エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

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エリスローズは攻撃する

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 教会に着くと既に炊き出しは行われていた。
 教会の前には多くの人が並んでいて、大人もいれば子供いる。赤子を抱えた母親まで身を震わせながら並んでいた。

「すごいね」

 馬車を降りたリオンが驚いた顔で漏らした言葉にエリスローズは反応しなかった。

「神父」
「ああっ、このような場所まで足をお運びくださるとはありがたいです! 神もお喜びでしょう!」

 階段の上にある教会の入り口に立って様子を眺めていた神父が慌てて駆け降りてきては深々と頭を下げる様子にリオンが笑顔を見せる。
 列に並ぶ者たちの中にはちゃんと頭を下げる者もいれば下げない者もいる。それが平民と貧困街の者の違いだとエリスローズにはわかった。

「さっきまで向こうの児童養護施設に行ってたんだ。炊き出しを手伝わせてもらえたらと思ってたんだけど、もう始まってるね」
「そんな恐れ多い! このようなことは私たちにお任せください!」
「民と触れ合うのも王太子の役目だから」
『よく来るのですか?』
「……初めて、なんだよね」

 すかさず問いかけるエリスローズにリオンの笑顔が乾いていく。
 良いところを見せたいと見栄を張ろうとしたことに苦笑しながら「ごめん」と謝るリオンにエリスローズは静かに首を振る。

「失望した?」
『いいえ。時間を作って足を運ぼうと思われただけ素敵です』
「これからはこういう機会を増やしていきたいと思ってる」
『素敵なお考えですね』

 心の片隅でさえ思っていない言葉を並べていることに気付かないリオンは酒場にいる酔っ払いと同じで扱いやすかった。

「彼らが気を遣いますのでどうぞこちらへ」

 案内されるがままに階段を上がってさっきまで神父が立っていた場所に立つと列がよく見える。
 長い長い列。百人以上が今日の食事を求めて並んでいる。

「こうした炊き出しはどれぐらいの頻度でやっているんだい?」
「週に一度です。よその教会と日を決め合うことでどこかしらで炊き出しが食べられるようになっています」
「それはいい。彼らが食にあぶれることはないようになっているのか」
「はい」

 一杯の器に入れられたスープには鶏肉の団子が入っており、それをありがたいと感謝しながら食べる姿をエリスローズはジッと見ている。
 熱いぐらいの器を両手で持ちながら湯気の立つスープに口をつけた瞬間、どれほどの幸せが広がるだろう。
 その中にある肉団子を噛み締めた瞬間は天にも昇る心地だろう。

『彼らは皆、貧困街の者ですか?』
「ああ、いえ、平民もいますよ」
『平民が炊き出しを食べるのですか?』
「平民といえど色々いますからね。税を払うので精一杯な者もいますし」
『貧困街に行けば楽になるのでは?』

 エリスローズの書いた言葉に神父が苦笑を見せる。

「……現実的な話をすればそうですが、貧困街に落ちれば人生終わりだと皆そう考えています」
『なぜですか?』
「貧困街はここから階段を降りてすぐの場所にありますが、その階段一つが天国と地獄の境界線となっているんです」
「というと?」
「国から切り離された場所、といえばわかりやすいでしょうか。こうして炊き出しに並ぶ者の中には貧困街に住む者もいます。平民たちの中にはそれを不満に思っている者がいることも知っています。税を払っていない者が税を払っている自分たちと同じ食事をするのか、とね」
「彼らは好きで貧しく生まれたわけではない」
「皆そうです。税を払うのに必死な生活など誰もしたくはない。税さえ払えない生活など誰もしたくはない。誰だって今日の食事を心配することのない生活がしたいですよ。でも生まれは選べませんから。神は多くの者に試練を与えます。我々はそれを乗り越えるための手助けしかできない。もどかしいですよ」
「無料でこうして炊き出しを振る舞うのは素晴らしいことだよ」

