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思い出

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「進捗はどうだ?」
「振り出しに戻った感じだね。他の不動産も当たってみようと思うんだ」
「お前らだけで行くんじゃねぇぞ。舐められるからな」
「そうだね。そこはジルヴァを頼りにしてるよ。ほら、オレか弱いから」

 自分の細腕を押さえながらしなっと身体をくねらせるディルに「もやし」と言い放ったジルヴァの顔は至極楽しそうでオージたちもつられて笑う。

「引っ越し業者探してんならデイヴがいるからな」
「任せて」

 柔和な話し方からは想像もできない筋肉を見せるデイヴに感謝を告げるもかぶりを振った。

「手伝ってもらうほどの荷物はないんだ」

 ディルの家に鍵を付ける際に家の中に入った二人は家の中に物がないことに驚いた。あれをディルは増えたほうだと言ったが、とてもそうは思えないほど物がない生活をしている。本当に必要最低限という生活。そこから脱しようとしているディルのことは全員が応援している。

「最低条件は?」
「ここから近い場所」
「満場一致か?」
「ありがたいことにね」

 シーナはあの家を諦めきれていない感じは残しているが、それでも毎日毎日ミーナと話し合って条件を出し合った。ディルはそれは最優先ではなかったが、二人が絶対に譲らないと言うのだから受け入れないわけにはいかない。

「そのかわり、絶対に家に帰ることが条件。朝は一緒に食べて、夜もディナー以外は絶対に一緒」
「ならもうお泊まりはねぇなァ」

 ニヤつきながら意地悪を言うジルヴァに今度はディルがニヤつく。

「それがさ、うちのシズターズは優しいからジルヴァの所に泊まるのは別なんだって」
「なんだそりゃ」
「お迎え付きだけど」
「まさか朝食食いに来るんじゃねぇだろうな?」
「そのまさか。確認がてら朝食を食べたいんだって」
「ったく、マジで賢い奴らだな」

 呆れたように言いながらもジルヴァの表情を見れば満更でもないことがわかる。ジルヴァは一人でいるのが好きだと言いながらも食事は大勢でするのが好き。だから二人よりも四人でする食事のほうが好きなのだ。

「お前らが家族になる日もそう遠くはなさそうだな」
「そう思う?」
「お楽しみは四年後からなんだとよ」
「ほー! すげぇな! ディルはババアを嫁に迎えるつもりか!」
「お迎えが近いらしいな、オージ」
「冗談だろー? 冗談だってー。冗談だからー!」

 四年後、ジルヴァは三十代に突入しているがディルはようやく二十代に突入したばかり。十代では味わえなかったことを味わえるようになり、知らなかったことを知るようになる。
 顔しか取り柄がないと言われた少年はこれからますます輝きを放つだろう。それを目を細めながら見ることになる四年後のことを想像するとジルヴァは苦笑しそうになる。それを誤魔化すためジッポに火をつけてオージに近付いていく。ここで冗談だと言わずからかい続ければ数少ない髪が燃えてしまうと慌てて冗談だと言うオージが逃げ回る様子に全員が声を上げて笑う。

「良い家が見つかるといいな」
「そうだね」
「アタシの店の二階に住まわせてもいいんだけどね」
「それはない」
「ダメだろ」
「ムリかなぁ」

 ありがたい申し出ではあるが、ディルでさえ断った。デイヴの店の二階なら安心ではあるが、一度『何事も経験だ』と言って強制的に連れて行かれた際に飛び交った下品な会話と言葉に耳を塞ぎたくなった。それを妹たちに聞かせるわけにはいかない。安心安全だろうと教育上良くなければお断りすると決めている。

「ここの二階は? 部屋余ってんだろ?」
「アイツらが遠慮することになるだろ」
「それもそうか」

 店が営業している間はバタつくわけにはいかず、はしゃぐこともできない。年中そんな気を遣わせたくないジルヴァにディルも同じ考えだと頷く。

「ま、すぐに良い家が見つかるさ。神様はお前を見放したりしやしねぇよ」
「オレにとっての神様は皆だよ」
「コイツらは貧乏神だぞ」
「そうなんだよ。だから金がないんだ。前借りさせてくれよ、オーナー」
「嫁に許可取ってこいよ。そしたら前借りさせてやる」
「よし、夕方の仕込み始めるぞ!」

