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エリスローズは失声する
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「お前は賢い子だ。スラム街に埋もれさせておくのが惜しいほどにな」
「陛下! このような者をお褒めになるのは──!」
「だが、その賢さ故にお前を疎ましく思う者がいることもまた事実」
大臣が鼻で笑う。
この国の王に賢いと褒められたことは名誉なことだろう。
だが、この国王自体がそれほど賢くない人間だと思っているエリスローズにとっては何も名誉なことではない。
「条件は?」
「大臣とバーバラを外す代わりにお前の声を封印させてもらう」
「……声を……?」
怪訝な表情を向けるエリスローズに国王は聞き間違いではないと伝えるために大きく頷いて見せた。
「私が事実を口にするのが鬱陶しいから?」
「お前の言葉は人を不愉快にする」
「それは私も同じ。スラム街ってだけで見下される気持ちはあなたにはわからないでしょうけどね」
「それだ。誰にでもそうやって噛み付くからだ。エリーナにもそういう一面はあるが、あの子は笑顔の多い子だった。天真爛漫で自由。それがエリーナだ」
「それを許してるから帰ってこないんじゃないの?」
「そうだな。お前の言っていることは間違いではない。だが、お前と話しているのは国王だということを忘れるな」
「……はい……」
立場的にこっちが有利であろうとも相手が国王であることに変わりはない。
この国の民であると主張する以上はこの国の象徴である二人には敬意を払わなければならない。
「今ここでお前に帰られるのは私たちも困る。だからお前の願いを聞き入れる代わりにその声を封印する。よいな?」
「……一ヶ月に一度、支払われるお給金を家に届けさせてくれる約束……です。そのときだけ声を戻してもらうことはできますか? 両親を……家族を心配させたくないんです」
「ふむ……」
「甘えないで。あなた一人のために魔法使いを動かすはずないでしょう」
「親として気持ちがわからぬわけではない。働きに出た我が子が声を封印されて働いているなどとわかればショックを受けるだろう。だが、王妃が言うようにお前一人のために魔法使いを動かすのもな……」
犠牲になっていると思っている両親に会ったとき、声を封印されたと知れば戻って来いと言うに決まっている。どれだけ嘆くか想像もつかない。
なによりロイが心配だった。家族の中で唯一エリスローズに依存しているロイの精神が不安定になるかもしれない。
「私の家族は私と同じで字の読み書きができません。だから声を失えば何も伝えることができないのです」
「お金を渡してすぐに帰ればいいだけなのでは?」
王妃をキッと睨みつけるとビクッと肩が跳ねたのがわかった。
「どうしているか心配してるんです。元気にやってることを伝えたいんです」
「お供する兵士に伝えてもらえばいいでしょう」
怯んだくせにまだ強気に出る王妃の態度にもう一度睨みつけようとするが、まだかろうじて話が通じる王の起源を損ねるわけにはいかないと言葉にはしなかった。
「すまんが、それはできん。この国は子供たちが馬車に駆け寄ったら馬車を止めて対応することになっている。そのとき、万が一にでも声を出してしまったら子供たちはお前を不審に思うだろう」
「エリーナの声は天使の声そのものですからね。あなたとは似ても似つかない」
エリーナの声を知らない以上は似せることもできない。
ここに来たばかりのエリスローズは王太子妃の仕事内容さえ知らないため万が一がないとも言い切れない。
だからといって家族に声を封印されたとは言えない。
風邪をひいて声が出ないと言うこともできるが、それはそれで風邪を引くような環境にいるのかと心配をかけることになる。
スラム街で生活していて風邪をひくことなどあまりなかった人間がスラム街より圧倒的に良い環境であるはずの場所で風邪をひいたと言うのは苦しい。
「諦めてくれ」
「……わかりました……」
悔しいが諦めるしかない。
両親はきっと送り出したことを死ぬほど後悔するだろう。
悲しい顔は見たくない。どんなに辛いことがあっても笑顔を絶やさなかった二人が大臣がやってきたときに初めて怒ってみせた。
自分たちの辛さは耐えられるが、子供たちの辛さは耐えられない。そんな優しい人たち。
目に浮かぶ彼らの絶望に染まった顔にエリスローズはため息をついた。
