「偽聖女の妹が良い」と婚約破棄された私、辺境の呪われ公爵様に拾われ溺愛されています~今さら国が滅びそうと泣きつかれても手遅れです~

eringi

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第12話 「君が欲しい」その言葉の意味を教えてください

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「……エルナ」

「はい、レオン様」

「こっちを向いてくれないか」

「今はダメです。この計算が終わるまでは」

午後の執務室。
私はレオン様の隣に設えられた専用のデスクで、領内の収支報告書の計算をしていた。
先日収穫された「エルナ様野菜」の売上や、今後の増産計画に伴う予算組みなど、やるべきことは山積みだ。
聖女時代に培った事務処理能力が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかったけれど、レオン様の補佐ができるのは嬉しい。

けれど、問題が一つ。
私の主君であり婚約者である公爵様が、ちっとも仕事に集中してくれないのだ。

「計算など、セバスチャンか文官にやらせればいい。君が眉間に皺を寄せる必要はないんだ」

レオン様は不満げにペンを置き、私の椅子ごと自分の方へ引き寄せた。
クルリと回転させられ、私は彼と向かい合う形になる。

「皺なんて寄せていません。……レオン様こそ、王都軍の動きが怪しいのですから、防衛予算の確認を急がないと」

先日、隣領のロベルト様がもたらした情報によれば、王都軍が国境付近に集結しつつあるという。
表向きは魔獣討伐だが、その真意が私たちへの圧力であることは明白だ。

「対策はすでに打ってある。国境の結界密度を上げたし、ロベルトにも協力を要請した。……それに、奴らが動くにはまだ時間がかかる」

彼は私の手を取り、指輪の上から口付けた。

「だから今は、そんな無粋な連中のことより、君との時間を優先したい」

「もう……。公爵様がそんなにサボり魔だとは知りませんでした」

「サボっているわけではない。これは君への愛の確認作業だ。私の精神安定上、極めて重要な任務だ」

彼は真顔で言い切る。
最近のレオン様は、以前にも増して私への執着……いえ、愛情表現がストレートになっている。
「呪いが解けた反動」と本人は言っているけれど、それにしても限度というものがあるのではないだろうか。

「エルナ。……好きだ」

不意打ちのように紡がれる言葉。
その蒼い瞳に見つめられると、私は反論もできなくなってしまう。

「は、はい……私もです」

「『も』では足りないな。……君の口から、ちゃんと聞きたい」

彼は私の顎を指先で持ち上げ、顔を近づけてくる。
吐息がかかる距離。
心臓がうるさいほどに高鳴る。

コンコン。

絶妙なタイミングで、扉がノックされた。

「チッ……」

レオン様が露骨に舌打ちをして離れる。
入ってきたのはセバスチャンだった。彼は慣れたもので、主人の不機嫌オーラを華麗にスルーして一礼した。

「失礼いたします。旦那様、城下町の商人組合長がお目通りを願っております。例の野菜の取引価格について、ご相談したいとのことで」

「……分かった。応接室に通せ。すぐに行く」

レオン様は渋々立ち上がった。
そして、私の方を振り返り、名残惜しそうに頭を撫でた。

「すまない、エルナ。少し席を外す。……戻ったら、続きをしよう」

「続きなんてありません。いってらっしゃいませ」

私は真っ赤になって彼を送り出した。
パタンと扉が閉まると、私は大きく息を吐き、机に突っ伏した。

「……心臓に悪いわ」

このままでは、王都軍が来る前に、私の身が持たないかもしれない。
嬉しい悲鳴ではあるけれど、少しクールダウンが必要だわ。

私は気分転換に、図書室へ行くことにした。

   ***

アイスバーン城の図書室は、静寂に満ちていた。
高い天井まで届く本棚、重厚な革張りのソファ、そして窓から差し込む柔らかな午後の日差し。
私はお気に入りの窓際の席に座り、一冊の本を開いた。

それは、以前こっそりと見つけた恋愛小説だった。
タイトルは『氷の騎士と薔薇の姫』。
堅物で冷徹な騎士が、天真爛漫な姫君に振り回されながらも恋に落ちるという、王道にして鉄板のストーリーだ。

(ふふっ、なんだかレオン様みたい)

主人公の騎士が、不器用に姫君にプレゼントを贈るシーンを読んで、私はくすりと笑った。
レオン様も、あの歪な形の指輪をくれた時、あんな風に緊張していたっけ。

物語の中の二人は、障害を乗り越え、少しずつ距離を縮めていく。
そして、クライマックスの舞踏会のシーン。
騎士は姫君の手を取り、バルコニーで愛を告げるのだ。

『君が欲しい。……私のすべてを懸けて、君を手に入れたい』

「……きゃっ」

思わず変な声が出てしまった。
活字で読むと、なかなかに刺激的だ。
「欲しい」という言葉の響き。
それは単に「そばにいてほしい」という意味なのか、それとももっと深い、大人の意味を含んでいるのか。

