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サーシャ・ツインベリル

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 初めて参加した飲み会は最悪だった。乾杯の挨拶が終わりビールを流し込んでいる時に、会社の違う部署の男性に話しかけられて隣に座ってきた。この男、人の噂をする事が好きで普段関わりがない。男は一瞬間を置くと話し始めた。

「お前、不倫しているんだって噂があったんだけど嘘だったんだな」

「なにそれ?!」

 男の声も私の声も大きく、周囲にいる人たちが反応した。喪てない女で恋人すらいない私は不倫なんてしたことがない。化粧を塗っても変わらない顔、髪の毛を染めることが面倒くさくて黒髪を適当に結っているだけで、服装もワイシャツにパンツルックとつまらない服装の女だ。

 話を聞いてみると、他人の名前を使って浮気の身代わりにした社員がいた。浮気を疑った奥さんが名前と会社名を調べ、会社に連絡してきたが出退勤を調べたところおかしい事に気が付く。複数人被害者がいて、友達役や残業を直前にお願いする上司役もいたそうだ。2人に指導して問題解決かと思ったら、もっと大変な事になっていた。

 浮気した2人が勝手に私のせいにして悪評を広げていたのだ。このやり方は私が教えていたと嘘の噂をバラ撒き、信じた人から距離を置かれていたらしい。
 部署が違うため、私の耳に届かなかったのだ。

 前の被害者たちが報告し、2人とも降格処分と減給処分を言い渡された。

 さっき話しかけてくれた社員は、その噂を消すために話しかけてきたらしい。こっちからしてみれば寝耳に水だ。

「人生で何度も同じ目に会うなぁ」

「そうなのか」

 相槌を打つと私は昔話を始めた。周囲の人たちも何かあったのか聞きたがっているようだ。

「昔から悪さをしたって言われやすくて。中学校も高校も悪口を言っているとか、彼氏を奪ったとか噂するんだけれど見た目がこれでしょう。顔の確認されると嘘だとすぐに分かって、ため息をつかれて帰っていくのよ。全部名前のせい」

「確かに。名前だけは綺麗ですもんね」

「そうなのよ。こんなに見た目が普通なのに、キラキラネームでギャルっぽいでしょう?」

 気にしていない風を装って、会話をすると先ほどまでの緊張した空気がなくなった。

(これでいいんだ。本当はそいつらを木っ端微塵に吹っ飛ばしてしまいたいけれど)

 入社して数年でテレワークになってしまい、飲み会に参加するのも初めてだ。空気を読んで過ごしていればいい。

(長く会社で働くためにスルースキルを使わずしていつ使うのだ)

 と思いながらビールで喉を潤す。名前のせいで変な目に会う事は慣れている。

 休み前に嫌な気分にさせられて、スーパーで購入した半額シールのついた総菜とお酒をしこたま食べて飲んだ。太るなんて考えない。こうやってストレスは発散してきたんだから。

 私の部屋は質素な部屋で物が少ない。木造40年のアパートで1階はテナントで2階に住んでいる。キラキラネームをつけた親元を離れて数年。連絡なんて一切取っていない。親と仲が悪いとあれこれ言われるため、何も言わない。遠方に住んでいるから交通費だけで高いと言い訳をしている。

 今日の出来事で思い出すことが沢山あった。今はこうしてやり過ごしているが、学生の時は本気で傷ついたし学校に行きたくなかった。

 話していない事だが、1番嫌だったのはレズ疑惑だ。思い出すだけで腹立たしいが、オタク同士集まっていた時に、百合の話題になり饒舌に語った。当時は百合が流行りだした頃で、SNSが普及していない時代。

 それが湾曲され、クラスで2番目に可愛い子が好きだと噂された。こういうのは本人の耳に届かないもので、影で言われていることに教えられて必死に否定指した。

 漫画やゲームでは百合やレズは好きだが、自分がそうなると思うと無理だ。同性愛者が嫌いなわけじゃない。そう思われるのが嫌いなのだ。

 この噂のせいで距離感バグった女の子がやたら抱きついてきて、気持ち悪くて仕方がなかった。可愛い子にされても私は嫌だ。

 どうせ抱かれるなら筋肉質で硬派な男がいい。海外のイケメンマッチョが好みだ。

 こういう時は買い物をして忘れる方がいい。適当に選んだ電子書籍をカートに入れて小説を購入する。冬のセールで割引がされて安く済んだ。こうして購入した本は読まずにいる事も多いが、何故か読んでしまった本があった。

(絶対にこの世界に転生したくないわ)

 エルメリア国を舞台にした百合小説。18禁小説だから気にせず買ったら、まさかの百合。

 苦い学生時代を思い出させる小説で胸糞が悪い気持ちになってベッドに潜る。眠りにつくと何時もよりも深く眠った気がした。

 肌触りのシーツが頬に当たって目を覚ました。ふかふかの布団で毎日手入れをしているのだろう。周囲を見渡すと西洋風な部屋で、ピンクの壁紙とクマのぬいぐるみが飾られている。女の子らしい部屋で、いい匂いがする。

 あれ?寝ている間に何があったのだろうか。

 歩きながら考えていると鏡台の前に立った。

「え、なにこれ可愛い。ん、同じ動きしてんの。これってもしかして異世界転生ってやつじゃっ……まさかね」

 鏡に映るとんでもないくらいの美少女がショックを受けた顔をしている。それでも可愛い美少女は、悪役令嬢とくっつくガールズラブのヒロインなわけがない。頼む誰か違うと言ってくれ。