 元気良く立ち上がったオージにまた大笑いしながら全員が厨房へと向かう。

「オレも帰らなきゃ」

 今日はディナーは入っていない。妹たちを連れてここでディナーを食べる約束をしているのだ。ちゃんとオシャレをして食事に出かける特別な日。

「ケーキ、スゲェの用意してるからな」
「言わないでおこ。絶対ソワソワするから」
「ま、それがいいな」

 二人のバースデーケーキはジルヴァが何日も前から考えて作ってくれた物。誕生日でもないのにディルも楽しみにしている。今日はディルはホール担当であったため冷蔵庫を開けるチャンスがなく、何色をしているのかさえ見ていない。でもジルヴァが考えに考えて作ってくれた物だから心配はない。むしろ期待のほうが高まりすぎているぐらいだ。

「じゃあまた夜に」
「気合い入れすぎてコメディアンみたいになるんじゃねぇぞ」
「惚れても知らないから」
「そりゃ楽しみだ」

 ジルヴァの返事は以前よりもずっと優しいものになった。マダムとの一件があってから何かが変わり始めた。一緒に墓参りに行ってからは特にそれを強く感じるようになった。でもまだ「好き」や「愛してる」の言葉はない。期待させるものはあれど肝心な言葉がないまま時間だけが過ぎていく。それでもディルは今、色々なものを抱えて生きられるほど器用でも逞しい男になれたわけでもない全てが中途半端な状態を理解しているからこそ焦らないでいられる。
 こうして返してくれることを一歩前進だと考えられることだけで充分幸せだった。
 皆に手を振り、家に帰ると予想通りの光景。

「ミーナのワンピース!」
「シーナもそれがいい!」
「シーナはそっちがいいって買ってもらったんでしょ!」
「でもそっちがいいの! ミーナはこっちでも似合うもん!」
「シーナも似合うから買ったんでしょ!」
「でも今日はそっちがいいのー!」
「やーだー! これはミーナのワンピースなのー!」

 ワンピースは一枚ではなく数枚あるのにお気に入りは一枚であるため取り合いになっている。朝から「何を着ていくかで喧嘩するなよ」と伝えておいたのだが、案の定これ。

「ワンピースが破ける前に手を離せる人」

 ディルの声に二人同時に手を離したことでワンピースが床に落ちた。

「ストップ。それは兄ちゃんが拾う」

 先に、と考えている二人に近付いてワンピースを拾い上げ破れていないかを確認する。裂け目も入っていないことに安堵し、そのワンピースはミーナに渡した。

「あー!」
「あーじゃない。これはミーナのワンピースだろ? シーナのワンピースはこっちだ」
「でもそっちがいいの!」
「シーナ、これはミーナが選んだワンピース。お前はそっちを選んだじゃないか」
「でもそれが着たいんだもん」
「じゃあなんで着たいのか言ったか?」

 首を振るシーナの背中に手を添えると頬を膨らませたあと、シーナはミーナを見た。
 一点張りは話し合いじゃないと話し合いを重ねる中で何度も出てきた言葉。それをシーナは少しずつ理解し始めている。俯いてもじもじと身体を揺らすシーナの言葉をミーナは黙って待っている。

「シーナはこっちのワンピースを選んだけど、ミーナが選んだワンピースはお花が付いてて可愛いの。シーナ、お花が好きだからミーナのワンピースが可愛くてお誕生日だから着たかった」
「なるほど。でもだからってミーナが嫌だって言ってるものを強引に取ろうとしていいのか?」
「ダメ」
「そうだよな? じゃあ一度はお願いしてみないと。ちゃんと、シーナの言葉でお願いするんだ」
「断られるもん」
「それは仕方ない。あれはミーナのだからミーナに権利がある。でも貸してもいいって思うかもしれなかったのをシーナが強引に取ろうとすることで貸してくれなくなることもあるんだ。ミーナの物を使いたかったり着たかったりしたときはミーナにお願いすることが大事だ。わかるか?」