私はパタンと本を閉じ、熱くなった頬を手で扇いだ。
いけない、こんな昼間から変な想像をしてしまっては。
私は聖女だったのだ。清廉潔白でなければ。
……まあ、今は元聖女だし、婚約者もいるのだから、少しおませな知識があってもバチは当たらないだろうけれど。

「何を読んでいるんだ? そんなに顔を赤くして」

「ひゃあっ!?」

突然背後から声をかけられ、私は本を取り落としそうになった。
振り返ると、いつの間にか戻ってきていたレオン様が、ソファの背もたれに手をかけて覗き込んでいた。

「レ、レオン様! い、いつの間に!」

「今戻ったところだ。執務室に君がいなかったから、ここだと思ってな」

彼は私の手から本を取り上げ、表紙を見た。

「『氷の騎士と薔薇の姫』……? なんだ、君はこういう物語が好きなのか?」

「か、返してください! ただの暇つぶしです!」

私は慌てて奪い返そうとしたが、彼は意地悪く本を高く掲げてしまった。
身長差があるせいで、背伸びをしても届かない。

「へえ……。騎士が姫に求愛する話か。ふむ、『君が欲しい』……か」

彼はパラパラとページをめくり、私が読んでいた箇所を正確に読み上げてしまった。

「や、やめてください! 恥ずかしいです!」

「なぜ恥ずかしがる? 恋人同士なら、これくらいの言葉は普通だろう」

彼は本をパタンと閉じ、私に返してくれた。
そして、そのまま私の隣に座り込み、逃げ場を塞ぐように肩を抱いた。

「それとも、君はまだ、こういう言葉に慣れていないのか?」

「……慣れるわけありません。聖女の教育では、恋愛ごとはご法度でしたから」

「そうか。カイル王子は、君に愛を囁かなかったのか?」

「あの人は……『君は地味だ』とか『もっと笑え』とか、注文ばかりでした。愛の言葉なんて、一度も」

思い出すのも忌々しい。
カイル殿下との思い出の中に、ピンク色のエピソードなんて一つもない。あるのは灰色の説教と、命令だけだ。

「……愚か者め」

レオン様が低く呟いた。
抱き寄せる腕に、力がこもる。

「私なら、一日中でも囁いてやるのに。……いや、言葉だけでは足りないな」

彼は私の髪を一房掬い取り、口付けた。

「エルナ。……先ほどの続きをしてもいいか?」

「つ、続きって……」

「『君が欲しい』という言葉の意味についてだ」

彼は真剣な眼差しで私を見据えた。
その瞳の奥には、図書室の静寂すら焼き尽くすような、青い炎が揺らめいている。

「私は、君が欲しい。……これは、君の聖女としての力を利用したいという意味ではない。もちろん、君がいてくれるおかげで領地は潤ったし、私の呪いも解けた。そのことには感謝している」

