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異種族
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「戦、争?」
言葉は聞いたことがある。だが、それがなんなのかクラリッサは知らない。レイニアの王子と会った際にダークエルフとの戦争がどうのと言っていたのを思い出した。
「……レイニアの王子が、ダークエルフが人間に戦争を仕掛けたって言ってたわ」
「人間はそう言うだろうな」
「違うの?」
「ダークエルフと人間の争いは人間がダークエルフの森を手に入れようとしたことから始まったんだ」
歯を食いしばるように力を込めたことで擦れた歯がギリッと音を鳴らし、エイベルの手が拳へと変わる。
「ダークエルフの森を人間が手に入れたがった理由って?」
「この森に宿る力だ」
クラリッサはこの森に入って不思議に感じたことがいくつかあった。蝋燭もないのに淡く光る灯り、光る花、奥にあった泉の底の輝き──
外の世界を知らないクラリッサでもわかる、人間の住処ではあり得ない力が森の中にはあると。
「我らの森を奪おうと仕掛けてきた人間を我らが先祖は迎え撃った。それを奴らは人間狩りだと嘘をつく。女子供まで惨殺したと言うが、それは兵士の中に女子供が含まれていただけだ」
「私は、戦争がどういうものか知らないけど……殺すって……死ぬってこと?」
「そうだ」
一瞬で手足が冷えたような感覚に陥った。殺すという言葉を耳にした回数は片手で足りるほどで、エヴァンの失言とレイニアの王子の発言だけ。人がやたらめったら口にするような言葉ではないと父親が言っていた意味がようやくわかった。
だが、それと同時に疑問に思うこともあった。
「……人間が勝ったって言ってたけど……それは本当?」
「………………ああ」
長い長い沈黙のあとに呟いた言葉は認めたくないのだろう感情が込められていた。顔を見ずとも拳を見ればわかる。拳を見ずとも声を聞けばわかる。なぜ彼らが人間を憎んでいるのかはわかったが、逆がクラリッサにはわからない。
「人間が勝ったのにどうして人間はダークエルフを憎むの? 勝ったのなら笑えばいいはずなのに……」
ダニエルとリズが勝負をするといつもリズが負ける。その度にダニエルは勝ち誇った表情を向けてリズをバカにする。勝者だった人間はダークエルフを嘲笑っても憎む必要はないはずだと答えを求めてエイベルを見上げた。
「ダークエルフの森は世界中にあった。しかしそれも聞いた話ではかなりの数が減っているという。……レイニアの王子が言った言葉を覚えているか? 勝利したあと、奴らが何をしたのか」
「……森を……燃やした……」
人間は鳥のように飛ぶことはできない。人間よりはるかに身体能力が高いダークエルフでさえ飛ぶことはできない。森が燃えた姿を見たことはないが、ダークエルフたちにとっては家を燃やされたも同然。
レイニアの王子が言った『復活することはない』の意味──森の中でかなりの数が死んだからなのではないかとクラリッサは思った。それを嬉々として語る彼に今更ながらゾッとした。
「戦争は……世界中で始まったの?」
「…………」
「エイベル?」
クラリッサの目を数秒見つめてから逸らすエイベルの肩に触れると目を閉じて眉を寄せた表情で口を開いた。
「ここだ」
「……ここ……?」
自分たちが座っている場所。その場所が存在する森が戦争の始まりの地だった。
「……契約を結んだのはお前の先祖と我らの先祖」
「……人間の、って……意味?」
「違う。……お前の、父親の父親の父親の父親世代だ」
頭は完全に混乱しているのに脳はエイベルの言葉一つ一つをちゃんと理解してしまう。
クラリッサに罪はない。クラリッサどころかクラリッサの父親さえ関係ない時代の話だ。それを今でも恨んでいるダークエルフも人間もおかしいと思ってはいるが、それでも許せないことがある。
