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庭の木
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「義姉さん、あまり毎日通われるとユズリハも休まる暇がないんだけど」
「あら、ごめんなさい。ユズリハちゃんと話すの楽しくてつい。明日から一週間、あの人と旅行に行くからその間は暇にするわ」
「いや、そのあとも一ヶ月に一度ぐらいでいいよ。譲歩して一週間に一度」
あれからエルザは毎日通い、毎日ユズリハと話をしている。
ハロルドが学校を終えて家に帰るとエルザがいる。紅茶ではなく和の国の茶を美味しい美味しいと言っては何度も飲む。
和の国に興味を持っていただけであって、何もかもを美しいと目を輝かせながら見るエルザの言葉に嘘はないとわかっていても、毎日通われるのは迷惑だった。
「兄さんと旅行に行って大丈夫なのか?」
「ええ、平気。帰ってこなかったらあの人に湖に沈められたと思って。逆にあの人が死んだら私が湖に沈めたってことだから」
「ユズリハが怯えるからそういう冗談やめて」
ユズリハは冗談が好きだが、人の死に関することは言わない。冗談でも口にしてはいけないことがあると言っていただけに笑顔で告げるエルザに苦笑とも言えない表情を向けている。
エルザは見た目からは想像もつかないほどお喋りで、装弾したマシンガンと弾切れまでの時間を比べたらエルザのお喋りが圧倒するだろう。
それほどお喋りではないユズリハは会話を強要されるよりも良いと言って歓迎しているのだが、ハロルドからすればつまらない。
「先日もらった和の国のお菓子、とっても美味しかったわ」
「それは何より。父上にまた送るよう手紙を書いておく。そなたが気に入ったと書けば山のように送ってくるであろうからな」
「私も何かお返しをしないとね」
「よいよい、気にするな。したいからする、それだけじゃ」
「私もしたいからする、それだけよ」
「義姉さん、もうそろそろ夕飯の時間だろ。帰ったほうがいいんじゃないか?」
新しい話題を持ち出したエルザに遠回しに帰れと伝えるも平気だと手を振るため顔を覗き込んで「時間」と圧をかける。
「愛されてるのね」
「義姉さん!」
「はいはい、帰ります帰ります。お土産たーくさん買ってくるから楽しみにしててね」
「あああああああ、あいわかった」
頬にキスをするのはこの国では珍しいことではないが、ユズリハは慣れていないため動揺してしまう。
ハロルドよりも多くユズリハの頬にキスをしているエルザにギリィと歯を鳴らすハロルドに微笑みながら帰っていく。
ヘインズ邸の玄関に着いたエルザから投げキッスが飛んでくるのを叩き落としてから中へと入る。
「エルザは美しいな」
「外見はな」
「外見で中身を決めつけるからそんな言葉が出てくるのじゃ」
「お前も知ってるだろうけど僕は差別主義者なんだ」
鞄を居間の棚の上に乗せて学生服の上着を脱ぎながら肩を竦めるとユズリハが「カカッ」と音を鳴らして笑う。
「この景色を飽きるほど褒めてくれた。今度は夜に来て夜の景色を見たいとな」
「夜は勘弁してくれ」
「よいではないか。好きだと言うてくれる者に見てほしい」
庭を眺めるときのユズリハはいつも愛でるような表情を浮かべる。けれどどこか寂しげで、切なげで。
縁側に腰掛けるユズリハの隣に移動してストンと腰を下ろす。座布団のない床は冷たくてすぐに尻が痛くなるが、その感覚にも少し慣れてきた。
「初めてこの家に来たときはまだ緑だったのにな」
緑だった葉が真っ赤に染まってまた違った顔を見せる。
庭に降りるユズリハに合わせてハロルドはいつも縁側に上がる石段に靴を置いている。これでいちいち玄関まで靴を取りに行く必要がなく、すぐにユズリハについていける。
「僕はこの池に葉っぱが浮かんでるのが好きだ」
木から落ちた葉が宙を舞って池に落ちる。透き通る池の上に浮かぶその景色はいつまでも眺めていられるほど好きで、眺めていると時折、顔を見せる魚も好きになった。
橋の下に隠してある餌の入った缶を出すのはユズリハよりハロルドのほうが多くなり、独特の匂いがあるそれを掴んで放る。一斉に集まる魚たちが餌を食べる姿も好きだった。
「こうして見てると可愛いんだよな」
「毎回言うのう、それ」
楽しげに笑いながら赤い橋を渡って庭にある木の中で一番大きな木の下までやってきた。
周りには和の国のベンチがあり、赤い布がかけてある。傍にある灯りをつけるにはまだ早いが、ユズリハが袖からマッチを取り出して容器の中に火をつけた。
柔らかな灯りが灯り、これから光を奪い、暗闇へと変わる景色に色を加える。
毎日見ているはずなのに近くで見るとまた違って見えた。
