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エリスローズは装飾する
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「エリー、これ見てみろよ! でっけぇの! 星だぜ!」
大きな星のオーナメントを持った手を振っているロイにエリスローズが手を振る。
アレンが庭に用意したモミの木にいくつものオーナメントをつけてはエリスローズに声をかけるロイ。
何十回繰り返しているだろうと思いながらもエリスローズも飽きずに手を振り返している。
「もうすぐ聖リュミエール祭だね。聖リュミエール祭って知ってる?」
『知りません』
「赤い服を着た白髭のおじいさんがトナカイが引くソリに乗って子供たちに──……」
リオンが口を閉ざした理由はなんとなくわかっているためエリスローズは顔を覗き込んで微笑む。
「ごめん。無神経だった」
何が、とは言わない。だがそれはきっとスラム街や貧困街の子供たちには無縁のことだからだろうと察したエリスローズは首を振る。
「もし、プレゼントがもらえるなら何が欲しいって願う?」
空を見上げて暫く考え込んでいたエリスローズがノートにペンを走らせる。
『家族の健康』
その願いはエリスローズらしいと思うが、自分がプレゼントできる物ではないためリオンにとっては少し残念だった。
『健康でいてくれるだけでいいんです。欲しい物はないので』
「欲することは悪じゃないよ」
ロイの言葉を思い出したリオンの言葉にエリスローズが目を瞬かせるもすぐに笑顔に変わる。
『本当に欲しい物はないので』
「そっか。せっかく合法的にプレゼントできる機会だから何かプレゼントしたかったんだけど」
『お気持ちだけ受け取ります』
毎年何か高価な物を当たり前のようにねだるエリーナとは違うエリスローズのいじらしさにリオンはたまらなくなる。
「君と聖リュミエール祭を過ごせそうで嬉しいよ」
『聖リュミエール祭当日に帰ってくるかもしれませんよ』
「嫌なこと言うなぁ、君」
『覚悟はしておかないといけませんからね』
「覚悟が必要かい?」
『一応』
その言葉が嬉しかった。自分に都合の良いように解釈しているだけかもしれないが、エリスローズもこの生活を悪くないと思っているのではないかと思ったから。
「ロイ、このオーナメント可愛いぞ」
「なんで靴下なんだよ?」
「これを枕元に飾っておくと朝になったらプレゼントが入ってるんだ」
「靴下持ってない奴はどうすんだ?」
「枕元にあるんじゃないか?」
「なかったけど」
「親がすることだからなぁ」
「サンタって言わねーのかよ」
「お、知ってたか。物知りだな」
「本に書いてあっただけだっつーの」
ロイが入城して二ヶ月、アレンが帰国してから一ヶ月。二人の仲は近付いているように見えた。
アレンが正論を言うとロイは途端に距離を取って噛み付くのは変わりないが、アレンはそれを野良犬というより野良猫だなと笑っている。
先月の給料日、帰宅した際もアレンはついてこなかった。ロイに「コリンとフィーネによろしく」と言ったが「言うわけねーだろ」と一蹴されて終わった。
実際、アレンが現れたことは二人には伝えなかったのだ。
「アンタ、自分でガキ育ててても親がしてるって言うのかよ」
「ショック与えるよりいいだろ?」
「夢を与えない親なんていらねー」
「なら俺がサンタの格好をするさ」
「ハハッ、ダサすぎて笑える」
「おう、笑え笑え」
聖リュミエール祭を迎えるにあたってアレンが用意した絵本を暇つぶしに読んだロイはアレンがサンタの格好をしているのを想像して思わず笑ってしまった。
初めて見るその笑顔にアレンもつられて笑うのだが、エリスローズはそれを見てよく似ていると目を細める。
親子になってほしいわけじゃない。ただ、十年間ずっと息子を探していた父親と会えたのも何かの運命だとロイには受け入れてほしかった。
拒絶する必要はない。アレンは親切な人間だ。リオンを受け入れて楽になったように、ロイにもそうしてほしいと願っている。
