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ハジメテノヨル

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「どうして果物は木に生るのですか?」
「んー…………」
「花や野菜は種がありますよね? だから土の中ですくすく育つのはわかるんですけど、どうして果物は木に? 何もない木からどうやって果物が?」

 フローリアの好奇心は強く、納得するまで説明を求める。その結果、結局理解出来ないまま納得したフリをして終わる事も多いのだが、木に生る果物についてフローリアが納得できるような説明に自信がなく、フルーツにかぶりつきながら空を見上げる。

「かぶりついて食べるフルーツはどうだい?」
「美味しいです!」

 家では絶対に出来ない何かにかぶりついて食べるということ。誰も見ていない、咎める者もいない状況では何でもやり放題。どうせならやれない事をたくさんしようと決めて二人は取ったばかりの果物に皮ごとかぶりついていた。
 話も逸らせて一石二鳥。

「わざわざ皮を剥いてキレイな器にキレイに並べなくたって食べられるのにどうしていちいち使用人の手間を増やすような事をするんだろうね」
「ヘレナ様ですか?」
「誰とは言わなかったけどそうだよ」

 あえて名は伏せておいたがフローリアが指摘するため頷いた。
 ヘレナはいつだって使用人を呼んで自分のために働かせる。どれだけバタついて駆け回っていようともお茶やフルーツを平気で要求する。
 使用人は主に使われるために居るというヘレナの考えにヴィンセントは賛同する事は出来なかった。

「ビショビショだね」
「でも洗えばスッキリしますから」

 果物にかぶりつく度に汁がこぼれてフローリアの服は濡れていた。透ける肌に視線を奪われるヴィンセントが手を伸ばそうとするもフローリアが果物にかぶりつく事で腕が防御する仕組みになっている。

「プール入らないかい?」
「眺めてるだけでいいです」
「水着買ったんだよ?」
「でもあれは生地が小さい気が……」
「そんな事ないよ。あれでいいんだ。ほら、君、大きいから」
「邪魔ですよね」
「そんな事ない! そんなことは絶対にありえないから気にしなくていいよ!」

 まだ触れた事がない今食べているより豊かに実ったフローリアの胸。
 昨日こそ一緒にお風呂に入ろうと思ったのに拒否されたため入れなかった。
 結婚して暫く経つというのに一緒に寝る以外、何も夫婦らしい事が出来ていない事に若干の不満を感じながらもグッと我慢してきた。
 だが、この島で我慢はもうやめると決めた。二人きりの生活に我慢は必要ないと。だから水着だけは拒否されても絶対に着てもらうと決めていた。

「フローリア、僕は今回の旅行を新婚旅行だと思ってる。それなのにプールに入らず見てるなんて……寂しいよ」

 奥の手を使うしかないと思ったヴィンセントは言葉の通り悲しげな表情を作るとフローリアは慌てたように顔を覗き込んで「わかりました」と答える。

「じゃあ水着着てプールに入ろうか。せっかくこんなに良い天気なんだから入らないともったいないよ」
「は、はい……」

 水着が届いてから一度だけ試着をしたがウィルが眉を寄せたため自信がなく、何より生地の面積が心許ない気がしてならなかった。下品にさえ見えるあの水着姿をヴィンセントに見せて同じ顔をされないか不安なフローリアは正直乗り気ではなかった。
 しかしこれは確かに新婚旅行で、ヴィンセントはのんびりとした時間を過ごすためにリガルドもウィルも連れて来なかったと感謝しているフローリアは寂しいと言うヴィンセントを無視できない。
 途端にウキウキし始めたヴィンセントに背中を押されながら荷物がある部屋に向かった。

「あっちで着替えてきますから」
「うん。僕はこっちで着替えるから」

 真っ白な水着は可愛いと思う。派手な柄が好きではないフローリアにとってシンプルな水着は大歓迎。欲を言えばビキニではなく自分が選んだロングのワンピースであったらもっと良かったのにと思った。

「もう少し鍛えておけばよかったかな」

 鏡の前で自分の身体を見ながら剣術を全くしてこなかった事を今更後悔した。六つに割れた腹筋があればフローリアはそれにときめいただろうかと考えれば惜しい事をしたと思う。
 祈りにだけ捧げてきた人生の中で〝訓練〟や〝鍛える〟というのは全て精神の話であって肉体の話ではなかったヴィンセントの身体は〝程よく筋肉のついた身体〟ではなく〝薄っぺらい身体〟だった。それこそ見せるのが少し恥ずかしくなるほどに。

