鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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すれ違い

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「そんなのいらない!」

 夕食が並ぶテーブルを両手で叩いて食器がぶつかる音を立てるデイジーの怒りに父親は驚いた。

「私の婚約者を探すためのパーティー!? 冗談じゃない!」
「な、何をそんなに怒っているんだ?」
「私を主役としたなんの意味もないパーティーならまだしも、私の婚約者を探すためのパーティーを私が本当に喜ぶと思った!?」
「各国の王子を集めるんだぞ?」
「お姉さまのためにはなんの意味もないパーティーを開くくせに、私には婚約者発掘パーティー!? 馬鹿にしないでよ!」
「デイジー、落ち着きなさい」
「可愛い娘だって言いながらよくここまで差別できるわね! やっぱり私のためになんの意味もない娘自慢のパーティーは開けないのね! だって自慢の娘じゃないものね!」

 さすがに兄たちも庇うことはできなかった。
 クラリッサの美しさを自慢するためだけのパーティーはデイジーが言うようになんの意味もない。自慢の娘だとその美しさを周りに見せびらかし、賓客たちが『美しい』と惚れ惚れしている姿を見たいだけ。
 飽きもせずに開かれるのは無意味に金を使うだけの愚かなパーティー。兄たちは当然のこと、デイジーもリズも弟たちも今の今まで一度だってそんなパーティーを開いてもらったことはない。パーティーが開かれるのは決まって何か理由がある時だけだ。主に誕生日だけ。
 今度のパーティー、自分がメインだと聞いた瞬間はデイジーも喜んでいた。その直後に聞いた、理由が気に入らなかった。

「どうしてお姉さまには婚約者を見つけないの? お姉さまのために各国の王子を集めて婚約者候補を作ればいいじゃない!」
「クラリッサは結婚願望がないんだ」
「私にだってないわよ!」

 クラリッサは結婚願望がないわけではない。結婚の話どころか男の話をすると父親が異常なまでに嫌がるから結婚願望はないという設定で話をしているだけ。させようとしないのだ。
 本当は今すぐにでも結婚してこの家から飛び出してしまいたい望みはある。

「デイジー、そんなに怒らないでくれ。お前のためを思ってなんだ。婚約者ができることは悪いことじゃない。王族では生まれる前から約束を交わす家もあるんだぞ?」
「そんなの知らない! っていうかハッキリ言えば!? お姉さまはまだまだ利用価値があるから婚約者なんか作らせないんだって! 私には利用価値がないから婚約者を作らせてさっさと嫁に行かせたいんだってね──キャッ!」
「父上ッ!?」

 父親の手がデイジーの頬を強くぶった。
 兄たちが慌てるが、父親は怒った顔でデイジーを見ている。

「私は、クラリッサを利用価値があるなどと思ったことは一度だってない。お前もそうだ、デイジー。利用価値がないなどと思ったことは一度だってないんだよっ」
「じゃあどうして差別するのよ……!」
「差別なんて──」
「してるじゃない! お父様はいつだってお姉さまだけが可愛いのよ! 美しい特別なクラリッサ! 女神の生まれ変わりのクラリッサ! 自慢のクラリッサ! クラリッサクラリッサクラリッサクラリッサ! お父様が上機嫌に口にするのはいつだってお姉さまの名よ! 私じゃない!」

 ボロボロと大粒の涙をこぼしながら訴えるデイジーに父親は黙り込むしかなかった。
 デイジーの言葉を否定できないのは確かだ。デイジーだって可愛いと言えど、クラリッサが生まれた時のように全身が震えることはなかった。それでも愛しい娘であることに変わりはない。今もデイジーは目に入れても痛くないほど可愛いのだ。それは嘘ではない。
 ただ、クラリッサが美しすぎるから、どうしたって無意識に比べてしまう。そこに大きな差が生まれ、差別となってデイジーを苦しめ続けた。
 デイジーは自我が芽生えた頃には既に差別を感じていたのだ。

「すまない、デイジー……そういうつもりはなかったんだ」
「私のためにパーティーなんて開いてくれなくていい。結婚するつもりなんてないから。結婚はしたい時にする。お父様の決めた相手なんかとは絶対に結婚しない!」
「デイジー待ちなさい! まだ話は終わってな──……はあ……またか……」

