『闇を闇から』番外編

segakiyui

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『その男』(9)

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「あれこれ考えるのは苦手で」
 これは駆け引きなのだ。
「バトル系は?」
「あまり熱くなれないですね」
「近く人事を弄るつもりなの」
 元子はくるっと話題を変えた。
「そのための査定ですか」
「形式上ね」
 新人みんなにしてることよ。
「だから緊張しなくていいのよ?」
 またにんまりと笑う瞳は冷ややかだ。
「後……趣味が散歩?」
「はぁ」
 ぶらぶら歩いていろんなものを見て歩くのが楽しいんです。
「若いのにってよく言われます」
 おっとり笑い返す。
「雨は?」
「はい?」
「雨は苦手?」
「いえ、別に」
 コンビニに入れば温かい、雨の日は雨の日で調べることは山ほどある。決行日の天気が必ず晴れるとは限らない、雨の日にだけ来る客や雨の日ならではのラインナップ、そのイレギュラーな要因をどうクリアするかを考えるのが楽しい。雨が降れば……雨が降っていたとしたら。
「雨は、好きかな」
 風鈴は鳴らなかっただろうか。取りたいとせがまなかっただろうか。窓は閉め切られていただろうか。流れた血はすぐに消えてなくなっただろうか。踏みつけられた頭の下で、雨音にまぎれて泣けただろうか。
「体が冷えるのに?」
「…」
 一瞬ぞっとした。
 元子の顔を見返して、相手が何も気づいてないと確かめるまで、喉が張り付いた気がしていた。
「雨には雨の景色があるし」
 唇の両端を吊り上げる。
「濡れた街も綺麗ですよ」
「でも花が散ってしまうわ」
 きつい雨に打たれてしまうとね。
 元子はゆっくり目を細める。
 まさか、知っているのだろうか。履歴書から何かを感じて調べたとか? 妹の事故死を。その後の近所の風評を。両親の諍いを。家を襲った数々のくだらない馬鹿げた出来事を。
「妹が事故死したんです」
 踏み込み、相手の様子を伺う。
 こういう時は相手の思惑に沿っていくほどに逸らしやすいと知っている。
「目の前で亡くなりました。辛い出来事でした。あの日も雨が降っていた」
 まるで元子のことばに刺激されてようやく過去を打ち明けられたと言う顔で俯く。
「けれど、雨が降ると妹のことを思い出せる。大好きだったから」
 少し嬉しいんです。
 そうだ如何にも心に傷を負った男が、問いかけに心を開いたように。
「だから雨が好きなのかもしれない、ですね」
 嘘だ。
 あの日、雨は降っていなかった。
 晴れた空は助けてくれなかった。
 妹のことは嫌いだった。
 何もかも嘘だ。
 嘘の中で生きている、全てが混じりけなしの嘘なら、それは本当と区別がつかない。なぜなら区別することはできないから。
「そう」
 厳しい過去を生きて来たのね。
 元子の声が疲れて響いて、薄く嗤った。
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