「お祖父様も時々、この木を見上げに来るよな」
家には寄らず、木だけを見上げては帰っていくことがある祖父にとっても思い出の木なのだろうかとベンチに腰掛けながら見上げる。
遠くから見ても大きいと思っていた木は近くで見ると圧巻で、その美しさに息が溢れた。
「この木は母上の木じゃからのう」
木に触れて見上げながら呟いた言葉に滲んだ寂しさ。
ユズリハの母親が既に亡くなっていることは祖父から聞いている。
まだ十五歳の子供が母親を失う辛さを知っていることが辛い。
自分の両親は健康そのもので事故にでも遭わない限りは長生きするだろう。
ユズリハはそうじゃない。母親を失い、父親は遠く海の向こうで生きている。会おうと思っても気軽に会いに行ける距離ではない。
会いたいと漏らしたことは一度もなく、ハロルドが父親の話をしてもすぐに別の話に切り替えてしまうため我慢しているのだろうと何度か感じたことはある。
この木が母親に関連する木なのだとしたら時間関係なく庭を眺める理由がわかった。
「この木の名はモミジ。母上の名と同じなのじゃ」
「モミジ」
祖父は事情を全て知っていたのだろう。長い付き合いの中で知らないことなどないのかもしれない。
孫にあらかたの事情を話せばもっと早く心を動かしていたかもしれないのに、祖父はそれを望まなかった。あくまでも結婚させただけ。そこに愛が生まれる保証などなかったのに、祖父は二人の関係を二人に任せ流だけで大きく口を出そうとはしなかった。
この木の名がユズリハの母親の名であることも知っていた。だから時々ああして木を見上げに来ていたのだ。きっと何か話してたのだろう。
そう考えるとやはり祖父は最低な人間だとは思えなかった。
「この木は父上と母上が結婚した日に記念樹として庭に植えた物らしい。植えてからずっと、我が家の宝物として眺められてきた」
「それをお祖父様がこっちに持ってきた?」
「そうじゃ。ヘインズ家の庭にわらわ専用の家を建てると約束したとき、ジジ様が父上に頭を下げた。決して枯れさせはしない。必ずこの輝きを守ると約束する。だから持って行かせてくれ、とな」
祖父が頭を下げる姿など想像もできない。まるで特許を得ているかのように踏ん反り返るばかりの祖父が人に頭を下げた。それもこれ一本のために。
ユズリハたちにとって大事な物だとわかっていても、祖父はそれをこの庭に運びたかった。それは間違いなく祖父の愛情なのだと実感する。
「お前の親父さんは反対しなかったのか?」
「渋ってはおった。何せ、モミジの木の根は細い。居間の床のように格子状に張り巡らされて掘り返すのも大変なのじゃ。それを上手く掘り返せたとして、枯らさずに海の向こうまで運べるのかと危惧しておった」
頭を下げるウォルターの前で正座をしながら腕を組む父親の考え込む顔。ウォルターの不安げな顔。長い沈黙。全てが昨日のことにように思い出せる。
「それでも父上は許可した。お前に任せよう、と」
「よく許したな」
「ジジ様を信じておったのじゃ。軽い気持ちで言うておるわけではないとな。海を渡って居を構えるわらわのためを思うて発案してくれたジジ様の思いが嬉しかったのじゃ。そうして運ばれてきたのがこの木じゃ。立派であろう?」
「ああ」
見上げれば真っ赤に染まる葉が視界を埋め尽くす。血のように赤いというよりは太陽のような暖かみのある色。
あのウォルター・ヘインズが人に頭を下げて必死の思いで運んできた木は枯れることなくこうして生命の活動を見せ続けている。
その美しさは花や緑に興味のないハロルドでさえ感動するものだった。
「だからわらわは寂しゅうない。いつも母上がわらわの傍におる。この木があれば怖がる必要はないのじゃ」
出会った当初、随分と物わかりのいい女だと思った。無理している様子のない明るさがあり、なんだこいつはと怪訝に思ったほど。
でもそれはこの木があるからやっていけると思っていたからだった。家族は遠く離れた場所にいても母親はすぐ近くにいて、自分を見守ってくれていると。
それでも、木にどれだけの思い出があろうと愛してくれる人がいるのといないのとでは心の満ち方が違うだろうとハロルドは考える。
何も知らず、急に知らされて焦って嫌悪して暴言にも近い言葉ばかり口にしていた自分にユズリハは今も優しく接してくれるのはきっと何も期待していないからだとわかっている。
愛してもらえるなどと思ってはいない。ヘインズ家の一員になれるとも思ってはいない。あっけらかんとしているように見えて実際は能天気な人間ではないから、わかってしまう。
内で抱える寂しさや辛さを吐き出す相手はシキかモミジだけで、自分にはまだ濃く引かれた一線が見える。
どうしたらそれを取り払える? どうしたら跨いでも警戒しない?