「……ダークエルフは嫌われ者だ。エルフと戦えば勝てるが、ハイエルフと戦えば負けは目に見えている。だから人間に対抗しようにもエルフもハイエルフも我らに手を貸すことはないだろう」
「でもあなたたちは人間よりずっと目も耳も良くて強いのよね? 私の父親を……」
クラリッサにその先を言葉にすることはできなかった。だがエイベルには彼女が何を言おうとしていたのか、ちゃんと伝わっている。
「人間の醜さなど下心ぐらいしか知らなかったお前にどこまで話すべきか迷ってはいるが、今ここでやめても納得はせんのだろう?」
「ええ」
ため息をつくエイベルが一瞬でも感情的になってしまったことを後悔しながら頭を抱える。
「……人間よりもはるかに強い我らがなぜ負けたか……」
クラリッサが気になっていたことの一つだ。
「奴らが銃を持ち出したからだ」
「銃?」
「飛び道具だ。弓よりも速く、弓よりも頑丈な物だ」
大木に立てかけていた矢筒の中から一本取り出した矢。木と石で作られた簡易な物だが、エイベルが放てば木の枝をも折るほどの威力があったのを一度見せてもらったことがある。
そのときは人間に放つなど想像もしなかったため何も考えずにすごいとはしゃいでいたが、彼らが弓を持っているのは自衛のためではなく狩りのため。主に向けるのは動物だが、彼らの先祖は人間に向けて何百本も放ったのだろうかとできない想像をする。
「銃や大砲……我らでは手に入れることも作り上げることもできない武器を持って人間は勝利を手にした。卑怯者の勝利だ」
彼が抱える憎しみの深さが表情に表れている。子供が見れば泣いてしまうだろうほど歪んだ形相にクラリッサさえも少し心臓が速く動いてしまう。
「でも、どうして契約を結ぶことになったの?」
「三代前の長が一人で大半の兵士を滅ぼしたからだ」
「一人で……?」
「それに怯えた人間が契約を結ぼうと言い出したらしい」
それは結局ダークエルフが勝ったことになるのではないかとクラリッサは思った。レイニアの王子のように勝って森を燃やしたのではなく、契約という形を取ったのも森を燃やすほどの力が人間側に残っていなかったからではないかと。
「契約ってどんな内容なの?」
ずっと気になっていた両種族の間で結ばれた契約内容。
「……」
「エイベル」
また何か気遣っているような視線にクラリッサが声をかけると今度は上を見上げてため息をついた。
「人間はダークエルフの森への侵攻をやめ、一切の干渉をやめること。ダークエルフは森から外へ出ないこと。そういう取り決めとなった」
その契約は今も続いているのだろう。だから父親はダークエルフの森へは絶対に近付くなと言ったのだ。ダークエルフは自ら外には出ない。だが、森へ人間が入ってきた場合、手を出さないとは言っていない。もしクラリッサが自らの意思で森の中へと入った場合、その命の保証はないとさえ言えるのだ。そしてクラリッサが消えた際も人間はダークエルフの森に足を踏み入れることはできない。
ダークエルフは森の外へは出ない。だから人間も近付くな。互いが平和に暮らすための契約だった。
「……人間がダークエルフを憎んでいるのは完全勝利じゃなかったからなのね」
「それもあるだろうが、自分たちより下に見ている者と契約しなければ命を脅かされる状況に陥ることが悔しいんだろうな。だから悔し紛れに嘘をついた。ダークエルフは遊びで人間狩りを行い、女子供関係なく惨殺した挙句、森へと連れ帰って食べるとな」
「ひどい……」
「人間はこの世で最も残酷な生き物だと俺は思っている」
「人間はダークエルフこそ残虐で非道な生き物だって言ってる」
「イリオリスどもめ」
吐き捨てるような言い方だが、クラリッサは人間を庇おうとは思わなかった。
この森は居心地がいい。エイベルがいるからなのか、この森が持つ力なのかはわからないが、これがもしこの森の力なのだとすれば強欲な人間が欲しがるのもムリはない。自分たちの物にしたいと思うだろう。だがそれは他人が家にやってきて「ここを気に入ったから明け渡せ」と言っているようなもので、単純に考えれば誰がそれを当たり前のように受け入れられるのか。誰もどうぞと言って明け渡すことはしないだろうに、なぜそこに気が付かないのかがわからなかった。