「ロイは僕より伯父さんに懐いてる」
『私に好意がないからだと思いますよ』
「んー、でもそれは変えられないことだからなぁ」
自分の気持ちに嘘はつかないと決めているリオンらしい言葉にエリスローズが笑う。
「エリーナが帰ってこなければいいと思う一方で、早く帰ってこいとも思うんだ」
意外な言葉にエリスローズが首を傾げる。
「君にはずっとここにいてほしいと思ってる。僕の隣に僕の妻としてね。でも、君が僕の隣にいるということは君は家族と過ごせないということだからね」
苦笑しながら話すリオンにエリスローズが頷く。
「君にとってこの生活は辛く苦しいものだっただろうけど、僕はすごく楽しくて幸せだった」
『たくさんノートを使ってしまいましたね』
「それだけ君とたくさん話したってことだよ。僕にとっては思い出だ」
『私もです』
嬉しそうに顔を向けるリオンにもう一度頷いた。
『終われば全部思い出ですから』
晴れやかな笑顔を浮かべるエリスローズにとって解放の時が待ち遠しくて仕方ないのだろうと察したリオンは苦笑さえ浮かべられず地面を見つめた。
この十ヶ月、リオンはリオンなりに好意を伝えてきたつもりだった。だが、そのアプローチ法が正しかったのかはわからない。わからないことだらけだったから押し付けがましいことばかりだったようにも思う。
エリスローズは嘘を隠すのが上手い。声が出ないから声が上擦ったり震えることもない。表情さえ完璧に作り上げてしまえば全て本当のことであるように振る舞える。
リオンはそれを見抜くことができないのだ。
「良い思い出にしてくれるかい?」
『もちろんです』
本音か嘘かもわからない。
自分だったらきっと良い思い出になんてしない。
ドレスを着て、風呂に入れて、三食ちゃんと出てきても、その中に必ず一つは差別があって、それを感じない日はない十ヶ月だっただろう。
あと一ヶ月で終わるのか、もう一年かかるのか、それとも十年続くのかはわからない。
それでもきっとエリスローズは今と変わらない態度を続けるのだろう。
こんな差別主義者だらけの場所でどんなに愛を伝えようとしても心が開いていないのであれば意味がない。自分だけが頑張ったところで意味がない。
「ロイはやっぱり賢いな」
『ロイが何か?』
思い出し笑いをするようにクスッと声を漏らしたリオンが空を見上げる。
「ロイがね、変わるのは僕たちの意識だって言ったんだ。確かにそうだなぁって思ってさ」
なんの話かわからないエリスローズはその話を掘り下げるべきか迷っていた。
「もうすぐまたパレードが行われるね。君とまた一緒に祝ってもらえるのが嬉しいよ」
『なんでも嬉しいんですね』
「君とならなんだって嬉しいよ」
エリスローズにとってこの出会いは嫌なものではなかった。
頼りなくていい加減な男であり、優しすぎる人。
だが、絶対に好きになってはいけない人でもあった。
だからエリスローズは恋をしない。
優しくて良い人として自分の中で止めておく。
「エリーナが帰ってきても僕は君を忘れられないと思う」
『ちゃんと思い出にしてください』
「わかってる。好きでいてもいいかな?」
『ダメです』
「厳しいなぁ」
エリーナが戻ればエリスローズは貧困街に家を買う。そうすればもう二度と会うことはないだろう。
王太子が頻繁に貧困街を訪れるなどあってはならないことだ。何か噂が立ってからでは遅い。
エリスローズたちにとってもそれは好ましくないこと。王太子と繋がりがあるなどと知られれば何が起きるかわからないからだ。
だからこうして親しくするのは身代わりをしている間だけ。
「君にとって僕はどういう男だった?」
『素敵な人でしたよ』
「好きになりそうだった?」
率直な問いかけに思わず笑ってしまう。
『あなたを好きになれたらどんなに良かったか』
予想もしていなかった言葉にリオンの心臓が強く跳ねた。
『でもあなたは王太子で既婚者。私は私であなたの期待には応えられないから』
「期待なんてしないよ! 応えようとしなくていい!」
チャンスはまだ残っているのかもしれないと必死なリオンにエリスローズは首を振る。
