エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

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エリスローズは訪問する

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『視察、ですか?』
「視察というか、定期訪問というか」

 リオンが持ってきた話にエリスローズが首を傾げる。
 王太子妃の年間予定リストは少し前に受け取ったが、その中に児童施設への訪問などはなかった。
 定期訪問であればリストの中に入っているはず。
 急すぎる予定にエリスローズはなぜだと目で訴えた。

『定期訪問ということはエリーナ様もされていたのですか?』
「一応予定としては入れていたんだけど、エリーナはそういうのは好まないタイプだったから」

 自分の子供さえ欲しがらないエリーナは子供が嫌いなのだろう。
 たとえ王太子妃の仕事であろうとも嫌なら断る。媚を売る真似などしないのがエリーナなのだろう。
 今はまだ王太子妃という立場だが、それが王妃になればこの国は今以上に腐ったものになる。
 それこそ貧困街もスラム街もなくしてしまおうとするかもしれない。
 
『今までしなかったことを急にやるのはどうなんでしょう?』
「どうって?」
『エリーナ様が帰ってきたら訪問は行わない。今回限りということになりますよね? それって悪評になると思いませんか?』

 一度も行ったことがないのであれば予定に組み込まれなかっただけで済むが、一回限りの訪問はたった一回だけと言われかねない。
 エリスローズがエリーナの悪評について考えてやる必要はないのだが考えてしまう。

『児童施設への補助などはしているのですか?』
「もちろんだよ。支援金を出しているし、定期的にアイスクリームやチョコなども持って行ってる」
『王太子自らですか?』
「いや、それは教育大臣がしていることだから」

 言いきるリオンにため息をついたエリスローズは呆れたような顔を向ける。

『子供は国の未来を担う者たちです。児童施設がどういう場所か、親をなくした子供たちがどう過ごしているのかを知りもしないで国王になるつもりですか?』
「それは……」
『国が支援していると言っても何が必要なのかさえ知らないのに支援だなんてよく言えますね』
「僕は……」

 スラム街に来ない理由はわかる。ゴミ捨て場と呼ばれる場所に王族が足を運ぶなど考えられないことなのだろう。
 あの親に育てられているのだから自らゴミ捨て場に足を運ぼうと思わないのも仕方ないとわかる。
 だが、児童施設に足を運ぶことはなんら難しいことではないはず。むしろ足を運ぶべきなのだ。この国を支えていくだろう子供たちの今を見るべきだと厳しい言葉を並べるエリスローズにリオンが苦笑を滲ませながら息を吐き出して何度か頷いた。

「君の言う通りだ。僕は与えられた仕事だけをしている人形のようなもので、自分で考えて何かしようと思ったこともない。でもそれじゃダメなんだ。この国の今を見るべきなんだよね」
『そうです』

 いつ王位を継ぐのかはわからない。まだ何十年も先かもしれないし、明日になるかもしれない。
 そうなったときに周りの貴族の言いなりになる操り人形ではこの国は衰退の一途を辿るだけだろう。
 まだ善意ある彼がこの国の現状を見て、自分が王になったらその全てを変えるという意気込みぐらいは持ってほしかった。

「妻がいないと何もできない夫は情けないね」
『夫は普段は尻に敷かれ、いざというときに背中を見せるものらしいですよ』
「君は尻に敷くタイプ?」
『かもしれませんね』
「僕は敷かれるタイプだからピッタリだね」

 利用してくれと言ってからリオンはこうした発言が増えた。
 何かと自分たちの相性を確認する。
 それに一体なんの意味があるのかと思いながらもエリスローズは冷めた反応は見せないことにしている。
 いつ終わるかわからない関係だが、それでも相手が自分に気持ちを向けてくれている間は孤立せずに済む。
 一人には慣れているのに一人になると思うと少し怖い。だからリオンを受け入れる。
 利用してくれなどと言っておきながら利用しているのは自分だと滲みそうになる苦笑を飲み込んだ。

「じゃあ一緒に行こうか」
『そうですね』
「はい」

 差し出された手を不思議そうに見るエリスローズが口を動かして「まさか」と口にすると

「訪問の予定は今日だからね」
(先に言ってよ!!)

 にっこり笑って告げるリオンに心の中で怒りながら手を握って一緒に馬車へと向かった。

「プリンセスエリーナ、リオン殿下、ようこそお越しくださいました! このような所まで足をお運びいただき感謝いたします!」
「よろしく頼むよ」

 児童施設にはたくさんの子どもがいるが、そこはエリスローズの想像とは全く違う光景が広がっていた。
 子どもたちが無邪気に走り回っている光景はどこにもなく、まるで軍隊のように綺麗に並んで立っている。

「ご挨拶なさい!」
「プリンセスエリーナ、リオン殿下、ようこそお越しくださいました!」

 教官のように声を上げた施設長に従って子どもたちは声を揃わせて大きな声で施設長と同じ言葉を発する。
 異様だとしか思えない光景にエリスローズは怪訝な表情でリオンを見るとリオンも同じような顔をしていた。
 リオンは子ども好きだ。エリスローズと同じイメージでやってきたのだろう。だが目の前に広がる光景は想像とは似ても似つかないもので、自分はどこに来たのかと数歩下がって施設の入り口にある施設名を見た。
 そこにはちゃんと【児童養護施設】と書いてあり【児童軍人養成所】とは書いていない。

『子どもたちは普段ここでどういう風に過ごしているのですか?』

 エリーナのノートを見て施設長は急に鼻を高く伸ばして自慢するように施設に向けて腕を伸ばす。

「ここはこの区域で最も優秀な児童が集まっている施設です! 我が施設では教育に力を入れており、有名校の特別枠に入学する子も多いんですよ!」
『何歳から何歳までいるのですか?』
「三歳から十六歳までいます」
『里親に出される子は?』
「もちろんいますよ! 優秀な子供を欲しがる貴族はそれなりにいますからね!」

