顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

文字の大きさ
3 / 69

ユズリハ邸

しおりを挟む
 ユズリハのための家へと足を運ぶ間、喋っていたのはウォルターとダイゴロウの二人だけ。盛り上がる会話に参加するつもりがないのか、ユズリハは洋風の珍しい花を見ては「風情がある」と言っていた。

「おおっ! これはすごい! 我が家そのものだ!!」

 立派な門構えを前に感動した声を上げたダイゴロウがユズリハの肩を抱き寄せて表札を指差した。

「お前の家だぞ、ユズリハ!」
「これはなんとも粋な計らいじゃな」
「喜んでもらえたか?」
「これで喜ばぬ奴はおらぬ。わらわの新居じゃ」

 和の国の言葉で書かれている表札が読めないのはハロルドだけ。異国の言葉を前に首を傾げる少年を放って三人は門をくぐる。

「父上、見てくりゃれ! 実家の庭と同じじゃ! あの木まである!」
「運んでいった木だな」
「寂しい思いをさせてすまなかったな。でもユズリハのためにこうしてやりたかったんだ」
「ああ、ジジ様よ……感謝する」

 五年前、ユズリハのお気に入りだったイロハカエデの木をウォルターがくれと言い、必ず最高の庭園に仕上げるからと約束したことで父親はその木を送り出した。
 毎日眺めていた木がなくなったのは悲しかったが、ウォルターの言葉を信じてるという父親の言葉を信じて待ち続けた今日、喜びで涙が出そうだった。
 懐かしく、恋しかった木がまたここにある。それだけで異国に嫁いできた不安など吹き飛んでしまった。

「家の中もできるだけユズリハ好みにしておいた……と言っても、あまり要望がなかったからな。ダイゴロウと相談して造りあげた」
「充分じゃ。この庭が見渡せる縁側があればそれでよい。そこが寝室であろう?」
「好きな場所に布団を敷けばいい。寂しくないようにあちこちに灯りを用意しておいた。好きなときにシキにつけてもらえ」
「できた男じゃのう」
「当然だ。ウォルター・ヘインズは完璧な男だからな」

 自らを完璧と呼ぶ祖父は茶化せないほど完璧で、だからこそ息子や孫にもそれを求める。それは才能の問題ではなく努力次第でどうとでもなることだからこそ強要するのだ。
 ハロルドは祖父が弱音を吐く姿は一度も見たことがない。それをかっこいいと思うこともあったし、負担に思うこともあった。
 五年という歳月をかけてこの屋敷を完成させた祖父の努力と思いやりを垣間見たハロルドは自分たち家族にもそうしてほしいと思う一方で文句をつけようとは思わなかった。
 なぜ平屋建ての家を一つ建てるのに五年もかかったんだと思っていたが、実際に中を見てみると一つ一つにこだわりを持っていたことがわかる。
 自分の屋敷にはない物ばかりが置いてあり、匂いも違う。独特な物に鼻が慣れないが、ユズリハはそれを胸いっぱいに吸い込んで幸せそうに微笑んでいた。 

「今日はお前たちのためにパーティーを用意したからな、期待しててくれよ。使用人たちも全員呼んでくれ」
「気を使うなと言っただろう」
「お前は何度俺のために宴会を開いてくれた? その恩を返させないと言うのか?」
「あれを恩と感じているのか? お前もまだまだ小さい男だな」
「そういうお前は気遣いなどと感じてるのか? これは当然のことだぞ」

 ダイゴロウもウォルターが国にやってきたときは当然のこととして宴会を開いた。酒蔵から酒を取り寄せて、芸子を呼んで、食べきれないほどの料理を作らせて客をもてなした。
 それに当然以外の感情はなく、むしろ喜んでやっていたことばかり。それを返されると喜んで受け入れなければ失礼だと思い、笑顔で受け入れることにした。


