エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

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エリスローズは我慢する

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 雨の音で目を覚ましたエリスローズは腕の中で眠るロイをちゃんと枕に頭を置くよう寝かせてベッドから降りた。
 窓辺に行って窓を打つ雨を眺める。

「雨……」

 この三ヶ月、エリスローズは雨を見ていなかった。
 アクティーはあまり雨が降らないため降ったら一気に洗濯や洗髪をするようになっていた。
 それほど陽の光は当たらないため日照りを感じたこともないが、それでも気温が上がれば貯めた雨水は乾いていく。
 今となってはそれも懐かしい思い出だと目を細める。

(よかった)

 この家にいると雨が降っていても感じない湿気と寒さ。
 ちゃんと壁があって窓がある。見たくなければカーテンを閉めればいい。
 スラム街では考えられないことだ。
 鬱陶しい雨に大喜びしていたあの頃が懐かしいと思う気持ちはあれど、やはりあの生活はメイやシオンには悪影響しか及ぼさない。
 風邪をひかなかったことだけが救いで、もしあそこで風邪をひけば待つのは死だけ。
 存在しない神に救いを求めながら死神の訪問を待つそんな時間。
 ここではその心配はない。風邪をひけば適切な治療を受けられるはずだ。

(そのためには……)

 王太子に嫌われないようにしなければならない。
 あのときはカッとなって言ってしまった。自分の立場も忘れて。
 ちゃんと気に入られていなければ救いの手は差し出されないと反省し、帰ったら謝ることを決めた。

「エリー……? エリー!? エリー!」

 目を覚ましたロイが隣にいるはずのエリーがいないことに慌てて起き上がって探しに行こうとするのを窓をノックすることで居場所を知らせた。
 安堵した表情と今にも泣き出しそうな表情のまま駆け寄ってくるロイを抱きしめる。

「勝手に帰ったのかと思った……」

 そんなことするはずがない。
 抱き上げてベッドに戻り腰掛けるとペンと紙を取って字を書く。

『ロイが熱にうなされてても起こしてから帰る』
「約束だからな」

 冗談で言ったこともロイは本気で受け止める。

『でも風邪なんてひかないでね』
「わかってる。もうエリーを泣かせたいしない」

 ちゃんと言葉にしてくれるロイに頬ずりをするとロイがくすぐったいと笑う。
 
「やーっ! もっか!」

 下が賑やかなことに気付いた二人は顔を見合わせて一緒に廊下に出た。

「ゲッ!」

 階下に広がる光景の中にいる人物にロイが思わず声を上げる。

「なんでテメーがここにいんだよ!」

 ロイの大嫌いな人物がシオンとメイを膝に乗せて絵本を読んでいた。

「エリー」

 リオンだ。
 バツの悪そうな顔をしながら立ち上がったリオンにエリスローズは困惑する。

「仕事で忙しいんじゃなかったのかよ」
「あー……うん、そうなんだけど、急いで終わらせてきたんだ」
「テメーは仕事だけしてろ」
「ロイッ!」

 悪態をつくロイを父親が叱るもロイは聞かない。
 リオンを見るとロイは不安になる。自分よりも遥かに大人の男であるリオンがエリスローズの傍にいるのが気に食わない。
 エリスローズを包み込めるだけの身長と剣を振れるだけの筋肉。王太子という地位に山ほどプレゼントを贈れるだけの財力。
 身長はどこまで伸びるかわからないし、王太子の地位を得ることもできなければ山のようにプレゼントを買うだけの財力もきっと得られない。
 自分がエリスローズを想っているように、エリスローズがいつの間にかリオンに恋をしたらどうしようと考えてしまうからリオンが嫌いだった。 

「勝手に上がってごめん。勝手に来ちゃってごめん」
「頭を下げるなんておやめください。玄関でいいとおっしゃったのだが、私たちが中へと言ったんだ」

 エリスローズに向かって頭を下げるリオンに慌てて両親が駆け寄ると二人は触らないものの頭を下げるよう必死に手を何度も上に上げて促す。
 
「君が怒るのも──ッ!?」

 家族の前であの話をしようとするリオンにエリスローズは焦って床を思いきり踏みつけることで止めた。
 全員が驚いた顔をするのを見て失礼なやり方だったと直後に思ったが、やってしまったことは変えられない。
 ロイを抱っこしたまま階段を駆け降りると一度ロイを床に下し、紙とペンを取る。

『それは馬車の中で聞きます』

 紙を見せるとリオンが頷く。

「なんの話だよ」

 それを読んだロイが不愉快そうにリオンに問いかけるもリオンは苦笑するだけ。

「お前がエリー怒らせたのか?」
「いや、それは……」
「俺はお前を信用してねぇけど、俺以外は皆お前を信用してエリーを任せてんのに泣かすとか怒らせるとか絶対に許さねーぞ」
「ごめんよ、ロイ」
「謝るぐらいならすんなよ」

 無礼な口の利き方をするロイにさえリオンは膝をついて謝る。
 優しい人だとわかっている。それは接してきたエリスローズが一番よくわかっていることだ。

『どうしてここに?』
「ロイにたくさんノートを持ってきたんだ。鉛筆もね。それから字の練習帳もね」
「……もらっといてやるけど」
「よかった」

 もっと字が読めるように書けるようになりたいロイはそれを意地で拒むことはできない。
 差し出されたノートや練習帳を受け取って両腕に抱えるとそれを置きに二階へと走って上がっていく。