 頷くシーナの頭を撫でて背中を軽く押す。ミーナの前に立ったシーナは目だけで何度かミーナを見てから口を開いた。

「あ、あのね、シーナね、ミーナのワンピースが可愛いから着たかったの。お誕生日パーティーに行くから可愛いワンピースで行きたかったの。だから今日ね、それ着て行きたい……です」

 ディルは思わず大きく息を吸い込んだ。お願いしろとは言ったが、言い方までは教えていない。それでもシーナはちゃんと誠意を見せた。成長しているのだと涙が出そうになるのを堪えて静かに息を吐き出す。
 シーナは頼んだ。あとはミーナがどう出るか。受け入れるも断るもミーナの自由。断られたときにシーナが大泣きしないかどうかが問題。
 だが、そんなことは杞憂に終わった。

「いいよ」

 ミーナは取り合っていたワンピースをシーナに差し出した。驚いた顔をするシーナにミーナが床に投げられていたシーナのワンピースを取って自分の身体に当てる。

「そのワンピースも可愛いけど、ミーナはシンプルなワンピースも嫌いじゃないから。似合うし」
「うん! 似合う! ミーナ可愛いからなんでも似合うよ!」
「シーナもでしょ。でもお花柄はミーナのほうが似合うから交換してあげる。そっちがシーナのワンピースで、こっちがミーナのワンピースにしようよ」
「うん! うん! ありがとう! ありがとうミーナ!」

 その場で何度も飛び跳ねたあと、シーナはミーナに抱きついて何度もお礼を口にした。
 きっと惜しくなかったわけではないだろう。でもミーナはシーナが大切だからワンピースを手渡した。失くすわけじゃない。いつだってそこにある。あっという間に着れなくなってしまうだろうが、着れる間は互いに気分で貸し借りしながら着るはずだと目の前の尊い光景に身体の疲れも吹き飛んでいく。

「じゃあ、ディナーまで兄ちゃはちょっと昼寝でもしようかな……え?」

 横になろうとしたディルの腕を掴んだ二人に動きが止まる。

「お兄ちゃんはミーナとシーナのヘアセットがあるでしょ」
「お兄ちゃん不器用なんだから寝起きでなんてできないんだから寝る前にして」
「……してたら寝る時間ないんじゃないかな……」
「じゃあ寝なくても平気。だってジルヴァの所に泊まればいいもの」
「迷惑かけたくないよ」
「ジルヴァは迷惑なんて思ったりしない」

 絶対の自信を持って言いきるミーナに「なぜ言い切れる」と目で訴えると得意げな表情を向けてくる。

「だってジルヴァはお兄ちゃんと結婚するもの」

 もう一度同じことを目で訴えるもミーナの表情は変わらない。

「ジルヴァはお兄ちゃんのこと好きだよ」
「シーナもそう思う!」

 嫌われていないことはわかっている。嫌いなら雇わないし、部屋に入れるなんてありえないことだ。でもそれが同情だったら? ジルヴァはそこら辺の男よりも強く、背も高い。ディルは真正面から挑んでジルヴァに勝てるとは思っていない。だからジルヴァは自分を男として見ているのではなく弟のように思っている可能性があるとそれがディルの中で不安要素となっている。
 だから全てが柔らかくなったのではないかと。だが、身体を重ねたのは一度だけではない。あれから何度か身体を重ねた。リードされてばかりで男らしさを見せられたことは一度もないが、それでも弟のようにしか思えないのであればそんなことするはずがない。
 ぐるぐると頭の中を回り続ける自問自答にディルの表情が険しくなっていく。その様子を見る双子は顔を見合わせて呆れたように首を振る。

「信じなくてもいいけど、ミーナたちはお兄ちゃんよりずっと女心がわかってるから」
「だって女の子だもん」
「そう、だね」

 去年も言われた気がすると苦笑しながら二人のヘアセットにとりかかった。買ってきた雑誌に載っているのを見よう見まねでやるだけなため上手くいかない。グチャッとなる度に文句の声を上げる双子。そして二時間が経過した頃、呆れられたのを最後にやらせてもらえなくなった。

「髪下ろしてても可愛いよ」
「知ってる」
「知ってる」
「だよね」

 泣き出すことはなく、呆れた顔で返事をする二人に苦笑しながら各々それなりのオシャレをして誕生日会へと向かった。
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