パパはなんにも分かってない

東川カンナ

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第4話 みんななんにも分かってない

みんな分かってない【入籍編】 その9

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 インターホンが鳴る。どうせ勧誘業者だと思ったけれど、同時にスマホが着信したメッセージを見て、玄関へ小走りに向かう。


「寒いな」


 ドアの向こうには、白い息を吐く征哉ゆきやさんがいた。
 首に巻いたマフラーに半分顔を埋めるようにしている。マフラーは、一昨年のクリスマスに私がプレゼントしたものだった。


 社会人になって、自由にできるお金が増えて、最近ようやくちょっと格好のつく贈り物ができるようになった。
 でも多分、値段とか内容とかそういうことは関係なくて、きっと家には小学生の頃の工作から何から何まで取ってあるのだ。


「急に来るからびっくりした」
「うん」
 いつ雪がチラつきだしてもおかしくない天気だ。身体はすっかり冷え切っていることだろう。とにかく暖房の効いた内側へ入ってもらう。
「予定も訊かず悪かった」
「別にいいけど」
 征哉さんがここに来るのはいつぶりだろう。何度目だろう。正直、片手で足りることは確実だ。
「どうしたの、仕事もう終わったの?」
 私もさっき帰って来たところだった。征哉さんがこんな時間に帰宅するなんて、正直今日は定時ダッシュだったんじゃないだろうか。
「たまにはそういう日もある」
「年末なのに」
 仕事がさっと終わったとしても。
「忘年会とか沢山入ってそう」
 役職につけば、その分あちこち顔を出さなくちゃならない会があるだろう。
「公式の忘年会はとっくに終わってる。お偉い人のスケジュールの都合がつくところを探したら、かなり早い日程になったりするからな」
「自分もお偉い人じゃない?」
「上にはいくらでも上がいるもんだ。――――夕飯は?」
 訊かれて首を横に振る。
「まだ。今からだよ。特に何って決めてた訳じゃないけど」
「ならちょうど良かった」
 鍋のスープと魚介を買って来た、と手元のビニール袋を示される。
「おぉ、魚介」
 お値段がするので、自分ではあまり買わない食材だ。有難い。
「野菜はあると睨んでほとんど買ってない」
「大根と水菜はある。あとは……シイタケとしめじ、にんじん?」
「十分だ」
「冷凍のうどんもあるから締めにいいかも」


 この狭いアパートに征哉さんがいるのは、何だか不思議な感じがする。慣れない。
 ずっと暮らしたあの部屋じゃない場所に、二人いる。
 でも、これが本来普通なのかもしれない。恋人が、たまに部屋に訊ねに来る。


「風邪とか大丈夫か」
 鍋の準備を始めながら、そう訊かれる。
「インフル、流行ってるだろ」
「ウチの課は今のところそんなには。でも隣が次々と倒れてるみたいだから、そろそろ危ないかも」
「気を付けろよ。家にスポーツ飲料とか、レトルトの雑炊とか、そういうのちゃんと常備しとくように。――――ま、連絡さえもらえれば、いつでも看病はするが」


 久しぶりに会えて、嬉しい。でも、単純に嬉しいだけではない。
 何だかやけに心が揺れる。寂しいという感情に急に注ぎ込まれた会えた嬉しさは、度の強過ぎるアルコールみたいでダメだ。
 油断したら感情が暴走しそう。おかしな甘え方をしてしまいそう。
 安心、させなきゃいけないのに。
 問題はないと、自立できていると、上手くやっていると示さなきゃいけないのに。


「年末年始はどうするつもりだ」
 切った野菜と魚介を鍋に詰め込む。スープを注げば後は待つだけ。お鍋は美味しいのにとても楽で有難い。
「さすがに帰って来るだろ」
「…………うーん」
 バランスが大切だ、と思っている。
 時間と距離。
 それを取るために一時離れて暮らすという選択肢を取った。それで今まで通り会って、甘えて、それではあまり意味がないと、芳美おばあちゃんの言っていることを満たしていないのではと、この暮らしを始めてから一緒に過ごすことを避けがちだった。でも、征哉さんから見たら十分に納得のいくものではないだろうということも分かっていて。


