愛し方を知らない氷帝の愛し方

永江寧々

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戸惑い

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「そのまま目を閉じていろ」

 そう言ってミュゲットの身体を抱き上げたアルフローレンスはゆっくりとした足取りで歩いていく。
 怪我をしているのではないかと目を開けたミュゲットは見上げた先でアルフローレンスと目が合った。

「目を閉じていろと言ったはずだぞ」
「怪我は……」

 こんなこと聞く必要のない相手。相手が怪我をしていようとどうだっていいことだ。狩りをしようとすれば狩られることだってある。
 しかし、今回だけはそう突き放すことはできない。声がしたのは自分の背後から。襲われたのはアルフローレンスではなく自分。自分を庇ってくれたのは間違いない。それでもし相手が怪我をしていたら寝覚が悪い。ただそれだけだとミュゲットは一度閉じた口をもう一度開いた。

「怪我はしていませんか?」
「余の心配か?」
「怪我はしていないのですね?」
「お前がその目で確かめればよいだろう」
「答えて!」

 軽口を叩く様子を見れば問題ないとは思うが、ミュゲットには判断できない。すぐに答えない相手に苛立って大声を出してしまう。

「怪我などするはずがないだろう。何者が相手であろうと余は負けぬ」

 それならいい。これ以上の心配は無用。溜め息なのか安堵なのかわからないものをこぼし、何が起こったのか確認すべく振り返ろうとするがアルフローレンスがそれを許さなかった。

「スノークルス、ですか?」

 答えない。

「私が大声を出したせいですか?」
「目を閉じていろ」

 獲物を狙うということは獲物のテリトリーに入るということ。だから静かにしていなければならない。音はもちろんのこと、息も殺して気配さえ消すことを必要とするときもあると聞いたことがある。そんな緊張感の中でする狩りは格別だと今まで読んだ小説の登場人物が言っていたのを思い出した。そんな場所で大声を出していた自分がスノークルスを刺激したのかもしれないと反省するミュゲットをアルフローレンスはチラッと見るが黙って馬に乗せた。
 馬に乗せられたことで視界が開け、前方にはスノークルスが倒れているのが見えた。白い毛が赤く染まり、騎士たちがそれを囲みながら何やら話し合っている。
 静かに眺めるだけのつもりだったのに雪遊びにハシャいだ自分のせいだとミュゲットは唇を噛み締めた。

「スノークルスは凶暴な獣だ。だから狩る。殺生を好まぬお前の気持ちもわかるが、世の中には狩ったほうがいい獣もいるということを覚えておけ」

 凶暴な顔だとは思った。可愛いとは言い難い容姿をしていると。だが、遠くから見ていれば襲ってこないだろうと安易に考えていた。声を出せば相手に気付かれるとか、襲いかかってくるかもしれないとか思ったことは一度だって考えさえしなかったのは自分のミスで、愚かだと言われても仕方ない。
 実際、遠くから見ているだけなら襲ってこなかったかもしれないと考えると今日散る命ではなかったのにとミュゲットは吐き出す息を震わせる。

「……あのスノークルスはどうするのですか?」
「燃やすだけだ。お前が欲しいと言うのであれば血を消してコートを作ってやるがな」

 欲しいと言わなければあのスノークルスは無駄死にということになる。テリトリーに入られたから怒っただけなのに無惨に殺されてしまった哀れな獣。
 拳を握るミュゲットは大きく長い息を吐き出してアルフローレンスを見た。

「あの毛皮を私にください」
「よいぞ」

 戒めに持つことが償いだろうと覚悟を決めた。今日はスノークルスは狩らないとアルフローレンスは約束してくれた。それは今後一生というものではなく、今回はということだけではあるものの、自分が静かに見ていればスノークルスは死なずに済んだ。きっと今もあの大きな身体でのしのしと歩いていただろう。
 自分が毛皮のコートを作らせるよう動いたも同然だとミュゲットは思った。

「帰るか? 少し走ることになるが、アローぺクスを見に行くこともできるぞ」
「帰ります」

 今のミュゲットはスノークルスのことで頭がいっぱいでアローぺクスという生き物を素直に楽しく眺めることはできそうになかった。
 後ろに跨ったアルフローレンスがまた背中を預けるよう引き寄せるとミュゲットは大人しくコートの中に収まる。