「でも……一つ不思議なんだけど、あなたたちは老いないし死なないのよね? 三代前の長はどうしてるの?」
「死んだ」
「え?」
「我らは不老不死ではあるが、あくまでも老いて死ぬことはないというだけだ。外的損傷を……受けた傷が深ければ死ぬ」
また頭が混乱する。老いて死ぬことはなく、死ぬとすれば傷を受けたときだけ。だが、三代前の長は人間との間に契約を結んで互いに一線を引いて生活することを可能とした。傷を受けることなどないはずだと考えすぎて眉を寄せるクラリッサの眉間をエイベルが撫でた。いつもよりしっとりとしている指に一瞬、エイベルの物とは思えず勢いよく顔を上げるとその反応が予想外だったのか、先ほどまでの険しい表情が消えて笑みを浮かべた。
「別人の手かと思ったか? お前が塗ったんだぞ」
「そうだけど……びっくりした」
ホッと安堵するクラリッサが息を吐き出して胸を押さえる。
「三代前の長は無傷の勝利を得たわけではなかった。一人で戦場へ出て行ったんだ、傷も受けていた」
契約を結んだあとに倒れたのかと納得したクラリッサは、なんと言っていいのかわからない感情で胸がいっぱいだった。
「今も、契約は更新されてるの?」
「ああ」
「誰が、してるの……?」
契約はそのままにはしておけない。一年ずつ更新していくものだから来年もちゃんと更新するとデイジーの件で父親に言われた。もしかするとと思ったのだが、正解だった。だが、それは喜びではなくクラリッサに緊張をもたらす。更新しているのだとしたら、その更新者は両種族の長となるはず。
ドクンドクンと大きな音を立てる心臓が痛い中、エイベルの口から発せられた言葉にクラリッサは目を見開く。
「俺とお前の父親だ」
二人は会っている。目が良いエイベルが父親の顔を知っていることはあっても、父親はエイベルの顔など知るわけがないと思っていたクラリッサにとってこれはあまりにも衝撃的な事実だった。
言葉は聞いたことがある。だが、それがなんなのかクラリッサは知らない。レイニアの王子と会った際にダークエルフとの戦争がどうのと言っていたのを思い出した。
「……レイニアの王子が、ダークエルフが人間に戦争を仕掛けたって言ってたわ」
「人間はそう言うだろうな」
「違うの?」
「ダークエルフと人間の争いは人間がダークエルフの森を手に入れようとしたことから始まったんだ」
歯を食いしばるように力を込めたことで擦れた歯がギリッと音を鳴らし、エイベルの手が拳へと変わる。
「ダークエルフの森を人間が手に入れたがった理由って?」
「この森に宿る力だ」
クラリッサはこの森に入って不思議に感じたことがいくつかあった。蝋燭もないのに淡く光る灯り、光る花、奥にあった泉の底の輝き──
外の世界を知らないクラリッサでもわかる、人間の住処ではあり得ない力が森の中にはあると。
「我らの森を奪おうと仕掛けてきた人間を我らが先祖は迎え撃った。それを奴らは人間狩りだと嘘をつく。女子供まで惨殺したと言うが、それは兵士の中に女子供が含まれていただけだ」
「私は、戦争がどういうものか知らないけど……殺すって……死ぬってこと?」
「そうだ」
一瞬で手足が冷えたような感覚に陥った。殺すという言葉を耳にした回数は片手で足りるほどで、エヴァンの失言とレイニアの王子の発言だけ。人がやたらめったら口にするような言葉ではないと父親が言っていた意味がようやくわかった。
だが、それと同時に疑問に思うこともあった。
「……人間が勝ったって言ってたけど……それは本当?」
「………………ああ」
長い長い沈黙のあとに呟いた言葉は認めたくないのだろう感情が込められていた。顔を見ずとも拳を見ればわかる。拳を見ずとも声を聞けばわかる。なぜ彼らが人間を憎んでいるのかはわかったが、逆がクラリッサにはわからない。
「人間が勝ったのにどうして人間はダークエルフを憎むの? 勝ったのなら笑えばいいはずなのに……」