「フローリア、大丈夫かい?」

 ニ十分経っても出てこないフローリアを心配して浴室のドアをノックすると「はい」と返事が聞こえたが元気がない。

「フローリア?」
「ヴィンセント様……」
「どうしたんだい? ここ開けて? 何があったの?」

 泣き声にも聞こえる声に慌てて強くドアを叩くとそーっとドアが開く。中から顔だけ出すフローリアの首に白い紐は回っておらず、視線を下に下ろせば見えるのは水着ではなく腕で隠された胸。

「水着は?」
「付けられないんです……紐が結べなくて……。下も紐で……」

 ニ十分間ずっと紐と戦っていたが結局は結べなくて泣きそうになっていたという話にヴィンセントの口元が緩む。

「そうだよね。一人じゃ無理だよね。僕が結んであげるから水着持っておいで」
「で、でも……」
「じゃあ背中向けて座ってくれる? そしたら見えないから」

 頷くフローリアがタイルの上に座った音が聞こえてからドアをゆっくりと押し開ければ上の水着が傍に落ちている。
 初めて見る生の背中にゴクリと喉を鳴らしながら一歩踏み出す足が震えている事に気付いた。情けないと苦笑しながら中へ入ると尻の下に敷いてある水着の紐を掴んで位置を調節しながら結んでいく。

「じゃあ前をつけてくれる? それから髪を前に」

 背中と首で結ぶタイプの水着をフローリアに一人で着けろと言う方が難しいのは間違いなく、試着した時もウィルが一緒だったため結んだ事はなかった。その時に「一人でどうやって着ればいいのか」と気付ければよかったのだがフローリアに出来るはずもなく、今回はそれがヴィンセントにラッキーをもたらした。

「君は全てがキレイだ」

 両方の紐を結び終えると思わず背中にキスをした。すると息が漏れ身体を震わせる姿にヴィンセントは唇を噛みしめ胸の前で十字をきる。

「神よ、お許しください」

 欲に駆られて獣になりそうな自分を静めようと神に祈った。



「フローリア、おいで」
「うぅ……嫌です……」
「怖がらなくていいよ。大きなお風呂と思えばいいんだから」

 プールに先に入ったヴィンセントはガラス戸の向こうに隠れているフローリアを呼ぶが首を振るばかりで来ようとしない。かれこれニ十分もこのやり取りを繰り返しているがヴィンセントは飽きなかった。
 フローリアはそれで身体を隠しているつもりだろうがガラスなため全て見えているのだ。ヴィンセントはそれをあえてフローリアに教えようとせず、恥ずかしがっているのではなく怖がっているのだと勘違いしたフリをする。

「迎えに行こうか?」
「い、いいです!」
「でも僕の身体が冷えちゃうから迎えに行くよ」
「こ、来ないでください!」
「ダメだよ。逃がさない」

 ザバッと音を立てて勢いよく上がると慌てて逃げようとするフローリアを掴まえて抱きしめたヴィンセントの身体は当たり前に冷たくてフローリアは鳥肌が立った。
 だが、それだけではない。手を握り合ったり唇が触れ合ったりするのとはまた違う感触にドキドキしていた。

「一人で入るのは寂しいよ」

 フローリアの背中にヴィンセントの胸が当たる。直接触れ合う肌の温度に激しく動く心臓。
 初めて感じる異常な鼓動にフローリアはおかしくなりそうだった。

「水は初めてなので……一緒にいてくださいね?」
「もちろん。離さないから大丈夫だよ」

 水に触れるのは初めてではない。手を洗う時や顔を洗う時も水。花にやるのも水。飲み水もそうだ。だが水を身体に浴びた事は一度もない。
 お湯はリラックス出来るのに何故水というだけでこんなにも緊張するのかわからないとフローリアは唇を噛みながら手を繋いでプールの階段を一歩ずつ下りていく。

「ヴィンセント様、こっちへ来てください」
「おいで」

 吸い込まれそうに感じるのが妄想だとわかっていても怖い。繋いだ手を引っ張ってヴィンセントを引き寄せると上機嫌に満面の笑みを浮かべて寄ってきては抱きしめられる。
 そのままゆっくり中へ入っていく間、フローリアはしがみついていた。
 肉付きがいいとは言えない細い身体だが衣服を身に纏わない身体を抱きしめられる事だけでヴィンセントは幸せだった。