 別れた訳じゃないんだぞ、とそれとなく言われたことがある。
 そう、別れた訳じゃない。嫌っている訳じゃない。喧嘩しているのでもない。
 私達がここで必要以上にギクシャクすることになったら、それこそ本末転倒だ。それも分かってる。
 でも丁度い良い匙加減というものが分からなくて、多分私は征哉さんに沢山の言葉を呑み込ませている。


「明けたら顔出す。年末、おせち仕込んでおくね。持って行くよ」
「わざわざ持ってくるくらいなら、年末からウチで一緒に作ればいいじゃないか」
 そう言われればその通り。
「年越しそばも一緒の方がいいだろ」
 でも。
「年末年始だよ。……実家、帰るでしょう?」
 毎年年末年始には顔を出していた。最近では泊りがけ、ということはめっきりなくなってはいたけれど。
「年越しか明けてからか、向こうで過ごさないの?」
「……まぁ、軽く顔は出すだろうが」
 じゃあ年末も年始もという訳にはいかないんじゃないだろうか。征哉さんと過ごしたい人は私だけじゃない。それに。
「だって私は顔を出さない方がいいでしょ」
 どの面下げて顔を出せという話でもある。
 あの夏の日以来、私は五条家の実家へ一歩も踏み入れていないし、当然そこに住む二人と顔を合わせてなどいない。


 きっと。
 きっと顔を出したりしたら気まずい思いだったり、不愉快な思いをさせるに違いない。年始のおめでたい雰囲気が台無しだ。


「まぁ行ってる間、ウチで待っておけばいいだけの話かもしれないけど」
「香凛」
 大きな手が、頭に触れた。
「あれこれ気にしてしまうのは当然だと思う。でもな、それは香凛だけが気にしなきゃいけないことじゃないだろ。周りを気遣ってばかりじゃ香凛の息が詰まるだろ」
 気遣い。私のこれは本当に気遣いだろうか。
 嫌な顔をされるのが怖いから、自分が傷つきたくないから避けているのを、相手に不快な思いをさせないためという尤もらしい理由でコーティングしてはいないだろうか。
「顔を出すのは昼間にちょこっとでもいいし、そもそも三が日が過ぎてからでも、香凛がここに戻ってからでも何でもいいんだよ」
 そして自分で言い出したクセに、当然のことなのに、征哉さんが言下に“顔を出さない方がいい”という私の発言に同意を示したことに勝手に傷付いている自分がいる。


 征哉さんが最近それなりに実家に顔を出していることは、私も察している。その征哉さんが、私の存在が余計な刺激だと判断したのだ。
 やっぱり、やっぱり向こうは私に対してとてつもないわだかまりを、悪い印象を抱いているのだろう。



「なぁ、香凛」
 煮え出した具材を器によそいながら、征哉さんは唐突に言った。
「今日泊まっていっていいか」
「え」
 そう言われるのは、ここで暮らし始めてから初めてのことだった。
「ベッド狭いよ」
 咄嗟にそう言ってしまう。
 でも、客用布団なんかないし、代わりにできるソファもないのだ。
「狭いかもしれないが、はみ出すほどじゃないだろ」
 いや、はみ出すと思う。それに。
「着替えとか、ない」
 この部屋には私のものしかない。彼の私物など、一つもない。
「あるって言ったら?」
 私は思い出す。そう言えば、普段の会社用のカバン以外に、何かもう一つ荷物を持っていた。
「…………最初から泊まる気満々じゃない」
「うん」
「そこまでされたら、断れない」



 泊まっていってくれるって。
 今日はずっと一緒にいられる。嬉しい。


 でも。
 やだな。


 そうも思ってしまう。


 やっぱり感情がコントロールできなくなりそうで、やだ。




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