「すまないが、目の色も変えさせてもらう。エリーナは青だからな」
「澄み渡る青空のような色よ」
どんな青かなんてどうだっていい。
そこまで変えてしまうのならそこらへんの貧乏貴族令嬢でも呼んで魔法使いに容姿を変えさせればよかったんだと悪態をつきたくなった。
「魔法使い、ここへ」
いつの間に呼んだのか──いや、最初から目の色を変えて声を奪うつもりだったのだろう。
何かあったときに自分はスラム街の人間だと公表してしまわないようにと。
長い杖を持つ魔法使いがエリスローズに寄って顔を覗き込んだ。
「目を閉じるでないぞ」
チカッとした光を瞳が受けた直後、魔法使いは満足げに笑みを浮かべる。
「声も封印でよろしいんでしたな?」
「ああ」
「哀れな娘だ」
魔法使いの呟きが聞こえたのはエリスローズだけ。
憐れまれるのには慣れている。
ゴミ捨て場で生まれた女が場違いな場所に金に釣られてやってきたことがいかに愚かかわかっている。
身代わりだから王太子妃として扱われることもなければ特別扱いもない。
目の色も変えられ声も奪われて、王太子妃が戻るまでただ身代わりを続けるだけ。
そして王太子妃が戻ってきたらお役御免でゴミ捨て場へと戻ることになる。
今のエリスローズには哀れという言葉がピッタリだった。
「これはこれは美しい声を持っているのだな」
封印と言っていたが、実際には声を奪われた。
喉から取り出された光の糸のようなものが杖を伝って魔法使いの手に渡り、小瓶の中へと入れられた。
「ッ──」
声が出ない。
「ッ──!!」
叫ぼうとしても出てこない。
掠れ声さえも出てはくれない。
(魔法ってすごい)
魔法使いの存在も魔法の存在も聞いたことしかなかった。
貧困街の酒場で魔法使いが魔法を使っているのを見たという酔っ払いがいて、周りの連中は『酔っ払ってたんだろ』と笑っていた。
エリスローズもそうだと思っていた。
だが今は信じる。目の前で魔法を使う者がいて、自分が使われたのだから。
ショックを受けるよりも先に感心してしまった。
「エリスローズ、お前を娘のように思える日が来ることを期待しているぞ」
「ちょっと、余計なことを言うのはやめてください」
頭は下げずにそのまま去っていく。
まだ睨みつけている大臣とバーバラに笑顔を向けて中指を立てた。
後ろで王妃が「あんな娘がエリーナの代わりだなんて」と言っているのが聞こえたが気にしない。
中指を立てた相手には王妃も含まれているのだから。
「エリーナ!? 戻ったのか!」
廊下の突き当たりからやってきた男が驚いた顔で駆け寄ってくる。
「どこに行ってたんだ!? もうすぐパレードがあることは君もわかっていたはずだ! それなのになんの連絡も寄越さず、急にフラリと戻ってくるなんて!」
強い力で両肩を掴まれ怒った顔を向けられる。
綺麗な顔で怒る男。それがエリスローズが受けた第一印象だった。
「王太子殿下、彼女はエリーナ様ではありません。エリーナ様がお戻りになられるまでの身代わりで雇った者です」
「身代わり……?」
驚いた顔で手を離して改めて顔を見る王太子は信じられないという顔を見せる。
「エリーナでは……ない……?」
王太子にとってエリスローズの今の姿は完全にエリーナなのだろう。
赤い目が青に変わり、化粧で似せた顔。夫がこれほど近くで見てもまだ信じられないという顔を見せるのだから相当似ているのだとエリスローズ自身驚きだった。
だが喜びはない。
身代わりと聞いて驚いていたところを見ると何も聞かされてはいなかったのだろう。
「強く掴みすぎた。すまない」
素直に謝罪する王太子にエリスローズは口を開くが声が出ないことを思い出して首を振った。
「彼女は生まれつき声が出ません」
「ッ!?」
後ろを歩いていたメイドが平気な顔で嘘をつく。
エリスローズが驚いて振り返るもメイドの表情に笑顔はない。
「そうだったのか……」
同情するような表情を向ける王太子にエリスローズは視線を逸らす。
「僕はリオン。リオン・レッドローズ」
会釈をするしか返せないが、これはこれで楽だと開き直ることにした。
いちいち言葉遣いを訂正されることはないし、人との面倒なやりとりも発生しない。
家族と話せないのは辛いが、これは遊びではなく仕事。金を稼ぎに来ているんだと思い直した。
「君の名は?」
名前を伝える方法を持たないエリスローズがどうやって伝えるべきか迷っているとまたメイドが口を開いた。
「王太子殿下が彼女と接することはほとんどありません。彼女はイベントの顔見せ用に雇われた者ですので、普段は距離を置いてください」
