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煌めきの都

空ナ刻 Ⅱ

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 これ__とは耳飾り。

 青や紫、白とばらつきのある色の石で作られた、大ぶりな耳飾り。

 リュディガーが修繕に出したそれは、自身のものではない。

 自分と同じ、ビルネンベルクを担当教官に持っていた人物の物。

 これを常に身につけていた彼女のお陰で、自分は必修の弓射を修められ、あまつさえ矢馳せ馬の乗り手に抜擢された。

 この耳飾りは、母親の忘れ形見だ、と言っていた。

 ある事件の際、その一方を無くしてしまい、後日自分があの事件現場周辺で探し見つけたものだ。

「__あまりにも酷い有様で、このまま渡しては事件のことを嫌でも思い出してしまうだろうから、思い出さないですむよう、彼女には見つけたことを伏せ、修繕をしてから渡そうと思っていたもので……」

 当時、依頼したハンは取り掛かっていた仕事が多く、納期は遅れに遅れるぞ、と彼から予め言われていた。

 それが仇になって、持ち主である彼女はこの形見が見つかったことも知ることなく、この世を去ってしまった。

 苦いものがこみ上げてきて、ぐっ、とリュディガーは拳を握りしめる。

 彼女が死んだ原因は、魔物に襲われたから。

 その魔物は、間接的にであっても、魔穴対処に向かったかつて自分が取り逃したもの__リュディガーにとって負い目だった。

 ビルネンベルクは、耳飾りの収められた箱を長い指で触れる。

「私は、これを見て、キルシェだと……谷間に落ちた者の一人をキルシェだと断定した」

「ええ。以前、そう伺いました」

 崖下から拾い上げられた遺品のひとつに耳飾りがあり、その耳飾りを見かけたことのある龍騎士がもしや、と大学へ運んだ。そして、ビルネンベルクが彼女のものであると認め、遺体の身元が判明したのだ。

 その時拾い上げた遺品は、身元がわかってすぐに彼女の身内へ返された。

 ビルネンベルクは、真紅の瞳を細め鋭く耳飾りを見る。

「私に確認を求められた耳飾り。あれは、片方ではなかった」

「……は?」

 リュディガーはビルネンベルクの言葉が理解できず、怪訝な声を上げた。

 すぃ、とビルネンベルクの瞳が、リュディガーへ向けられる。

「届けに来た龍騎士に聞いてみると良い。確実に一対だった」

「同席した私も、そう記憶している」

 レナーテルのまっすぐな視線は、至極鋭い。

 届けた龍騎士は自分のよく知る同期だ。だが彼に一対だったかどうかなど、そんな確認を取ったわけがない。

 自分の中では、耳飾りは片方のみが彼女の手元に残っているという認識。遺品として見つかったという報せを聞き、当然その手元に残された方のみが浮かび、それを微塵も疑う余地がなかった。

 __それが、なぜ……一対?

 心臓が、どくどく、と早く強く、拍動しはじめるのがわかった。

 リュディガーは耳飾りに視線を落とす。

 __一対だった……?

 作り話か__否、彼らがそんな嘘をつく理由がわからない。

 この耳飾りは、あまりにも特徴的な作りで、しかも石もそれなりのもの。値は張ることは間違いない。それがいくら物が集まる帝都であっても、貴人らの装飾品は大抵一点もの。同じものがふたつとあるわけがない。

 彼女の耳飾りは大ぶりで、それだけで見たら派手にも見えなくない。だが、彼女が身につけると悪目立ちすることはなく、記憶に残りこそすれ、ひっそり、と彼女の添えにすぎない印象に落ち着く。

「そんなはずはないです。だって、たしかにあの日……片方は彼女の耳にあった……」

 語尾の覇気が欠けていくのは、当時の彼女の痛ましい姿が鮮明に浮かんでしまったから。

「例の事件以降、彼女は耳飾りを外していた。彼女に尋ねたら、無くしたら困るので、と言っていた。それは、嘘だったということかい?」

「知っています、そう言っていたのは。自分にも口裏を合わせてほしい、と。ただその嘘は、紛失したことを伏せようとしてのこと。これ以上、迷惑をかけたくないというのが彼女の気持ちでしたので……自分は、尊重しました」

 はぁ、と大きなため息をついたのは、ハンだった。

「リュディガー。これは、相当な代物だ。石も一見して不揃いだから侮ってしまいそうになるが、とんでもないぐらい個々の質はいい。いざ、気合い入れて取り掛かろうとしてみたら、違和感を覚えてな……色々な宝物を直してきたからこそ、分かったというか……とりあえず、修繕を終えて、それで確信に変わった」

「確信?」

「そう。で、今日こうしてレナーテル学長のところに持ち込んで、確認してもらったら、オレの勘は正しかった。これに特殊なまじないが施されていたんだよ」

「呪い?」

「正しくは、施されていた、だな。すでに私が解除した。まあ、解除せずとも、片方では成立せず、身につけて居なければ意味がない。これを身に着けていた者の耳に届く音、言葉__それらを盗聴する術だ」

