ラウペンは死んだと__生きていたということ自体が予想外だった」
__キルシェ・ラウペン……。
久しぶりにその名前を彼の口から聞き、申し訳ない気持ちが膨れあがるのを自覚して、胸元を握りしめた。
「予想外、か__とは言うが、国家の中枢に関わる機会もある博識な我らが龍帝陛下の忠臣なれば、その娘の素性、分かるのではないか?」
問いかけに、リュディガーはちらり、とマイャリスを見た。
「……鏡を探させるよう仕向けたこと、そして一角を戴くこと……。どうして貴方が後生大事に囲っていたのかぐらいの予想なら。__俄には信じ難いが」
__リュディガーは……知っている……ということ?
鏡のこと。
魔穴のこと。
そして__自分のことも。
「私は……何なの……?」
人間ではないのか。
震える声でつぶやくように疑問を零す。リュディガーが振り返るので、思わず半歩下がった。
彼の顔。その顔の、異様な紋様。加えて、あまりにも感情がない様に怯んだのだ。スコルとの戦いの最中も、表情はそう変わっていなかったように思う。
「お前は__お前の血筋はカイチの流れを汲む」
「カイチ……?」
答えたのは、ロンフォールだった。
「カイチって……あの、解豸族? 天帝の御座所である天津御国にいるとされる……一角を額に戴く……」
言いながら、額の一角に触れる。
「左様。それも、地上に降りて、鏡を見守る主命を帯びた__な」
「……主命……? 龍帝……?」
「天帝だ」
にわかには信じられず、マイャリスは怪訝にした。
天帝は、この世の理__天綱と呼ばれるものをこの地上に結びつける者。その特異な存在は、神、と同義、認識されることもある。
その正体は知られていない__言うなれば、不可知である。
天帝は帝国と蓬莱国の帝ととりわけ縁があり、帝国の帝には龍の号を授けた存在。
その天帝の膝下である天津御国に住む種族が、解豸族だとされる。
__その解豸族だと言うの? 私が?
流れを汲む、ということは、薄れてこそいるが、間違いなく血統にあるということ。
__そんなことが、あるわけがない。
今日の今日まで、この瞬間まで、自分は人間族だと思っていて只の一度も、人間族以外だとは思いもしなかった。
__でも……今、こうして角がある……。
もし常に角があれば、獣人族のなにかとも思えただろうが、そうした片鱗が一切なかったのだ。
取り立てて体力が優れているわけでもなく、魔法がつかえるわけでもない、一般的な人間族。
__それに……父も母も、角なんてなかった……。
記憶の彼方にある両親。どちらか一方でさえ、角などなかった。
どうして自分が解豸族の端くれだと思うだろうか。そんな機会、ただの一度も__。
「探すのはまぁ、容易ではあった。__アドルフォルがいたのでな」
ロンフォールは視線を、あらぬほうへと投げる。
そこは、先程まで、剄られたリュディガーの父が縫い留められていたあたり。棘の消失とともに、草地にその体もまた落ちてしまっていて、今は見当たらない。
「有能な文官だったよ。信任も厚く__」
「何故、そこで私の父の名が出てくる」
言う先を制する声は、明らかに低く、不愉快さをあらわにしていた。
草原の金色に似た色の髪のロンフォールは、青い瞳をリュディガーへと向け、口元を不敵に歪める。
「アドルフォルは、私の身内__実の兄だ」
「__っ」
リュディガーともども、マイャリスもまた息を詰めた。
それは勝ち誇ったそれではなく、悲痛な咆哮である。
何が、と弾かれるように顔をあげて見れば、四つ足の獣の身体を黒い棘が貫いて、動きを止められていた。
「呪い師、味な真似を……」
反射的に見たアンブラは、より顔色が悪くなっている。
「馬鹿な奴だ。痛いことには違いないが、決定打にはならんこんなものに、魔力を絞りきったか」
喉の奥で笑いながら、四つ足の獣は地についた四肢の重心をずらし、靄の塊のような身体を棘から抜こうと動く。