「毎日入ればきっと慣れるよ」
「今日だけでいいです」
「でもする事ないよ?」
「お昼寝したりお料理したりお散歩したりお祈りしたりお洗濯したり色々ありますよ?」
「そうだけど毎日それの繰り返し?」
「三日三晩お祈りする方がそれを言いますか?」
「う……」

 痛い所を突かれたと反論できなくなると諦めたように溜め息をつくも切り札なら山のように持っていると内心諦めるどころか笑顔さえ浮かべていた。

「水着、よく似合ってるよ」
「ヴィンセント様が選んでくださった物ですから」
「君に似合わないものはないよ。何だって似合うんだから。服が君に合わせるんだろうね」
「ヴィンセント様のシャツ姿もとても素敵です。いつもの正装より素敵に見えますね」
「よし、帰ったらシャツを正装にしよう」

 調子の良い事を言うヴィンセントにフローリアはようやく笑顔になる。頬に口付けて移動すればまたしがみつく腕に力が入るがそれが幸福で意地悪にもプールの中でぐるりと一回転する。

「ホンット、人が変わったようですねえ」

 自分達以外いるはずのない島で声がした。少し高めの、だが若い子の声ではない。
 二人が振り返るとそこには妊婦のエミリアよりお腹が出ている豊満な身体をした中年女性が笑顔で立っていた。

「マーヤ!?」
「マーヤ?」
「マーヤでございます」

 ヴィンセントは知っており、フローリアは知らない。一体誰だろうかと首を傾げるフローリアが視線を向けるとマーヤとバチッと視線が合う。

「はじめまして、フローリア様。お噂はアーラ島にまで届いていますよ」
「あ、はじめまして。フローリアと申します」

 ここには二人しかいないと言っていたのは嘘だったとヴィンセントを見るもヴィンセントも何故いるのかわからないという顔をして首を振る。

「お食事が心配で居ても立っても居られなくて来ちゃいましたよ」
「マーヤ、食事は何とかするよ」
「何とかじゃいけません。一ヵ月もこの島に滞在するのに何とかした食事だけで乗り切っていけるとお思いですか? あなたは良くても奥様は良くないでしょうに。病気をされて帰る事になりたいのですか?」
「一緒に食事を作る予定なんだ」
「お米の炊き方も知らないのにどうやって?」
「彼女の執事が書いてくれたノートがある」
「どんな食材があるかも知らないのに?」
「それは代用するよ」
「食材はどうやって仕入れるおつもりですか? 計画的にされなければ備蓄なんてあっという間に尽きてしまいますよ?」
「いつまでも子供じゃないんだ。僕だってやれる」
「あなたはね。でも奥様は違う。何度言わせるおつもりですか」

 二人の攻防戦のような言い合いにフローリアはただ目を瞬かせるだけだった。結局この人は誰なのかわからないまま二人の言い合いが終わるのをジッと待っていた。

「……はあ。フローリア、彼女はこの島の管理を任せてるマーヤだ」
「管理?」
「手入れをする者です。放っておくと島は荒れ放題になりますからね。流れ着いた物を捨てたり、この家に埃が溜まらないように掃除したり、花や木の世話をしたりするんです」
「まあ、それはご丁寧にありがとうございます」

 人が居たという事に困惑を見せないフローリアがマーヤを受け入れてしまいそうでヴィンセントはハラハラしていた。
 ここでもし自分が酷い態度を取ればフローリアは悲しむだろう。そして二人の間に溝が出来、新婚旅行は失敗に終わる。
 考えすぎな不安にどう対応して良いのかわからず視線を下げて水に浮かぶ胸を凝視していた。

「昨日は何をお食べに?」
「昨日はえっとパンを食べました。棚にあったので」
「それだけ?」
「はい」

 ゴゴゴゴゴと怒りの音が聞こえるとヴィンセントの視線は更に下がっていく。見ずともわかるマーヤが仁王立ちしている姿を見たくないのだ。
 あの体型による威圧感は半端なく、いつも負けてしまう。

「今日からこのマーヤが食事を作りますので」
「それは困る」
「困るのは奥様だと何度も言っているでしょう! この素晴らしいアーラ島でパンだけなんて何を考えているんですか! 魚の美味しさを味わってもらわないと!」

 そもそも何故ここにいるのかという疑問が二人は聞く事が出来なかった。まるで最初からここにいたかのように振る舞うマーヤの勢いに完全に負けていた。

「あ……ごめんなさい。私、お魚食べられないんです」
「おやまあ、臭みが苦手ですか? それなら大丈夫。マーヤにかかれば魚の匂いなんて魔法のように消してみせますから」
「そうじゃないんだ」
「お肉の方がよろしいですか? それなら良いお肉がありますよ。新鮮なものが……」

