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諦めるための選択

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「あの忙しさを経験しちまったら楽なもんだな」
「恋しさすらあるぜ」

 アルフィオが自国に帰ったことで人の波は落ち着いた。アルフィオが来るまでは繁盛していると思っていたのが、あの来客を経験してしまうと嘘のように少なく感じる。あの忙しさを笑い話として消化できるオージたちが羨ましかった。
 ディルにはそれがまだできない。いや、これからもできないだろう。この店で働き続ける限りは。

「……恋人でも作ろうかな……」

 昼休憩。賄いを食べていたディルがポツリとこぼした言葉に笑っていたシェフたちの声が止まり、水を打ったように静まり返った。あれだけジルヴァが好きだと言い続けていた男が急にそんなことを言えば驚くだろうと自分でもわかっているが、ディルは冗談で言ったわけではなかった。それなのに彼らは今度は一斉に笑い始めた。それもガラスを突き抜けて外へと響き渡るほど大きな声で。

「な、なんでそんなに笑うんだよ!」
「いやなに、お前がそんなこと言うとはな。驚いたんだよ」

 明らかにバカにしたような笑いであって驚いている様子は最初だけだった。お前にはむりだ。彼らの顔にはハッキリとそう書いてある。

「オレだって恋人の一人や二人作れるよ! 簡単だし!」

 その言葉に更に笑い声が大きくなる。

「一人や二人ねぇ。そりゃすげぇわ。若さだよなぁ」
「俺たちゃ一人が限界だわ」
「二人も相手できっかなぁ」
「いやー精力は足りても体力が足りねぇよ」
「同時に二人作るって話じゃないから!」

 わかっていてからかっていることをディルもわかっているが、ついムキになってしまう。自分の父親よりもずっと年上の彼らはいつもからかうことで可愛がっているのだろうが、からかわれている本人からすれば鬱陶しいことこの上ない話。彼らとも五年の付き合いだが、ディルが歳を重ねるごとにこうしたからかいが増えている。

「ジルヴァ、お前はどう思うよ?」

 ムキになっていたディルの動きがピタッと止まる。ジルヴァは関係ない。そう言いたくても言えない。ディルのジルヴァへの想いがどれほど強いかは本人だけではなく周りも知っていることだから。穴が空くほどディルはジルヴァを見つめている。それも何十回何百回とからかわれてきた。
 そんな男が恋人を作る可能性を視野に入れていることを聞いたジルヴァはどう思っているのか、オージたちだけではなくディルも興味があった。面白くないと言いたげな表情でも見せてくれれば、と願うディルの目に映ったのはそれとは正反対な表情を見せるジルヴァだった。

「できるといいな」

 どういう意図でそう言っているのかはわからないが、ジルヴァの言い方もオージたちと同じで不可能だと言いたげに感じる。
 ディルの想いがどれだけ強いか全員が知っているだけに誰も彼が本気で恋人を作ろうと考えているなど信じていない。

「おいおい、そんなこと言ったら乳離れしちまうぞ」
「なっ!?」

 ひどい言い方だと抗議しようとしたディルを見たオージが「事実だろ?」と言いたげに首を傾げてニヤつく。

「人生なんでも経験だ。やりたきゃやりゃいい。一人や二人なんて言ってねぇで五人六人作れよ。若いんだからな」
「だからそういう意味じゃないんだってば!」

 立ち上がり片手をひらひらと揺らしながら煙草を咥えて昼休みの一本を吸いに裏へと出ていったジルヴァの背中に抗議の声をぶつけるも返事はなかった。

「オージたちがあんな言い方するからジルヴァが変な捉え方したじゃないか!」
「そーりゃ悪かったな。アイツが人の意見を鵜呑みにする純粋ちゃんとは知らなかったんだよ」

 この街で生まれ育ったジルヴァがそういう人間でないことはディルも知っている。謝るつもりのない言い方にムスッと少し拗ねたような顔をして賄いを頬張るディルを皆が頬杖をつきながら見る。