よく見れば、棘にはさらに細かい棘が生えていて、それが返しの役割を果たしているらしく、ぐちぐち、と生々しく肉を裂く音が聞こえる。靄のようにみえて、その中にはどうやら実体はやはりあるらしい。
身体が棘から抜けきる__と、そこで、新たな棘が身体の下から瞬時に生え、首を貫いた。
「まだ出せるか。忌々しい……」
口から赤黒い血を零しながら、動く範囲で振り向く黄金色の顔__顎を地表から新たに生えた棘が刺し貫く。
「見当違いだ。そもそもこれは彼の仕業ではない」
すっくと立ち上がるリュディガー。それはどうみても、負傷をしていない動きで、マイャリスは、目を見開いた。
「まさかお前、本気で私がクライオンを使えないと信じていたのか?」
リュディガーが言い放った直後、獣の身体から無数に棘が生え、中空へと縫い留めた。
刹那、一際大きな咆哮。先ほどとは比べ物にならないほどの咆哮は、どれほどの痛みを彼が味わっているか如実に表していた。
それを表情ひとつ変えず見つめるリュディガーの、その手元。
先程までの折れていた得物ではなく、アンブラの手にあった直刀が握られていて、アンブラを改めてみれば、その手には確かに直刀がなかった。
何が、どうして、いつの間に__マイャリスは彼らを交互に見、その最中、リュディガーが地を蹴って直刀を振るう。
縫い留められていた獣の首が、身体と切り離された。
不思議と瞬間の音はなかったが、そこを中心として、風が四方へ膨らむように広がり、黄金の草地を撫で、マイャリスの頬をやがてなでて通り過ぎていく。
湿った、人肌より少し温かい__否、生暖かい風。鼻に残る、肉の焦げた臭い。そのどちらも不快な気持ちにさせるもので、厳かな雰囲気の景色にはあまりにも不釣り合いである。
数瞬の後に棘が消失した直後、黄金色の首と身体とが支えを失って落下し、地面にぶつかる鈍い音がした。
中空へ、まるで蒸発するように霧散して薄れていく四つ足の獣の首と身体。そして、始終佇むにとどまるロンフォールを視線で牽制しながら、リュディガーはマイャリスらの元へと駆け寄ってきた。
「引き、受けるのは……これ、が、限度です……」
「すまない、アンブラ」
屈んでアンブラを覗き込むリュディガーの、顔の痣にマイャリスは眼が釘付けになった。
痣というよりも、入れ墨といえるほど、それははっきりとした輪郭を持っている。
「鏡は、何処かへ、堕ち、ました……。場所は、わかるそうで……」
「できるのか?」
リュディガーに視線を向けられ、我に返るマイャリス。
アンブラを見れば、ですよね、と視線で念を押され、マイャリスは辛うじて小さく頷いて返した。
リュディガーは懐から紫紺の大判の布を取り出すと、マイャリスに押し付けるように渡す。
その布は、瘴気の影響を軽減するための、口布にも使われる素材でできた大判の布地で、思わず息を止め、自分の口を押さえた。
__私、魔穴にいるのに口布をしていない。
「ここは、清浄な特異な場……口布を、しなくても差し支えない。……必要が、あれば、私がお伝えする」
アンブラが怠そうにしながら言い、マイャリスが頷く。
「その直刀が、お前の本来の得物か」
直刀に目を細め、ひとりごちるように言葉を漏らすロンフォール。
リュディガーはすっくと立ち上がって背後__ロンフォールの方へと身体を向ける。
「流石『氷の騎士』殿。スコルを屠るだけでなく__実の父の身体を躊躇せず剄られるとは」
ロンフォールが後ろ手に手を組んでこちらに歩み寄りながら、言い放つ。
「その娘の角に何ら驚かないあたり……お前、その娘の価値を知っていたか」
リュディガーの視線に牽制されたからか、ロンフォールは歩みを止めた。
近づいたとは申せ、普通の声量で会話をする限界の距離は保っていて、対峙し合うという表現が相応しい。
「龍帝の狗ということであれば、さもありなん__か」