 神父の言葉にエリスローズはまたペンを走らせる。リオンがそれを横目で追い、神父はノートを向けられるのを待った。

『スラム街の人間には与えないのですか?』
「……もちろんスラム街の方にも提供しますよ」
 
 一瞬だけ神父の目が泳いだのをエリスローズは見逃さなかった。

『スラム街の人間にお前らのようなゴミに与える物はないと言ったことはありますか?』
「とんでもない! 神に仕える身でそのような差別発言は絶対に許されません!」
『野菜のクズさえも与えないと言ったことは?』
「ありえません!」
『ゴミはゴミらしくゴミ箱を漁ってゴミを食べろと言ったことも?』
「エリーナ様、どうされたのですか? 私はそのようなことは一度だって言ったことはありません」

 何度も向けられるノートに書かれる字を読んでいると尋問を受けている気分になる。
 まるでその場面を見たかのような言葉を書くエリスローズにリオンの表情が曇っていく。

『仕事を探していると言ったスラム街の人間に仕事はそこらじゅうにある。自分で見つけろ。見つからないのは探し足りないからだ、甘えるなと言ったこともないのですね?』
「神に誓ってありません」

 こちらが聞く前に自ら神に誓ってと口にした神父にエリスローズは大笑いしそうになった。
 一度ノートで顔を隠して笑いそうになるのを必死に堪えたあと、ノートを下げてはりつけた笑顔を見せる。

『そうですか。それを聞いて安心しました』
「なぜいきなりそのようなことを?」

 安堵しながらも額にうっすらと浮かんでいる汗を白いハンカチで拭う神父を見れば神に誓ったことが嘘だとわかる。

『スラム街の者が教会でそういう扱いを受けたという話を小耳に挟んだものですから』
「そ、それはいけません。人間は皆平等に神の子です。神が宿し教会ではどのような身分の者であろうと受け入れます」
『ドブネズミよりも汚いお前たちが寄ると評判が落ちると言った神父がいるそうなんです』
「な、なんとひどい! それは許せません! 王太子がおっしゃられたように好きで貧しく生まれた者はいません。貧しく生まれた者にこそ愛を与えなければならないと言うのに!」
『私もそう思います。ですから、どこの神父様がそんなひどいことを言ったのかわかったら教えていただけますか?』

 バクバクと鳴る心臓を押さえながら神父が問う。

「そ、それはもちろん報告させていただきますが……ど、どうなさるおつもりでしょうか?」
『それは王太子と相談して決めさせていただきます。たぶん、神父を教会から追放……になるかと』
「は、ははは……それは当然のこと、ですね……あはは……」

 エリーナの出身国を知っている者であればエリーナの発言がどれほど影響力を持っているかわかるだろう。
 頭の良い神父なら尚更。

「スラム街の人間は並ばないのかい?」
『か、彼は自立しているといいますか、あ、あまり人に頼らず生きているらしく、わ、私はあまり見たことがありません』
「見ただけで貧困街とスラム街の人間の違いはわかるのか?」
「そ、それは……」

 神父の汗の量が増えていく。

『貧困街の人間は貧乏な平民より汚く、スラム街の人間は生ゴミより悪臭を放っているからすぐにわかる。まだドブで暮らすネズミのほうがキレイ』
「ッ!? エリーナ様、そ、そのような差別発言はおやめください。貧困街の者もスラム街の者もこの国で暮らす大切な民です。そのような言い方はあまりにも──」
『これはどこかの神父の言葉です』
「ま、まったくひどい神父がいたものです! そのような奴は神に仕える資格のない者! 即刻首を刎ねてしまうべきです!」
「神父、声が大きいよ」

 炊き出しに並ぶ者たちが怪訝な顔で自分を見ていることに気付いた神父は慌ててもう一度汗を拭いて背筋を正した。

「私は少し彼らから話を聞いてくるよ」
「な、なんの話をです!?」
「今の暮らしをどう感じているのか、国に望むことはなんなのかをね」
「あ……なるほど。それは素晴らしい!」

