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憂鬱な転生【カノンの場合】

14.雨の日のイベント

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「ルイせんぱい…っ、今、帰りですか?」
「ん……? あぁ、……舞宮さん?」
「雨、降ってきちゃいましたね、わたし今日傘を忘れてきちゃって」
「あぁそうなんだ。俺も置き傘を持ち帰ってたのを忘れてたんだよね」

 雨粒を遮るように片腕を視線の高さにあげ、それでも早歩きの足を緩めないまま瑠依はカノンの問いかけに応じた。
 でも、時雨にしてもそうだが、やはりゲームのなかよりも、もっと余所余所しいものを感じる。
 カノンは勇気を振り絞って問いかけを続けた。

「わたし今度のチャリティーコンサート出ることになったんです。初めての舞台なんで緊張しちゃって。それに皆何年も音楽をしてきている人達ばかりだから、気後れしちゃって……。ルイ先輩は何年くらいピアノをされてるんですか?」
「んー……、俺は3歳から始めたから、もう15年、くらいになるかなぁ」
「15年……! すごいですね!」

「まあ、うち学園にはそんな奴ざらにいるけどね。ジュニアコンクール時代からの顔なじみも同級生にいるし。 ――あぁ、そういえばこないだ10年以上前から俺のことを応援してくれてたって言ってくれた人がいたんだけど……、嬉しかったなぁ」

 そう言って、瑠依はこれまでの鋭い表情を緩め、ふにゃっと笑って見せた。

「そう、なんですか……」

 カノンはそう返すので精いっぱいだった。

 ――なんだろう、やっぱり違和感を感じる。会話が微妙にゲームの記憶と食い違っている。ここでルイ先輩は、私にコンサートのアドバイスをくれる流れだったはずなのに……。

 雨足が強くなってきたこともあるが、早歩きの瑠依はまた前を向いて、数歩下がって隣を歩くカノンのほうを振り向きもしない。

「あ……あの、ルイ先輩のショパンは素晴らしいって、先生も言っているのを聞きました。先輩のショパン是非きかせていただきたいです!」
「あぁ……、秋の学祭で弾くんじゃないかな。その時にでもね」
「え、はぁ……」

 やっぱりカノンが投げかける言葉に、かろうじて返事はくれるものの、こちらに投げ返されることはない。まるで瑠依に向かって独り言を話しているかのような気持ちになる。
 徐々にジリジリと焦燥感が募ってくる。
 カノンは信号待ちで立ち止まった瑠依の隣に駆け寄った。一瞬こちらを一瞥した瑠依は、また数歩カノンとの間に空間をつくった。
 雨ではり付く制服が、いやに肌に冷たく沁みてくる。

「……」
「……」

 このままではイベントなんて起こらないどころか、ほとんど顔見知りですらない、ただの他人が隣にいるだけだ。

 瑠依の家はこの信号を渡ったらすぐのところにある。もう目と鼻の先だ。今日のこの日がイベントなのは間違いない。なにか、なにか話しかけなければ。

「……ルイ先輩は、あの、何色が好きですか?私、いまドレスの色を迷っていて、あの、参考にしたくて」
「え……? 俺になんか聞かなくても、好きな色を着るといいよ。君ならなんでも似合うんじゃない?」
「えぇ? ……いや、あの、そうじゃなくて……、あの……」

 ――あぁ、信号が青になってしまう。

 信号を渡り始めようとした瑠依の制服の裾を、思わず引っ張ってしまった。

「――なに?」
「ルイ先輩、あの……!」

 何て言ったらいいかわからない。
 何故、自分はこんなところで瑠依にすがりつくようなことをしているんだろう。自分の顔が赤くなっているのを感じるが、それが羞恥のせいなのか混乱のせいなのか、もうわからない。

「……俺の家、すぐそこだからタオルくらい貸すよ」
「あ……」

 瑠依からでた言葉に、ギュッときつく閉じていた瞼を上げた。……でも、こちらを見下ろす瑠依の目は親愛など一切感じさせない、冷たいものだった。

「すみません……」
「いいよ、偶然帰りが一緒になったし。女の子を家にあげることは出来ないけどね。俺、彼女がいるし、誤解されると困るから」


 ◇◇◇◇◇


 マンションのエントランス、入り口のガラスにうつされた自分の姿は、濡れそぼって、とても惨めなものだった。
 伏せたまつ毛の先で、前髪から垂れ落ちる水滴を見つめながら、拭う気力もなかった。
 数分して、エレベータを降りてきた瑠依の姿が見えた。だが、改めて明るいところで顔を合わせることが恥ずかしくて、再び顔を伏せた。

「どうぞ。傘もタオルも返さなくていいよ」
「ありがとうございます……」

 差し出された温かいタオルは、瑠依のものだろう匂いがした。そんな香りを感じてしまうことも申し訳ないような気持ちになる。
 本当に居たたまれない、今すぐ消えてしまいたい気持ちでいっぱいだった。

 タオルで一通り拭った後、エントランスから出て、受け取った折りたたみ傘を開いた。
 柔らかい水色の傘だった。
 瑠依のイメージそのものの清廉な色だ。振り返り瑠依に向かって一礼をする。「送ってはいけないけど、気を付けてね」ひらひらと手を振る瑠依が、ふ、と思い出したかのように呟いた。

「あ、そうだ……、俺の好きな色、いまは水色かな……」

 優しく細められた目は何かを思い出し、慈しむような表情で遠くを見つめていた。

 ――赤じゃ、ないんだ……。

 会話の選択に失敗した、そんなことじゃなくて、それだけのことじゃなくて。
 カノンのことなどまるっきり眼中にない、ましてやゲームの最中だというのに彼女までいるという瑠依の言葉は、カノンの中にある疑問を抱かせた。

 ――この世界は、ヒロインを必要としていない……?

 ゲームの理など存在しないのかもしれない。ヒロインである舞宮カノンなど、必要ないのかもしれない。それぞれの誰もがゲームの理などに縛られず生きられる、元々いた世界と変わらないのかもしれない……。

 ――それなら、私のしていることは。私のいる意味は。

 傘にあたる雨音が遠く聞こえる。カノンは静かに静かに思考を水の底に沈めていった。
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