直接聞いて答えてくれるならその努力をするのに、ユズリハはいつも誤魔化してばかり。
無理矢理聞き出すことは出来ても、それは相手が本当に望んでいることではないだろうし、自分が言ったことで相手に強要したと思うのだろうことは想像に難くない。
今、自分にできることはなんだろうと考えた結果、ハロルドはユズリハの隣に立って一緒に木を見上げた。
「教えてくれてありがとう」
お礼を言われるとは思っていなかったのだろうユズリハがハロルドを見上げて目を瞬かせるもすぐに笑って木へ視線を戻す。
「我らは夫婦なのじゃろう? ならば共有ぐらいしておかぬとな」
「これからもっと共有していくぞ。僕はお前のことを、お前は僕のことを知るんだ」
「そなたのことはあらかたジジ様から聞いておる」
「へえ、それじゃあ僕がスキンシップが好きだってことも聞いたか?」
肩を抱き寄せてユズリハの額に口付けると慌てて距離を取られる。
赤くなるユズリハにハロルドがモミジの葉を指さして笑った。
「モミジみたいに真っ赤だぞ」
無言で家へと戻っていくユズリハに何度かからかいの言葉をかけるも返事はない。どういう顔をしているのか今は容易に想像がつくだけに暫くニヤつきが止まらなかった。
「あら、ごめんなさい。ユズリハちゃんと話すの楽しくてつい。明日から一週間、あの人と旅行に行くからその間は暇にするわ」
「いや、そのあとも一ヶ月に一度ぐらいでいいよ。譲歩して一週間に一度」
あれからエルザは毎日通い、毎日ユズリハと話をしている。
ハロルドが学校を終えて家に帰るとエルザがいる。紅茶ではなく和の国の茶を美味しい美味しいと言っては何度も飲む。
和の国に興味を持っていただけであって、何もかもを美しいと目を輝かせながら見るエルザの言葉に嘘はないとわかっていても、毎日通われるのは迷惑だった。
「兄さんと旅行に行って大丈夫なのか?」
「ええ、平気。帰ってこなかったらあの人に湖に沈められたと思って。逆にあの人が死んだら私が湖に沈めたってことだから」
「ユズリハが怯えるからそういう冗談やめて」
ユズリハは冗談が好きだが、人の死に関することは言わない。冗談でも口にしてはいけないことがあると言っていただけに笑顔で告げるエルザに苦笑とも言えない表情を向けている。
エルザは見た目からは想像もつかないほどお喋りで、装弾したマシンガンと弾切れまでの時間を比べたらエルザのお喋りが圧倒するだろう。
それほどお喋りではないユズリハは会話を強要されるよりも良いと言って歓迎しているのだが、ハロルドからすればつまらない。
「先日もらった和の国のお菓子、とっても美味しかったわ」
「それは何より。父上にまた送るよう手紙を書いておく。そなたが気に入ったと書けば山のように送ってくるであろうからな」
「私も何かお返しをしないとね」
「よいよい、気にするな。したいからする、それだけじゃ」
「私もしたいからする、それだけよ」
「義姉さん、もうそろそろ夕飯の時間だろ。帰ったほうがいいんじゃないか?」
新しい話題を持ち出したエルザに遠回しに帰れと伝えるも平気だと手を振るため顔を覗き込んで「時間」と圧をかける。
「愛されてるのね」
「義姉さん!」
「はいはい、帰ります帰ります。お土産たーくさん買ってくるから楽しみにしててね」
「あああああああ、あいわかった」
頬にキスをするのはこの国では珍しいことではないが、ユズリハは慣れていないため動揺してしまう。
ハロルドよりも多くユズリハの頬にキスをしているエルザにギリィと歯を鳴らすハロルドに微笑みながら帰っていく。
ヘインズ邸の玄関に着いたエルザから投げキッスが飛んでくるのを叩き落としてから中へと入る。
「エルザは美しいな」
「外見はな」
「外見で中身を決めつけるからそんな言葉が出てくるのじゃ」
「お前も知ってるだろうけど僕は差別主義者なんだ」
鞄を居間の棚の上に乗せて学生服の上着を脱ぎながら肩を竦めるとユズリハが「カカッ」と音を鳴らして笑う。