「メイとシオンにもたくさん絵本を持ってきてくださったんだ」
「シオンはすごいよ。もうメイに絵本を読んであげてるんだから」
「これだけだよ。他の絵本はまだよめない」

 メイお気に入りのウサギの本。それだけはなんとしても読んでやりたかったのだろう。
 閉じた絵本をメイが開いてもう一回読むよう絵本を叩いて促している。

『お姉ちゃんにも教えてほしかったなー?』
「だっておにーちゃんとちがうもん。僕、お手紙かけないし」
『書けなくてもいいの。シオンができるようになったことを教えてほしいだけ』
「メイに絵本よんであげてるんだ」
『すごいのね。シオンもとっても頑張り屋さん』

 書いた言葉は全てリオンが読んでくれる。
 ちゃんと自分の声で届けられたらどんなにいいだろうといつも思う。彼らが読めない文字を書いて誰かに頼るのではなく自分の声で伝えたいと。
 だがこれは自分の口の悪さが招いた結果。いや、もし品行方正だったとしても魔法使いが既に準備していたということは最初から考えていたことだったのだろう。
 それでも口の悪さが彼らの癪に触ったのは確かだ。
 エリスローズの反省すべき点でもある。

「はあく! はあく!」

 バンバンッと本を叩いて催促するメイにシオンがまた一ページ目から同じ絵本を読み始める。
 嬉しそうに絵本の絵を見ているメイは何度もウサギをハグする。

「あれからずっとああやって皆を抱きしめるの」
「家族にハグはするようになったかい?」
「それはもう以前よりずっと増えました」
「それはよかった。触れ合いは大事だからね」
「お前はエリーに指一本だって触るなよ」
「あはは……」

 王太子妃としての任務だとしてもロイは見てられないだろう。
 苦笑するリオンに触れさせまいとエリスローズを抱きしめるロイがエリスローズを押して距離を取らせる。

「あー」
「あ、くれるのかい?」
「ん」
「あーん」

 フォークが刺さったリンゴをリオンの口まで運ぶメイに従って口を開けると入ってきた半分に齧り付く。
 シャクシャクと良い音が鳴るリンゴに目を細めるリオンに両親が安堵する。

「おーし?」
「美味しいよ。メイもお食べ」
「あー」

 自分でフォークを持っているのに食べさせてもらおうとするメイに笑いながらフォークを取って食べさせるリオンに甘えるメイの姿にエリスローズは少し寂しくなる。
 メイはこの家で一番の甘えただが、エリスローズにあんな風にべったり甘えることはない。
 今日もエリスローズが帰ってきたことに喜びは見せず、リオンがいないことに泣いた。
 きょうだいが多いのは嬉しい。だが、誰かを構えば誰かが我慢をすることになる。それは避けようにも避けられないことで、一番我慢しているのはロイ。
 だからエリスローズはついロイを甘やかしてしまう。
 二人は両親に甘えるからとロイを構っているとメイとシオンはエリスローズにべったり甘えることがなくなった。
 自分のせいだとわかっていながらも少し寂しかった。

『メイ、よかったね』
「うん!」

 明るい返事が聞けるだけいいかと気持ちを切り替えて髪を撫でると幸せそうに顔を綻ばせる。
 だが、それが泣き顔に変わった夕焼け空の帰城時間。

「やーっ! いっしょ! にーに! やーっ!」

 今までで一番酷い泣き方にリオンが一番困っていた。
 連れて帰ってやりたいのは山々だが出来るはずがない。

「メイ、また来月来るからね。一緒に遊ぼう」
「やーっ!」
 
 父親に抱えられたまま両手足をバタつかせてリオンを求めるメイに触れようにも触れられない。
 子供の力は意外と強いため一度握られると離れなくなってしまう。だから触れないでいる。

「メイは大丈夫ですから行ってください」
「ごめんね。シオンもロイもまたね」
「またね!」
「エリー、またすぐ会えるからな」

 ロイはリオンの言葉を無視して最後にとエリスローズに抱きついた。
 待っている立場の人間が言うことではないと笑ってしまうもロイらしい言葉に頷いてノートを開く。

『大好きよ』

 ちゃんと読めるようになった言葉にロイが嬉しそうに笑う。

「俺も大好き」

 忘れていないエリスローズの声で再生される大好きの言葉。
 思い出せることが嬉しかったが、それと同時に切なくもなった。
 早くエリスローズの声でちゃんと聞きたいと。

「僕も大好き!」
『シオンのことも大好きよ』

 抱きついてきたシオンも一緒に抱きしめると満面の笑顔が花開く。
 二人の額にキスを贈るとメイにも寄って同じように額にキスをした。

「ねーね……」

 大人しくなったが涙は止まらない。玉の涙が頬を何度も伝い、悲しみを訴えてくる。

「メイ、また会えるから良い子で待ってて」
「にーに……」

 寂しいと言いたいのだろうがメイはそこまで言葉を話せない。
 しっかりと顔に書いて訴えるメイの願いを二人は叶えてやれない。
 ゆっくりと離れて手を振れば一緒に馬車に乗り込んでいく。
 ロイもシオンもさっきまでの笑顔が嘘のように変わり、切なげになっている。
 両親と目が合い、頷いたのを見て頷き返し、馬車を発車させた。
 いつもは叫ぶように名前を呼ぶロイがそれを我慢して手を振っている。
 エリスローズは家族が見えなくなるまで手を振り続けた。
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