 違うんだと口を挟むヴィンセントの表情にようやくマーヤが口を閉じる。

「彼女は肉も魚も食べられないんだ」
「ベジタリアンですか?」
「そうなるね」
「なんてこと……」
「ごめんなさい。せっかく作ると言ってくださったのに」

 わなわなと震えるマーヤにフローリアが謝るとマーヤは地面を思いきり地面を踏みつける。
 ヴィンセントはマーヤがどれほど食事を大事にしているか知っているだけに怒りを感じるのもわかると反論はしないが、せめてフローリアがあの表情を見なくて済むよう頭を抱き寄せた。

「うわわわわっ!」

 顔を上げたマーヤがドンッと片手でヴィンセントをプールに突き落とすとフローリアの肩に手を置いた。

「大丈夫ですよ! このマーヤにお任せください! きっと美味しいと喜んでもらえる物を作りますからね!」
「え?」
「肉や魚を使わなくても美味しい物は作れるんですよ。肉や魚が食べられないからってサラダとパンだけじゃいつか身体を壊してしまいます。こんな骨と皮みたいな細い身体もそのせいですよ。まったく、ジャイロの奴は何を食べさせてるんだか! アイツだから任せたっていうのに!」

 お腹と同じぐらい出ている胸を叩いて任せろと張りきるマーヤは逞しかった。
 まさか歓迎してもらえると思っていなかったフローリアは驚きに目を丸くしながらマーヤを見つめていた。

「マーヤ、居座るつもりじゃないよね?」
「そんな無粋に見えますか? お邪魔するつもりはありませんよ。お食事が気になって来ただけですから。食事を作ったら帰りますとも」
「出来れば数日分の作り置きでお願いしたいんだけどね」
「おや、毎日来られちゃ困る事でも?」
「ああそうだよ!」

 わかっていながら聞くことがもう無粋だと眉を寄せるヴィンセントにマーヤは大声を上げながら笑った。
 豪快な笑い方はウルマリアにそっくりでつられたようにフローリアも笑いだした。

「ミルクはお好きですか?」
「大好きです」
「でしょうねえ」
「え?」
「マーヤ!」

 ニヤつきながらフローリアの胸に視線をチラ見するマーヤにヴィンセントが怒るとまたマーヤは大声で笑い始める。
 あの同じ笑顔しか浮かべなかったヴィンセントがこれだけ表情を見せるようになったのがマーヤは嬉しかった。人間が当たり前に持つ感情を彼もちゃんと持っていたのだと結婚が間違いでなかった事を確信する。











 夜、フローリアとヴィンセントはベッドの上で食べ過ぎで膨らんだお腹を撫でながら満腹感に喘いでいた。

「マーヤが色々ごめん」
「楽しい方ですね」
「まさか島にいるなんて」
「心配だったんですよ」
「でも契約違反だ」
「私達のためにあんなに美味しい料理を作ってくださったんですよ? そんな酷いこと言っちゃダメです」

 堅苦しい〝契約違反〟という言葉を使うヴィンセントをフローリアは咎める。ヘレナのような事を言うのはヴィンセントではないと彼の唇に指を押し当てて首を振る表情は険しい。
 邪魔という邪魔をされたわけではないと言うフローリアは甘すぎると不満はあるが口にはしない。

「作り置きしてくださったんですよ?」
「それは…………ありがたいね」
「そうですね。それに何故果物が木に生るのか教えてくださいましたし」
「果物の木だからだよね」
「はい!」

 マーヤが言った『果物の木を植えたら果物が生るのは当然ですよ』という言葉にフローリアはすんなり納得した。小難しい言葉を使うよりそれが当たり前なんだと話すだけでフローリアは納得するのだと一つ勉強になったヴィンセント。

「君は天使みたいだってマーヤも褒めてた」
「ヴィンセント様も天使みたいだって言ってましたよ」
「顔を見て言ってるだけだよ」
「美しいですからね」

 誰から見てもヴィンセント・クロフォードは美しい男だ。そこに居るだけで視線を集める美しさを持っている。フローリアもその視線を向ける一人だ。
 毎日見ているのに毎日彼を美しいと思う。だが、ヴィンセントはそれに対し嬉しそうにする事はなかった。

