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エリスローズは絶望する
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スラム街で生まれ育てば絶望など幼少期に覚えるものだ。
一番の絶望は差別。ゴミと呼ばれ、物を投げられ、唾を吐かれる。
貧困街のクズたちがまるで貴族にでもなったかのように女を値踏みする。
スラム街の女は娼婦として生きるしかない。織物工場だけでは食べていけないから。
織物工場で働くより娼婦のほうがいいと言う女もたくさんいた。金を払わない代わりに食べ物をくれることもあるからと。
母親もそうだった。時折食べ物を持って帰ってきてくれることがあった。
子供の頃は何をしているのかわからなかった母親が身体を売っているとわかってからも母親には感謝しかなかった。自分が身体を売るようになってからは特に──
だが、エリスローズは今までこれほどの絶望を感じたことはない。
いるはずのない人物が、いないでくれと願った人物がそこにいるのだ。
(どうして……)
幽霊ならどんなによかっただろう。
幽霊ならどんなに安心できただろう。
だが、目の前にいるのは幽霊ではなく母親。
「……エ……リー……」
聞き間違うはずのない声。
見間違うはずのない顔。
父親と同じで驚いたあとすぐに怯えたような顔で見つめる母親がそこに立っているのだ。
乱れた服を直す暇もなく前で握りしめている。
「どうして……ここに……」
(それはこっちのセリフよ……)
今まで一度だって王族貴族はスラム街に来たことがない。だからバレるわけがないと思っていたのだろう。
二人は家にいて子供たちと笑顔で過ごしているはずなのにどうしているのか。
まるで全てが夢だったかのように父親は荷役人夫に戻り、母親は娼婦をしている。
なぜこんなことになっているのか理解できないエリスローズは困惑するが、それよりも今は怒りのほうが大きかった。
「ッ!」
父親同様、頬に渾身の力で平手打ちをすると怒りで肩を上下させる。
「エリーごめんなさい! ごめんなさい!」
(ロイはどうしたのよ! シオンは!? メイはどうしてるの!?)
「ごめんなさい! どうか許して! あなただけを犠牲にして私たちだけあんな贅沢な暮らしをしてることに耐えられなかったの! 私たちは親だから娘一人に全てを背負わせるわけには──ッ!」
もう一度平手打ちが母親の頬に入る。
「エ、リー……」
娘が親に手を上げることは一度もなかった。わがままを言うことも弱音を吐くこともなかった。怒鳴り声を聞くことも反抗したことだって一度もなかった。
そんな娘が今、二度も手を上げた。怒った顔をしながらボロボロと涙をこぼし、唇を震わせている。
(自分たちが耐えられないからってまたロイに我慢させてるの!? 親の役目ぐらい果たしなさいよ! 私が稼ぐって言ったじゃない! だから皆の傍にいてあげてって約束したじゃない! どうしてそれが守れないのよ! どうして守ってくれなかったのよ!)
声は出ていないが叫んでいるのはわかる。怒っているのだ。
地面に膝をついて土下座する形で身体を折ると母親は声を上げて泣く。
娘を傷つけた。娘を裏切った。それは親として許されることではない。
親として娘の手助けをしたかったのに娘にとってこれは裏切りでしかなく、親として最もしてはならないことだったと後悔したときには既に遅く、娘から向けられる怒りと軽蔑の目が刃となって胸に突き刺さる。
「エリー」
拳を握って背を向けるエリスローズが階段を上がろうとすると上から父親が駆け降りてきた。
「すまない。お前の言う通りにすべきだった。だが、お前だけが辛い──」
弁解など聞きたくもないとエリスローズは目も合わさずに通り過ぎていった。
目を見開いて固まる父親に一度も振り向くことなくエリスローズは階段を上がっていく。
「エリー、大丈夫かい?」
一度だけ頷いてエリスローズはそのまま馬車へと歩いていく。
『ッ!?』
「エリー!?」
急に視界が揺れ、足がバランスを取れなくなり倒れそうになったのをリオンが受け止める。
靴の感覚がおかしいとドレスを捲るとヒールが折れていた。
「ああ、ヒールが折れ……ごめん、触るよ」
一緒に確認したリオンがエリスローズを抱き上げた。
