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訴え

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「ミーナ、シーナは話をしようって言っただけだから冷静にな?」
「わかってる」

 返事は冷静だが頭はそうでもなかったらしく、笑顔で手を振るシーナの前に立つと止める暇もなく一瞬でシーナの頬に平手打ちをかました。
 響く乾いた音にシーナはわけもわからず固まり、ディルは天を仰いで目を押さえ、ジルヴァは片眉を上げ、フィリスは驚きに両手で口を押さえている。

「な、んで……?」

 なぜ打たれたのかわからないシーナが声を震わせながら問いかけるも襲いくる痛みに涙が溜まる。

「シーナがわがまま言わなかったらお兄ちゃんはムリしようとしないのに……」

 その言葉にシーナの瞳からポロッと涙が溢れる。

「だって……ここが……」
「だってじゃないし! ここは別に良くないし! ミーナは引っ越しなんかしたくないし! お兄ちゃんはムリしないでいい! どうしてそれがわからないの!? どうして自分の意見ばっかり言うの!? どうしてもっと我慢しようとしないの!? お兄ちゃんのためにミーナたちができることなんてそれぐらいでしょ!?」

 ミーナの叫びにディルが眉を寄せる。

「ミーナ、やめろ。兄ちゃんはムリしようとしてるんじゃない。お前たちに安全な場所で笑っててほしいから自分の望みでそうするだけだ」
「こんなとこに引っ越して笑えると思う!?」
「ミーナ……」
「ここにいれば怖い人は来ないんだよ? 怖いって思う必要ないんだよ?」
「うるさい! 怖くなんかない! ミーナは平気なの! 怖がってるのはシーナだけでしょ!」
「ミーナ!」

 今度はシーナを両手で押して両手で叩こうとするミーナの腕を掴んで止めるもディルはミーナの激昂をどう止めればいいのかわからなくなる。自分は大丈夫だからと言ったところでミーナは聞かない。ディルと同じで相手が言っていることが嘘だとわかっているからだ。どうするべきかとジルヴァを見ると珍しく目が合うも首を振られた。「聞いてやれ」とでも言っているように見えるその表情にディルはとりあえずミーナの本音を聞くことにした。

「やっとお兄ちゃんが帰ってくるようになったのに、シーナのわがままのせいでまたお兄ちゃんと過ごす時間がなくなっちゃうじゃない! ここに引っ越したらお兄ちゃんはミーナたちが起きる前に家を出て、ミーナたちが眠ってから帰ってくるんだよ! ジルヴァのご飯も食べられなくなっちゃうし、お兄ちゃんにいつ会うの!? お兄ちゃんは誰のために頑張ってるの!? ミーナたちのためでしょ!? それなのにまだお兄ちゃんに頑張らせようっていうの!? お兄ちゃんが……ッ……どれだけ……一生懸命……ッ!」

 ミーナの瞳からも大粒の涙が溢れ、頬を伝い濡らす。歯が震え、唇が震え、クシャリと顔が歪んでいく。その場にしゃがんで泣くミーナをたまらず抱き上げて抱きしめるとしがみついて泣き出した。
 ジンを頼るべきではなかった。マダムに従うべきではなかった。楽な稼ぎ方じゃなくても彼女たちの傍に居続けるべきだった。荒波のように押し寄せる後悔に唇を噛み締めるもディルはすぐに笑顔を浮かべる。

「バカだなぁ。兄ちゃんはお前たちとの時間、ちゃんと作るよ。ディナーの日はお前たちと朝食と昼食一緒に食べられるし、夜だって走って帰ってくる」

 違うと首を振るミーナにわかってると何度も頷く。

「もし……だけど……」

 フィリスの声に全員が顔を向ける。

「あなたたちさえ良ければ一緒に暮らさない? 私はずっと一人だし、食事を一人分作るのも四人分作るのも同じなの。まだ幼いこの子たちを二人にするのは心配でしょう? だからあなたたちさえ良かったらどうかってシーナちゃんと話してたんだけど──」
「暮らさない!」

 ミーナの大きな拒絶にフィリスが苦笑する。

「おばあちゃんと一緒だったらお兄ちゃんも心配しないのにミーナはわがままだよ!」

 シーナの大声にカッと目を見開いたミーナがディルから降りるもディルが腕を掴んでシーナに寄ろうとするのを止めた。

「この家に引っ越したいならシーナ一人で引っ越せばいいでしょ! おばあちゃんと一緒に住めばいい! でもミーナは行かない! ミーナはこの家には引っ越さない! 絶対に引っ越さない!」
「ミーナのわからずや! バカッ!」

 突き放すような言い方をするミーナに泣きじゃくるシーナが地団駄を踏んで土を掴んで投げるとミーナにヒットした。お気に入りのワンピース。兄が買ってくれたワンピース。大事に大事に着てきたワンピースに土がついて茶色く汚れた。
 放心状態のようにその汚れを見つめていたミーナがディルの手を振り払ってそのまま拳をシーナの頭に叩きつけた。ゴンッと大きな音がし、シーナの悲鳴のような泣き声が木霊する。

「ミーナやめろ! 暴力はダメだ!」
「シーナがやった! シーナがワンピース汚したの! ミーナのワンピース! お兄ちゃんが買ってくれた大事なワンピース汚したの!」
「また買ってやるから! ミーナの好きなワンピース買ってやるから暴力だけはするな!」