彼は言葉を選びながら、ゆっくりと語る。

「だが、たとえ君に聖女の力がなかったとしても……ただの無力な少女だったとしても、私は君を求めたと思う」

「……どうして、ですか?」

「一目惚れだったのかもしれない。あの吹雪の中、死にかけていた君を見た時……不思議と、目が離せなかった。この命を消してはいけないと、魂が叫んだんだ」

彼は私の頬に手を添えた。
ひんやりとした指先が、火照った肌に心地よい。

「そして、共に過ごすうちに確信した。君の優しさ、強さ、そして時折見せる無防備な笑顔。……そのすべてが、私を狂わせる」

「くるわせる、なんて……」

「大げさではない。今も、君に触れたくてたまらない。……君を、私だけのものにしてしまいたいという衝動を抑えるのに、どれほどの理性を総動員しているか」

彼は苦しげに眉を寄せた。
その表情が、あまりにも切実で、色っぽくて。
私は息をするのも忘れて見入ってしまった。

「エルナ。『君が欲しい』というのは……君の心も、身体も、未来も、すべてを私に預けてほしいという意味だ」

彼は一歩踏み込んできた。

「君を、私の妻として。……そして、一人の女性として愛したい」

ドクン、と心臓が跳ねた。
これはプロポーズだ。
あの指輪をくれた時のような契約の意味ではなく、もっと本能的で、情熱的な求愛。

「……教えてくれ、エルナ。君は、私をどう思っている? ただの『呪いを解くためのパートナー』か? それとも……」

彼は答えを待っている。
不安げに揺れる蒼い瞳。
最強の公爵様が、私の言葉一つに怯えている。

私は、自分の胸に手を当てた。
そこにあるのは、温かくて、甘くて、少し切ない感情。
王都にいた頃は知らなかった、これが「恋」というものなのだろう。

私は勇気を出して、彼の手を握り返した。

「……私も、レオン様が欲しいです」

「!」

「ずっとそばにいたいです。貴方の隣で、笑っていたい。……貴方が、私を必要としてくれるなら、私は貴方のものです」

精一杯の告白だった。
これ以上ないくらい、素直な気持ち。

レオン様の顔が、パッと輝いた。
まるで氷河期が終わり、一気に夏が来たような眩しい笑顔だ。

「エルナ……!」

彼は私を抱きしめ、そのままソファに押し倒すような勢いで覆いかぶさってきた。

「れ、レオン様!?」

「すまない、嬉しすぎて加減ができそうにない」

彼の顔が近づいてくる。
逃げ場はない。
というか、逃げたくない。

彼の唇が、私の唇に触れた。
最初は優しく、ついばむように。
次第に深く、熱く。
彼の舌が侵入してきて、私の思考を溶かしていく。

「んっ……」

図書室の静寂の中に、衣擦れの音と、甘い吐息だけが響く。
彼の大きな手が私の背中を這い、腰を抱き寄せる。
その指先から伝わる熱が、私の全身を駆け巡る。

どれくらいの時間が経っただろうか。
彼が唇を離した時、私は息も絶え絶えになっていた。
目を開けると、とろりとした瞳で見下ろすレオン様と目が合った。

「……可愛い」

彼は満足げに呟き、私の乱れた髪を直してくれた。

「これ以上は、結婚式まで我慢しよう。……ここで君を食べてしまったら、セバスチャンに叱られる」

「そ、そうですね……」

私は真っ赤になって起き上がった。
心臓がまだバクバク言っている。
危なかった。もう少しで、図書室で「大人の階段」を登ってしまうところだった。

「だが、約束だ。……式が終わったら、覚悟しておいてくれ」

彼は悪戯っぽく耳元で囁いた。
その「覚悟」の内容を想像して、私はまた茹で蛸のようになってしまった。

「さて、エルナ。機嫌も直ったことだし、提案がある」

レオン様は私の手を取り、立ち上がらせた。
いつもの自信に満ちた公爵様の顔に戻っている。

「提案、ですか?」

「ああ。……デートをしよう」

「デート?」

「そうだ。今まで城下町や農場には行ったが、あれは視察のついでだっただろう? そうではなく、純粋なデートだ」

彼はポケットから、二枚のチケットを取り出した。

「隣町で、数年に一度の『星祭り』が開かれるらしい。ロベルトから招待状が届いた。……二人で、行かないか?」

星祭り。
聞いたことがある。
北の空にオーロラが現れる時期に合わせて行われる、恋人たちの祭りだ。
星に願いをかければ、永遠の愛が約束されるという伝説がある。

「素敵……。行きたいです!」

「よし、決まりだ。……君には、とびきりのお洒落をしてもらおう。私がエスコートする」

彼は私の手にキスをした。

「楽しみにしているよ、私の可愛い婚約者殿」

   ***

デートの日取りは、三日後に決まった。
それからの私は、浮かれ気分半分、緊張半分で過ごしていた。
何しろ、「初めてのちゃんとしたデート」なのだ。
王都時代、カイル殿下との「デート」といえば、彼の買い物に荷物持ちとして付き合わされるか、公務の合間に立ち話をする程度だった。
手をつないで歩くなんて、夢のまた夢だった。

「エルナ様、このドレスはいかがですか? 星祭りに合わせて、夜空色のシフォン生地を使ってみましたの」

マダム・ロゼも張り切って、新しいドレスを仕立ててくれた。
深い藍色に、銀の糸で星の刺繍が施された美しいワンピースだ。
露出は控えめだが、歩くたびに裾がふわりと揺れて、とてもロマンチックだ。

「素敵です、ロゼさん! これならレオン様も……」

「ええ、旦那様もイチコロですわ! 当日はヘアメイクも私にお任せくださいね!」

準備は着々と進んでいく。
レオン様も、当日のスケジュールを綿密に練っているらしい。
「最高の夜にする」と張り切っている彼を見ていると、愛されている実感が湧いてくる。

しかし、そんな幸せな時間の裏で、不穏な影もまた動き出していた。

デートの前日。
私は一人で、城のバルコニーで風に当たっていた。
ふと、指輪が微かに振動した気がして、左手を見る。
水色の石が、チカチカと明滅していた。
レオン様からの通信ではない。
これは……「悪意」への警告?