『あなたとロイを天秤にかけたら私は間違いなくロイを選びます。断崖絶壁で二人が落ちそうになっていてもそう。私は迷うことなくロイを助けるでしょう』
「一緒に落ちることになっても?」
無駄な質問だとわかっていながらも答えを聞かなければと思ったのは自分の気持ちに決着をつけるため。
どこまでも玉砕しなければこの胸にある期待も想いも消すことはできないから、あえて自ら傷つきにいく。
『もちろんです』
「メイとシオンを残すことになっても?」
こんな質問をする男だから好きにならなかったんだと心の中で自虐するリオンに向けるのは苦笑ではなく笑顔。
『はい』
短く書かれたイエスの返事にロイは大きく息を吐き出して芝生の上に寝転んだ。
「両思いになるって奇跡のようなものだよね。片方だけが好きになっても恋人にはなれない。好きだと思った相手に好きだと思ってもらえなきゃ恋人にはなれないんだから、それってすごく難しいことなんだなぁ」
リオンもエリスローズも恋とは無縁に生きてきた。
一方は親が決めた相手と結婚してしまったせいで恋をする時間がなかった。
もう一方は幼い弟たちのために生きると決めたから恋をしようとさえしなかった。
当たり前のように語られる恋物語がいかに難しいものかを身をもって知った二人は一緒に空を見上げて手を繋ぐ。
「君とずっと手を繋いでたいな。贅沢かな?」
『手を繋ぐことが贅沢か、だなんて変な人ですね』
「好きな人と手を繋ぐことが、だよ」
『どうでしょうね。贅沢かもしれませんね』
穏やかに笑うエリスローズの横顔を見ていたリオンはゆっくり身体を起こすとこちらを向いたエリスローズと目が合ったことで暫く黙ってその瞳を見つめ続ける。
ゆっくりと近付ける顔。エリスローズがそれを避けようとしないためリオンは消そうとしたはずの期待を胸に唇を合わせようとした──
「はい、しゅーりょー」
リオンの唇に触れたのはエリスローズの柔らかな唇ではなく無機質なつるりとした物。
それと同時に上から降ってくる不機嫌な声に目を開けると目の前にあったはずのエリスローズの顔はいつの間にかオーナメントに変わっており、傍にはロイが立っていた。
「やあ……ロイ」
ヤバいと思ったところでもう遅い。
撤回しようにもできない場面を見られてしまった。
「いい度胸してんじゃん、王太子様よお」
「あはは……ごめん。魔が差したっていうか……」
「エリーは絶対渡さねーって言ったよな? 俺のだって言ったよな? もう忘れたんか」
「そうじゃないけど……あはは……」
「覚えててやろうとしたならテメー、ぶっ飛ばすぞ」
「あいたっ! 痛いよロイ~」
手に持っていたオーナメントで殴られると予想以上に痛い。
風船ほど軽いはずなのに打撃力はかなり高く、叩かれた頭がジンジンと痛みを感じている。
「あっ!」
エリスローズの膝にまたがって両手で頬を包むとゆっくりと押し当てるキスをするロイに思わず声を上げるリオン。
目を開けて横目でリオンを見るロイが鼻で笑う。
それをエリスローズが無理矢理引き剥がした。
「なんだよエリー」
『意地悪なことしないの』
「だってコイツ、エリーにキスしようとした。……エリーも受け入れようとした……」
『怒ってるの?』
「怒ってる。だってエリーのキスは俺のだもん。他の奴には一秒だってくれてやんない」
受け入れようとしたことを否定しようともしないエリスローズに思いきり頬を膨らませるロイが拗ねを見せる。
額に唇を押し当てて抱きしめるもまだ機嫌は直らない。
『どうしたら許してくれる?』
ノートに書いた字をロイに見えるように後ろに回すとそのノートを掴んでポイッと地面に投げ捨てた。
「一緒にオーナメント飾ったら許す」
わかったと立ち上がったエリスローズに抱かれたままモミの木へと向かう道中、ロイはリオンに向かって思いきり舌を出した。
「最初からエリーが一緒に飾り付けしてくれてたら俺だってこんな怒ることなかったのに」
まだ文句を言っているロイに苦笑するリオンがもう一度寝転んで空を見上げる。
真っ青な空。
