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第36話 記されざる未来
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夜が深かった。
風が街を撫で、王都復興の灯火が揺れる。
その光景の中に、ひとり旅立つ影があった。
エリアス・グランベル。
世界を救い、神々を超え、そして“人”としてこの地に立つ男。
彼は城門の前で立ち止まり、そっと振り返った。
遠く、高台に灯る光。夜風に髪を揺らすセレナが見送っている。
互いに言葉は交わさなかった。
ただ、微笑と視線――それだけで十分だった。
「行こう、ルミナ。」
彼の声に、光がそっと応えた。
『あなたは本当に落ち着かない人ね。せっかく平和になったのに。』
「平和には、“見届ける人”が必要なんだ。物語が終わらないようにする役目としてな。」
笑いながら、彼は門をくぐった。
夜空には、まだ消えきらない星々が瞬いていた。
その光のいくつかが、彼らの旅路を照らすように動いていた。
* * *
旅は北へと続いていた。
神々の時代の遺跡群が点在する“失われた環状路”。
そこには、まだ幾層もの謎と、かつて封印された真実が残されていた。
ルミナが静かに声をあげる。
『聞こえる? この辺り、空気に“言葉”が混じってる。
この土地自体が何かを記録しているような感覚。』
「遺伝子みたいなもんだろ。神も人も、記録の上に生きてきた。
だが、ここにあるのは何だ? もっと――“曖昧な記述”だな。」
足元の地は、淡く光っていた。
踏みしめるたびに文字のような波紋が広がり、再び吸い込まれていく。
それは生きた書物のようにも見えた。
『これは、人の祈りの残滓。あなたが神殺しの剣を振るったとき、消えきらなかった想い。
誰にも読まれず、書物にも残らなかった“記されざる言葉”たちよ。』
「じゃあ……この場所は、人々の“まだ終わらない願い”が集まる地か。」
『ええ。そして、それが“新しい神”の種になりつつある。』
エリアスは眉を寄せた。
「またか。神はもういない。なのに、世界は勝手に意思を形にしようとする。」
『人は願わずにいられないの。たとえ神がいなくても、誰かに救いを求めてしまう。
この祈りが増えすぎれば――また“力”になる。』
「ループだな……。」
苦笑が漏れた。
人の成長も、歴史も、希望さえも、すべて繰り返しの中で作られていく。
『でも、今回はあなたがいる。繰り返しを断ち切る筆が。』
「そんなもの、もう手放したさ。」
『いいえ。あなた自身が筆なの。あなたの生き方が、書かれ続ける記録だから。』
風が次第に冷たくなり、闇が濃くなる。
ルミナの光だけが道を示していた。
* * *
丘を越えた先に、古代神殿の跡が現れた。
柱の半分は崩れ、天井は失われている。
だが、中央の石壇だけが異様な輝きを放っていた。
その上には、透明な楔のようなものが突き立っている。
「これは……筆か?」
『いえ。筆の“欠片”ね。あなたが振るった神殺しの剣、その破片よ。』
ルミナが触れる。
瞬間、鍵のような形が光り、古代の構文が空に浮かび上がる。
それは確かに言葉だった。
しかし、どんな神言でもなく、ただこう記されていた。
――《記録者は二人いた》。
エリアスの胸が高鳴る。
「……二人?」
『もう一人の“記述者”……ノインの痕跡よ。』
地の底が鳴った。
石碑が割れ、空間から黒い気流が立ちのぼる。
音ではなく、言葉のうねり。
かつての敵――ノインの声が蘇った。
『面白いな、エリアス。お前が選んだ“人の世界”はまだ迷っている。
矛盾は消えず、祈りは止まらない。つまり、お前が創った世界は――俺という影を必要としている。』
「ノイン……!」
エリアスは剣の柄を握った。
「お前は消えたはずだ。」
『俺が消える? お前が生きる限り、俺は消えない。
だって俺は“選ばれなかった可能性”。お前の踏み出さなかった道そのものだからな。』
黒い霧が形を持ち、人の姿を成していく。
完全ではない。歪んだ影のような幻。
だが、その存在は確かに“生きて”いた。
「もうやめろ。お前は過去の亡霊だ。独りになりたくないだけだろ。」
『違うな、エリアス。俺は“選択の連続”が破綻した時に生まれる。
もう一度世界が混乱すれば、俺は完全に還る。――つまり、お前の理想が崩れるほど、俺は強くなるんだよ。』
重い沈黙が流れる。
ルミナの光が揺らいだ。
『彼はあなたの内に残る否定の記録。あなたが完全に受け入れない限り、何度でも姿を変えて現れる。』
ノインが笑った。
『やはり“希望”なんて脆い書き換えにすぎない。
お前が世界を信じた分だけ、世界は裏切るさ。
教えてやる。俺を滅ぼすのは不可能だ。なぜならお前自身が、俺を恐れているから。』
「それでも俺は書く。」
エリアスの声は震えていなかった。
「怖くても、受け入れるしかない。矛盾があるからこそ、人は進める。
お前がいる限り、俺の物語は終わらない。それでいい。」
風が吹き抜け、黒い霧が散る。
ノインの姿が薄れながら笑った。
『……立派な言葉だ。しかし、それが永遠に続けられるか?