「そんなひどい扱いをする必要はない。雇われたのなら契約を交わした相手だ。それなりの対応をする必要がある」
「王太子殿下のような方とは無縁の立場です」
「でも今は妻の代わりとなってくれる立場だ。エリーナの尻拭いをしに来てくれている相手だ」
「お給金が発生しています」
バーバラの教育が行き届いているのだろう。遠慮がちではあるがハッキリ伝えるメイドにエリスローズは呆れたように目だけを上に向けた。
「君は僕の行動を制限するつもり?」
「そ、そのようなつもりは!」
「父上がそのように言えと言ったのかい?」
「い、いえ……ですが、この者とのコミュニケーションは不可能です」
「じゃあ紙とペンを持ってきてくれ」
「字が読めず書くこともできません」
本当かとエリスローズを見るリオンにエリスローズは頷いた。
「そうか。それは残念だ。可哀想に」
可哀想という言葉にカチンとくるが、貧困街の人間でさえ字の読み書きはできる。スラム街の人間だけが字の読み書きができないのだ。
最高の教育を受けている者からすれば、なんの教育も受けていない者は可哀想なのだろう。
あの親に育てられた人間だ。彼だけは特別、などとあるはずがない。
「彼女のことはエリーナとお呼びください。万が一にでも間違いがあっては困ります」
「それもそうか。わかったよ」
もし本名を知ってそれを人前で呼んでしまうことがあれば大事。
通称は同じだとしてもフルネームで呼んでしまわないとは限らない。
それには納得を見せたリオン。
「エリーナの代わりは大変だろうけど、どうかよろしく頼むよ」
爽やかな笑顔の人。
だが、エリスローズはこれを素直に受け取ることができない。
この人はまだ自分がスラム街出身だということを知らない。知ればそれなりの態度を見せるかもしれない。
そう思ってしまうのだ。
人間は誰しも裏用と表用に顔を持っている。それはエリスローズも同じ。
だからこそ疑ってしまう。この人の裏の顔を。
それでもメイドが言うように接点が少ないのであれば探る必要もない。
「エリーナから連絡は?」
「ありません」
「そうか」
眉を寄せながら去っていくのを見送ってからエリスローズも部屋へと戻った。
「陛下! このような者をお褒めになるのは──!」
「だが、その賢さ故にお前を疎ましく思う者がいることもまた事実」
大臣が鼻で笑う。
この国の王に賢いと褒められたことは名誉なことだろう。
だが、この国王自体がそれほど賢くない人間だと思っているエリスローズにとっては何も名誉なことではない。
「条件は?」
「大臣とバーバラを外す代わりにお前の声を封印させてもらう」
「……声を……?」
怪訝な表情を向けるエリスローズに国王は聞き間違いではないと伝えるために大きく頷いて見せた。
「私が事実を口にするのが鬱陶しいから?」
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「それは私も同じ。スラム街ってだけで見下される気持ちはあなたにはわからないでしょうけどね」
「それだ。誰にでもそうやって噛み付くからだ。エリーナにもそういう一面はあるが、あの子は笑顔の多い子だった。天真爛漫で自由。それがエリーナだ」
「それを許してるから帰ってこないんじゃないの?」
「そうだな。お前の言っていることは間違いではない。だが、お前と話しているのは国王だということを忘れるな」
「……はい……」
立場的にこっちが有利であろうとも相手が国王であることに変わりはない。
この国の民であると主張する以上はこの国の象徴である二人には敬意を払わなければならない。
「今ここでお前に帰られるのは私たちも困る。だからお前の願いを聞き入れる代わりにその声を封印する。よいな?」
「……一ヶ月に一度、支払われるお給金を家に届けさせてくれる約束……です。そのときだけ声を戻してもらうことはできますか? 両親を……家族を心配させたくないんです」
「ふむ……」
「甘えないで。あなた一人のために魔法使いを動かすはずないでしょう」
「親として気持ちがわからぬわけではない。働きに出た我が子が声を封印されて働いているなどとわかればショックを受けるだろう。だが、王妃が言うようにお前一人のために魔法使いを動かすのもな……」
犠牲になっていると思っている両親に会ったとき、声を封印されたと知れば戻って来いと言うに決まっている。どれだけ嘆くか想像もつかない。