「ジルヴァみたいな女の尻を追いかけてたお前にまともな恋人が作れるのかって心配してんだよ」
「作れるよ」
「そこいらの女じゃ満足できねぇと思うぜ」

 ジルヴァは女性らしくない。身体つきも声も言動も全て男性に近い。柔らかくて良い匂いのする女の子ではないのだ。それでも好きだった。自分よりずっと年上で関係ない。五年前、子供ながらに恋をした。それは五年経ってジルヴァ以外と接触する機会が増えても薄れることはなかった。
 この恋が成就しなくてもジルヴァを諦めることなんてないだろうとディルでさえ思っていたが、あの光景を見てしまっては諦めることが折れそうな心をなんとか保つ方法なんじゃないかと思い始めている。
打ち上げが終わり、解散したその場所で二人だけが動かなかった。反対側の歩道にいたディルには見つめ合う二人がなんて言っていたのかはわからなかったが、見つめ合う二人はまるで恋人のようで。その光景は客の男と腕を組んでいる自分なんかといるよりずっとお似合いで目を逸らしたくなった。
 アルフィオが身を屈めてジルヴァにキスをした。それを抵抗もせずに受け入れたことがショックだった。宇宙からでも見えるほど大きな宝石がついた指輪をもらうぐらいの関係だ。キスぐらいする。キスなんて当たり前だろう。頭ではそう理解しているのにピシッと音を立てて心に入ったヒビはなかなか修繕してくれない。
 いつか、結婚することになったとジルヴァから聞いたとき、笑顔で祝福するためには心が健康でなければならない。
 オージの言葉は尤もだが他に好きな人を作って、恋人となり、その人との結婚を考えるぐらいの恋をしなければディルの心がもたない。

「……十五歳にもなれば彼女の一人でも欲しいって思うんだよ。皆もそういう経験あるでしょ?」
「まあなー。俺もお前ぐらいの頃は彼女ができたら毎日盛った猿のようになってそれ以外のことはなんも手につかなかったな。外でデートしてもその先に待つイベントのことばっか考えちまってたわ。成績落ちて親に怒られて……思い出すだけで痛ぇな」

 親に殴られたのだろう当時の記憶を思い出して頬をさする。

「今の奥さん?」
「まさか。女房は十五人目の彼女な」
「十五人……。オージはモテたんだね」

 過去に十五人も歴代彼女がいたことに感心するディルの感想にオージを含めた全員が大笑いする。何がそんなに面白いかわからないのはディルだけ。

「お前は純粋だなぁ。コイツがフラれ続けたと思ってやらねんだから」
「え、でも、フラれたとしても結婚するまでに十五人も彼女がいたんだよ? それってオージが魅力的だから付き合ってもいいってなったわけでしょ?」

 一人と付き合ってフラれても二人目ができ、フラれても三人目の恋人ができる。簡単なことではないと恋愛未経験のディルは思う。
 中年親父たちにはできないその捉え方だが、皆の目はその純粋さを眩しいと思うようなものではなくどこか憐れんでいるものに近かった。

「俺らの息子はこんなに良い子に育ってんじゃねぇかよ! 感動だぜ!」

 隣にやってきたオージがガシッと乱暴に肩を抱いて頭を撫でくり回す。何をするんだと抗議の声を上げるよりも『息子』と言われたことが感情を揺さぶるほど嬉しかった。それもオージだけではなく彼らが父親であるように言ってくれたこと、そして誰もそれを「コイツの父親になった覚えはねぇよ」と否定しない。むしろ笑顔を見せてくれた。

「いいか、ディル。恋人作ろうと思ってんならこれだけは教えといてやる」
「なに?」
「男はな、当たって砕けろでアプローチするんだ。相手に魅力的な男だと思わせるのは付き合ってからでいい。とにかく相手に興味を持ってもらうことから始めるんだ」
「興味?」
「この人面白いな、この人と話すと楽しいな、この人のこともっと知りたいなって思わせることが恋を始める第一歩だ」
「最難関だと思う」
「恋人を作るってのはシェフになるより難しいもんなんだよ」

 恋をするのは簡単だった。好きだと思った瞬間に始まったものだから。でもそれを成就されることは何よりも難しいことはディルが一番よく知っている。好きになった人に好きになってもらえたらどんなに幸せだろう。一緒にいられるだけでこんなにも幸せになれるのだから恋が成就すればきっと天にも昇る思いのはず。だが、オージたちが言うようにジルヴァという独特な女性に向け続けた恋心は軽いものではなかっただけにそれを超えるほどの想いを他の人に向けられるのかというところが一番の不安材料。

「恋人ができたら教えろよ。俺たちがアドバイスしてやるから」
「うん」

 恋人はムリだろうな。オージたちがそう思っているのはわかった。ディル本人もそう思っていた。だが、焦る心がディルを確実に行動へと駆り立てていた。
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