『よいこのすすめ』

segakiyui

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「お邪魔しま~す」
 軽やかな声で誰もいない部屋に挨拶して、桃花は喜々として正志の後に続く。
「へえ……意外におっきいなあ」
「二人で住んでるから」
「うん、知ってる。小児科の倉沢先生でしょ?」
「へ?」
 知ってるの、と振り返ると、桃花はくすくすと楽しそうに笑った。
「従兄弟なんだってね」
「うん、そう」
「で、時々三上さんも来るんでしょ?」
「は?」
 なんでそんなとこまで知ってんの、そう思った瞬間に正志の頭に閃いたのは、小児科の田中主任の顔だ。
「ひょっとして……田中主任?」
「ぶーっ。はずれー」
 桃花はピンヒール一歩手前の銀色のミュールを脱いで、さっさと部屋の中へ進んでいく。
「はずれ?」
「小児科の磯崎さん」
「磯崎……ああ、あの勤続ぼちぼち40年の」
「そう。あたしの古い知り合いなんだ。あ、コーヒーよろしく」
「あ、はいはい」
 ぱふんとソファに座ってしまった桃花に命じられて、正志は溜め息まじりにキッチンへ向かう。
「アメリカンブラック~」
「はいはい」
 このノリ、どっかで知ってると思ったら、猛に似てるんだよなあ、だから何だかすとんと入っちゃうのか、この子は。そう思いつつマグカップを取り出しながら聞く。
「古い知り合いって?」
「あたし、あの小児科に居たんだよ。えーと、6歳ぐらい?」
「ふぅん……って、ちょっと待った」
 思わず振り返る。
「君、今幾つ?」
「女性に歳を聞くの?」
「や、だってさ」
「いいよ、23」
「23~???」
 いや、もう少し下に見えるって言うか、さゆより下だとばっかり思ってた、と瞬きしてると、えへへと紅の唇からぺろんと舌を出してみせた。
「かわい?」
「や、そういう問題じゃなくって」
 これはまるまる女の猛だって。
 胸の中でぼやきながら、豆を挽いてセットする。
「いい匂い~」
 鼻を鳴らした桃花が嬉しそうに笑って、好みまで同じってのは微妙に複雑だなあと正志はため息を重ねた。
「……じゃあ、猛と会ってたかもしれないなあ」
「猛って倉沢先生?」
「うん、確か7歳のときに運び込まれてるから……」
 そういや三上もここに居たって聞いたよなあと思い出した正志は、続いた桃花のことばにぎょっとした。
「居たよ……それに、三上さんも」
「えっ…?」
「三上さん、ほっそりしてて王子さまみたいだったんだからぁ」
 思わず振り返った正志の前で、桃花は少し恥ずかしそうにへへへ、と笑った。
「で、相談事なんだけど」
 ………聞きたくないような、気がする。
 確か涼子に話があると言われた時もこういうことを一瞬思ったよなあ。
 正志は引きつりながら、コーヒーを両手に居間に向かった。
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