人はいつか絶望を“正義”と呼ぶようになる。それもまた、新しい神の形なんだぜ。』
低い笑い声が遠ざかり、霧が消える。
静寂だけが残った。
『彼は、消えていない。けれど、いまは休んでいるだけ。
きっとまた、世界が選択を間違えたときに現れる。』
「それでいい。」
エリアスは頷いた。
「影があるから光を選べる。あいつは“鏡”だ。なら、俺はそれを見続ける。」
空を見上げると、雲がゆっくりと形を変えていた。
まるで巨大な筆の先が、何か新しい絵を描いているように。
『世界が自分で書き始めているのね。』
「そうだ。ここから先は、俺が見届けるだけだ。」
* * *
旅の夜。
焚き火の火が小さく揺れる。
ルミナの光がその上で踊りながら囁いた。
『ねえ、もし世界がまた間違えたら? あなたはもう一度書き換えるの?』
「……いいや。それはしない。人の世界は人が選ぶ。
俺は手を貸すけど、答えは与えない。」
『あなた、ずいぶん大人になったのね。昔だったら“全部背負う”って言ってたのに。』
「背負うだけじゃ見えなくなるからな。支えるくらいが、ちょうどいい。」
沈黙が流れ、夜の空に星々が広がる。
その中でひとつ、ひときわ輝く星があった。
ルミナがそれを指し示す。
『あれは、あなたが書き換えた“勇者星”。
あなたの筆が、初めにこの世界を光で貫いた記録。』
「消えないんだな。」
『ええ。たとえノインが再び現れても、その星がある限り人々は生きる。
だって、それは“あなたたちの物語”だから。』
彼は微笑み、火を見つめた。
「なら、この旅も悪くないな。影を見つけ、祈りを拾い、希望を伝える。
そうやって世界が進むのを見届けるさ。」
ルミナの声が優しく響いた。
『いい旅になるわね、記されざる未来を歩く記録者さん。』
「未来は書かれないから、面白いんだ。」
焚き火の火が夜空に弾け、星と混ざった。
その瞬間、ほんの一筋の風が新しい文を紡ぐ。
――“未来は誰の手の中にもある。書く者が変われど、想いは続く。”
それが、彼と女神の、新しい物語の最初の言葉だった。
風が街を撫で、王都復興の灯火が揺れる。
その光景の中に、ひとり旅立つ影があった。
エリアス・グランベル。
世界を救い、神々を超え、そして“人”としてこの地に立つ男。
彼は城門の前で立ち止まり、そっと振り返った。
遠く、高台に灯る光。夜風に髪を揺らすセレナが見送っている。
互いに言葉は交わさなかった。
ただ、微笑と視線――それだけで十分だった。
「行こう、ルミナ。」
彼の声に、光がそっと応えた。
『あなたは本当に落ち着かない人ね。せっかく平和になったのに。』
「平和には、“見届ける人”が必要なんだ。物語が終わらないようにする役目としてな。」
笑いながら、彼は門をくぐった。
夜空には、まだ消えきらない星々が瞬いていた。
その光のいくつかが、彼らの旅路を照らすように動いていた。
* * *
旅は北へと続いていた。
神々の時代の遺跡群が点在する“失われた環状路”。
そこには、まだ幾層もの謎と、かつて封印された真実が残されていた。
ルミナが静かに声をあげる。
『聞こえる? この辺り、空気に“言葉”が混じってる。
この土地自体が何かを記録しているような感覚。』
「遺伝子みたいなもんだろ。神も人も、記録の上に生きてきた。
だが、ここにあるのは何だ? もっと――“曖昧な記述”だな。」
足元の地は、淡く光っていた。
踏みしめるたびに文字のような波紋が広がり、再び吸い込まれていく。
それは生きた書物のようにも見えた。
『これは、人の祈りの残滓。あなたが神殺しの剣を振るったとき、消えきらなかった想い。
誰にも読まれず、書物にも残らなかった“記されざる言葉”たちよ。』
「じゃあ……この場所は、人々の“まだ終わらない願い”が集まる地か。」
『ええ。そして、それが“新しい神”の種になりつつある。』
エリアスは眉を寄せた。
「またか。神はもういない。なのに、世界は勝手に意思を形にしようとする。」
『人は願わずにいられないの。たとえ神がいなくても、誰かに救いを求めてしまう。
この祈りが増えすぎれば――また“力”になる。』
「ループだな……。」
苦笑が漏れた。
人の成長も、歴史も、希望さえも、すべて繰り返しの中で作られていく。
『でも、今回はあなたがいる。繰り返しを断ち切る筆が。』
「そんなもの、もう手放したさ。」
『いいえ。あなた自身が筆なの。あなたの生き方が、書かれ続ける記録だから。』