離れても空を見上げればエリスローズの青い瞳を思い出すだろうと、そう思うと少し嬉しくなる。
忘れることなどできるはずがないのだから、どこにいたって見られる青空を思い出にしようと決めた。
大きな星のオーナメントを持った手を振っているロイにエリスローズが手を振る。
アレンが庭に用意したモミの木にいくつものオーナメントをつけてはエリスローズに声をかけるロイ。
何十回繰り返しているだろうと思いながらもエリスローズも飽きずに手を振り返している。
「もうすぐ聖リュミエール祭だね。聖リュミエール祭って知ってる?」
『知りません』
「赤い服を着た白髭のおじいさんがトナカイが引くソリに乗って子供たちに──……」
リオンが口を閉ざした理由はなんとなくわかっているためエリスローズは顔を覗き込んで微笑む。
「ごめん。無神経だった」
何が、とは言わない。だがそれはきっとスラム街や貧困街の子供たちには無縁のことだからだろうと察したエリスローズは首を振る。
「もし、プレゼントがもらえるなら何が欲しいって願う?」
空を見上げて暫く考え込んでいたエリスローズがノートにペンを走らせる。
『家族の健康』
その願いはエリスローズらしいと思うが、自分がプレゼントできる物ではないためリオンにとっては少し残念だった。
『健康でいてくれるだけでいいんです。欲しい物はないので』
「欲することは悪じゃないよ」
ロイの言葉を思い出したリオンの言葉にエリスローズが目を瞬かせるもすぐに笑顔に変わる。
『本当に欲しい物はないので』
「そっか。せっかく合法的にプレゼントできる機会だから何かプレゼントしたかったんだけど」
『お気持ちだけ受け取ります』
毎年何か高価な物を当たり前のようにねだるエリーナとは違うエリスローズのいじらしさにリオンはたまらなくなる。
「君と聖リュミエール祭を過ごせそうで嬉しいよ」
『聖リュミエール祭当日に帰ってくるかもしれませんよ』
「嫌なこと言うなぁ、君」
『覚悟はしておかないといけませんからね』
「覚悟が必要かい?」
『一応』
その言葉が嬉しかった。自分に都合の良いように解釈しているだけかもしれないが、エリスローズもこの生活を悪くないと思っているのではないかと思ったから。
「ロイ、このオーナメント可愛いぞ」
「なんで靴下なんだよ?」
「これを枕元に飾っておくと朝になったらプレゼントが入ってるんだ」
「靴下持ってない奴はどうすんだ?」
「枕元にあるんじゃないか?」
「なかったけど」
「親がすることだからなぁ」
「サンタって言わねーのかよ」
「お、知ってたか。物知りだな」
「本に書いてあっただけだっつーの」
ロイが入城して二ヶ月、アレンが帰国してから一ヶ月。二人の仲は近付いているように見えた。
アレンが正論を言うとロイは途端に距離を取って噛み付くのは変わりないが、アレンはそれを野良犬というより野良猫だなと笑っている。
先月の給料日、帰宅した際もアレンはついてこなかった。ロイに「コリンとフィーネによろしく」と言ったが「言うわけねーだろ」と一蹴されて終わった。
実際、アレンが現れたことは二人には伝えなかったのだ。
「アンタ、自分でガキ育ててても親がしてるって言うのかよ」
「ショック与えるよりいいだろ?」
「夢を与えない親なんていらねー」
「なら俺がサンタの格好をするさ」
「ハハッ、ダサすぎて笑える」
「おう、笑え笑え」
聖リュミエール祭を迎えるにあたってアレンが用意した絵本を暇つぶしに読んだロイはアレンがサンタの格好をしているのを想像して思わず笑ってしまった。
初めて見るその笑顔にアレンもつられて笑うのだが、エリスローズはそれを見てよく似ていると目を細める。
親子になってほしいわけじゃない。ただ、十年間ずっと息子を探していた父親と会えたのも何かの運命だとロイには受け入れてほしかった。
拒絶する必要はない。アレンは親切な人間だ。リオンを受け入れて楽になったように、ロイにもそうしてほしいと願っている。
「ロイは僕より伯父さんに懐いてる」
『私に好意がないからだと思いますよ』