ダニエルとリズが勝負をするといつもリズが負ける。その度にダニエルは勝ち誇った表情を向けてリズをバカにする。勝者だった人間はダークエルフを嘲笑っても憎む必要はないはずだと答えを求めてエイベルを見上げた。
「ダークエルフの森は世界中にあった。しかしそれも聞いた話ではかなりの数が減っているという。……レイニアの王子が言った言葉を覚えているか? 勝利したあと、奴らが何をしたのか」
「……森を……燃やした……」
人間は鳥のように飛ぶことはできない。人間よりはるかに身体能力が高いダークエルフでさえ飛ぶことはできない。森が燃えた姿を見たことはないが、ダークエルフたちにとっては家を燃やされたも同然。
レイニアの王子が言った『復活することはない』の意味──森の中でかなりの数が死んだからなのではないかとクラリッサは思った。それを嬉々として語る彼に今更ながらゾッとした。
「戦争は……世界中で始まったの?」
「…………」
「エイベル?」
クラリッサの目を数秒見つめてから逸らすエイベルの肩に触れると目を閉じて眉を寄せた表情で口を開いた。
「ここだ」
「……ここ……?」
自分たちが座っている場所。その場所が存在する森が戦争の始まりの地だった。
「……契約を結んだのはお前の先祖と我らの先祖」
「……人間の、って……意味?」
「違う。……お前の、父親の父親の父親の父親世代だ」
頭は完全に混乱しているのに脳はエイベルの言葉一つ一つをちゃんと理解してしまう。
クラリッサに罪はない。クラリッサどころかクラリッサの父親さえ関係ない時代の話だ。それを今でも恨んでいるダークエルフも人間もおかしいと思ってはいるが、それでも許せないことがある。
「……ダークエルフは嫌われ者だ。エルフと戦えば勝てるが、ハイエルフと戦えば負けは目に見えている。だから人間に対抗しようにもエルフもハイエルフも我らに手を貸すことはないだろう」
「でもあなたたちは人間よりずっと目も耳も良くて強いのよね? 私の父親を……」
クラリッサにその先を言葉にすることはできなかった。だがエイベルには彼女が何を言おうとしていたのか、ちゃんと伝わっている。
「人間の醜さなど下心ぐらいしか知らなかったお前にどこまで話すべきか迷ってはいるが、今ここでやめても納得はせんのだろう?」
「ええ」
ため息をつくエイベルが一瞬でも感情的になってしまったことを後悔しながら頭を抱える。
「……人間よりもはるかに強い我らがなぜ負けたか……」
クラリッサが気になっていたことの一つだ。
「奴らが銃を持ち出したからだ」
「銃?」
「飛び道具だ。弓よりも速く、弓よりも頑丈な物だ」
大木に立てかけていた矢筒の中から一本取り出した矢。木と石で作られた簡易な物だが、エイベルが放てば木の枝をも折るほどの威力があったのを一度見せてもらったことがある。
そのときは人間に放つなど想像もしなかったため何も考えずにすごいとはしゃいでいたが、彼らが弓を持っているのは自衛のためではなく狩りのため。主に向けるのは動物だが、彼らの先祖は人間に向けて何百本も放ったのだろうかとできない想像をする。
「銃や大砲……我らでは手に入れることも作り上げることもできない武器を持って人間は勝利を手にした。卑怯者の勝利だ」
彼が抱える憎しみの深さが表情に表れている。子供が見れば泣いてしまうだろうほど歪んだ形相にクラリッサさえも少し心臓が速く動いてしまう。
「でも、どうして契約を結ぶことになったの?」
「三代前の長が一人で大半の兵士を滅ぼしたからだ」
「一人で……?」
「それに怯えた人間が契約を結ぼうと言い出したらしい」
それは結局ダークエルフが勝ったことになるのではないかとクラリッサは思った。レイニアの王子のように勝って森を燃やしたのではなく、契約という形を取ったのも森を燃やすほどの力が人間側に残っていなかったからではないかと。
「契約ってどんな内容なの?」
ずっと気になっていた両種族の間で結ばれた契約内容。
「……」