大衆の前だというのに王太子が王太子妃を抱えて歩くなど今まで一度もなかったこと。
驚きの中にキャッキャッとした女性の声と口笛を吹く男たち。
「このまま馬車に行くから少し我慢していてくれるかい?」
頷くエリスローズは今、ここがどこで誰に何をされているのかなどどうでもよかった。
深い絶望に飲み込まれそうになっているエリスローズはそれを振り払うのに必死だった。
自分が犠牲になることで両親が楽になり、ロイが一人で弟たちを看ることがなくなるのならと覚悟を決めて受けたこと。
なのに両親は黙って元の場所で働いていた。ロイはまた一人で弟たちを看ているのだろう。
自分が帰らないことでロイは今までにない寂しさを感じている。十歳の少年が眠れないほどの寂しさと辛さの中にいるのに、そこにまだ苦しみを与えるのかと両親への怒りがおさまらない。
『ロイに会いに行きます』
「一度城に戻って手当てをしよう」
『今すぐロイに会いたいんです』
馬車に乗り込むと震えた文字で訴えるエリスローズにリオンはそれを拒否できなかった。
御者に別荘に向かうよう伝えると馬車は少し速めに走り出す。
「……エリー……」
ロイの何度を名前を呼びながら涙を流すエリスローズを抱きしめながら背中を撫でる。
寂しがっているのはロイだけではなくエリスローズも同じ。
どれだけ自分が彼女を想おうと彼女が向ける愛情が向くわけではない。一欠片だけでいいから欲しいと願ってもロイを思うように想ってはもらえない。
既婚者である自分がそれを望むのはおかしなことだとわかっていてもリオンはエリスローズの心が欲しいと思った。
この女性が持つ大きな愛情の中に自分も入りたいと。
「着いたよ。エリー、とりあえずこっちの靴を──エリー!」
馬車が着くとエリスローズは裸足のまま駆け降りて中へと走っていく。
「ッ!? ……エリー? なんで? なんでエリーがここにいんの? まだもっと先のはずなのに……」
勢いよく開いたドアに驚いたロイが、まるで今日のエリスローズのように目の前にいる人物の存在が信じられないと言いたげに見つめている。
「エリー!」
ロイの姿を見てまた涙を流すエリスローズがその場で膝をついて両手を広げるとくしゃりと顔を歪めたロイが駆け寄ってしがみついた。
「エリー会いたかった……会いたかった……」
給料日にしか許されていない帰省。その日を楽しみにしていたロイにとってこれはサプライズだが、会いたかったと声を震わせるロイがいつもどれだけ我慢しているのか伝わってくることにエリスローズは唇を噛み締める。
給料日に帰っても会いたかったとは言わない。帰らないでとも言わない。またなと笑顔で送り出してくれる。
それは全て彼が言いたいことを我慢しているからで、エリスローズを困らせないための我慢。
エリスローズもそれを言われたとて困ってしまう。叶えられずにまた「ごめんね」と謝って置いていくことになるためロイの我慢には感謝していた。
だから帰ってきたときは両親にもあまり甘えられていないだろうロイのために時間を割くことにしていたのだが、これはあまりにもひどすぎると鎮まっていた怒りがまた沸々と込み上げてくる。
「なんで? なんでエリー今日来れたの? 行ってなかったじゃん」
涙で濡れたまつ毛を震わせながら問いかけるロイにエリスローズは笑顔を見せる。
『ロイに会いたくなっちゃった』
読めるようになった文字のおかげでエリスローズの声でちゃんと再生される言葉にロイの胸が震えてしゃくり上げる。
「じゃあずっと会いに来てよ。毎日会いに来てよ。会いたいよ」
泣きながら訴えるロイを強く抱きしめながらそれに頷いてやれない状況にいることが辛かった。
「エリー、足を消毒しないと……」
「足? エリー怪我したの?」
勢いよく顔を上げて心配するロイにエリスローズは指で隙間を作って少しだけと伝えた。
立ち上がるときにロイを抱き上げてソファーへと移動する。
「ロイ、どこに救急箱があるかわかるかな?」
エリスローズの膝から降りて素直に救急箱を取りに行ったロイが抱えて戻ってくるのを受け取ったリオンがドレスを捲るように指示する。
「これ……どうしたんだよ……」
『走ったら転んじゃった。ヒールが地面に引っかかって折れちゃってね』
「痛い?」
『痛くないよ』
露わになった踵から血が出ているのを見てロイが狼狽える。
