鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

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言葉足らず

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「説明させてくれ」

 その瞳があまりにも真剣なものだから断れなかった。
 小さく頷くとエイベルはいつものようにクラリッサを抱え上げて森へと向かう。
 あの広場ではなく、いつもの場所に降ろされるといつも座っていた場所が目に入った。今日はローブを着ていないため座るとドレスが汚れてしまうと迷っているクラリッサの前にエイベルが木に立て掛けてあった敷物を広げた。
 先にその上に腰掛けたエイベルが自分の横を叩いて合図し、クラリッサもそこにゆっくりと腰掛ける。
 流れる沈黙に耐えられず、クラリッサが説明とやらを聞こうと顔を向けると同じタイミングで顔を向けたエイベルと目が合った。

「……説明するからちゃんと聞いてくれ」

 頷くクラリッサに身体ごと向けたエイベルがその場で胡座をかいた。

「お前とアイレの会話は全て聞こえていた。だからお前たちが森に来ることはわかっていたんだ」

 じゃあどうして迎えに来てくれなかったのか、と問いかける勇気はない。婚約者ではない相手にとってそれは義務ではないのだから。

「アイレには連れてくるなと何度も言ったが、アイツは俺の言葉を無視したんだ」
「でもあなたは私に怒ってた」
「ああ」
「……勝手に入ってごめんなさい。あなたに会いたかったの。連日会えてなかったから、あなたに会いたくて……勝手なことをしてしまったわ。あなたが怒るのも当然よ」

 自分のしたことはエイベルが昼間に自分に会いにやってくるようなものだと今この瞬間ようやく理解できた。二人の間にあった暗黙のルールから飛び出したことをすれば迷惑がかかることは考えればわかるのに自分は被害者意識でいたと恥ずかしくなる。
 だが、エイベルは謝るクラリッサに怒っている様子はなかった。苦笑するクラリッサの肩を掴んで自分のほうを向かせる。

「俺がお前に怒っていたのは、お前が自分のことをわかっていないからだ」
「私がわかってないって……どういうこと?」

 何を言っているのかと眉を寄せるクラリッサにエイベルも同じように眉を寄せた。

「エルフは耳が良い。お前が世間でどう呼ばれているのか知っているのは俺だけではない。この森に住うエルフも妖精も全員が知っていることだ。見せ物として生きるお前が単身で入ればどうなるかぐらいわかるだろう」
「……あ……」

 嫌味として使われた言葉を思い出した。あの反応は当然のことであり、きっと自分が街に降りれば国民は同じような反応を見せるだろう。
 慣れているはずなのに、自分にはその価値しかないとわかっていたつもりなのに何もわかってはいなかった。

「奥に連れて行けばお前は見せ物になる。お前を見せ物にはしたくないから俺だけの場所で留めていたのに……」

 ここはエイベルだけの場所なのだと改めて見回すも森の中の景色は変わらない。特別な装飾が施してあるわけではなく、こうして座る場所があるというだけ。それでも他のエルフを見なかったということは長の場所なのだ。

「あなたは守ってくれていたのね」
「人間がダークエルフを良く思っていないように、ダークエルフもまた同じ。お前を人質にすればこの国を支配できると考える者がいないわけではない。お前を我が命とする父親を脅すことは簡単だからな」
「そんな……」

 娘を傷つけられたくなければ城を明け渡せ、と言えば父親はきっと城を捨てるだろう。自分だけの住処ではなく、そこがこの国の象徴であるということも妻や子供たちが住んでいることも忘れてクラリッサだけを優先するに決まっている。それはクラリッサにも容易に想像がつくことだった。
 自分がいれば支援を受けられる。貴族たちから寄付を募ることも難しくはない。前に父親が言っていた『お前の時間を売れば貴族たちは飛びつくだろうな』を実行すればいいだけ。
 そうさせないためには汚い考えを持つ者がいることを考えなければならないのに、クラリッサはそういう者がいることさえ知らなかった。

「ごめんなさい」

 謝るクラリッサをエイベルが抱きしめると背中に腕が回されることに安堵する。

「あの女性たちはあなたの……妻……?」
「妻はいない。仲間というだけだと言っただろ」
「でも……」

 クラリッサには夫もいなければ仲間もいない。ダークエルフの挨拶がキスであるように自分が知らないだけでダークエルフの常識は自分が持つ常識とは違うのだと考えると言葉に詰まった。
 以前、ダークエルフに親はいないと聞いた。なら妻がいないのも納得だと。だが、それならと余計に気になることがあった。

「夜は裸になるの?」

 エイベルを囲う女性は全員が裸だった。美しい曲線美を惜しげもなく披露しながらクラリッサに挑発的な笑みを向けていた。あれがダークエルフの普通なのだろうかと気になっていた。

「………………」
「答えられないならいいの。ダークエルフにはダークエルフの事情があって当然よね」

 あの光景は自分にとって当たり前のものでも自然の中で生きていれば誰もがいつの間にか身につけているだろう知識を得ることさえ許されなかったクラリッサになんと説明していいのか、エイベルにはわからなかった。
 教えることは簡単でも、教えたことでギクシャクされても困るとクラリッサの笑顔を見ながら口を噤む。