 急に勢いある拍手をする神父は緊張からかテンションがおかしくなっていた。

『四人の子供がいる。一杯でいいと頭を下げた母親に唾を吐きかけた記憶はありませんか?』
「な、なにをおっしゃるのですか! ありませんありません!」
『お前らが来ると寄付が受けられなくなるから失せろ。二度と近付くんじゃないと言った記憶は?』
「エリーナ様、お戯れが過ぎますよ。先ほどから何度も申し上げているように私は神に誓って──」
『母親の目の前でスープを床に落とし、そんなに食べたければすすれと言ったことも? 泣きながら団子を拾おうとする母親の目の前でその団子を踏みつけたことは? ゴミなのだからこれなら食べられるだろうと器を投げつけたこと──』
「やめろッ!!」

 辺りに響くほどの大きな声にその場にいた全員が神父を見た。
 呼吸を乱して肩を上下させる神父の真っ赤な顔に何が起きたのかわかる者はいない。エリスローズは一言も発してはいないのだから内容を知っているのは神父だけ。

「どうしたんだい? っと、エリー? 大丈夫かい?」

 心配して駆け寄ってきたリオンにエリスローズが泣きつくように胸の中へと身を寄せる。
 普段から気丈な姿しか見せないエリスローズが見せる姿にリオンが神父に険しい顔を見せた。

「エリーに何を言ったんだ」
「わ、私は何も! エリーナ様が私を疑い続けるので思わず声を荒げてしまいました。どうかお許しください」

 王太子妃に向かって声を荒げた無礼は許される者ではない。
 王族侮辱罪に問われる可能性もあると怯える神父が土下座をして背を震わせている。

『ごめんなさい。私が疑い続けたのが悪いんです』
「大丈夫かい?」

 胸から顔を上げたエリスローズの言葉を読んでもリオンの表情は険しいまま。

『神父様、ごめんなさい』
「と、とんでもございません! 私のほうこそ王太子妃にやめろなどと口が裂けようとも言ってはならない言葉でしたのに! お許しください!」
「神父様は良い人です!」

 飛んできた言葉に振り向いたのはエリスローズ。
 着ている服を見るとわかる。平民だ。
 それほど痩せこけているわけではない者の発言にエリスローズが拳を握る。

「何を言ったのかは知りませんけど、神父様はとても良い人なんです! いつも私たちのことを心配してくださる心優しいお方です!」

 嘲笑する気にもならない言葉にエリスローズはリオンの胸に額を押し当てる。
 エリスローズは心を乱すことは少ない。それはどんなことにも期待せず地面ばかり見てきたから。
 上から吐かれる唾も上を向いていなければ顔には当たらない。髪に当たってもその感触はわからないため気にならない。
 だから大抵のことには心乱さずいられるのに、今はそれが通用しない。
 握った拳が震え、悔しさを顔に出さないようにするので精一杯。作り慣れた笑顔を浮かべることさえできなかった。

「一度も来たことがないエリーナ様に何がわかると言うんですか!」

 見たことがないお前たちにこそ何がわかるんだと言い返してやりたいのを必死に堪えるエリスローズは今にも泣き出しそうだった。
 こんなことで泣いてたまるかと唇を噛み締めて瞬きを堪えるエリスローズが胸から顔を上げないことに眉を下げながら抱き締めると背中を撫でて大きく息を吐き出した。

「大丈夫かい?」

 小声で囁くように問いかけるリオンの声にエリスローズは鼻をすすって頷き、顔を上げた。
 涙は溢れていない。

「エリーナ様、私は本当に差別などしておりません。信じてください」

 いつの間にか立ち上がっていた神父の言葉はどこか自信に満ちている。
 炊き出しに並んでいる者たちが味方だとわかったからだろう。
 だからエリスローズは笑顔を見せた。

『首を刎ねるべきというお言葉、お忘れなく』

 そう書いたノートを神父にだけ見せるとノートを閉じて背を向け、リオンと共に馬車に乗り込んだ。
 その場にへたり込んだ神父の顔が真っ青なのを窓から見ながらエリスローズは城へと帰っていった。
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