五ヶ月間でヒールには慣れたといえど、ヒールで走ったのは今日が初めて。走る用には作られていないため必要以上の負荷がかかったヒールはあっという間にダメになって折れてしまった。
走る度に擦れた踵は皮が剥けて血が出ている。
「痛いだろうけど、少し我慢して」
「俺が手握っててやるから」
ロイがエリスローズの手を両手で握るとどれぐらい痛いのだろうかと緊張しながら消毒液の痛みに備えた。
『ッ!?』
予想以上の痛みに目を見開いてロイの手を握り返すとロイが更に強い力で握り返す。
「大丈夫?」
ビクンッと跳ねた足が痛みを訴えているのがわかり、苦笑しながら軟膏を塗って手を洗いに行くとエリスローズがロイを抱きしめているのが見えた。
ロイもエリスローズの膝に乗って首に腕を回し首元に顔を埋めている。
その様子を眺めながらリオンは当たり前ながらに疎外感を感じた。
自分は彼らと血の繋がりもなければ似た境遇を経験したこともない。彼らが持つ絆の中に入っていけないのは当たり前。
それでも寂しいと思ってしまう。
「にーに?」
「リオンおにーちゃん!」
物音と声に気付いた二人が眠たげに擦っていた目を輝かせたのはリオンの姿を確認してから。
姉であるエリスローズではなくリオンの存在に喜んでいた。
エリスローズの苦笑の原因ではあるが、まだ幼い二人にとって優先順位は遊んで褒めてくれる人。
シオンはメイが落ちないように手を繋いで階段を下りてくる。
「どうしているの!?」
「どうて!?」
「皆に会いたくなったんだ。元気にしてたかい?」
「もちろんだよ!」
「げんき!」
一階まで下りると二人はリオンに抱きついて飛び跳ねる。その二人を同時に抱き上げると嬉しそうな笑顔にリオンもつられて笑顔になる。
ロイはリオンには全く興味はないが、リオンが一緒に来るとエリスローズに甘えられるため役に立つとは思っていた。
「お父さんとお母さんは?」
「えっとね……」
「出掛けてんだよ」
「おち、ご、と!」
「メイッ!」
シオンは言ってもいいか迷っていた。きっと両親が申し訳ないと謝りでもしたのだろう。それかもしイレギュラーに二人が訪ねてきても言ってはいけないと言われたか。
両親が自分たちが働きに出る理由を息子たちに伝えていたとしたらロイが止めるのも納得がいく。
しかし、メイだけは止められない。
言えると思っていなかったメイが詰まりながらも言った言葉にロイが思わず怒鳴ってしまう。
響き渡る怒声にメイがまたじわりと涙を浮かべて泣き出した。
一番の絶望は差別。ゴミと呼ばれ、物を投げられ、唾を吐かれる。
貧困街のクズたちがまるで貴族にでもなったかのように女を値踏みする。
スラム街の女は娼婦として生きるしかない。織物工場だけでは食べていけないから。
織物工場で働くより娼婦のほうがいいと言う女もたくさんいた。金を払わない代わりに食べ物をくれることもあるからと。
母親もそうだった。時折食べ物を持って帰ってきてくれることがあった。
子供の頃は何をしているのかわからなかった母親が身体を売っているとわかってからも母親には感謝しかなかった。自分が身体を売るようになってからは特に──
だが、エリスローズは今までこれほどの絶望を感じたことはない。
いるはずのない人物が、いないでくれと願った人物がそこにいるのだ。
(どうして……)
幽霊ならどんなによかっただろう。
幽霊ならどんなに安心できただろう。
だが、目の前にいるのは幽霊ではなく母親。
「……エ……リー……」
聞き間違うはずのない声。
見間違うはずのない顔。
父親と同じで驚いたあとすぐに怯えたような顔で見つめる母親がそこに立っているのだ。
乱れた服を直す暇もなく前で握りしめている。
「どうして……ここに……」
(それはこっちのセリフよ……)
今まで一度だって王族貴族はスラム街に来たことがない。だからバレるわけがないと思っていたのだろう。
二人は家にいて子供たちと笑顔で過ごしているはずなのにどうしているのか。
まるで全てが夢だったかのように父親は荷役人夫に戻り、母親は娼婦をしている。
なぜこんなことになっているのか理解できないエリスローズは困惑するが、それよりも今は怒りのほうが大きかった。
「ッ!」
父親同様、頬に渾身の力で平手打ちをすると怒りで肩を上下させる。
「エリーごめんなさい! ごめんなさい!」
(ロイはどうしたのよ! シオンは!? メイはどうしてるの!?)