「ダークエルフの女は人間と違って自立している。誰かに守られなければ生きていけぬ者は一人もいない。狩りで獲物を取ることもでき、男にはできん母乳を赤子に与えることもできる。女がいなければ子は育ったん。だからこそ粗末に扱うことはできない。だが、俺たちは家族ではなく仲間。お前たちのように家族であれば深い絆もあったのかもしれないが、家族という形を持たないからこそ不満を持った個々が動き始めることもないわけではない。そうなれば厄介で、その火種を生まないようにしなければならない。その不満を持たせないようにするのは長である俺の役目だ」
「裸でいたのはそのせい?」
「……そうだ」

 嘘のようで嘘ではなく、嘘でないようで嘘である。
 何も知らないクラリッサだからこそ信じる嘘と真実の間の話。

「家族という形は利己的だ。互いの利益を考えて立場を確立できる。男は狩りだけを、女は子育てだけを……とな。我らはそうではない。皆が育て、皆で生きる」
「私たちとは違うのね」
「そうだ」

 違うからこそ理解できず、説明もできないこともあるのだとクラリッサは理解する。いや、理解したように見せかけているだけ。
 外見が完璧でも中身がそれに伴わなければ完璧とは言えない。物分かりの良い人間であることも重要なことなのだ。
 だからクラリッサは良い子で居続ける。それが癖になってしまっていた。

「お前に来るなと言っているわけじゃない。お前がここに来るのは俺が迎えに行ったときだけと思ってほしい」
「来てもいいの?」
「ああ」
「歓迎されてないんじゃなかった?」
「してほしいのか?」
「ええ」
「考えておく」

 歓迎するとは言わないエイベルの表情を見れば困惑も悲しみも感じる必要はなく、ただただ嬉しかった。
 暗闇の中で光る赤い瞳を先日は恐ろしいと思った。ただただ怖いと。だが、こうして話しているとやはりその瞳は宝石のように美しく、ずっと眺めていたいと思うほどだった。
 
「長って大変?」
「まあな」
「じゃあ、お父様も大変なのね」

 同じにするなと言いたげなエイベルだが、わざわざ口には出さない。
 クラリッサは父親に呆れるときもあるが、信頼を置いている。彼がどういう人間かわかっていても自分のためにしてくれていることは間違いないのだと。
 エイベルにとってモレノスの国王に良い印象はなくともクラリッサにとっては大事な父親。ここで正論をぶつけることに意味はないと判断した。

「婚約破棄をしたんだったか?」
「ええ、相手はとても素敵な方だったけど、私とよく似てたの」
「嘘くさい笑顔がか?」
「どこから見てたの?」
「気まぐれに見てみたらお前と男が庭を歩いているのが見えただけだ」
「ホントに気まぐれ?」
「ああ」
「ホントに?」

 顔を覗き込んでくるクラリッサを横目で睨むように見ては愉快そうな笑みを浮かべるクラリッサにエイベルが肩を竦める。
 人間はそれほど目が良いわけではない。だから森の中からエイベルが見ていようと気付きはしない。それなのにクラリッサはまるで何かを知っているようにニヤつきながら問いかけてくる。
 だからエイベルはクラリッサの顎を持ち上げて唇を重ねた。そうするだけでクラリッサの腕は自然とエイベルの首に回る。
 いつからか触れ合うだけでは済まなくなったキスが終わるとクラリッサが大きく息を吐き出す。
 
「しつこいぞ」
「キスのこと?」

 まだからかうだけの元気があるかと眉を寄せて再度顔を近付けるエイベルの顎を押して笑いながら拒むクラリッサ。

「一つだけ、お願いしてもいい?」
「なんだ?」

 顎を押すクラリッサの手を掴みながらエイベルが顔を向ける。

「話せる分だけでいいから、ちゃんと言葉にして伝えてほしい」

 なんでも話せとは言わない。自分もダークエルフと会っていると家族に伝えることはできないし、家族に同じことを言われてもきっと話せないから。だから話せる分だけでいいと言った。
 恋人でもないのに厚かましいだろうかと多少の不安を感じながらもエイベルの目を見つめる。

「……わかった」

 少し迷いは見せたが、それでも了承してくれたエイベルにお礼を告げた。

「強い女性が好き?」
「気の強さならお前も負けてはいない」

 唐突な問いかけにもはぐらかすような言い方で微笑を見せるエイベルにクラリッサも真面目な顔で聞き直すことはせず笑うだけ。
 
「じゃあ今日は帰るわ。あなたからちゃんと言葉を聞けてよかった」

 立ち上がるクラリッサを引き止めることはせず、エイベルも共に立ち上がってクラリッサを抱えて森を出た。

「クラリッサッ!」

 いつも通り送ってもらって今日一日を終えるはずだった。それなのに今日は部屋に灯りがつき、父親の怒声にも近い声が聞こえてきた。
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