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ぶどう畑

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「晴れてよかったね」
「だな」

 ジルヴァの運転する車に乗ってプチ旅行。
 始まりは昨日の誕生日会で「最高のワイン飲みたくねぇか?」の言葉。二人の誕生日会だから良い物を出してくれるのだと思ったディルの「飲む!」という大きな返事にジルヴァは「明日な」と言った。そして朝からこうして車で走っているのだが、片腕は窓の外に垂らし、もう片方の手で運転するジルヴァに何度見惚れたかわからない。

「免許持ってたんだね?」
「一応な」
「車乗らないの?」
「維持費かかんだろ。なくても生きていけるもんに金使うほど稼いでねぇよ」

 ガソリンだ修理だと何かと金がかかる車は便利だが必要不可欠品ではない。贅沢品だ。金持ちだけが乗り回せる物。知り合いからレンタルしたと言ったが、これはジルヴァがアルフィオのコレクションを勝手に引っ張り出してきたのをディルは知っている。

『傷つけたら怒るぞ、アイツ』
『置きっぱなしにしてんのが悪いんだろ。乗ってねぇもんはガラクタも同じだ。それなら有効に使ってやらねぇと』

 去年、アルフィオがジルヴァを乗せた車だ。なぜ鍵を持っているのかは聞かないが、今でも二人の関係は変わらず仲が良いのだろう。片方が結婚しようとそれが崩れることはない。きっとこの旅でジルヴァがこの車を大破させてもアルフィオは怒らない。そんな感じがしていた。
 嫉妬はするが良い車。運転席にいるのはアルフィオではなくジルヴァ。それだけで充分だ。嫉妬している時間がもったいないとジルヴァの運転姿を目に焼き付ける。

「どこ行くの?」
「ワイン飲みに行くって言ったろ」
「飲みたくないかって聞かれただけ」
「お前が飲みたいって言って向かってんだから察しろよ」
「ワインの名産地に行くの?」
「まあ、そうだな」

 ミーナたちは泊まりで行ってもいいが土産は必須だと言っていた。でもジルヴァは店があるから日帰りだとハッキリ告げた。ディルはジルヴァと過ごせるなら日帰りでも泊まりでも良い。
 ワインは飲んだことはないが、ジルヴァが飲む姿が見れればいいと軽く構えている。
 流れていた街並みは暫く走ると自然へと変わっていき、家は道の途中にいくつかあるだけに変わっていく。
 ワインを飲みに行くのに家が少なくなっているのを不思議に思ったディルがジルヴァに顔を向けるも前だけ見て運転しているジルヴァと目が合うことはない。
 歌を歌うわけでもなし、どちらかが話しかけるわけでもなく、開けた窓から入ってくる風を受けながらその心地良さに目を細めて流れる景色を楽しんでいた。

「ワイナリー?」
「ワイン飲むならここだろ」
「どうして?」
「ぶどう畑があるからだ」

 確かに走ってくるときに広大な畑があった。ぶどうの甘い匂いがしてテンションが上がった。それでもワインを飲むためだけにわざわざここまで走ってきたことに驚きを隠せないディルを置いてジルヴァは先に中へと入っていく。

「ダール」
「ジルヴァ……? おまっ、ジルヴァか!?」

 驚いた顔をする店主だろう男にジルヴァが片手を上げる。

「でかくなりすぎじゃねぇか! 変わってねぇなお前のその顔! おいおいマジかよ!」

 ぶどうが入った木箱を置いて早足で駆け寄ってきた男がジルヴァの腕を何度も叩いては抱きしめる。それを鬱陶しいと顔に書きながらも笑う様子に昔ここに来たことがあるのだとわかる。

「ロイクが死んだからってお前まで来なくなるこたねぇだろ」
「今回は上手く車が手に入ったから寄ったんだよ。来てほしけりゃ車くれよ」
「うちはワイナリーだぜ。車屋じゃねんだよ」

 肩を竦めながらも崩れない嬉しそうな顔をしつつ名残惜しそうに身体を離す。

「元気そうだな」
「まあな。細々続けてる」

 がっしりとした手と握手を交わしてジルヴァがディルを引き寄せる。

「いつの間にガキ作ったんだ?」
「どこをどう見たら俺のガキに見えんだよ」
「お前のガキだったらもっと目つき悪いか」

 切れ長の目をしたジルヴァとディルは似ても似つかない。親子ほど歳は離れていないため冗談で言っているのはディルにもわかるが、似ていると言われれば少し嬉しかったとも思う。

「ぶっ飛ばすぞ」
「アルフィオとのガキかと思ったぜ」
「そういう気持ち悪ィ冗談はあの世か来世で言ってくれ」
「ハハハッ! 相変わらずだな」

 うんざり顔のまま勝手に奥へと進んで勝手に木箱に入ったぶどうを一粒もぎって食べた。

「今年の出来はどうだよ」
「最高だぜ」
「だな。ディル、こっち来い。食ってみろ」
「え? え?」

 勝手に食べていいのかと迷うディルにダールが頷いて許可を出す。
 歩み寄って木箱を覗く。収穫したばかりのぶどうがたくさん入っていて、車で近くを走っていたときよりもずっと甘い香りがする。手を伸ばし、もぎった一粒を口に入れて驚いた。