 食堂から出ていったデイジーに朝と同じ光景だと頭を抱える父親。
 家族はその光景を見ながら全員目を伏せてやれやれという感じで首を振った。
 なぜデイジーの気持ちをわかってやらないのか理解できないが、父親がわかってやれないのはデイジーの気持ちだけではなく家族全員の気持ちもそう。
 自分の欲望に忠実に生きている父親にとって言うことを聞かない娘は“わがままで困った子”になる。
 だから誰も父親に文句は言わずに生きている。面倒事を避けるために。
 
「あなた、クラリッサのためのパーティーは少しお休みしましょう」
「クラリッサに会うのを楽しみにしている者が大勢いるんだ。そういうわけにはいかん」

 自分が娘を自慢したいだけなのをそれらしい理由をつけて拒否する父親には全員が呆れていた。

「お前だって流行りの宝石が見たいだろう?」
「私を巻き込まないでくださる?」

 王族は派手な装いはできない。王石が散りばめられたネックレスや大粒のイヤリングや指輪などは品がないと禁止されている。
 身につけることはできずとも見るだけなら自由だと母親はクラリッサの贈り物を開けるのを楽しみにしているのだが、夫の言葉には冷たい態度で返した。

「会えないことがまた彼らの熱を上げる理由になるのですよ。恋もそう、会えない時間が愛おしく切ないのですから」
「何も知らぬくせに知ったようなことを──ッ!?」

 妻の言葉を鼻で笑った夫の頭を目の前に置いてある飾り用のバゲットを掴んで殴った。
 痛みに目が飛び出した夫、驚きに固まる子供たち。
 母親は少しミーハーなところはあるが、暴力的ではない。黄色い悲鳴は上げても怒鳴ることはない。そんな母親が夫の頭をまさかのバゲットで殴った光景は衝撃だった。

「な、何をするんだ!」
「娘の気持ちを理解しようとしない頭は一度リセットしたほうがいいのではないかと思って」
「こ、こんな物で夫の頭を叩くなどお前は何を考えているんだ!」
「理由はさっき申し上げました」
「このッ……!」

 しれっと答える妻に手を振り上げた父親を見て慌ててクラリッサが立ち上がる。

「お、お父様、実は私、多くの人にお会いすることに疲れています。ですので、少し休ませていただけるとありがたいのですが……」
「なに? そうか、そうだな。クラリッサに疲れが出て何かあっては困る。パーティーはしばらく休みだ」

 妻が言っても聞かないことを娘が言えば聞く。それはあのパーティー自体がクラリッサに会いたがっている者のためではなくクラリッサを自慢するためのパーティーであるため、クラリッサに疲れが見えるのは困るから。
 クラリッサは常に万全の状態でなければならない。目の下にクマがあったり顔にくすみがあったりすることは許されないのだ。吹き出物など言語道断。
 だからクラリッサが疲れたと言えば父親は疲れが顔に出てしまう前に休ませることにした。
 必ずそうするだろうと見越して発言したクラリッサを見たきょうだいたちがよくやったと目で訴え頷く。

「しばらくは自由に過ごしなさい」
「ありがとうございます」

 自由に過ごす──クラリッサにとってそれがどれほど大変なことか父親はわかっていない。
 王女という立場は自由のようで自由がない。クラリッサの場合は特にそうだ。
 自由という言葉が重く感じたクラリッサがカトラリーを揃えて置いた。

「もういいのかい? あまり食べていないじゃないか」
「疲れが出たみたいで……今日はこれぐらいにしておきます」
「あとでホットミルクを持って行かせる」
「ありがとうございます」

 部屋に戻って鏡で自分の顔を見ると鏡の中の自分は寸分の狂いもない黄金比で笑顔を浮かべていた。しかし、クラリッサにはその笑顔が気持ち悪く見えて仕方ない。まるで笑顔の仮面をかぶっているような、デイジーやリズが見せる笑顔とは全く違うものに見えるのだ。