「……誰?」

私はバルコニーから下を見下ろした。
城門の近く、闇に紛れるようにして、数人の人影が動いているのが見えた。
衛兵たちの死角を縫うように、素早く侵入しようとしている。

「侵入者……!」

私はハッとして、指輪に手を当てた。

『レオン様!』

心の中で叫ぶと、即座に頭の中に彼の声が響いた。

『エルナ!? どうした、何かあったか!』

『城門付近に、不審な人影が……! 侵入者かもしれません!』

『なにっ……。分かった、すぐに向かう! 君は部屋に入って鍵をかけろ! 絶対に外に出るな!』

『はい!』

私はバルコニーから部屋に戻ろうとした。
その時。

ヒュンッ!

風を切り裂く音がして、何かが私の頬を掠めた。
鋭い痛みと共に、壁に突き刺さったのは、黒い短剣だった。

「……っ!」

「おや、外しましたか。……元聖女様にしては、勘が鋭い」

バルコニーの手すりに、いつの間にか一人の男が立っていた。
黒い装束に身を包み、顔を布で隠している。
その手には、不気味に光る短剣が握られていた。

暗殺者。
王都からの刺客だ。

「誰……」

「名乗る必要はありませんよ。どうせ死ぬのですから」

男は音もなく飛び降り、私との距離を詰めてきた。

「カイル殿下からの贈り物です。……『北の果てで安らかに眠れ』と」

男が短剣を振り上げる。
逃げる間もない。
私は反射的に目を閉じ、左手をかざした。

(守って……!)

キィィィィン!!

硬質な音が響き渡った。
目を開けると、私の目の前に、透明な氷の盾が出現していた。
男の短剣は、その盾に阻まれて止まっている。

「なっ……氷の結界!? 貴様、魔力はないはずでは……」

男が驚愕に目を見開く。
私の指輪が、青白く輝いていた。
レオン様が込めてくれた、防御魔法が発動したのだ。

「私の婚約者に、何をしている」

地獄の底から響くような声。
次の瞬間、バルコニーの空気が絶対零度まで凍りついた。

バリバリバリッ!

暗殺者の足元から、巨大な氷の棘が突き出した。

「ぐあっ!?」

男は悲鳴を上げて飛び退いたが、片足を氷に貫かれ、床に縫い付けられた。

「レオン様!」

私の目の前に、黒いマントを翻したレオン様が降り立った。
その背中は怒りに震え、周囲には制御しきれないほどの冷気が渦巻いている。

「……よくも。よくも、私のエルナに傷を」

彼は私の頬の傷――短剣が掠めただけの小さな切り傷――を見て、修羅のような形相になった。

「死んで詫びろ」

彼が手を振ると、無数の氷の刃が空中に生成され、暗殺者に切っ先を向けた。

「ひっ、ひぃぃぃ! ま、待て! 俺はただの雇われ……」

「問答無用」

ドシュシュシュシュッ!

容赦ない氷の嵐が、暗殺者を襲った。
男は氷像になる暇もなく、氷の檻に閉じ込められ、意識を失った。

「エルナ!」

レオン様はすぐに私を抱きしめた。

「無事か!? 怪我は……ああ、頬から血が……!」

彼は震える指で私の傷に触れ、すぐに治癒魔法をかけてくれた。
小さな傷は一瞬で消えたが、彼の顔色は戻らない。

「すまない……! 私がついていながら、こんな……!」

「レオン様、大丈夫です。指輪が守ってくれましたから」

私は彼の背中をさすった。
彼の身体は小刻みに震えていた。
それは怒りだけでなく、私を失うかもしれないという恐怖からの震えだった。

「……許さない」

彼は私を抱きしめたまま、低い声で言った。

「カイル……王都の連中……。もう容赦はしない。私の宝に手を出した代償を、骨の髄まで思い知らせてやる」

明後日のデートを前に、最悪の邪魔が入ってしまった。
けれど、この事件はレオン様の「守護本能」と「独占欲」に、完全に火をつけてしまったようだった。

「明後日の星祭りは中止ですか?」

私が恐る恐る尋ねると、彼は顔を上げ、強く首を横に振った。

「いいや、行くぞ。……こんな卑劣な連中に、私たちの楽しみを奪わせてたまるか」

彼の瞳は燃えていた。

「それに、見せつけてやるんだ。私たちがどれほど幸せで、どれほど強い絆で結ばれているかを。……邪魔者はすべて排除する」

こうして、私たちの初めてのデートは、厳戒態勢の中で決行されることになった。
甘いデートになるはずが、なんだか波乱の予感がするけれど。
最強の公爵様と一緒なら、きっと大丈夫。

私は指輪にキスをして、彼の胸に寄り添った。

(第12話 完)
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