「んんッ!?」

 口を押さえて思わず声を上げたディルの反応に満足げにジルヴァが笑みを浮かべる。

「クソ甘いだろ」

 何度も頷くディル。
 十六年の人生でぶどうを食べた回数は片手で数えられるほどだが、このぶどうは間違いなく今までで一番甘いぶどうだと言える。食後のデザートとして出せるほど甘い。

「ワインに使うぶどう、だよね?」
「そうだ」
「これをデザートに出せばいいんじゃない?」

 ディルの純粋な提案にダールとジルヴァは顔を見合わせて笑った。

「出すなら何個出す?」
「えっと……八個?」
「なら八個食べてみろ」

 贅沢すぎると思いながら七個もぎって食べ進めていくも五個辺りから噛む口が止まり始めた。

「どうした? まだ三つ残ってるぜ」
「……五個ぐらいがいいかも……」
「五個だけ更に乗せて出すのか?」
「んー……」
「十六歳の若者が飲み込めてねぇ物を年寄りが食えると?」

 ぶどうを好きなだけ食べられるのは贅沢だが、この甘さは贅沢を超えている。胃に溜まる甘さはデザートよりも上で、あっという間に飲み込むことに拒否反応が出る。

「お水欲しい」

 すぐに出てきた水を受け取って流し込むとスッキリした口内に大きく息を吐き出した。

「甘すぎる。こんなに甘いの?」
「糖度が高くないと糖から造られるアルコールが充分に生成されないんだよ。特に良いワインに使われるぶどうはこんな風に甘すぎるぐらいだ。これが良いワインを作る」

 初めて飲むワインがこんなに良いワインでいいのだろうか。手に持ったぶどうを見ながら贅沢すぎる経験に少し不安になる。
 貧乏性。貯金はあれど贅沢には慣れない。

「お前と同じ反応してやがる」
「誰だってこういう反応になるんだよ」
「それがうちの自慢だ」

 ダールは得意げな表情がよく似合う。

「ぶどう畑見せてやってもいいか?」
「盗み食いすんなよ」
「盗むだけだっての」
「んじゃいいか」

 ジルヴァは知り合いと話すととても楽しそうに笑う。狭く深い付き合いをしてきたジルヴァらしい瞬間だ。ディルはその笑顔が好きでたまらない。
 上機嫌に進んでいくジルヴァのあとをついてぶどう畑に入る。見渡す限りのぶどう畑。こうして連れて来てもらわなければ一生見ることのない景色だっただろう。

「ロイクと一緒に来たの?」
「そうだ。俺ら二人をここまで連れてきてぶどうとワインを食わせてくれた。金がねぇからってチーズは自腹だったけどな」
「ふふふっ、そうなんだ」
「甘さに驚いて、ワインの美味さに驚いて、チーズとの相性にハシャいだ」
「ワインって美味しい?」
「俺は酒は飲み慣れてたからそう思ったが、お前はどうだろうな」

 ロイクとの思い出の場所に連れて来てもらえたことだけでディルは幸せを感じる。自分よりも少し若い頃に来てワインを飲ませるのはロイクらしいと本人を知らないのに思ってはクスッと笑う。
 酒はもう飲める。ガーベージで生きてきた男ならもうとっくに飲んでいてもおかしくはないが、手を出そうとは思わなかった。金がなかったのは確かだが、オージたちに言えば飲ませてもらえたしジルヴァも止めはしなかったはず。飲めとも飲むなとも言われず今日までやってきたが、飲みたいと言わなくて良かったと今心からそう思う。ジルヴァと二人、ここでジルヴァが最高のワインと呼ぶワインが初めてのワインになるのだから。

「ここのワインは安くねぇからうちで仕入れて出すことはできねぇが、客からリクエストがあれば取り寄せることになってる」
「リクエストってあった?」
「一度もねぇよ。大体が高級店での仕入れだからな」
「でもロイクは仕入れてたんだよね?」
「一応な。飲みたいって思ったときに飲めるのが最高だからってな」
「ジルヴァはそうしないの?」
「グルメぶった奴が来るとウゼェ」

 シェフとしてどうなんだと心の中でだけ問いかけて頷くだけにしておいた。お客様は神様ではない。ジルヴァはいつもそう言う。客が店を選ぶように店も客を選んでいいと。嫌な客にへりくだらないと店が成り立たないなら店はやめると。
 実際、ロイクが生きていたときにそういう客が来たのだろう。だからジルヴァは自分で店をオープンさせたときに高級な酒は置かないと決めた。

「どうしてここに連れて来てくれたの?」
「……なんでだろうな」

 これといった理由があったわけではなく、ジルヴァはふと、唐突にここに連れて行こうと思った。

「たぶん……」
「たぶん?」
「大事な思い出の場所だから、かもな」

 その答えだけで充分だとディルは嬉しさに表情を綻ばせる。
 ジルヴァの中で宝物になっている大切な思い出。それをそのまましまっておくこともできるのにジルヴァはそこに自分を加えてくれようとした。そうしてもいいと思ってくれた。それだけでディルの心がどれほど満たされることか。
 言い方からしてジルヴァの中でもハッキリ出ている答えではないにしても、嬉しかった。

「ジルヴァ」
「ん?」
「ありがとう」

 お礼に対する返事は相変わらずないが、それでも優しい笑みはちゃんと返ってくる。

「ジルヴァって存外オレのこと好きだよね」
「寝言は寝て言えクソガキ」

 甘い匂いのする甘いぶどう畑の中を二人で歩きながらディルは胸をくすぐる甘い感覚に幸せを感じていた。
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