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第2話 香凛はなんにも分かってない
分かってない【パパ編】 その15
しおりを挟む翌朝は、勧めてもらった朝一マルシェなるものに出掛けた。
こじんまりした市場には鮮度の高い瑞々しい野菜、まだ温かさを残す焼き立てのパン、ジャム、卵、ベーコン、ソーセージ、バターなど実に沢山の商品が並んでいた。時折スーパーでは見かけないような、名前も聞いたことのない、変わった、そして洒落た感じの野菜なんかもあって面白い。
「調理法がよく分かんないけど、これで料理作ったら確実にインスタ映えするヤツだ……」
「味もさっぱり想像がつかん」
難易度の高そうな食材はパスして、無難なものを選んでいく。
それでも帰って簡単に調理を済ませると、テーブルの上には普段の朝食に比べると随分豪勢でボリュームのある品々が並んでいた。
朝食を済ませて、観光に出掛ける。
今日は昨日より足を延ばして牧場を訪れたり、土産物屋が多く並ぶエリアを覗いたりした。ホテルの本館で夕食を済ませた後は、今日は大浴場の温泉を楽しみたいと香凛が言うので、それぞれ男湯と女湯に分かれた。
多分、昨日の経験から部屋の露天だと大変なことになると判断して、半分は逃げる意味もあったとは思うが、せっかくだから色んな湯を楽しみたいという気持ちも本当だろから追及しないでおいた。
一通り温泉を堪能してから、待ち合わせ場所に向かう。
しばらく行き交う宿泊客を眺めていたが、実に客層は幅広かった。宿泊形式もそれに伴い宿泊料も選択の余地があるホテルなので、当然と言えば当然かもしれない。
老夫婦から若い家族、カップル、友人同士で来たのだろう若い女性のグループ。
「ごめん、待った?」
数分、そんな風に観察を続けていたら、香凛が湯から上がって来た。
クリーム色の地に花が散らされた浴衣は、女性向けの無料サービスらしい。風呂上りの浴衣というのは、妙に魅力的だ。
ちなみに男は何の変哲も愛想もない、これと言って説明すべき特徴もない浴衣を支給される。
「そんなには待ってない」
ちょっと休憩、と言いながら廊下に設置されたソファに座って、香凛が己を手で仰ぐ。
「堪能したか」
「うん、何かちょっとお肌がすべっとした気がする」
そう言うので首筋を指でさすってみれば、なるほどいつもよりしっとりしている気もした。それだけでなく、些か温か過ぎる感じもする。軽く逆上せてないだろうか。
「熱くないか。あっちの廊下に自販機あったから、何か買ってくるぞ。缶と、パックの自販機だったかな……」
「あー、確かに。冷たいもの欲しいかも」
「何飲みたい」
「コーヒー牛乳。――――一緒に行くよ?」
「すぐ戻る」
立ち上がろうとする頭を押さえて、くるりと撫でてから踵を返す。
角を曲がってしばらく進んだ先に並ぶ自販機。親子連れが先に並んでいて、少しだけその場で待つ。
「コーヒー牛乳、な」
香凛ご要望の品はパック商品の方にあったので、硬貨を投下する。自分には、ペットボトルの冷たいお茶。
飲みながら一休みして、それから部屋に戻るか。
そんなことを思いながら来た道を逆に辿る。
しかし、角を曲がった先で思いがけない光景が飛び込んで来た。
「いえ、だから人を待ってるんです。一人じゃないんで」
「いやいや、それホント?」
「っていうかちょっとオレらのこと警戒し過ぎじゃない?」
香凛が若い男二人に囲まれていた。
口調にしろ見てくれにしろ、どこかしらチャラついた感じが否めない二人組。
しかも。
「あの、ホント困ります。放してください!」
その片方に手首を掴まれていた。
性質の悪いナンパであることは一目で理解できた。ソファに座った状態で、左右から、しかも見下ろされる形なのでどこにも逃げ場がないらしい。
「っていうかそんな怒ったら可愛い顔が台無しだよ?」
「取って食おうって訳じゃないのに、流石に傷つくなぁ」
男の顔が無遠慮に香凛に近付く。
「ちょっと、ホントにやめて、大きな声出しますよ!」
不快感と怒りが腹の底から湧き上がって来た。
「香凛」
低く唸るように、そしてはっきりと相手の耳に届くように。
「!」
名前を呼べば弾かれたように香凛がこちらを振り向いた。
同じように男どももこっちを見る。
「え、何、連れってアイツ?」
「そうです、放してください」
香凛が腕を振ったが、男はそれにあまり構わず納得いかないというような表情を浮かべた。
「本当かよ」
想定していたのと随分違う相手が現れたのだろう。
だが、そんなことは知ったことか。そんなことよりも早くその薄汚い手をどうにかしろ。
「放せよ。どう見ても無理強いだろ。それとも、騒ぎを大きくしたいのか」
近寄って凄むと、あからさまに怯んだ様子を見せた。程度は知れている。
ただ反応がトロいので、こちらから叩き落すようにその手を弾き、香凛を腕の中に引き寄せた。
「おい、面倒だ、もう行こうぜ」
隣に突っ立っていた男の方が言う。
「……ちょっと声かけただけで本気にしやがって」
もう片方もそう悪態は吐いたが、そそくさと逃げるように歩き出す。
だが――――
「――――オッサンが、愛人つれて不倫旅行かよ」
通り過ぎ様に聞き落としそうな小声でそう吐き捨てて行った。
「!」
その台詞にふざけるな、と反射的に心の内で怒鳴る。そしてそんな風に見えていることに、うっかりとモロにダメージを受けてしまう。
愛人。
不倫。
あんまりな単語だ。
「パ、征哉さん」
幸いにして、腕の中に押し込められていた香凛にその呟きは届いていなかったらしい。
「ご、ごめんね、うっかり絡まれちゃって」
こちらを見上げて、申し訳なさそうにそう言った。
全くだ。本当にうっかりが過ぎる。
「――――行くぞ」
腕を掴んで、そのままずんずん歩き出す。
本館から、外へ。羽織を羽織っていても、やはり肌寒い。温めたばかりの肌がどんどん熱を失っていく。
「パパ」
こちらの様子を窺うような声がしたが、オレは応えなかった。
声をかけ、絡んできたヤツが悪い。当たり前だ。分かっている。だが。
ペンションに戻り、玄関ドアを閉める。
部屋に入ってもまだ無言を貫くオレに、怖々と香凛が問いかけて来た。
「ねぇパパ、怒ってるの?」
テーブルの上にパックとペットボトルを置いてから、背後を振り返る。
目が合うと、香凛はびくりと肩を震わせた。
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