風が次第に冷たくなり、闇が濃くなる。
ルミナの光だけが道を示していた。
* * *
丘を越えた先に、古代神殿の跡が現れた。
柱の半分は崩れ、天井は失われている。
だが、中央の石壇だけが異様な輝きを放っていた。
その上には、透明な楔のようなものが突き立っている。
「これは……筆か?」
『いえ。筆の“欠片”ね。あなたが振るった神殺しの剣、その破片よ。』
ルミナが触れる。
瞬間、鍵のような形が光り、古代の構文が空に浮かび上がる。
それは確かに言葉だった。
しかし、どんな神言でもなく、ただこう記されていた。
――《記録者は二人いた》。
エリアスの胸が高鳴る。
「……二人?」
『もう一人の“記述者”……ノインの痕跡よ。』
地の底が鳴った。
石碑が割れ、空間から黒い気流が立ちのぼる。
音ではなく、言葉のうねり。
かつての敵――ノインの声が蘇った。
『面白いな、エリアス。お前が選んだ“人の世界”はまだ迷っている。
矛盾は消えず、祈りは止まらない。つまり、お前が創った世界は――俺という影を必要としている。』
「ノイン……!」
エリアスは剣の柄を握った。
「お前は消えたはずだ。」
『俺が消える? お前が生きる限り、俺は消えない。
だって俺は“選ばれなかった可能性”。お前の踏み出さなかった道そのものだからな。』
黒い霧が形を持ち、人の姿を成していく。
完全ではない。歪んだ影のような幻。
だが、その存在は確かに“生きて”いた。
「もうやめろ。お前は過去の亡霊だ。独りになりたくないだけだろ。」
『違うな、エリアス。俺は“選択の連続”が破綻した時に生まれる。
もう一度世界が混乱すれば、俺は完全に還る。――つまり、お前の理想が崩れるほど、俺は強くなるんだよ。』
重い沈黙が流れる。
ルミナの光が揺らいだ。
『彼はあなたの内に残る否定の記録。あなたが完全に受け入れない限り、何度でも姿を変えて現れる。』
ノインが笑った。
『やはり“希望”なんて脆い書き換えにすぎない。
お前が世界を信じた分だけ、世界は裏切るさ。
教えてやる。俺を滅ぼすのは不可能だ。なぜならお前自身が、俺を恐れているから。』
「それでも俺は書く。」
エリアスの声は震えていなかった。
「怖くても、受け入れるしかない。矛盾があるからこそ、人は進める。
お前がいる限り、俺の物語は終わらない。それでいい。」
風が吹き抜け、黒い霧が散る。
ノインの姿が薄れながら笑った。
『……立派な言葉だ。しかし、それが永遠に続けられるか?
人はいつか絶望を“正義”と呼ぶようになる。それもまた、新しい神の形なんだぜ。』
低い笑い声が遠ざかり、霧が消える。
静寂だけが残った。
『彼は、消えていない。けれど、いまは休んでいるだけ。
きっとまた、世界が選択を間違えたときに現れる。』
「それでいい。」
エリアスは頷いた。
「影があるから光を選べる。あいつは“鏡”だ。なら、俺はそれを見続ける。」
空を見上げると、雲がゆっくりと形を変えていた。
まるで巨大な筆の先が、何か新しい絵を描いているように。
『世界が自分で書き始めているのね。』
「そうだ。ここから先は、俺が見届けるだけだ。」
* * *
旅の夜。
焚き火の火が小さく揺れる。
ルミナの光がその上で踊りながら囁いた。
『ねえ、もし世界がまた間違えたら? あなたはもう一度書き換えるの?』
「……いいや。それはしない。人の世界は人が選ぶ。
俺は手を貸すけど、答えは与えない。」
『あなた、ずいぶん大人になったのね。昔だったら“全部背負う”って言ってたのに。』
「背負うだけじゃ見えなくなるからな。支えるくらいが、ちょうどいい。」
沈黙が流れ、夜の空に星々が広がる。
その中でひとつ、ひときわ輝く星があった。
ルミナがそれを指し示す。
『あれは、あなたが書き換えた“勇者星”。
あなたの筆が、初めにこの世界を光で貫いた記録。』
「消えないんだな。」
『ええ。たとえノインが再び現れても、その星がある限り人々は生きる。
だって、それは“あなたたちの物語”だから。』
彼は微笑み、火を見つめた。
「なら、この旅も悪くないな。影を見つけ、祈りを拾い、希望を伝える。
そうやって世界が進むのを見届けるさ。」
ルミナの声が優しく響いた。
『いい旅になるわね、記されざる未来を歩く記録者さん。』
「未来は書かれないから、面白いんだ。」
焚き火の火が夜空に弾け、星と混ざった。
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