この広いセカイでもう一度貴方に出会えたら

ニノハラ リョウ

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もう離れない その5

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「……ユエ?」

 店を後にする熊吉さんへ向けていた歪な笑みを浮かべたままぼんやりしていると、リンが心配そうにこちらを覗き込んできた。
 そちらに視点を合わせると、こちらを労わる慈愛の光を浮かべた金色の瞳が随分と近くにあった。
 そのまま視点が合わない程迫る金の瞳から逃れられないでいると、ふと唇を食まれる感触がした。
 ふわりふわりと柔らかく唇を食まれ、僅かに開かれたそこにリンの舌が潜り込んでくる。
 何度交わしても慣れないその感触に、唾液の偉大さを感じながら、味のないそれを絡め合う。

 彼が身じろいだ気配がして、唐突な口づけは終わりを告げた。

「……ユエ。そろそろ向こうの君の事を教えてくれないか?」

「……それは……」

 ゆるりと頬を撫でる手が優しい。
 けど、突き付けられた問いに私は答えを呑み込む。

「奴らがボスに挑み始めれば、いつこの世界が終わるかわからない。
 それは一ヶ月後かもしれないし、一週間後かもしれない。
 そうすればせっかくこの世界で君という存在を手に入れたのに、水泡に帰してしまう。
 だから……今のうちに君の事を聞いておきたい。俺は向こうでも君を離したくないんだ……。
 だから……」

「やめてっ!!」

「っ! ユエっ!」

 くっと肩を掴まれるも、ふるふると頭を振り続ける私の動きに合わせて、艶々としたロングヘアが揺れる。
 枝毛の一つもない、特に手入れをしなくとも艶やかに腰の辺りまで揺れる黒髪は、この世界だけのもの。
 俯いた視界に移る、ふるりと揺れる程よいサイズの二つの膨らみや、そこからまろやかに曲線を描く腹部、それらを覆う黒のぴたりと張り付くロングワンピの裾には際どいところまで伸びるスリット、そしてそこから覗くしなやかな白い足。
 それらすべてはこの世界でしか持ち得ないモノ。

「だって……違うもの。向こうの私とユエは違うもの……。
 私……傷つきたくない……。向こうのリンに会って貴方にがっかりされたくないっ!! 貴方に捨てられたくないのっ!!」

「そんな……」

 リンの言葉を頭を振って否定する。

「ユエ……好きだよ……あの世界に戻っても……君と……」

 ぎゅっと男らしく厚い胸元へと引き込まれ、抱きしめられる。
 この世界に来て、彼と恋人になってから、彼への恋情も彼からの愛情も疑うべくもない。
 だけど……向こうの私が彼に相応しいとはとても思えない。
 さっきリンも言っていたが、この世界でどれだけ自分を偽って過ごしていたとしても、人間ふとした時にその人の本質が垣間見える。
 恋人として長い時間を過ごすようになって見えてきたのは、今のリンと向こうの彼とはそこまで差もなく、向こうの彼もこちらのリン同様素敵で魅力的な男性なのだろう。

 だからこそ……。

 向こうの世界にかえりたくないからと、ダンジョン攻略をドロップアウトした私のような卑怯な人間は相応しくないのだ。
 むしろ、ユエとしても相応しくないのに、図々しくも今リンの隣にいる私はどれだけ罪深いのだろう。
 それどころか、リンの伝手を利用して魔女の薬屋としてダンジョンに挑む冒険者達にポーションを卸して、自分の罪悪感を誤魔化している。そんな私のどこがリンに相応しいというのだろう。
 ふと漏れたため息に、リンの身体がピクリと反応した。 

「…ユエ……。何度でも言う。俺は君が好きだ。
 見た目は違ったとしても、向こうの君とこちらの君の本質に変わりはないんだ。向こうの君に会ってもがっかりする事なんて何一つない!君を手放すなんてありえないっ!
 むしろ生身で付き合えるんだから……君の匂いも…味も…こちらで分かち合えない何もかもを、生きている君を感じたいんだ。
 だからお願いだ。向こうに戻っても俺と……」

