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プロローグ
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ドッ!と音がして、すぐ真横を走っていた馬から人が投げ出された。
ほんの僅か前、視界の隅に映ったのは折れた長槍。
それが肩を貫いて上体が大きく傾いだと思うと視界の後ろに消えていった。
夕べは共に食事をした。
その前も、その前の日も。
食事もしたし、酒も共に呑んだ知己だった。
反射的に向けようとした視線をとっさに前に戻した。
寸前まで迫っていた槍をすでに棒と化した槍で払い上体を横に倒し次に迫る矢を避ける。
「お前の目は特別製だな」
あの人がそう言った目で次々に襲い来る襲撃を避け、槍と槍の隙間を抜ける。
ほんの僅かな、馬で駆け抜けるにはあまりにも細過ぎる隙間。自身の目が指し示す道をひらすらに駆け抜ける。
途中、右手から振りかぶってきた男の剣を受けた棒が衝撃で手から抜けた。
肩から胸元にかけて振り下ろされた刃を、上体を捻ってかわす。かわしきれなかった刃の先がスカーレットの上腕に浅い傷をつけた。
スカーレットは痺れた右手をそのまま剣を振り下ろした体勢のままの男の顔に馬で疾走する勢いを借りて叩きつける。
鈍い音と感触はスカーレットに自分の肩が壊れたことと、手首と指の何本かが折れたことを教えた。
ぶらんと垂れ下がる腕をそのままに、スカーレットは片手で馬を操り頭を低くして後はただ混戦の最中を走り抜けた。
矢がかすったのか、こめかみの上から血が垂れてきて片方の視界を塞ぐ。
スカーレットの全身はもはや血まみれといっていい。それはスカーレット自身の血でもあるし、ここまでに切り結んだ誰かの血でもある。
目の前を首が飛んだ。
見知った顔。
けれどスカーレットはそれを完全に無視した。
唐突に視界が晴れた。
人と馬と武器の群れを抜けたのだと気づいて、一瞬ふっ、と身体が弛緩する。
「スカーレット!」
背後から発せられた叫び声に、スカーレットは弛緩しかけた己の筋肉を叱咤して指をかけた手綱を握り締め、後ろに傾げかけた上体を前傾に戻した。
真横に馬を並べてきたのは、見知った仲間の顔。
ただしその厳つい顔は血にまみれて肩と脇腹からは折れた槍の穂先と矢が生えていたが。
「……お前!それっ」
いつくもの戦場を得て、それなりの経験を得てきたスカーレットには一目でわかった。
わかってしまった。
男の右肩を抉る槍の穂先。
それが太い血管を貫いていることが。
致命傷。
このまま逃げ切ったとしても、もう。
「ああ、ドジった」
血の気のない紫の唇を歪めて男が笑う。
ニヤリと唇の端を上げて言うのはいつも無茶をしてスカーレットが叱責した時と同じ。
「お前は行け。ここは俺たちが時間を稼ぐ」
なにを、と振り向けばスカーレットと共に殿を務めていた仲間の数人が同じく人の群れを抜け、けれども少し走ったところで立ち止まり馬首を返したのが見えた。そのどれも血にまみれて鎧もボロボロ。
腕のない者。
身体から槍や矢を生やした者。
まさしく満身創痍。
まともに戦闘を続けられる者は誰一人として見受けられない。
「お前は行け。あの人を頼む」
男はそう言って振り向いたことで僅かに脚の緩んだスカーレットの愛馬の尻を叩いた。
スカーレットを乗せた馬が嘶きを上げてスピードを上げる。
ぎり、と歯を食いしばって、スカーレットは馬に任せるままに前へと進んだ。
スカーレットたちの部隊は元々全部で50人からなる。
それが残ったのは5人。
僅かに5人。
ひらすらに道を駆け抜け、戦場を抜けて小さな森を抜けた。
たどり着いたのは小さな川の浅瀬。
その向こうに見える姿にスカーレットはほっと息をつく。すると忘れていた全身の、特に右肩から腕にかけての痛みが一気に吹き出してきて、顔をしかめた。
痛みには慣れている。
それでも気を抜いた際にふいに襲ってくる痛みというものは存外に辛い。
まさに不意打ちだからだろう。
身体にも頭にも痛みに対する備えがない。
舌打ちをしながら馬を下りた。
血が流れすぎたのか、砂利に足を着けると膝ががくりと折れそうになる。
それを無事な左手で馬の鞍を掴み堪え、顔を上げる。
上げて、次の刹那、鞍から手を放し走り出した。
ドスン、と腹に衝撃がくる。
続いて左上腕と胸に。
ごぽりと唇から大量の血が溢れて咳き込む。
急激に霞んでいく片方だけの視界に味方の一人が矢を放ったのが見えた。
後ろに大きく傾いだスカーレットの身体を力強い腕が支えた。スカーレットはすでに暗い視界を見限りなんとか動かせた左手で自分を支えたその人の身体をふらふらぺたぺたと弄った。
良かった。矢は刺さってない。
すべて自分の身体が代わりに受けたのだ。
「………………!」
何か言っている。
けれど聞こえない。
もう、何も聞こえない。
何も聞こえない。見えない。感じない。
だけど構わない。
けして死にたかったわけではない。むしろ人一倍生への執着は強い。でなくてはとっくに死んでいた。
スカーレットは最後の意地で唇に笑みを浮かべて見せる。
一番大切なもの、人は守った。
笑って、スカーレット・オーギュスーー後に[白銀の戦姫]と呼ばれる少女はその一度目の生を終えた。