 ドアがノックされ声を出すとメイドが近くまで寄ってきた。この顔は見覚えがある。

「エマ……」

 茶色の髪の毛に同じ瞳の色。父と愛人から産まれた子エマ。

「そうです。メイドのエマですよ。サーシャお嬢様」

 え、嘘でしょう。まさか、まさか。

「サーシャ・ツインベリル」

 自分を指差して名前を言うと頷かれた。

「お嬢様のお名前です」

 ベッドに横になると私は再び眠ろうと必死になった。どうしてよりにもよって、転生先がドアマットヒロインで悪役令嬢とガールズラブする小説だろうか。エマには体調が悪くなったから、誰も近づけないようにいうと彼女は部屋から出て行った。

 何度眠っても目が覚めてしまい、ここが現実ということを理解するしかなかった。何処かに元の世界に戻れる何かがあるかもしれないと走り回って取り乱した様子の私を見ても、誰もおかしいと気がつかない事からサーシャも同じような性格だと分かった。

 本人に成りきる必要がないから、ホッとして息を吐いた。

 エマに食事を持ってきてもらい、メイドからマッサージを受けて眠りにつく。憑依ならサーシャに戻ってこいと一生懸命念じた。

 ここ数日間で分かった事はやっぱり小説世界に転生してしまったという事だった。転生する前に購入した【転生悪役令嬢はドアマットヒロインに夢中です~王子様の溺愛はいりません~】だと。

 王子妃教育を幼い頃から受けたフレイアは婚約者から冷たい対応をされていた。両親から王子妃にならないと不要と追い出されると思い、婚約破棄したくても彼女から出来なかった。厳しい両親はフレイアの気持ちに寄り添ってくれず、政略結婚の駒としてしか見てくれなかった。

 そんなある日、小説でドアマットヒロインサーシャに出会って前世を思い出してしまう。王子を横取りする泥棒猫のサーシャが推しで愛しているという事を。

 サーシャも同じように王子妃教育の犠牲者で、彼女の両親も厳しい教育を強いていた。王子妃候補は小さい時から教育を受けていたが、実際はフレイアと決められていた。フレイアのスペアとして他の候補者は育てられていただけだった。つまり、2人が王子と結婚しなくても予備は沢山あるわけだ。

 どうしても推しの側にいたいフレイアは王子と他の令嬢をくっつかせ婚約解消をし、サーシャと兄を結婚させて幸せに暮らしましたのオチだ。

 2人の並々ならぬ愛に周囲の人が認めるストーリーは読んでいて、フレイアの独り勝ちじゃんと思った。優柔不断なサーシャは自分の意志がなく、何時も他人が提案することに頷くだけ。

 最初は両親の命令で王子に近づいて、次に悪役令嬢に好かれ何だかんだで幸せになる。サーシャは実は私って最強でした系のキャラで、自信がない振りをして結構優秀なのだ。刺繍はプロ級でピアノや料理も何でもそつなくこなせる。

 気合でサーシャの記憶を思い出すと、王子や悪役令嬢に近づいていない。とりあえずフラグは回避している。

 百合小説を読んでいるが、結婚するのはやっぱり男と私は考えている。前世で干物女だった私は男性と付き合ったことがない。リアル男性と話をした事も人よりも少ない方だろう。
 見た目が平々凡々で肉食女子と争う気がなかったし、イケメン好きだったから高望みしすぎていたこともある。

 そんな私だが、女性同士のトラブルを多く見てきた。クラスメイトに職場にイベントに。特に何かに特化したイベントは嫉妬や怨念が凄く、つぶし合いが過熱してどちらかが消えてなくなるまで戦いは続いていた。

 サーシャは美少女だ。典型的なドアマットヒロインにありがちな、美しい絹のような金の髪の毛はぱっつん前髪に腰までまっすぐ伸びている。透き通った青空を思わせるアクアマリンのような瞳は長いまつ毛に縁取られ、鼻先はツンっとして薄くも厚くもない丁度いい形の唇は艶のあるピンク色だ。人形のような体型で、前世の私なら並びたくないくらいの小顔と腰の高さ。華奢なようで体幹はしっかりしているから、ダンスが得意。

 まだ15歳で物語が始まる前。18禁小説だったから登場人物は18歳以上。ストーリーが始まる前で良かったと安堵した。

「前世を思い出すまでは社交的だったけれど、前世を思い出した今は外に出なければいいのでは。決めた、引き籠りになってフレイアに会わない」

 18歳から始まるイベントがフライングする可能性は否めない。
 鏡台に座り髪の毛を固く縛ると用意した鋏で髪の毛を切る。

 街中を歩いている時に、出会い頭にぶつかって髪の毛が絡まってしまい髪の毛を切るイベントがある。この時にフレイアの兄と知り合うが、まだお互い名前を知らない。これが何時なのか分からなかったが、物語が始まる前なのは確か。

 フレイアの兄マリウスもフレイアと同じくサーシャ信者だ。こいつのせいでサーシャのお見合い話は潰されて、フレイアに惚れたら妹と一緒に可愛がり結婚した男。

 こいつらと関わるの本当に無理だ。

「なにをしているんですかああああああ」

 叫び声が聞こえて振り返るとエマと両親が集まってきた。しまったと思ったのも束の間、結構切り過ぎて髪の毛の一部を根元まで切っていた。考え事をしながら切ってはいけないと学んだ。

「これだと当分お茶会もパーティーも出られないわね」

「しかし、まあ見事に切り落とした」

 あまりにも下手糞だったため、これからは髪の毛は自分で切ってはいけないと軽く注意された。食事の時間になり話は終わった。

「せっかく綺麗な髪の毛が」

「くよくよしないで。髪の毛なんて生えてくるじゃない」

 髪の毛を箱に保管し、引き出しの中に入れることにした。神殿に寄付してもいいが、変態兄妹が回収するかもしれない。とにかく、前世を思い出すきっかけになりたくないため私は逃げる。
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