なによりロイが心配だった。家族の中で唯一エリスローズに依存しているロイの精神が不安定になるかもしれない。
「私の家族は私と同じで字の読み書きができません。だから声を失えば何も伝えることができないのです」
「お金を渡してすぐに帰ればいいだけなのでは?」
王妃をキッと睨みつけるとビクッと肩が跳ねたのがわかった。
「どうしているか心配してるんです。元気にやってることを伝えたいんです」
「お供する兵士に伝えてもらえばいいでしょう」
怯んだくせにまだ強気に出る王妃の態度にもう一度睨みつけようとするが、まだかろうじて話が通じる王の起源を損ねるわけにはいかないと言葉にはしなかった。
「すまんが、それはできん。この国は子供たちが馬車に駆け寄ったら馬車を止めて対応することになっている。そのとき、万が一にでも声を出してしまったら子供たちはお前を不審に思うだろう」
「エリーナの声は天使の声そのものですからね。あなたとは似ても似つかない」
エリーナの声を知らない以上は似せることもできない。
ここに来たばかりのエリスローズは王太子妃の仕事内容さえ知らないため万が一がないとも言い切れない。
だからといって家族に声を封印されたとは言えない。
風邪をひいて声が出ないと言うこともできるが、それはそれで風邪を引くような環境にいるのかと心配をかけることになる。
スラム街で生活していて風邪をひくことなどあまりなかった人間がスラム街より圧倒的に良い環境であるはずの場所で風邪をひいたと言うのは苦しい。
「諦めてくれ」
「……わかりました……」
悔しいが諦めるしかない。
両親はきっと送り出したことを死ぬほど後悔するだろう。
悲しい顔は見たくない。どんなに辛いことがあっても笑顔を絶やさなかった二人が大臣がやってきたときに初めて怒ってみせた。
自分たちの辛さは耐えられるが、子供たちの辛さは耐えられない。そんな優しい人たち。
目に浮かぶ彼らの絶望に染まった顔にエリスローズはため息をついた。
「すまないが、目の色も変えさせてもらう。エリーナは青だからな」
「澄み渡る青空のような色よ」
どんな青かなんてどうだっていい。
そこまで変えてしまうのならそこらへんの貧乏貴族令嬢でも呼んで魔法使いに容姿を変えさせればよかったんだと悪態をつきたくなった。
「魔法使い、ここへ」
いつの間に呼んだのか──いや、最初から目の色を変えて声を奪うつもりだったのだろう。
何かあったときに自分はスラム街の人間だと公表してしまわないようにと。
長い杖を持つ魔法使いがエリスローズに寄って顔を覗き込んだ。
「目を閉じるでないぞ」
チカッとした光を瞳が受けた直後、魔法使いは満足げに笑みを浮かべる。
「声も封印でよろしいんでしたな?」
「ああ」
「哀れな娘だ」
魔法使いの呟きが聞こえたのはエリスローズだけ。
憐れまれるのには慣れている。
ゴミ捨て場で生まれた女が場違いな場所に金に釣られてやってきたことがいかに愚かかわかっている。
身代わりだから王太子妃として扱われることもなければ特別扱いもない。
目の色も変えられ声も奪われて、王太子妃が戻るまでただ身代わりを続けるだけ。
そして王太子妃が戻ってきたらお役御免でゴミ捨て場へと戻ることになる。
今のエリスローズには哀れという言葉がピッタリだった。
「これはこれは美しい声を持っているのだな」
封印と言っていたが、実際には声を奪われた。
喉から取り出された光の糸のようなものが杖を伝って魔法使いの手に渡り、小瓶の中へと入れられた。
「ッ──」
声が出ない。
「ッ──!!」
叫ぼうとしても出てこない。
掠れ声さえも出てはくれない。
(魔法ってすごい)
魔法使いの存在も魔法の存在も聞いたことしかなかった。
貧困街の酒場で魔法使いが魔法を使っているのを見たという酔っ払いがいて、周りの連中は『酔っ払ってたんだろ』と笑っていた。
エリスローズもそうだと思っていた。
だが今は信じる。目の前で魔法を使う者がいて、自分が使われたのだから。
ショックを受けるよりも先に感心してしまった。
「エリスローズ、お前を娘のように思える日が来ることを期待しているぞ」
「ちょっと、余計なことを言うのはやめてください」
頭は下げずにそのまま去っていく。
まだ睨みつけている大臣とバーバラに笑顔を向けて中指を立てた。
後ろで王妃が「あんな娘がエリーナの代わりだなんて」と言っているのが聞こえたが気にしない。
中指を立てた相手には王妃も含まれているのだから。
「エリーナ!? 戻ったのか!」