 エリスローズはこの施設長が嫌いだと思った。
 優秀なのは子供たちであって施設長ではないのにまるで自分の手柄であるかのように話をする。
 それに彼の言い方は子供たちを商品として捉えているように聞こえて仕方なかった。

「ボールで遊んだり絵本を読んだりはしないのですか?」
「はははははっ! プリンセスエリーナ、彼らを貧困街やスラム街の親なしと一緒にしてもらっては困ります」

 どこかバカにするような言い方にエリスローズの眉がピクリと動く。

「彼らは一流になる素質のある者たちばかりです。彼らを見てください。誰一人として泥臭い者はいないでしょう? ここにいるのは優秀さが証明された者だけなんです。ボール遊びや絵本なんてそんなくだらないことに無駄な時間を費やす子供はいません」
『三歳の子どもに絵本を読み聞かせることは無駄な時間なのでしょうか?』
「これは見下しているからではないのですが、プリンセスエリーナはまだお子様をお持ちではない。それ故に幼い頃からの教育がどれほど大事かまだお分かりではないのでしょう。子供は三歳で既に性格が形成されていると言われています。それまでに勉強がいかに大事かを教えておく必要があるんです。内容のない絵本の読み聞かせになんの意味があるとお重いでしょう? 娯楽を覚えるのは一人前になってからでいいのです。それまでは一流になるために費やすことが大切なのですよ、プリンセスエリーナ」

 くだらない話だと鼻で笑ってやりたくなった。
 この区域で暮らしているのは貴族ではなく平民。その平民でさえこういう考え方をする者がいるのだと知ったエリスローズは未来に希望はないと感じた。
 スラム街を抜けて貧困街を飛び越え平民街に上がれば未来は明るいと思っていた。一人前の暮らしができるのだと。だから今のうちに金を貯めて最低でも貧困街、もし上手く貯まれば平民街にだって行けると思っていたのに、平民でさえこれなのだからと出そうになるため息を飲み込んだ。

『ここにいる子供たちは皆、この区域の子どもたちですか?』
「もちろんです。貧困街の子供は教養がないので入れません。そもそも貧困街の人間がここまで上がってくることもまずないですし」
「待て、なぜ上がれないんだ?」

 キョトンとした顔をする施設長と真剣な顔で問いかけるリオンの温度差にエリスローズは目を閉じた。

「貧困街で暮らす汚れた人間が街に上がってくるだけでこの街は汚れるんです。稼ぎが少ないからと義務である税を払わないような人間の集まりですよ? 税を払って生きている私たちの街に上がってくることなど許されませんよ」

 大笑いする施設長にリオンが怪訝な表情を深める。
 お人形として生きてきたリオンはこの国に蔓延している暗黙のルールさえも知らなかったのだろう。
 だからエリスローズは誰にも期待しない。今の国王にもリオンにも。
 見ない知らないで生きている者たちが何を変えてくれるというのか。
 平民と接するのはエリスローズ自身初めてだが、ここまで腐っているのかと驚きよりも呆れが勝った。

『ここに定期的に運ばれてくる食べ物はどうしているのですか?』
「もちろんちゃんと与えていますよ」
『彼らにですか?』
「もちろんですとも。お前たちはおやつを食べているだろう?」
「はい! いつもおいしいおやつをありがとうございます!」

 眩暈がするような光景に見ているだけで吐き気がする。
 メイと同じ年頃の子どもでさえその場に立っている。
 何も自由なんかじゃない。ここはスラム街よりずっとひどい場所だと絶望さえ感じていた。

『なぜ、十六歳なのですか? この国の成人年齢は十八歳のはずです』
「子供は十六歳からじゅうぶんに働けます。働ける年齢に達しながら与えられる物は全て受け取るという卑しい考えは私の教育方針に反しますから」
『ここを追い出された子供たちはどうやって生きていくのですか?』
「施設を出たあとのことは知りません。職を見つけて必死に働いて生きているでしょう」

 あまりにもいい加減な回答にエリスローズが拳を握りしめる。
 なぜ世の中にはこういう人間が上に立つのだろう。
 まだ三歳。絵本を読み聞かせることも、抱っこされて散歩に出ることも、甘えることだってしていいはず。
 それを許さないとする彼がこの施設の責任者というのは彼らの未来を潰すことになるように思えて仕方ない。
 だが、彼の言葉から察するにこの中には子供に恵まれなかった貴族の家に迎えてもらう者もいるということ。
 それは優秀だから選ばれるのであって、のんびりとした普通の子はけして選ばれない。
 だからこそ間違っていると書くことはできなかった。
 自分は王太子妃ではなく王太子妃のフリをしているだけに過ぎないため、なんの力も持っていない。
 お金があれば施設を作って貧しい子供たちがのびのびと暮らせる場所を提供するのにと思うことしかできない。
 理想をいくら掲げても力がなければ何もできない。
 それは貴族の子供になれるよう教育に力を入れる彼にも劣ることだと悔しかった。

「よろしければ自慢の施設を案内しますので見学していってください。きっとプリンセスエリーナのお考えも変わるはずです」

 爽やかな笑みとは程遠い下卑た笑顔を見せる施設長に嫌悪感を示すエリスローズに腕を差し出すリオンを見上げると小さく頷くためエリスローズは一度キュッと締めた唇を緩め、小さく深呼吸をしてから一緒に中へと入っていった。
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