エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

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エリスローズは悲観する

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「うぇぇ……ぇぇ……えぇぇええんッ!」

 泣き始めたメイをシオンが頭を撫でて慰めるも泣き止まない。

「メイ……」

 謝ろうと思っているのだろうが、ロイもストレスが溜まっているのだろう。目を閉じて自分の感情を抑え込んでいるように見えた。
 だからエリスローズはロイの背中を赤ん坊をあやすように何度も軽く叩いて落ち着かせようとする。
 メイはまだ何もわからない。言ってはいけないと言われても守れないのだ。三歳でそれが完璧にできる子などどこにいるのか。
 ロイは昔から物分かりが良すぎる部分があったため心配になっていた。
 それは今も変わらない。

『ロイ、私ね、お母さんたちを見たの』
「ッ……そっか……」

 エリスローズに抱きついていた身体を離してノートを見たロイはバレたのかと驚くも、どこかで最悪の想定はしていたのだろう。伏せ目がちになって視線を逸らした。

『いつから?』
「……そんな前じゃない……」
『いつから?』

 答えてと文字を鉛筆で叩いて促すエリスローズの怒りが伝わってくるとロイの眉が下がる。

「……俺は……父さん母さんの気持ち、わかるから……」

 言いたくないと言いたげに呟くロイに今度はエリスローズの眉が下がる。

『私は許せない。ここに住んでる間は皆働かなくていいの。ロイとシオンとメイの傍にいて、皆で笑い合って暮らすの。美味しいご飯をお腹いっぱい食べて、皆で庭に出て空を見て、夜は柔らかいベッドで寝る。それでいいの』
「エリーがいない」

 ロイはいつもそう言う。エリスローズが願いを口にすればいつもロイは「エリーがいない」と口にする。
 エリスローズが言う「皆」の中には当然自分は含まれていないが、ロイにとって皆はエリスローズが入った六人家族のこと。

「俺だって働けるなら街に行って働いてる」

 どうしてわかってくれないんだと強く目を閉じてため息をついたエリスローズが首を振る。

『私は借金してるんじゃないの。エリーナ様が帰ってくるまでの身代わり。お父さんやお母さんが働いたからって解放されるわけじゃない。だからスラム街に戻って働くことに意味なんてない。あなたたちを家に残して働きに行く意味なんてどこにもないの。あなたにこれ以上我慢させたくないのに……』

 一番我慢させる選択をしたのは自分で、ロイは望んでいなかった。
 誰よりもこの決断で苦しんでいるのはロイだ。
 だがこのミッションさえ無事終わらせることができれば家族は不自由なく生きていける。
 だから帰ってくるまでの間ならと受けたのだが、それはロイの気持ちを考えていないことになり、きっと両親が抱えていた思いと同じなのだろうと思い至った。
 両親はこの家にいるのが退屈だから働きに出たわけでも、子供の面倒を看るのが嫌だから働きに出たわけでもない。
 自分たちが快適なこの場所で笑い合っているとき、娘は辛い思いをしているかもしれないと思うと居ても立ってもいられなかったのだ。
 働きに出たところでどうしようもないとわかっていながらも。

『ロイがお城に行くのを断ったのはお父さんたちが働きに出てるから?』

 以前、ロイはリオンに誘われたとき「シオンとメイが」と言って一度口を閉じた。そのときは寂しがると誤魔化した言葉に納得してしまったが、実際は面倒を看る人間がいなくなってしまうと言いかけたのだろう。

『ロイ、答えて』

 ハッキリと書かれた文字にロイは顔を上げてエリスローズを見てから小さく頷いた。

『お父さんとお母さんには仕事はやめてもらう。念書に拇印押させる』
「……泣いてたんだよ……」

 ポツリとこぼしたロイの言葉にエリスローズは黙っていた。

「自分たちは親なのにエリーのためにしてやれることがないって。情けない、悔しいってずっと泣いてんだもん……」

 容易に想像がつく二人が涙する姿。親としていつも笑顔でいた彼らにとって娘を差し出すことほど辛いことはなかっただろう。
 いつまで続くかわからないこの安定した生活が娘の犠牲の上に成り立っていることを気にせず胡座をかけるような人たちではない。
 だが、だからこそ守ってほしかった。約束したからと、何があっても守ってほしかった。

『今までずっとロイに我慢ばっかりさせてきた。ごめんねって謝るだけでロイは文句も言わずに受け入れてくれたのに……ダメだね、おねーちゃんは』

 毎日送られてくる手紙には両親が働きに出たことは一言も書いていなかった。
 寂しいとか会いたいとかも書かず、元気か? どうしてる? 城はどんな感じ?と似たような内容ばかり。吐き出したいことはたくさんあっただろうに、ロイはいつだって我慢ばかり。
 そうさせてきたのは自分だと天井を見上げて瞬きを増やすと小さな指が喉を撫でてきた。