「エイベル」
また何か気遣っているような視線にクラリッサが声をかけると今度は上を見上げてため息をついた。
「人間はダークエルフの森への侵攻をやめ、一切の干渉をやめること。ダークエルフは森から外へ出ないこと。そういう取り決めとなった」
その契約は今も続いているのだろう。だから父親はダークエルフの森へは絶対に近付くなと言ったのだ。ダークエルフは自ら外には出ない。だが、森へ人間が入ってきた場合、手を出さないとは言っていない。もしクラリッサが自らの意思で森の中へと入った場合、その命の保証はないとさえ言えるのだ。そしてクラリッサが消えた際も人間はダークエルフの森に足を踏み入れることはできない。
ダークエルフは森の外へは出ない。だから人間も近付くな。互いが平和に暮らすための契約だった。
「……人間がダークエルフを憎んでいるのは完全勝利じゃなかったからなのね」
「それもあるだろうが、自分たちより下に見ている者と契約しなければ命を脅かされる状況に陥ることが悔しいんだろうな。だから悔し紛れに嘘をついた。ダークエルフは遊びで人間狩りを行い、女子供関係なく惨殺した挙句、森へと連れ帰って食べるとな」
「ひどい……」
「人間はこの世で最も残酷な生き物だと俺は思っている」
「人間はダークエルフこそ残虐で非道な生き物だって言ってる」
「イリオリスどもめ」
吐き捨てるような言い方だが、クラリッサは人間を庇おうとは思わなかった。
この森は居心地がいい。エイベルがいるからなのか、この森が持つ力なのかはわからないが、これがもしこの森の力なのだとすれば強欲な人間が欲しがるのもムリはない。自分たちの物にしたいと思うだろう。だがそれは他人が家にやってきて「ここを気に入ったから明け渡せ」と言っているようなもので、単純に考えれば誰がそれを当たり前のように受け入れられるのか。誰もどうぞと言って明け渡すことはしないだろうに、なぜそこに気が付かないのかがわからなかった。
「でも……一つ不思議なんだけど、あなたたちは老いないし死なないのよね? 三代前の長はどうしてるの?」
「死んだ」
「え?」
「我らは不老不死ではあるが、あくまでも老いて死ぬことはないというだけだ。外的損傷を……受けた傷が深ければ死ぬ」
また頭が混乱する。老いて死ぬことはなく、死ぬとすれば傷を受けたときだけ。だが、三代前の長は人間との間に契約を結んで互いに一線を引いて生活することを可能とした。傷を受けることなどないはずだと考えすぎて眉を寄せるクラリッサの眉間をエイベルが撫でた。いつもよりしっとりとしている指に一瞬、エイベルの物とは思えず勢いよく顔を上げるとその反応が予想外だったのか、先ほどまでの険しい表情が消えて笑みを浮かべた。
「別人の手かと思ったか? お前が塗ったんだぞ」
「そうだけど……びっくりした」
ホッと安堵するクラリッサが息を吐き出して胸を押さえる。
「三代前の長は無傷の勝利を得たわけではなかった。一人で戦場へ出て行ったんだ、傷も受けていた」
契約を結んだあとに倒れたのかと納得したクラリッサは、なんと言っていいのかわからない感情で胸がいっぱいだった。
「今も、契約は更新されてるの?」
「ああ」
「誰が、してるの……?」
契約はそのままにはしておけない。一年ずつ更新していくものだから来年もちゃんと更新するとデイジーの件で父親に言われた。もしかするとと思ったのだが、正解だった。だが、それは喜びではなくクラリッサに緊張をもたらす。更新しているのだとしたら、その更新者は両種族の長となるはず。
ドクンドクンと大きな音を立てる心臓が痛い中、エイベルの口から発せられた言葉にクラリッサは目を見開く。
「俺とお前の父親だ」
二人は会っている。目が良いエイベルが父親の顔を知っていることはあっても、父親はエイベルの顔など知るわけがないと思っていたクラリッサにとってこれはあまりにも衝撃的な事実だった。
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