「ごめんなさい! どうか許して! あなただけを犠牲にして私たちだけあんな贅沢な暮らしをしてることに耐えられなかったの! 私たちは親だから娘一人に全てを背負わせるわけには──ッ!」
もう一度平手打ちが母親の頬に入る。
「エ、リー……」
娘が親に手を上げることは一度もなかった。わがままを言うことも弱音を吐くこともなかった。怒鳴り声を聞くことも反抗したことだって一度もなかった。
そんな娘が今、二度も手を上げた。怒った顔をしながらボロボロと涙をこぼし、唇を震わせている。
(自分たちが耐えられないからってまたロイに我慢させてるの!? 親の役目ぐらい果たしなさいよ! 私が稼ぐって言ったじゃない! だから皆の傍にいてあげてって約束したじゃない! どうしてそれが守れないのよ! どうして守ってくれなかったのよ!)
声は出ていないが叫んでいるのはわかる。怒っているのだ。
地面に膝をついて土下座する形で身体を折ると母親は声を上げて泣く。
娘を傷つけた。娘を裏切った。それは親として許されることではない。
親として娘の手助けをしたかったのに娘にとってこれは裏切りでしかなく、親として最もしてはならないことだったと後悔したときには既に遅く、娘から向けられる怒りと軽蔑の目が刃となって胸に突き刺さる。
「エリー」
拳を握って背を向けるエリスローズが階段を上がろうとすると上から父親が駆け降りてきた。
「すまない。お前の言う通りにすべきだった。だが、お前だけが辛い──」
弁解など聞きたくもないとエリスローズは目も合わさずに通り過ぎていった。
目を見開いて固まる父親に一度も振り向くことなくエリスローズは階段を上がっていく。
「エリー、大丈夫かい?」
一度だけ頷いてエリスローズはそのまま馬車へと歩いていく。
『ッ!?』
「エリー!?」
急に視界が揺れ、足がバランスを取れなくなり倒れそうになったのをリオンが受け止める。
靴の感覚がおかしいとドレスを捲るとヒールが折れていた。
「ああ、ヒールが折れ……ごめん、触るよ」
一緒に確認したリオンがエリスローズを抱き上げた。
大衆の前だというのに王太子が王太子妃を抱えて歩くなど今まで一度もなかったこと。
驚きの中にキャッキャッとした女性の声と口笛を吹く男たち。
「このまま馬車に行くから少し我慢していてくれるかい?」
頷くエリスローズは今、ここがどこで誰に何をされているのかなどどうでもよかった。
深い絶望に飲み込まれそうになっているエリスローズはそれを振り払うのに必死だった。
自分が犠牲になることで両親が楽になり、ロイが一人で弟たちを看ることがなくなるのならと覚悟を決めて受けたこと。
なのに両親は黙って元の場所で働いていた。ロイはまた一人で弟たちを看ているのだろう。
自分が帰らないことでロイは今までにない寂しさを感じている。十歳の少年が眠れないほどの寂しさと辛さの中にいるのに、そこにまだ苦しみを与えるのかと両親への怒りがおさまらない。
『ロイに会いに行きます』
「一度城に戻って手当てをしよう」
『今すぐロイに会いたいんです』
馬車に乗り込むと震えた文字で訴えるエリスローズにリオンはそれを拒否できなかった。
御者に別荘に向かうよう伝えると馬車は少し速めに走り出す。
「……エリー……」
ロイの何度を名前を呼びながら涙を流すエリスローズを抱きしめながら背中を撫でる。
寂しがっているのはロイだけではなくエリスローズも同じ。
どれだけ自分が彼女を想おうと彼女が向ける愛情が向くわけではない。一欠片だけでいいから欲しいと願ってもロイを思うように想ってはもらえない。
既婚者である自分がそれを望むのはおかしなことだとわかっていてもリオンはエリスローズの心が欲しいと思った。
この女性が持つ大きな愛情の中に自分も入りたいと。
「着いたよ。エリー、とりあえずこっちの靴を──エリー!」
馬車が着くとエリスローズは裸足のまま駆け降りて中へと走っていく。
「ッ!? ……エリー? なんで? なんでエリーがここにいんの? まだもっと先のはずなのに……」
勢いよく開いたドアに驚いたロイが、まるで今日のエリスローズのように目の前にいる人物の存在が信じられないと言いたげに見つめている。
「エリー!」
ロイの姿を見てまた涙を流すエリスローズがその場で膝をついて両手を広げるとくしゃりと顔を歪めたロイが駆け寄ってしがみついた。
「エリー会いたかった……会いたかった……」
