たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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「お前、何か企んでるんじゃねぇよな?」

 突然の疑心にイフラーシュは不思議そうな表情を返す。

「企む? とんでもございません」

 かぶりを振って見せるイフラーシュに向けるザイードの表情は変わらない。

「ザファル様は確かに水の精霊をお持ちです。ラフナディールが水の豊かな国になったのは、彼が水の精霊の加護を授かったおかげであることは間違いありません。ですが、一人の女に振り回されている今の現状を危惧しているのです」
「危機?」
「サラディーン殿もおっしゃっていましたが、心を奪われることが皇帝にとって良い兆しだったことは、ラフナディールの歴史上、一度もない──と」

 サラディーンの危惧は現実となった。
 女一人に心酔し、右往左往するようになってしまったザファルを誰もが心配していた。あのハキームでさえも。
 皇帝の座も、アストリッドが望めば投げ出してしまいかねない状態にまで堕ちている様子を快く思っていない人間もいる。

「それに比べて、ザイード様は目的のためなら手段を選ばない決断力と邪魔な存在を排除する実行力をお持ちだ。それらはザファル陛下にはないものです」
「俺は親父に似てるからな」
「そうですね。マルダーン様もそういう政治をするお方です。ラフナディールは代々そうした政治をしてきたのですから」
「だから俺に任せてりゃあよかったんだ」

 イフラーシュの言葉は、自分の行動を正当化してくれるものであり、ザイードの機嫌がみるみる良くなっていく。

「しかし、彼女が行方不明になった話はマルダーン様のお耳にも入っていることでしょう。彼女の侍女がやってきて、ハキーム様もその場で話を聞いていましたから。間違いなくマルダーン様にお伝えしていることと思います」
「アイツの口はマジで早々に塞ぐべきだ」

 普段はハキームに対して怒りを露わにするが、今のザイードの顔には苦虫を噛み潰したような表情が浮かんでいる。

「親父は……俺を殺すと思うか?」
「私の口からはなんとも」

 イフラーシュの表情に変化はなかった。マルダーンの行動は手に取るようにわかりやすい。何故なら彼は全てにおいて極端な判断をするからだ。
 今回、ザイードの行動を「やりすぎ」か「自分の人生に邪魔」と判断すれば、ザファルに処刑を促すか、自ら暗に手を下すだろう。

「ですが、皇族であろうと私情で殺人となるとマルダーン様であろうと処罰は避けられません
「俺は殺してない!」
「民の家及び市場への放火。それをマルダーン様がどうお受け取りになるか」

 殺人ではないにしても、皇子が私情で民を苦しめたとなればマルダーンは黙っていないだろう。政治に関してはまだ口を出し、ザファルも鬱陶しいと思いながらもそれを許している。
 もし父親が激怒すれば重罪となり、死罪にも近い罰が与えられることとなる。
 ザイードは震え上がった。

「イフラーシュ、俺はどうすればいい? 知恵を貸せ」
「ここは放置されて長い場所。風が強く、巻き上がる砂によって発見しにくいので身を隠すには最適です」
「だよな。だから俺もここを選んだんだ」
「さすがでございます」
「また食料を持ってこい。情報もな」

 イフラーシュは微笑んだまま頷いた。
 こいつを味方に引き込んでおいてよかったと心から喜ぶザイードの前にイフラーシュは指を二本立てた。

「お伝えしておかなければならないことがあります」
「なんだよ」
「現在、あなたには懸賞金がかけられております」

 それは予想の範疇なため驚きはしないが、続く言葉には耳を疑った。

「三億ディナール」

 せいぜいが五百万程度だと思っていただけに、桁が違いすぎることにザイードの思考が停止する。
 ラフナディールの民であれば一生遊んで暮らしても使いきれないほどの額だ。
 アストリッドを傷つけてはいない。精霊を殺してしまっただけで行方も知らない。それなのに三億もの懸賞金がかけられるとはどういうことだと目で訴えるもイフラーシュはかぶりを振る。