 縋るように希うその声に、決心が揺らぐ。
 もしかしたら彼なら向こうの私も受け入れてくれるかもしれない。
 誰からも相手にされず、血の繋がった家族からすら必要とされない私を……。

 だけど……。もしかしたら……。

「っ! ユエっ!」

 悲痛なリンの声に促され、ぺろりと上唇を舌でなぞる。それは昔からの緊張した時の私の癖で。
 ぐっと心を決めて口を開く。リンに告げる言葉は……。

「……向こうの……私は……」

 その瞬間。

 ガラーンガラーンガラーンガラーン……

「?!」

 建物の中にいるはずなのに、耳が痛くなる程の鐘の音が響き渡る。
 高く低く、とどまる事をしらないらしい鐘の音は悲鳴のように鳴り響く。

「な、なんだこれは……?!」

 不測の事態に、リンの腕が私を強く抱き締める。
 私も、さっきまでリンを拒絶しようとしていた事を棚に上げて、彼に縋りつく。

 そして、は告げられた。

『ラストボス・タカハタ撃破』
『ラストボス・タカハタの撃破により、本ゲームはクリアされました』
『ゲームクリアに伴い、全生存プレイヤーは強制排出ログアウトされます』

『ラストボス・タカハタ撃破』
『ラストボス・タカハタの撃破により、本ゲームはクリアされました』
『ゲームクリアに伴い、全生存プレイヤーは強制排出ログアウトされます』

『ラストボス・タカハタ撃破……

「……いったい誰が…?聖花騎士団?」

「いや、騎士団の連中だってユエのポーション無しでラスボスに挑むなんて……?! まさかチーターの奴が?!」

 はっとしたリンの表情に、熊吉さんの話を思い出す。
 最近現れたと噂のチーター。それはもしかしたらこの世界を打ち砕く救世主となったのかもしれない。
 その事実に、呆然と立ち尽くす。ラスボスが討伐された今、この世界は……消える。
 それを裏付けるように無機質なシステムの音声が響く。

『……プレイヤーは強制排出ログアウトされます』

「っ?! ユエ! 時間がないっ!
 向こうの君の事を教えてくれっ!!」

 チラチラと壊れたテレビの様にちらつき始めた背景に気づいたのか、リンが私に必死に問い掛ける。
 私はナニカを告げようと口を開いて……。

 ジジッと僅かな音を立てながら、私の店が消えていく。
 丁寧に作ったポーションの薬瓶も。
 乾燥途中の薬草も。
 さっきまでお湯を温めていたポットも。
 何もかもが消えていく。
 壊れたテレビ画面の様に、小さな四角の集まりとなって、ざぁっと跡形もなく、消えていく。
 そして残るのは目に痛いほどの白さだけ。
 それはまるで……リセットだ。全てを白紙に戻すそれは……。

「ユエ!? 頼むっ!!」

 ぐしゃりと顔を歪めた彼の顔にジジッとノイズが走る。

 あぁ、いよいよこの世界が終わるのだ。

 このタイミングで世界が終わるというのなら、彼との関係もここで断ち切るべきという神の差配なのかもしれない。
 毛の先ほども信じていない神に責任を押し付けて、ゆるりと首を振る。

 そして、彼の手から逃れるように、一歩下がる。

 無理やりに口角を上げてリンに微笑む。
 この世界が消えればユエとしての姿も消失する。所詮この姿は0と1の塊でしかない。

「っ!! ユエっ!!」

 縋る様な金の眼差しを振り切って、既にノイズ混じりだろう顔に自分史上最高の笑みを乗せて。

「……さようなら。リン。大好きだったよ」

「ユエェェェ!!!!」

 伸ばされた手が指先から消失えていく。
 あの指が頬を撫でるのが好きだった。親指の付け根をなぞるあの指にいつもドキドキしていた。
 だからこそ……。

(ずっとずっと貴方だけが好き。……向こうに戻っても貴方だけしかもう愛せない)

 口の中だけで転がしたその言葉は、彼に届く事無く、ユエと一緒に、この世界と一緒に、消えていった。


『……により、本ゲームはクリアされました……』


 
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