そうしてそれから100年後。
死んだ時と同じ、小さな川の浅瀬で少女は目を覚ました。
ほんの僅か前、視界の隅に映ったのは折れた長槍。
それが肩を貫いて上体が大きく傾いだと思うと視界の後ろに消えていった。
夕べは共に食事をした。
その前も、その前の日も。
食事もしたし、酒も共に呑んだ知己だった。
反射的に向けようとした視線をとっさに前に戻した。
寸前まで迫っていた槍をすでに棒と化した槍で払い上体を横に倒し次に迫る矢を避ける。
「お前の目は特別製だな」
あの人がそう言った目で次々に襲い来る襲撃を避け、槍と槍の隙間を抜ける。
ほんの僅かな、馬で駆け抜けるにはあまりにも細過ぎる隙間。自身の目が指し示す道をひらすらに駆け抜ける。
途中、右手から振りかぶってきた男の剣を受けた棒が衝撃で手から抜けた。
肩から胸元にかけて振り下ろされた刃を、上体を捻ってかわす。かわしきれなかった刃の先がスカーレットの上腕に浅い傷をつけた。
スカーレットは痺れた右手をそのまま剣を振り下ろした体勢のままの男の顔に馬で疾走する勢いを借りて叩きつける。
鈍い音と感触はスカーレットに自分の肩が壊れたことと、手首と指の何本かが折れたことを教えた。
ぶらんと垂れ下がる腕をそのままに、スカーレットは片手で馬を操り頭を低くして後はただ混戦の最中を走り抜けた。
矢がかすったのか、こめかみの上から血が垂れてきて片方の視界を塞ぐ。
スカーレットの全身はもはや血まみれといっていい。それはスカーレット自身の血でもあるし、ここまでに切り結んだ誰かの血でもある。
目の前を首が飛んだ。
見知った顔。
けれどスカーレットはそれを完全に無視した。
唐突に視界が晴れた。
人と馬と武器の群れを抜けたのだと気づいて、一瞬ふっ、と身体が弛緩する。
「スカーレット!」
背後から発せられた叫び声に、スカーレットは弛緩しかけた己の筋肉を叱咤して指をかけた手綱を握り締め、後ろに傾げかけた上体を前傾に戻した。
真横に馬を並べてきたのは、見知った仲間の顔。
ただしその厳つい顔は血にまみれて肩と脇腹からは折れた槍の穂先と矢が生えていたが。
「……お前!それっ」
いつくもの戦場を得て、それなりの経験を得てきたスカーレットには一目でわかった。
わかってしまった。
男の右肩を抉る槍の穂先。
それが太い血管を貫いていることが。
致命傷。
このまま逃げ切ったとしても、もう。
「ああ、ドジった」
血の気のない紫の唇を歪めて男が笑う。
ニヤリと唇の端を上げて言うのはいつも無茶をしてスカーレットが叱責した時と同じ。
「お前は行け。ここは俺たちが時間を稼ぐ」
なにを、と振り向けばスカーレットと共に殿を務めていた仲間の数人が同じく人の群れを抜け、けれども少し走ったところで立ち止まり馬首を返したのが見えた。そのどれも血にまみれて鎧もボロボロ。
腕のない者。
身体から槍や矢を生やした者。
まさしく満身創痍。
まともに戦闘を続けられる者は誰一人として見受けられない。
「お前は行け。あの人を頼む」
男はそう言って振り向いたことで僅かに脚の緩んだスカーレットの愛馬の尻を叩いた。
スカーレットを乗せた馬が嘶きを上げてスピードを上げる。
ぎり、と歯を食いしばって、スカーレットは馬に任せるままに前へと進んだ。
スカーレットたちの部隊は元々全部で50人からなる。
それが残ったのは5人。
僅かに5人。
ひらすらに道を駆け抜け、戦場を抜けて小さな森を抜けた。
たどり着いたのは小さな川の浅瀬。
その向こうに見える姿にスカーレットはほっと息をつく。すると忘れていた全身の、特に右肩から腕にかけての痛みが一気に吹き出してきて、顔をしかめた。
痛みには慣れている。
それでも気を抜いた際にふいに襲ってくる痛みというものは存外に辛い。
まさに不意打ちだからだろう。
身体にも頭にも痛みに対する備えがない。
舌打ちをしながら馬を下りた。
血が流れすぎたのか、砂利に足を着けると膝ががくりと折れそうになる。
それを無事な左手で馬の鞍を掴み堪え、顔を上げる。
上げて、次の刹那、鞍から手を放し走り出した。
ドスン、と腹に衝撃がくる。
続いて左上腕と胸に。
ごぽりと唇から大量の血が溢れて咳き込む。
急激に霞んでいく片方だけの視界に味方の一人が矢を放ったのが見えた。
後ろに大きく傾いだスカーレットの身体を力強い腕が支えた。スカーレットはすでに暗い視界を見限りなんとか動かせた左手で自分を支えたその人の身体をふらふらぺたぺたと弄った。
良かった。矢は刺さってない。
すべて自分の身体が代わりに受けたのだ。
「………………!」
何か言っている。
けれど聞こえない。
もう、何も聞こえない。
何も聞こえない。見えない。感じない。
だけど構わない。
けして死にたかったわけではない。むしろ人一倍生への執着は強い。でなくてはとっくに死んでいた。
スカーレットは最後の意地で唇に笑みを浮かべて見せる。
一番大切なもの、人は守った。
笑って、スカーレット・オーギュスーー後に[白銀の戦姫]と呼ばれる少女はその一度目の生を終えた。
そうしてそれから100年後。
死んだ時と同じ、小さな川の浅瀬で少女は目を覚ました。
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