廊下の突き当たりからやってきた男が驚いた顔で駆け寄ってくる。
「どこに行ってたんだ!? もうすぐパレードがあることは君もわかっていたはずだ! それなのになんの連絡も寄越さず、急にフラリと戻ってくるなんて!」
強い力で両肩を掴まれ怒った顔を向けられる。
綺麗な顔で怒る男。それがエリスローズが受けた第一印象だった。
「王太子殿下、彼女はエリーナ様ではありません。エリーナ様がお戻りになられるまでの身代わりで雇った者です」
「身代わり……?」
驚いた顔で手を離して改めて顔を見る王太子は信じられないという顔を見せる。
「エリーナでは……ない……?」
王太子にとってエリスローズの今の姿は完全にエリーナなのだろう。
赤い目が青に変わり、化粧で似せた顔。夫がこれほど近くで見てもまだ信じられないという顔を見せるのだから相当似ているのだとエリスローズ自身驚きだった。
だが喜びはない。
身代わりと聞いて驚いていたところを見ると何も聞かされてはいなかったのだろう。
「強く掴みすぎた。すまない」
素直に謝罪する王太子にエリスローズは口を開くが声が出ないことを思い出して首を振った。
「彼女は生まれつき声が出ません」
「ッ!?」
後ろを歩いていたメイドが平気な顔で嘘をつく。
エリスローズが驚いて振り返るもメイドの表情に笑顔はない。
「そうだったのか……」
同情するような表情を向ける王太子にエリスローズは視線を逸らす。
「僕はリオン。リオン・レッドローズ」
会釈をするしか返せないが、これはこれで楽だと開き直ることにした。
いちいち言葉遣いを訂正されることはないし、人との面倒なやりとりも発生しない。
家族と話せないのは辛いが、これは遊びではなく仕事。金を稼ぎに来ているんだと思い直した。
「君の名は?」
名前を伝える方法を持たないエリスローズがどうやって伝えるべきか迷っているとまたメイドが口を開いた。
「王太子殿下が彼女と接することはほとんどありません。彼女はイベントの顔見せ用に雇われた者ですので、普段は距離を置いてください」
「そんなひどい扱いをする必要はない。雇われたのなら契約を交わした相手だ。それなりの対応をする必要がある」
「王太子殿下のような方とは無縁の立場です」
「でも今は妻の代わりとなってくれる立場だ。エリーナの尻拭いをしに来てくれている相手だ」
「お給金が発生しています」
バーバラの教育が行き届いているのだろう。遠慮がちではあるがハッキリ伝えるメイドにエリスローズは呆れたように目だけを上に向けた。
「君は僕の行動を制限するつもり?」
「そ、そのようなつもりは!」
「父上がそのように言えと言ったのかい?」
「い、いえ……ですが、この者とのコミュニケーションは不可能です」
「じゃあ紙とペンを持ってきてくれ」
「字が読めず書くこともできません」
本当かとエリスローズを見るリオンにエリスローズは頷いた。
「そうか。それは残念だ。可哀想に」
可哀想という言葉にカチンとくるが、貧困街の人間でさえ字の読み書きはできる。スラム街の人間だけが字の読み書きができないのだ。
最高の教育を受けている者からすれば、なんの教育も受けていない者は可哀想なのだろう。
あの親に育てられた人間だ。彼だけは特別、などとあるはずがない。
「彼女のことはエリーナとお呼びください。万が一にでも間違いがあっては困ります」
「それもそうか。わかったよ」
もし本名を知ってそれを人前で呼んでしまうことがあれば大事。
通称は同じだとしてもフルネームで呼んでしまわないとは限らない。
それには納得を見せたリオン。
「エリーナの代わりは大変だろうけど、どうかよろしく頼むよ」
爽やかな笑顔の人。
だが、エリスローズはこれを素直に受け取ることができない。
この人はまだ自分がスラム街出身だということを知らない。知ればそれなりの態度を見せるかもしれない。
そう思ってしまうのだ。
人間は誰しも裏用と表用に顔を持っている。それはエリスローズも同じ。
だからこそ疑ってしまう。この人の裏の顔を。
それでもメイドが言うように接点が少ないのであれば探る必要もない。
「エリーナから連絡は?」
「ありません」
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眉を寄せながら去っていくのを見送ってからエリスローズも部屋へと戻った。
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