「いや、彼女のことは予想外。驚かされたが__」
驚く、とリュディガーの言葉にロンフォールは嗤った。
「__大して驚いているようには見えなかったが?」
「……そうしたことを表に出さない主義なので」
「まぁ、確かにお前が表情を変えることは、滅多になかったな……寧ろ記憶する限りないか」
「私はそもそもキルシェ・ラウペンは死んだと__生きていたということ自体が予想外だった」
__キルシェ・ラウペン……。
久しぶりにその名前を彼の口から聞き、申し訳ない気持ちが膨れあがるのを自覚して、胸元を握りしめた。
「予想外、か__とは言うが、国家の中枢に関わる機会もある博識な我らが龍帝陛下の忠臣なれば、その娘の素性、分かるのではないか?」
問いかけに、リュディガーはちらり、とマイャリスを見た。
「……鏡を探させるよう仕向けたこと、そして一角を戴くこと……。どうして貴方が後生大事に囲っていたのかぐらいの予想なら。__俄には信じ難いが」
__リュディガーは……知っている……ということ?
鏡のこと。
魔穴のこと。
そして__自分のことも。
「私は……何なの……?」
人間ではないのか。
震える声でつぶやくように疑問を零す。リュディガーが振り返るので、思わず半歩下がった。
彼の顔。その顔の、異様な紋様。加えて、あまりにも感情がない様に怯んだのだ。スコルとの戦いの最中も、表情はそう変わっていなかったように思う。
「お前は__お前の血筋はカイチの流れを汲む」
「カイチ……?」
答えたのは、ロンフォールだった。
「カイチって……あの、解豸族? 天帝の御座所である天津御国にいるとされる……一角を額に戴く……」
言いながら、額の一角に触れる。
「左様。それも、地上に降りて、鏡を見守る主命を帯びた__な」
「……主命……? 龍帝……?」
「天帝だ」
にわかには信じられず、マイャリスは怪訝にした。
天帝は、この世の理__天綱と呼ばれるものをこの地上に結びつける者。その特異な存在は、神、と同義、認識されることもある。
その正体は知られていない__言うなれば、不可知である。
天帝は帝国と蓬莱国の帝ととりわけ縁があり、帝国の帝には龍の号を授けた存在。
その天帝の膝下である天津御国に住む種族が、解豸族だとされる。
__その解豸族だと言うの? 私が?
流れを汲む、ということは、薄れてこそいるが、間違いなく血統にあるということ。
__そんなことが、あるわけがない。
今日の今日まで、この瞬間まで、自分は人間族だと思っていて只の一度も、人間族以外だとは思いもしなかった。
__でも……今、こうして角がある……。
もし常に角があれば、獣人族のなにかとも思えただろうが、そうした片鱗が一切なかったのだ。
取り立てて体力が優れているわけでもなく、魔法がつかえるわけでもない、一般的な人間族。
__それに……父も母も、角なんてなかった……。
記憶の彼方にある両親。どちらか一方でさえ、角などなかった。
どうして自分が解豸族の端くれだと思うだろうか。そんな機会、ただの一度も__。
「探すのはまぁ、容易ではあった。__アドルフォルがいたのでな」
ロンフォールは視線を、あらぬほうへと投げる。
そこは、先程まで、剄られたリュディガーの父が縫い留められていたあたり。棘の消失とともに、草地にその体もまた落ちてしまっていて、今は見当たらない。
「有能な文官だったよ。信任も厚く__」
「何故、そこで私の父の名が出てくる」
言う先を制する声は、明らかに低く、不愉快さをあらわにしていた。
草原の金色に似た色の髪のロンフォールは、青い瞳をリュディガーへと向け、口元を不敵に歪める。
「アドルフォルは、私の身内__実の兄だ」
「__っ」
リュディガーともども、マイャリスもまた息を詰めた。
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