 そして夜、ヘインズ家で開かれた豪華で華やかで盛大すぎるパーティーが今日初めて会った婚約者とその家族のためだけに開かれた。
 
「ダイゴロウ! しばらくはこっちにいるんだろう? 案内する約束だぞ!」
「三日間はこっちにいて、それから別の国に行く。あの名家であるヘインズ家と懇意にしていると言えば他の貴族も興味を持つだろう! だから一筆書いてくれ!」
「お前は寝ても覚めても商売のことばかりだな! いいぞ! 一筆と言わず十でも二十でも書いてやるわ!」

 いつも全てにおいて厳しい祖父が、この日ばかりは酒で顔を真っ赤にし、スーツも髪をも乱し、大声で笑う異次元の上機嫌さを見せていた。
 ダイゴロウの大きな声に合わせる祖父の喉を心配する者はおらず、それよりも和人とこれほど仲良くして大丈夫かとそっちの心配が上回る。
 彼が口にしていた『一筆書いてくれ』をヘインズ家を利用しようとしているのではないかと受け取る者も多く、このパーティーを心の底から楽しんでいるのはダイゴロウとウォルターの二人だけだった。

「父上、ジジ様、すまぬが長旅で疲れた。先に休ませてもらうぞ」
「なんだお前、付き合い悪い奴だな! お前のためにこれだけ豪華な宴を用意してもらったのにだな、まだ十五の娘が疲れなんて口にするな!」
「あーあーあーあーあー、かまわんかまわん。船旅が疲れるのは俺もよくわかる」
「年齢が違うだろ。こいつはお前より六十も下だぞ」
「俺はまだまだ若いつもりだぞ!」
「つもり、だろ!」

 互いに声を上げて大笑いする様にやれやれと首を振るユズリハにウォルターが「行け」と手を揺らして許可を出した。
 食堂のドアに向かう最中、ユズリハは会釈というには小さい、頷きに近い首の動きで挨拶をして“ユズリハ邸”へと戻っていく。

「ハロルド、追いかけて少し話でもしてこい」
「え!?」
「なんだ? 婚約者を家まで送るのは紳士として当然だろうが」
「そ、そうですね。行ってきます」

 馬車の中ですら何も話さなかったのに追いかけて何を話せと言うんだと困りながらも酔っ払った状態でキレられるのだけは避けたいと慌ててユズリハを追いかけた。
 カラン、コロンと夜に聞くと不気味に感じる音がする。それを頼りに行くのも変だと思いながらも追いかけるとユズリハがいた。
 敷地内で変人がいるわけでもないのに送る必要がどこにあると内心ボヤきながら隣に並ぶ。

「おお、旦那様ではないか。どうした? ジョギングとやらか?」
「送れって命令だから来ただけだ」
「そうか。それは素直なことじゃな」
「それは僕が祖父に逆らえない男だって馬鹿にしてるのか?」
「そのつもりはなかった。言うことを聞く良い子じゃと褒めただけのこと。気に障ったのであれば謝る」

 ヘインズ邸の入り口からある一定の距離を進むと別世界に来たように雰囲気が変わる。今までは何もなかった場所に柵が立ち、そのすぐに隣に塀が立った。
 祖父はここをユズリハのためだけに建てた。ここを自分たちの新居とするつもりだったのだろうか。だとしたらなんの相談もなしに建てられたことに腹が立つ。それを問い詰めたところで祖父はきっと「異国から嫁いでくれた者のことを第一に考えるのは当然だろう」と一蹴して終わる。
 祖父も、祖父が気に入っている女も気に入らない。祖父が気に入るだけあって生意気で態度が大きい。
 ウォルター・ヘインズは変わり者で、媚びるために下手に出て顔色を伺うような者を嫌い、自信があるが故に大きく出る者を好む。そして結果を出せばお気に入りとなり恩恵を受けられる。 
 ユズリハは何があって祖父のお気に入りになったのか不思議で観察するように見ていると目が合った。