「君は僕の顔をキレイだって褒めてくれるけど、僕はこの顔が好きじゃないんだ」
「どうしてですか?」

 キレイな顔をしているのは悪い事ではないはず。それなのにヴィンセントは苦笑を滲ませながら天井を見上げたまま溜息にも似た息を吐きだす。

「だって皆、僕の顔しか見ないから」

 ヴィンセントの言っている事はわかる。フロース王国に来てからフローリアが言われた言葉の多くは「美しい」という言葉だった。
 王女と気軽に話せるわけではない国民にとって第一印象が顔であるのは間違いなく、その言葉も実際に美しいものを見た感想としては間違いではない。
 ヴィンセントも仮面をかぶって国民と接し続けてきたのだから中身を見てほしいと願う方がおかしいのだとわかっている。それでも外見〝しか〟見られないというのは寂しかった。
 頬を染める女性たちが見ているのはヴィンセントがどういう男かを知ってるからではなく立っているだけでも美しいからである。

「でも……」

 わかると同意の言葉ではないフローリアの発言にヴィンセントは表情を変えないまま顔を向けた。

「それは皆がヴィンセント様を見ているという事ではないでしょうか? 確かに、ヴィンセント様のお顔は人目を引きます。女性だけではなく男性もヴィンセント様をお綺麗だとおっしゃいます。でもそれは必ずしも悪い事ではなくて、むしろ良い事だと思うんです」
「顔しか褒められないのに?」
「はい」

 顔を向けて頷くフローリアにはその発言に自信があるように見えた。

「きっと、多くの人に愛されるようにと神様が愛を込めてくださったんです。私も大好きですよ、ヴィンセント様のお顔」

 目を瞬かせるヴィンセントに微笑むと苦笑は微笑みへと変わっていく。フローリアの大好きなヴィンセントの優しい微笑み。

「じゃあ君も神に愛されたんだね。だってこんなに美しいんだから」
「いいえ、違います」
「どうして君は違うんだい?」

 否定するフローリアに首を傾げると「ふふっ」と小さく笑う顔が幼く見えて思わず頬を撫でた。
 猫のように手に擦り寄る姿を見つめているとフローリアは言った。

「ウィルに言われたんです。最近すごくきれいになったって。女性は愛されて花開くと言いますからきっとヴィンセント様のおかげですね、とも。だから私をキレイだと思ってくださるのならそれは神様のおかげではなくヴィンセント様のおかげなんです」

 目を瞬かせたあと、もう一度仰向けになって目を閉じながら何かを呟きながら指を組むヴィンセントは大きな溜息を吐き出した後にまた顔を向けた。
 どこか熱を持ったような瞳に見つめられるとわけもわからず恥ずかしくなり視線を逸らすが、頬に触れた手がそれを引き戻す。

「僕は聖人じゃないから君の事を考えるといつも天使と悪魔が喧嘩するんだ」
「天使と悪魔が喧嘩? 悪魔も見えるのですか?」

 悪魔が見えるのなら大変だと嫌な動き方をする胸を押さえながら問いかけるとヴィンセントは首を振る。

「人間の中にはね、天使と悪魔が住んでるんだ。悪い事をする者は悪魔に支配されており、良い事をする者は天使の守護を受けていると言われている」
「……なるほど」

 天使は人間の中に入る事は出来ないし、住んでいるのは天界だと知っているだけに理解出来ない事を言うヴィンセントにフローリアは相槌だけ返した。
 理解は出来ないだろうとわかっているヴィンセントも無理にそれ以上の補足はしなかった。

「僕は君にとって良い人間でありたいと思ってるけど、悪い事をしたいとも思ってしまう」
「悪い事、ですか? ヴィンセントが?」

 悪い事をしているヴィンセントを想像しようにも無理だと上に向けた目を戻そうとした瞬間、上に覆いかぶさるように反転したヴィンセントに目を見開く。
 キスをする時のように顔だけが近いのではない。
 抱き合う時のように身体が触れ合っているわけではない。

 熱を持った目に見下ろされ、今から抱き合うのかキスをするのかわからない状況にフローリアの胸が騒ぎ出す。
 視線を逸らそうにも逸らせず見つめ続けると初めて見るどこか艶のある笑みに息を吞んだ。

「イケナイ事とかね」

 身体が震えそうになる甘い声が耳元で囁く。
 口を開けるも言葉だけでなく声さえも出せないフローリアに目を細めるヴィンセントが紐を引っ張れば天蓋のカーテンが閉じる。
 月明かりが照らす部屋で二人ははじめての夜を迎えた。
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