給料日にしか許されていない帰省。その日を楽しみにしていたロイにとってこれはサプライズだが、会いたかったと声を震わせるロイがいつもどれだけ我慢しているのか伝わってくることにエリスローズは唇を噛み締める。
給料日に帰っても会いたかったとは言わない。帰らないでとも言わない。またなと笑顔で送り出してくれる。
それは全て彼が言いたいことを我慢しているからで、エリスローズを困らせないための我慢。
エリスローズもそれを言われたとて困ってしまう。叶えられずにまた「ごめんね」と謝って置いていくことになるためロイの我慢には感謝していた。
だから帰ってきたときは両親にもあまり甘えられていないだろうロイのために時間を割くことにしていたのだが、これはあまりにもひどすぎると鎮まっていた怒りがまた沸々と込み上げてくる。
「なんで? なんでエリー今日来れたの? 行ってなかったじゃん」
涙で濡れたまつ毛を震わせながら問いかけるロイにエリスローズは笑顔を見せる。
『ロイに会いたくなっちゃった』
読めるようになった文字のおかげでエリスローズの声でちゃんと再生される言葉にロイの胸が震えてしゃくり上げる。
「じゃあずっと会いに来てよ。毎日会いに来てよ。会いたいよ」
泣きながら訴えるロイを強く抱きしめながらそれに頷いてやれない状況にいることが辛かった。
「エリー、足を消毒しないと……」
「足? エリー怪我したの?」
勢いよく顔を上げて心配するロイにエリスローズは指で隙間を作って少しだけと伝えた。
立ち上がるときにロイを抱き上げてソファーへと移動する。
「ロイ、どこに救急箱があるかわかるかな?」
エリスローズの膝から降りて素直に救急箱を取りに行ったロイが抱えて戻ってくるのを受け取ったリオンがドレスを捲るように指示する。
「これ……どうしたんだよ……」
『走ったら転んじゃった。ヒールが地面に引っかかって折れちゃってね』
「痛い?」
『痛くないよ』
露わになった踵から血が出ているのを見てロイが狼狽える。
五ヶ月間でヒールには慣れたといえど、ヒールで走ったのは今日が初めて。走る用には作られていないため必要以上の負荷がかかったヒールはあっという間にダメになって折れてしまった。
走る度に擦れた踵は皮が剥けて血が出ている。
「痛いだろうけど、少し我慢して」
「俺が手握っててやるから」
ロイがエリスローズの手を両手で握るとどれぐらい痛いのだろうかと緊張しながら消毒液の痛みに備えた。
『ッ!?』
予想以上の痛みに目を見開いてロイの手を握り返すとロイが更に強い力で握り返す。
「大丈夫?」
ビクンッと跳ねた足が痛みを訴えているのがわかり、苦笑しながら軟膏を塗って手を洗いに行くとエリスローズがロイを抱きしめているのが見えた。
ロイもエリスローズの膝に乗って首に腕を回し首元に顔を埋めている。
その様子を眺めながらリオンは当たり前ながらに疎外感を感じた。
自分は彼らと血の繋がりもなければ似た境遇を経験したこともない。彼らが持つ絆の中に入っていけないのは当たり前。
それでも寂しいと思ってしまう。
「にーに?」
「リオンおにーちゃん!」
物音と声に気付いた二人が眠たげに擦っていた目を輝かせたのはリオンの姿を確認してから。
姉であるエリスローズではなくリオンの存在に喜んでいた。
エリスローズの苦笑の原因ではあるが、まだ幼い二人にとって優先順位は遊んで褒めてくれる人。
シオンはメイが落ちないように手を繋いで階段を下りてくる。
「どうしているの!?」
「どうて!?」
「皆に会いたくなったんだ。元気にしてたかい?」
「もちろんだよ!」
「げんき!」
一階まで下りると二人はリオンに抱きついて飛び跳ねる。その二人を同時に抱き上げると嬉しそうな笑顔にリオンもつられて笑顔になる。
ロイはリオンには全く興味はないが、リオンが一緒に来るとエリスローズに甘えられるため役に立つとは思っていた。
「お父さんとお母さんは?」
「えっとね……」
「出掛けてんだよ」
「おち、ご、と!」
「メイッ!」
シオンは言ってもいいか迷っていた。きっと両親が申し訳ないと謝りでもしたのだろう。それかもしイレギュラーに二人が訪ねてきても言ってはいけないと言われたか。
両親が自分たちが働きに出る理由を息子たちに伝えていたとしたらロイが止めるのも納得がいく。
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