「んー、でもそれは変えられないことだからなぁ」
自分の気持ちに嘘はつかないと決めているリオンらしい言葉にエリスローズが笑う。
「エリーナが帰ってこなければいいと思う一方で、早く帰ってこいとも思うんだ」
意外な言葉にエリスローズが首を傾げる。
「君にはずっとここにいてほしいと思ってる。僕の隣に僕の妻としてね。でも、君が僕の隣にいるということは君は家族と過ごせないということだからね」
苦笑しながら話すリオンにエリスローズが頷く。
「君にとってこの生活は辛く苦しいものだっただろうけど、僕はすごく楽しくて幸せだった」
『たくさんノートを使ってしまいましたね』
「それだけ君とたくさん話したってことだよ。僕にとっては思い出だ」
『私もです』
嬉しそうに顔を向けるリオンにもう一度頷いた。
『終われば全部思い出ですから』
晴れやかな笑顔を浮かべるエリスローズにとって解放の時が待ち遠しくて仕方ないのだろうと察したリオンは苦笑さえ浮かべられず地面を見つめた。
この十ヶ月、リオンはリオンなりに好意を伝えてきたつもりだった。だが、そのアプローチ法が正しかったのかはわからない。わからないことだらけだったから押し付けがましいことばかりだったようにも思う。
エリスローズは嘘を隠すのが上手い。声が出ないから声が上擦ったり震えることもない。表情さえ完璧に作り上げてしまえば全て本当のことであるように振る舞える。
リオンはそれを見抜くことができないのだ。
「良い思い出にしてくれるかい?」
『もちろんです』
本音か嘘かもわからない。
自分だったらきっと良い思い出になんてしない。
ドレスを着て、風呂に入れて、三食ちゃんと出てきても、その中に必ず一つは差別があって、それを感じない日はない十ヶ月だっただろう。
あと一ヶ月で終わるのか、もう一年かかるのか、それとも十年続くのかはわからない。
それでもきっとエリスローズは今と変わらない態度を続けるのだろう。
こんな差別主義者だらけの場所でどんなに愛を伝えようとしても心が開いていないのであれば意味がない。自分だけが頑張ったところで意味がない。
「ロイはやっぱり賢いな」
『ロイが何か?』
思い出し笑いをするようにクスッと声を漏らしたリオンが空を見上げる。
「ロイがね、変わるのは僕たちの意識だって言ったんだ。確かにそうだなぁって思ってさ」
なんの話かわからないエリスローズはその話を掘り下げるべきか迷っていた。
「もうすぐまたパレードが行われるね。君とまた一緒に祝ってもらえるのが嬉しいよ」
『なんでも嬉しいんですね』
「君とならなんだって嬉しいよ」
エリスローズにとってこの出会いは嫌なものではなかった。
頼りなくていい加減な男であり、優しすぎる人。
だが、絶対に好きになってはいけない人でもあった。
だからエリスローズは恋をしない。
優しくて良い人として自分の中で止めておく。
「エリーナが帰ってきても僕は君を忘れられないと思う」
『ちゃんと思い出にしてください』
「わかってる。好きでいてもいいかな?」
『ダメです』
「厳しいなぁ」
エリーナが戻ればエリスローズは貧困街に家を買う。そうすればもう二度と会うことはないだろう。
王太子が頻繁に貧困街を訪れるなどあってはならないことだ。何か噂が立ってからでは遅い。
エリスローズたちにとってもそれは好ましくないこと。王太子と繋がりがあるなどと知られれば何が起きるかわからないからだ。
だからこうして親しくするのは身代わりをしている間だけ。
「君にとって僕はどういう男だった?」
『素敵な人でしたよ』
「好きになりそうだった?」
率直な問いかけに思わず笑ってしまう。
『あなたを好きになれたらどんなに良かったか』
予想もしていなかった言葉にリオンの心臓が強く跳ねた。
『でもあなたは王太子で既婚者。私は私であなたの期待には応えられないから』
「期待なんてしないよ! 応えようとしなくていい!」
チャンスはまだ残っているのかもしれないと必死なリオンにエリスローズは首を振る。