 __何を、言っている……?

 リュディガーは目元に力を込めてしまう。

「何のためにそんな……」

「これの持ち主、間諜まがいの事をしていたんじゃないか?」

「……は?」

 あまりにも礼を欠く反応をしてしまったが、それを取り繕う余裕はリュディガーにはなかった。

「あるいは、間諜に利用されていたか……オレは仲間に情報を送っていたんじゃないかって思ったが……。まぁ、どちらにせよ、間諜は間諜だが」

「キルシェが、ですか?」

「これが真に、ラウペンの物であれば」

「馬鹿な。大学で、なんのために……何を盗聴すると言うんです」

「ラウペンの担当教官ビルネンベルク師は、国からも重要な案件に携わっている。それはそなたもよく知るところだろう」

「……はい」

「古文書の解読などが主であるが、それに加え、彼は名家ビルネンベルクの一人だ。国の中枢に係わることに触れることもある。間諜であれば、取り入ることを考えて、一番の気に入りになることはするのではないか? 実際、彼女は能力も高く、立ち居振る舞いも申し分ない。ビルネンベルク師はよく引き立てていた」

「何をおっしゃっているんです。彼女の担当教官になったのは、偶然ではないのですか?」

「確かに。だが、彼女が入学して半月ほどで、担当教官を替えていたのだ。彼女のもともとの担当教官が突然、依願退職をしたからな」

「初耳です……」

「それはそうだろう。そこまで大事にはならなかったかあらな。理由も、身内の不幸で家督を継ぐことになった、というごくたまにある理由だったから、当時は疑問にすら思わなかった。そして、それぞれの学生には、例外としてついてほしい担当教官を聞いてそれを尊重した。彼女は、ビルネンベルク師を、と。切り替えたとは言え、実質最初から担当したようなものだった」

 彼女がそんな下心を__計算高く過ごしていたとは思えない。

 __全部が演技だったとしたら、大した役者じゃないか。

 そんな器用だっただろうか。

 間諜であれば、目立つことは避けるはず。彼女は大学で、良くも悪くも目立ってしまう存在だった。

 目が素通りできない何かを持っているから__。

 何故、ビルネンベルクは何も言わない。

 何故、否定しない。

 まさか、学長と同じ考えなのか。

 ふつふつ、と腹の底が煮えくり返ってくる。

「__私とビルネンベルク師が見たあの耳飾りが偽物だとして、では、何故そんなものを用意する必要がある。この耳飾りに盗聴する術がかけられていたこと……実のところ、イェソドの間諜だったのではないか、と。身元が露見する前に、死を装ったのでは」

「それを拾ったのは、彼女がごうか……例の事件にあって、紛失した現場近くです。まずもって、それは彼女のものだと言い切れます。あの事件直後の彼女の有様を、元帥閣下もご存じです。そもそも、元帥閣下が耳飾りを紛失していることをお気づきになってくださった」

「何」

「はい。彼女のご母堂の形見だと、その時、聞きました。自分はすぐに探しに行こうとおもったのですが……怯えている彼女を置いていくのは忍びなく、元帥閣下も見知っているのだから傍にいるべきだ、とおっしゃられて断念を。それで後日、改めて探して回ったんです。そうして、見つけられた。正体が露見しそうだったからといって、紛失するためにあんな事件を仕立てる必要はないでしょう」

 あられもない姿で、身を縮こまらせていた彼女。

 殴られ、腫らしたあの顔は忘れられない。

 常に気丈だった彼女が、あれほど憔悴しきった様を見たことがない。よくあれから立ち直れたと思う。

「お言葉ですが、彼女は……明らかに最悪な事態の被害に合いかけていた。私と友人の軍人がたまたま近くに居合わせたから、未遂に終わったに過ぎない。仕組んだとして、どこまで彼女が仕組んだと? 相手は男三人ですよ? 三人。ひとりならまだしも、三人なんて……雇いますか? あの感じじゃ未遂で終わらなかったと言い切れます。そんな雰囲気でしたからね。加えて言えば、邪魔が入ったにもかかわらず、さっさと逃げもせず、我々に対抗してきたんです。そのぐらい威勢がいい輩ということは、下手をすれば、彼女、証拠隠滅で最後は殺されていたかもしれない。予防策として確実に未遂に終わるよう、あの日、私が友人と__マグヌ・ア中尉と居合わせるようにも仕向けたのですか?」

 自分でも驚くほどするする、と言葉が出てきて驚いたが、ビルネンベルクとレナーテルもまた驚いている。

 しかしハンは悠然と腕を組んで、顎を撫でた。

「証拠隠滅ね……。まさしくそういう形で、そのお嬢さん諸共、闇に葬ろうとしたのかも知れんが? 実際、そのお嬢さん__」

「いい加減にしてください!」

 リュディガーはたまらず声を張り上げた。

「リュディガー……」

 ビルネンベルクが名を呼ぶが、ままよ、と黙殺する形でリュディガーは吐き出す。

「耳飾りを捨てるのが目的だとして、あんなことをそこまで仕組みますか? 職業柄、そうした同様の被害にあった現場を、幾度か担当したことがあります。だからこそ、彼女のあれは、仕組んだにしてはあまりにも良く出来すぎている。あれほど違和感ない状況を作り出すなんて……。私には、偶発的なものにしか見えない。__彼女が、仮にもし間諜だったとしましょう。だとしたら、元帥閣下の祐筆になることを蹴ったりなどしますか? もっとも国家の機密に触れることができる好機を、みすみす逃すことになる。__私が間諜だったら、真っ先に飛びつきますよ!」

「落ち着け、ナハトリンデン」

 吐き捨てるように言い放てば、レナーテルが至極落ち着き払って諌めるものだから、余計に苛立ちが増した。

「こんな話をされて……彼女の尊厳を踏みにじるような……これが……これが、落ち着いてなどいられますか! 彼女は__」

 __私を見つけて

 不意にその言葉が__文字が脳裏に浮かぶ。

「彼女は……」

 勢いが削がれていく。
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