「この景色を飽きるほど褒めてくれた。今度は夜に来て夜の景色を見たいとな」
「夜は勘弁してくれ」
「よいではないか。好きだと言うてくれる者に見てほしい」
庭を眺めるときのユズリハはいつも愛でるような表情を浮かべる。けれどどこか寂しげで、切なげで。
縁側に腰掛けるユズリハの隣に移動してストンと腰を下ろす。座布団のない床は冷たくてすぐに尻が痛くなるが、その感覚にも少し慣れてきた。
「初めてこの家に来たときはまだ緑だったのにな」
緑だった葉が真っ赤に染まってまた違った顔を見せる。
庭に降りるユズリハに合わせてハロルドはいつも縁側に上がる石段に靴を置いている。これでいちいち玄関まで靴を取りに行く必要がなく、すぐにユズリハについていける。
「僕はこの池に葉っぱが浮かんでるのが好きだ」
木から落ちた葉が宙を舞って池に落ちる。透き通る池の上に浮かぶその景色はいつまでも眺めていられるほど好きで、眺めていると時折、顔を見せる魚も好きになった。
橋の下に隠してある餌の入った缶を出すのはユズリハよりハロルドのほうが多くなり、独特の匂いがあるそれを掴んで放る。一斉に集まる魚たちが餌を食べる姿も好きだった。
「こうして見てると可愛いんだよな」
「毎回言うのう、それ」
楽しげに笑いながら赤い橋を渡って庭にある木の中で一番大きな木の下までやってきた。
周りには和の国のベンチがあり、赤い布がかけてある。傍にある灯りをつけるにはまだ早いが、ユズリハが袖からマッチを取り出して容器の中に火をつけた。
柔らかな灯りが灯り、これから光を奪い、暗闇へと変わる景色に色を加える。
毎日見ているはずなのに近くで見るとまた違って見えた。
「お祖父様も時々、この木を見上げに来るよな」
家には寄らず、木だけを見上げては帰っていくことがある祖父にとっても思い出の木なのだろうかとベンチに腰掛けながら見上げる。
遠くから見ても大きいと思っていた木は近くで見ると圧巻で、その美しさに息が溢れた。
「この木は母上の木じゃからのう」
木に触れて見上げながら呟いた言葉に滲んだ寂しさ。
ユズリハの母親が既に亡くなっていることは祖父から聞いている。
まだ十五歳の子供が母親を失う辛さを知っていることが辛い。
自分の両親は健康そのもので事故にでも遭わない限りは長生きするだろう。
ユズリハはそうじゃない。母親を失い、父親は遠く海の向こうで生きている。会おうと思っても気軽に会いに行ける距離ではない。
会いたいと漏らしたことは一度もなく、ハロルドが父親の話をしてもすぐに別の話に切り替えてしまうため我慢しているのだろうと何度か感じたことはある。
この木が母親に関連する木なのだとしたら時間関係なく庭を眺める理由がわかった。
「この木の名はモミジ。母上の名と同じなのじゃ」
「モミジ」
祖父は事情を全て知っていたのだろう。長い付き合いの中で知らないことなどないのかもしれない。
孫にあらかたの事情を話せばもっと早く心を動かしていたかもしれないのに、祖父はそれを望まなかった。あくまでも結婚させただけ。そこに愛が生まれる保証などなかったのに、祖父は二人の関係を二人に任せ流だけで大きく口を出そうとはしなかった。
この木の名がユズリハの母親の名であることも知っていた。だから時々ああして木を見上げに来ていたのだ。きっと何か話してたのだろう。
そう考えるとやはり祖父は最低な人間だとは思えなかった。
「この木は父上と母上が結婚した日に記念樹として庭に植えた物らしい。植えてからずっと、我が家の宝物として眺められてきた」
「それをお祖父様がこっちに持ってきた?」
「そうじゃ。ヘインズ家の庭にわらわ専用の家を建てると約束したとき、ジジ様が父上に頭を下げた。決して枯れさせはしない。必ずこの輝きを守ると約束する。だから持って行かせてくれ、とな」