「懸賞金をかけろと命じられたのは陛下ですが、金額を決めたのはハキーム殿です」
「あのクソジジイッ!!」
「マルダーン様かもしれませんが」

 ありえない話ではない。だが、わからない。ハキームはマルダーンからもザファルからも多くの決定権をもらっている。いちいちマルダーンを通さずともハキームの独断で決めることは容易い。金額に問題があると指摘を受ければ、そのときは変更すればいいだけなのだから。

「二つ目に、彼女が生きて戻ってこられた場合は話が変わります」
「生きて? どういうことだ? 死んでる可能性があるのか?」
「所在がわからないので詳しいことは何も分かりませんが、ご夫人方が関わっているのであれば死亡している可能性のほうが高いと思います」
「少なくともアリアはあの女を殺すつもりだったからな」
「まあ、彼女は運が良いようですので、生還の可能性もなくはないかもしれません」
 
 国中から嫌われ憎まれていた王妃はたった一人の登場によって命を救われ、ここで安全に暮らしていた。
 生まれながらに精霊の加護を受けていたことで彼女の中に積み重なった運があるように感じているイフラーシュはまだアストリッドの死を確信していない。

「もし彼女が生きて戻った場合、我が身に起こったことを余すことなく話すでしょう。陛下はハキーム様やマルダーン様のお手を借りず、彼女のためなら自ら手を汚すのではないか……と心配しているのです」
「……話が変わるってのはどういうことだ?」
「ここに隠れていても意味がないということです」

 まだ意図が掴めないザイードが苛立ったように再び足を揺らす。

「あなたの首に懸賞金がかかっていることを他国にまで知らせる可能性は高いです」

 ようやく理解できたことにゾッとした。
 ザイードが何をしたのか興味がない者までが、まるでお宝ハンターのように自分を探しに来る。ラフナディールの者なら絶対に探しに来ないような場所まで探すだろう。
 愉快な声を上げながら襲いかかってくる人間ほどイカれた者はいない。
 ザイードは普段あまり感じない不安を覚えた。
 確かに、アストリッドは処刑台から生還した女だ。ラフナディールから間に合うはずがなかった距離をザファルは間に合わせた。馬なら走らせればいいが、海は風が味方をしない限りは速度を上げるのは不可能だ。多少の味方をしたところで間に合う距離でもなかったはずなのに。
 常識では考えられないような幸運に恵まれていると言っても過言ではない。

「もしあの女が戻ってきたらお前がなんとかしろ!」
「私が?」
「暗殺はお前の得意分野だろうが! 俺が殺されてもいいってのか!?」
「それは困ります」
「だったらお前がなんとかしろ!」

 どの死に方が彼をそこまで怯えさせているのか、イフラーシュは笑顔の下で想像していた。
 父親の熱に溶かされるか焦がされるか。それとも弟の水によって溺れるのか。はたまた、金の亡者たちによって──か。
 
「生き延びてください、ザイード様」

 イフラーシュは深々と頭を下げると音もなく倉庫を出て行った。
 一人になったザイードは再び壁にもたれかかり、大きく息を吐き出す。

「三億だと……」

 三億もかけられるほどの男だと喜べばいいものを、ザイードはそこまで大きな男ではない。
 それだけの懸賞金に感じるのは今回のことでハキームさも怒りを抱いているということ。彼は父親よりも怒らせてはならない人物かもしれないと幼少期から感じていただけに、この金額には危機感を抱かざるを得ない。

「……ザファルが弱っているときが勝負だ。今度は失敗するな。わかったな?」

 ザイードがルガシュに向かって言うが、ルガシュは乗り気ではなかった。
 カトラは頭が良い。精霊としての練度が高く、水を操るのが上手い。攻防共に機転が早く、防ぐのが精一杯になる。それを失敗と呼ぶザイードには毎度腹を立てている。
 ルガシュが頷かなかったことは気に食わないが、もともと反抗的ではあるためザイードはあまり気にしていなかった。
 
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