「そのように熱い視線を送られると照れるのじゃが」

 言葉とは裏腹に照れた様子はない。
 無意識に見ていただけに慌てて顔ごと逸らしたハロルドに小さく笑い、門の前でユズリハが立ち止まった。

「せっかくここまで送ってくれたのじゃ、茶でも一杯飲んではいかぬか? わらわに言いたいことがあるのじゃろう?」

 言いたいことなら昨日から山のように積み上がっている。主に祖父だが、ユズリハに言わなければならないことも多少はあるため頷いて中へと入っていく。

「シキ、旦那様を連れ帰った。茶を淹れてくれ」
「夜に男を誘い入れるとは大人になったもんだねぇ」
「夫を屋敷に連れ込んで何が悪い。茶の準備じゃ」
「へいへい」

 奥から聞こえてくるまだ若い男の声。
 到着してから今までこれほど親しげに話しかけている男はいなかった。一体誰だと訝しんでいると先に上がったユズリハが手招きをする。
 そのまま上がろうとするハロルドにギョッとして慌てて肩を押すユズリハが苦笑しながらトントンと肩を叩いた。

「あああああああ、靴は脱いでから入ってくりゃれ。汚れてしまう」
「僕の靴下が汚れるじゃないか」
「そうならぬよう、シキが磨いてくれておる。わらわの白い足袋も汚れてはおらぬじゃろう?」

 足の裏を見せて真っ白であることを証明されると渋々ながら従って中に入り、あとをついて行く。

「すまぬな、椅子とやらを用意しておらぬのだ。座布団の上に座ってくれ」
「床の上に座るのか?」
「座っても問題ないようにできておるのじゃ」
「足で歩く場所に座れと?」
「そうじゃ」

 当たり前のように腰掛けるユズリハにそれが和の国の文化なのだと理解はするが、抵抗は消えない。

「僕はいい。立ってる」
「そうか。ま、客人に強要はせぬ」

 旦那と呼んだかと思えば客人と呼ぶ。ユズリハの中で自分はどういう立ち位置であるのかも気になるところだと多少の苛つきを感じながらもその場で仁王立ちしているとスパンッと勢いある音を立てて庭側の障子が開いた。
 足で開けたことがわかるポーズと共に現れた男もまだ若いが、ハロルドよりは年上に見える。
 港にはいなかった男。見慣れない格好をしている男に眉を寄せると男は目を細め、口元に弧を描いた。

「名はさっきお嬢が呼んだから知ってるだろうが、俺はもともとお嬢に仕える忍でね。お嬢が異国に嫁ぐってんで、身の回りの世話をしに来たってわけだ。旅は道連れってやつな」
「死なば諸共よ」
「嫌な言葉だねぇ。せっかくお嬢がいなくなってメンドーが減ると思ったのに、まさか地獄に連れていかれるとは」
「はっはっはっはっ! 向こうにおるよりは暇になるはずじゃ」
「お嬢次第ですけどね」

 大豪商の娘を異国に一人で嫁がせるわけがないかとシキの存在に妙に納得できた。それと同時にハロルドの心は少し軽くなった。自分がここに住まずともユズリハは一人じゃない。むしろ自分が一緒に住むほうが二人とも気を使ってしまう。それなら自分は今までどおりヘインズ邸で暮らして、ユズリハはここで暮らすのが一番なのではないかと思ったからだ。
 それに親しげだ。そのうちイイ仲にでもなるのではないか? もしそうなれば婚約は破談となり、ユズリハは和の国に帰ることになるだろう。そして自分は好きな相手と結婚できる。
 完璧だと拳を握って二人を見た。

「で、座らないんで?」
「椅子が必要らしい」
「立っているからいい。話をしたらすぐに帰る」
「そうか、では聞こう」

 出された独特のカップに入った緑色の茶に少し顔を歪めながら手をつけることはせず、仁王立ちのままハロルドは積もり積もった感情を伝えるため口を開いた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

完結 殿下、婚姻前から愛人ですか? 

ヴァンドール
恋愛
婚姻前から愛人のいる王子に嫁げと王命が降る、執務は全て私達皆んなに押し付け、王子は今日も愛人と観劇ですか? どうぞお好きに。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...