祖父が頭を下げる姿など想像もできない。まるで特許を得ているかのように踏ん反り返るばかりの祖父が人に頭を下げた。それもこれ一本のために。
ユズリハたちにとって大事な物だとわかっていても、祖父はそれをこの庭に運びたかった。それは間違いなく祖父の愛情なのだと実感する。
「お前の親父さんは反対しなかったのか?」
「渋ってはおった。何せ、モミジの木の根は細い。居間の床のように格子状に張り巡らされて掘り返すのも大変なのじゃ。それを上手く掘り返せたとして、枯らさずに海の向こうまで運べるのかと危惧しておった」
頭を下げるウォルターの前で正座をしながら腕を組む父親の考え込む顔。ウォルターの不安げな顔。長い沈黙。全てが昨日のことにように思い出せる。
「それでも父上は許可した。お前に任せよう、と」
「よく許したな」
「ジジ様を信じておったのじゃ。軽い気持ちで言うておるわけではないとな。海を渡って居を構えるわらわのためを思うて発案してくれたジジ様の思いが嬉しかったのじゃ。そうして運ばれてきたのがこの木じゃ。立派であろう?」
「ああ」
見上げれば真っ赤に染まる葉が視界を埋め尽くす。血のように赤いというよりは太陽のような暖かみのある色。
あのウォルター・ヘインズが人に頭を下げて必死の思いで運んできた木は枯れることなくこうして生命の活動を見せ続けている。
その美しさは花や緑に興味のないハロルドでさえ感動するものだった。
「だからわらわは寂しゅうない。いつも母上がわらわの傍におる。この木があれば怖がる必要はないのじゃ」
出会った当初、随分と物わかりのいい女だと思った。無理している様子のない明るさがあり、なんだこいつはと怪訝に思ったほど。
でもそれはこの木があるからやっていけると思っていたからだった。家族は遠く離れた場所にいても母親はすぐ近くにいて、自分を見守ってくれていると。
それでも、木にどれだけの思い出があろうと愛してくれる人がいるのといないのとでは心の満ち方が違うだろうとハロルドは考える。
何も知らず、急に知らされて焦って嫌悪して暴言にも近い言葉ばかり口にしていた自分にユズリハは今も優しく接してくれるのはきっと何も期待していないからだとわかっている。
愛してもらえるなどと思ってはいない。ヘインズ家の一員になれるとも思ってはいない。あっけらかんとしているように見えて実際は能天気な人間ではないから、わかってしまう。
内で抱える寂しさや辛さを吐き出す相手はシキかモミジだけで、自分にはまだ濃く引かれた一線が見える。
どうしたらそれを取り払える? どうしたら跨いでも警戒しない?
直接聞いて答えてくれるならその努力をするのに、ユズリハはいつも誤魔化してばかり。
無理矢理聞き出すことは出来ても、それは相手が本当に望んでいることではないだろうし、自分が言ったことで相手に強要したと思うのだろうことは想像に難くない。
今、自分にできることはなんだろうと考えた結果、ハロルドはユズリハの隣に立って一緒に木を見上げた。
「教えてくれてありがとう」
お礼を言われるとは思っていなかったのだろうユズリハがハロルドを見上げて目を瞬かせるもすぐに笑って木へ視線を戻す。
「我らは夫婦なのじゃろう? ならば共有ぐらいしておかぬとな」
「これからもっと共有していくぞ。僕はお前のことを、お前は僕のことを知るんだ」
「そなたのことはあらかたジジ様から聞いておる」
「へえ、それじゃあ僕がスキンシップが好きだってことも聞いたか?」
肩を抱き寄せてユズリハの額に口付けると慌てて距離を取られる。
赤くなるユズリハにハロルドがモミジの葉を指さして笑った。
「モミジみたいに真っ赤だぞ」
無言で家へと戻っていくユズリハに何度かからかいの言葉をかけるも返事はない。どういう顔をしているのか今は容易に想像がつくだけに暫くニヤつきが止まらなかった。
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