「不自然……」

 それが最もしっくりくる言葉。
 鏡の前で何百回何千回と練習した笑顔。目はどのぐらい細めるのか、広角はどのぐらい上げるのか──くだらない練習だった。
 鏡の前から離れて自分の部屋を見回すと退屈すぎて吐きそうになる。
 色々置いてあるリズの部屋とは違う。
 一人で眠るには大きすぎるベッド、ティータイム専用のテーブルとソファー、そして鏡台。それだけ。本棚もなければ本は一冊もない。
 クローゼットのドアは鏡になっていて、ドレスを着る前に自分の体型を確認するのに役立つ。
 だが、食に興味がないクラリッサには体型確認など必要ない。なにせクラリッサの食事は食材のグラム数まで完璧に計算されて出てくるのだから。キャンディ一つ自由には食べられない。

「鑑賞用、ね……」

 自分がなんと言われているのか知っている。自分の存在はパーティーに来る者たちにとっては博物館に飾ってあるアンティークの宝石と同じ。どれほどの物かと興味本位で足を運び、そしてその美しさに魅了されればなんとかして手に入らないものかと考えながら足繁く通う。
 父親が作ってくれたクラリッサ専用の玉座と変わらない造りの椅子に腰掛けて笑顔を崩さないまま誰ともわからない男たちに返事をするだけのパーティーなど必要ない。退屈で、無意味なパーティー。時間の無駄とはあのパーティーのことを言うのだとクラリッサは毎回思う。
 デイジーが怒るのもムリはない。無意味なパーティーを毎週開いて男たちを通わせ貢がせる。美しいと褒められると嬉しくなり、にんまり顔を晒す父親を陰から見て吐き気がしたことだろう。吐き気がしても心のどこかでは自分もあんな風に父親が自慢するためだけのパーティーを開いてほしいと思っていたのではないかとデイジーの訴えを聞いて思った。だからあれだけ腹を立てて失望を露わにしたのだと。
 主役を代わることができたらどんなにいいだろう。顔を交換できるチャンスがあるなら迷うことはしない。すぐにでもこの顔を手放すのにと幼い頃から何度そう思っただろう。

(美人は得だ、なんて誰が言ったのかしら)

 クローゼットの前に立って自分の姿を見つめる。何が美しいのかわからない。どこが美しいのか理解できない。喜怒哀楽を賑やかに繰り返すデイジーやリズたちのほうがずっと美しいと思った。
 人が見て理解できる感情を露わにできるのは人間だけなのに、クラリッサはそうじゃない。怒ることもしなければ泣くこともしない。心の底から笑ったこともない。
 クラリッサは十九年間、この屋敷から一歩だって外に出たことはないのだ。家の中にだけ自由があって、その自由も侍女付き。
 デイジーはいつもクラリッサを『優遇されてる』と言うが、クラリッサからすればデイジーのほうがずっと優遇されている。
 学校に行って勉強をして世界を知り、友達を作れる。監視されることもなければ自由に外を歩ける。
 クラリッサは長女でありながら一度だってデイジーのような生活を送ったことがない。友達もいなければ勉強をしたこともなく、庭を自由に歩くことさえ許されないのだ。
 テストが面倒だとか試験が最悪だとかこぼす愚痴さえないのだから、クラリッサは元気に学校へ行くデイジーたちが羨ましくて仕方なかった。

「夜は見えにくくて危ないでしょう? 今日はもう、お家へお帰り」

 パンくずを求めてやってきた小鳥たちにクローゼットの中に隠していたパンを取り出して少し分けると声をかける。いつもならここで食べていくのだが、今日は大きめにちぎったパンをくわえて飛び去った。
 まるで言葉が通じたように感じるが、クラリッサは小さな苦笑を滲ませ一人首を振る。
 そんなことあるわけがない。もし通じるのなら世界はどんなところか聞きたい。自由に空を飛び回るのはどんな感じかと。でも通じないから聞けない。
 鳥たちが求めているのは自分ではなくそこにいる人がくれる食事。
 下心なく純粋に求められるにはどうしたらいいのだろう。年を重ねるたびにそんなことを考えるようになった。
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