『あなたとロイを天秤にかけたら私は間違いなくロイを選びます。断崖絶壁で二人が落ちそうになっていてもそう。私は迷うことなくロイを助けるでしょう』
「一緒に落ちることになっても?」
無駄な質問だとわかっていながらも答えを聞かなければと思ったのは自分の気持ちに決着をつけるため。
どこまでも玉砕しなければこの胸にある期待も想いも消すことはできないから、あえて自ら傷つきにいく。
『もちろんです』
「メイとシオンを残すことになっても?」
こんな質問をする男だから好きにならなかったんだと心の中で自虐するリオンに向けるのは苦笑ではなく笑顔。
『はい』
短く書かれたイエスの返事にロイは大きく息を吐き出して芝生の上に寝転んだ。
「両思いになるって奇跡のようなものだよね。片方だけが好きになっても恋人にはなれない。好きだと思った相手に好きだと思ってもらえなきゃ恋人にはなれないんだから、それってすごく難しいことなんだなぁ」
リオンもエリスローズも恋とは無縁に生きてきた。
一方は親が決めた相手と結婚してしまったせいで恋をする時間がなかった。
もう一方は幼い弟たちのために生きると決めたから恋をしようとさえしなかった。
当たり前のように語られる恋物語がいかに難しいものかを身をもって知った二人は一緒に空を見上げて手を繋ぐ。
「君とずっと手を繋いでたいな。贅沢かな?」
『手を繋ぐことが贅沢か、だなんて変な人ですね』
「好きな人と手を繋ぐことが、だよ」
『どうでしょうね。贅沢かもしれませんね』
穏やかに笑うエリスローズの横顔を見ていたリオンはゆっくり身体を起こすとこちらを向いたエリスローズと目が合ったことで暫く黙ってその瞳を見つめ続ける。
ゆっくりと近付ける顔。エリスローズがそれを避けようとしないためリオンは消そうとしたはずの期待を胸に唇を合わせようとした──
「はい、しゅーりょー」
リオンの唇に触れたのはエリスローズの柔らかな唇ではなく無機質なつるりとした物。
それと同時に上から降ってくる不機嫌な声に目を開けると目の前にあったはずのエリスローズの顔はいつの間にかオーナメントに変わっており、傍にはロイが立っていた。
「やあ……ロイ」
ヤバいと思ったところでもう遅い。
撤回しようにもできない場面を見られてしまった。
「いい度胸してんじゃん、王太子様よお」
「あはは……ごめん。魔が差したっていうか……」
「エリーは絶対渡さねーって言ったよな? 俺のだって言ったよな? もう忘れたんか」
「そうじゃないけど……あはは……」
「覚えててやろうとしたならテメー、ぶっ飛ばすぞ」
「あいたっ! 痛いよロイ~」
手に持っていたオーナメントで殴られると予想以上に痛い。
風船ほど軽いはずなのに打撃力はかなり高く、叩かれた頭がジンジンと痛みを感じている。
「あっ!」
エリスローズの膝にまたがって両手で頬を包むとゆっくりと押し当てるキスをするロイに思わず声を上げるリオン。
目を開けて横目でリオンを見るロイが鼻で笑う。
それをエリスローズが無理矢理引き剥がした。
「なんだよエリー」
『意地悪なことしないの』
「だってコイツ、エリーにキスしようとした。……エリーも受け入れようとした……」
『怒ってるの?』
「怒ってる。だってエリーのキスは俺のだもん。他の奴には一秒だってくれてやんない」
受け入れようとしたことを否定しようともしないエリスローズに思いきり頬を膨らませるロイが拗ねを見せる。
額に唇を押し当てて抱きしめるもまだ機嫌は直らない。
『どうしたら許してくれる?』
ノートに書いた字をロイに見えるように後ろに回すとそのノートを掴んでポイッと地面に投げ捨てた。
「一緒にオーナメント飾ったら許す」
わかったと立ち上がったエリスローズに抱かれたままモミの木へと向かう道中、ロイはリオンに向かって思いきり舌を出した。
「最初からエリーが一緒に飾り付けしてくれてたら俺だってこんな怒ることなかったのに」
まだ文句を言っているロイに苦笑するリオンがもう一度寝転んで空を見上げる。
真っ青な空。
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