「俺は平気だよ、エリー。だって毎月エリーに必ず会えるし、今日は会える日じゃなかったのに会えた。すげー嬉しいもん。今日だって父さんたちに会わなきゃ絶対帰ってこなかっただろ?」

 どこまで大人なのだろうと胸が痛くなる。

『もっとゆっくり大人になってておねーちゃんいつもお願いしてるのに』
「嫌だって言ってるだろ。俺は早く大人になってエリーを嫁にするんだ。エリーが好きなことなんでもさせてやれるだけの金稼いで楽させてやる。だから俺は早く大人になりたい」
『寂しいよ』
「大人になったら俺すげーかっこいいから大丈夫。あんな優男よりずっとイケメンになるし、背も高くなるから楽しみにしろよ」
『ずーっとこのままがいいな。おねーちゃんの腕の中にいるロイが好きだよ』
「俺はやだ。エリーに抱きつくんじゃなくて抱きしめたい。ガキのままでいたくない」

 昔から早く大人になりたいと言い続けているロイはあっという間に精神的に誰よりも大人になってしまった。
 成長は喜ばなければならないのに寂しさのほうが勝っていてどうにも喜べない。
 ロイが幼児の頃からずっと傍にいるということがあまりできなかったため早くそうしてやりたいのだが、そうするためにはエリーナが帰ってこなければ無理だ。
 早く帰ってきてもらわなければ本当にあっという間に身体も大人になってしまうのではないかと少し心配している。
 一日中甘えさせてやりたい。今日も明日も明後日もロイがもういいと嫌がるほど。
 
『なんて言うのが正解なのかわかんないな』

 お金をいっぱい稼ぐからと言うことはそれだけ離れている期間が長くなるということ。
 すぐ帰ってくるからと言うのは保証のない約束。嘘になる可能性もある。
 ロイにとっては後者のほうが嬉しいのだろうが、絶対ではない約束はしないと家族のルールで決まっている。
 今のロイに余計な期待をさせることはあまりにも残酷であるためエリスローズは苦笑しながらノートに視線を落とした。
 その顔を両手で挟み、持ち上げたロイにエリスローズが視線を合わせると顔が近付いてくる。

「ッ!?」

 驚いたのはリオン。
 額を合わせるのかと思っていたら合わさったのは唇。
 ゆっくりと重ねられた唇は三秒触れ合っていたかどうかだが、ゆっくり離されるその光景に目が飛び出そうになった。
 まるで恋人にするようなキスの仕方。

『またそうやって』
「エリーは俺の嫁さんなんだからいーじゃん」

 笑ってまた首筋に顔を埋めて甘える猫のような弟に笑いながら背中を撫でるとロイは幸せそうに目を細める。
 
「なんの話してるんだい?」

 ずっと見ていたリオンがシオンとメイを抱えたまま隣に腰掛けた。

「お前には関係ねー話だよ、向こう行け」
「にーにきあい!」

 近くなったロイとの距離にメイが声を上げて拒否するとメイを叱ったことを忘れていたと思い出したロイが身体を起こしてメイに手を伸ばす。

「あいてッ。メイごめんって。にーにが悪かったから許してよ」
「にーにきあい!」
「前に一緒に食べて美味しかったチョコレート食べたい人!」
「あい!」
「よし、半分こして食べような」

 床に降りたロイがチョコレートという言葉で上機嫌になったメイを抱き上げると一緒に隠し場所である棚へと向かう。

「ちょーらい! ちょーらい!」
「半分こ。これがメイの分で、これがにーにの。こっちはシオンの分な」
「僕も食べていいの?」
「皆で食べるからいーんだろ」
「それって僕も食べていいのかい?」
「お前は城帰って砂糖でも食ってろ」

 板チョコを取り出してパキッと割ってメイに一口大のチョコレートを渡す。
 シオンの分もと渡すとリオンが手を差し出すも乗せられはしなかった。

「皆で食べましょ」
「チッ……しゃーねーな」

 思いきり舌打ちをして割ったチョコをリオンに放るとリオンが慌ててそれをキャッチする。

「食べ物は放っちゃダメだよ、ロイ」
「スラム街の真ん中でそう言えよ。袋叩きに遭う──あ……」

 ハッと口を押さえたロイが今にも泣き出しそうな顔になってエリスローズを見た。

『大丈夫』

 チョコレートをテーブルに置いてエリスローズのもとへ戻ったロイが抱きつくとそれを受け止めて優しく頭を撫でる。
 なんのことかわからないリオンがシオンを見るもシオンも不思議そうに首を傾げるだけ。
 二人にしかわからないことがあって、それがリオンの胸を締め付ける。

「エリー!」
「スペンサー待ちなさい!」

 この家で聞こえるはずのない名前にエリーが振り向くと同時に男が家の中へと入ってきた。

「スペンサー……」
「やっぱりお前か、エリー」

 人を欺くときは事実を知っている人間は少ないほうがいい──誰かがそう言っていた。
 確信を得たように名前を呼ぶスペンサーを見ながらエリスローズはそんな言葉を思い出していた。
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