 カッとなると手が出るところは母親譲り。ダメだと何度言い聞かせても止まらない。振り払われないように抱きしめてホールドするもまだ足りないのか暴れて離れようとする。
 ワンピースなら何着だって買ってやれる。今のディルにはそう言えるだけの貯金がある。そうじゃないと必死に叫ぶミーナと痛みで泣き叫ぶシーナの声にディルはお手上げだった。

「そりゃ解決しねぇわけだ」

 呆れたように肩を竦めるジルヴァにディルが苦笑する。

「俺なら拳で解決するね」
「シーナ負けちゃうから」
「弱肉強食の世界だ。そりゃ仕方ねぇよ」
「でも話し合えって言ったのはジルヴァだよ」
「話し合っても平行線なら殴り合いしかねぇってことだ」
「余計なこと言わないで」

 言うようになったなと驚くもすぐに笑みを浮かべるジルヴァがミーナの前でしゃがむ。

「ミーナ、拳ってのは誰かを服従させるために使うもんじゃねぇんだわ。腹が立ったからぶつけていいもんでもねぇ。言い負かされそうになったから拳を出す。気に食わないから拳を出すってのは弱い奴のすることだ」
「だってシーナずっと同じこと言うの! 話にならないもん!」
「そうだな。でもお前は賢いだろ。口でシーナに負けるのか?」

 負けるという言葉にミーナが唇を噛んで頬を膨らませる。ジルヴァの言い方に納得していないのだろうが否定もしたくない。シーナを言い負かして勝ち取らなければならないものがあるのはわかっているから大きく深呼吸をして自分の手を握った。

「シーナは平気なの?」
「平気じゃないもん! 痛いもん!」
「叩いたのはごめんなさい。でもシーナもずっとここがいいってバカみたいに言い続けないで聞いてほしいの」

 一言余計なミーナにディルは首を振るもジルヴァは喉奥を鳴らして笑う。

「この家に住めばきっと楽しいと思う。お庭があってブランコがあって自分のお部屋がある。夢だよ、そんなお家」
「だから……」
「でもね、ミーナたちが結婚したらお兄ちゃんはこのお家に一人になっちゃうんだよ? ミーナとシーナのためにって選んだお家でお兄ちゃんは一人で暮らすの。ジルヴァのお店からこんな遠い場所に一人で帰って、一人でご飯食べて、一人で仕事に行く。シーナはそれでいいの?」

 自分たちが嫁に行くまでにジルヴァと結婚している兄を想像してくれなかったことに苦笑は更に深くなる。

「ジルヴァと結婚したら一人じゃないもん」
「ジルヴァにはお家があるでしょ」
「でも結婚したら二人一緒に暮らすでしょ?」
「ジルヴァがここに住むってことはジルヴァまでしんどい思いすることになるんだよ!? どうしてそれがわからないの!?」
「そんな言い方しないで!」
「シーナは自分のことしか考えられないんだね。お兄ちゃんたちがしんどくなっても自分さえ良かったらいいんだね」
「そんなことない!」
「昔からそうだもんね。いつも自分のことばっかり」
「違うもん!」
「じゃあお兄ちゃんのためにここに引っ越したいって言うのやめてよ!」

 ミーナの言っていることはわかっている。ここに引っ越せば兄がどれだけしんどい思いをするかもわかっている。でもシーナにとってここは理想の家で特別だと思えた場所。三人で暮らす未来が映像となって浮かんだ場所なのだ。他の場所ではなかったこと。
 諦めると言えばすぐに話はなかったことになってしまうだろう。諦めるに諦めきれないシーナの「うー」という唸り声が始まり、それ以降はミーナも何も言わなかった。

「なあ、シーナ。この家は諦めなくてもいい」
「お兄ちゃん!」

 待ってくれと手のひらを向けるディルに口を閉じる。

「でもさ、もう少し皆でいろんな家を見てみないか? 絶対に譲れない家、じゃなくて今度は絶対に譲れない条件を話し合おう。兄ちゃんが一人で決めた条件じゃなくてお前たちの条件も聞かせてくれ。それでまた家の候補を出してもらって、ジルヴァにも一緒に見てもらう。そしたら三人がここに住みたいって声揃えられる家が見つかるかもしれないだろ?」
「……ここより?」
「うん」

 この家に決めることはミーナの気持ちをムシすることになる。かといって家を諦めろと言うのはシーナの気持ちをムシすることになる。できれば早く引っ越したいが、急ぎすぎてはならない。

「…………」

 頷いたシーナを見つめるフィリスが寂しげに目を伏せる。
 振り出しには戻ったが、一歩前進したような三人に咥えていた煙草に火をつけたジルヴァが空に向かって紫煙を吐き出すも寄ってきたフィリスが「煙草は遠慮してもらえないかしら?」と言った。

「ここはアンタの家じゃねぇだろ」

 冷たく言い放ったことでムッとした表情を浮かべるフィリスをムシしてジルヴァは車へと向かう。

「帰ろうぜ」

 三人で頭を下げてジルヴァと一緒に車へ向かう。乗り込んだ二人は泣き疲れたのか、あっという間に眠ってしまった。行きとは違って静かな車内の中、窓を開けながら煙草を吸うジルヴァが閉じていた目を開ける。

「俺はあのババアが気に食わねぇな」
「フィリスさんは良い人ですよ」
「俺にはお菓子でガキを誘い込んで喰っちまう悪鬼にしか見えなかったけどな」
「ジルヴァさんは偏見で物を見ますからね」
「当たりじゃなきゃいいけどな」

 ときどき、千里眼を持っているのではないかと思うこと言うジルヴァの言葉だけにディルは思わず粟立つ肌を撫でた。
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