「気にしすぎるな、鬱陶しい」
「すみません」

 アルフローレンスが狩ったのなら約束と違うと批判すればいいだけ。だが、今回は自分の行動で狩らせることになってしまった結果を自分で批判しても心は晴れない。むしろ自己嫌悪で重くなっていくばかり。

「フローラリアでも狩りの習慣はあったはずだが」
「私は直接見たことはないんです。父が……」

 父親が死んだのはこの男のせいなのになぜ自分はそれを忘れて普通に接しているのだろうと目を閉じて眉を寄せる。
 自分の絶対の支えであった妹を失ったことで無自覚に縋りつこうとしているのかもしれないと自分の太ももに爪を立てた。
 情けない──それが今の自分に相応しい言葉だとミュゲットは自覚する。

「お前はなんでも考えすぎる癖がある」

 何も知らないくせにとは言えない。それは昔から親にも妹にも言われていたこと。
 アルフローレンスからすればただ獲物を狩っただけ。グラキエスでは珍しいことでもなんでもないのだろう。防寒具には獣の毛皮。だから今日、獣一匹を狩ったことは悲惨なことでも幸運なことでもない。気にしているのはミュゲットだけ。

「近々、フローラリアに帰るのにそんな浮かない顔をしているつもりか?」
「それとこれとは……」
「どんなことが起ころうと全て受け入れろ。世界の頂点に立つことも世界の最底辺に落ちることも全て同じラインの上で起こっていること。別の話ではない」
「最底辺に落ちたことがないあなたにはわかりません。最底辺の人の気持ちも、突然国を攻め落とされて捕虜になった者の気持ちも」
「わからぬ。余は捕食者だからな」

 少し気持ちが揺らいでは固まるの繰り返し。ミュゲットはこれほどまでに自分が単純で心の弱い人間だとは思っていなかった。だから戸惑ってしまう。この男の言葉一つ一つに。
 自分が落ち込みすぎなのか、それともこの男がアッサリとしすぎているのかがわからない。どちらにせよスノークルスを狩ったことに変わりはない。

 「終わったことをいつまでも考えるな。無意味だ」

 彼の言う通り、考え過ぎたところで意味はない。スノークルスはこれからグラキエスに運ばれていき、剥がれた毛皮はミュゲットのためのコートに使用される。
 大きく息を吐き出したミュゲットは頭を振って考えを飛ばす。
 フローラリアに帰ればもうこんな目に遭うことはない。この男ともお別れ。

 どんなことが起ころうと全て自分の人生に起きた出来事。

 その言葉が妙に重くミュゲットの胸にのしかかっている。

「そう落ち込むな。襲えばやられる。それは狩りの基本だ。スノークルスはお前を襲った。だから余にやられた。それだけだ」

 城について馬から降りたアルフローレンスがかける言葉にミュゲットは首を傾げる。励ましているつもりなのだろうかと。

「あなたってよくわからない人」
「余は意外にも単純だ。複雑ではない」
「単純じゃない。だって、わからないもの。冷たかったり、どこか……それだけじゃないところもあって……」
「余は聖人ではない。人間は誰しも二面性を持っているものだ。困惑する必要などないだろう」

 それは間違いない。誰しも良い面と悪い面があって、それが人間だということもわかっている。動物のようにあるがまま生きてはいない。

「余のことが知りたいか?」
「そういうわけでは……」
「どうした?」
「手が、冷たすぎます」

 頬に触れるアルフローレンスの手が氷のように冷たい。いつも触れてくる手は暖かいため驚いた。自分の手も冷えて痛いぐらいだが氷のように冷たくはない。なぜこんなに冷えているのかがわからず、思わず両手で握った。

「いつも通りだ」
「いつもこんなに冷たくない」

 触れられているからわかる。アルフローレンスは触る前に手を温めたことは一度だってない。だがいつも手は暖かかった。
 困惑するミュゲットの手を見つめるアルフローレンスは軽く手を握り返し

「お前の体温を分けてくれればそれでいい」

 そういうとアルフローレンスの雰囲気がどこか変わった気がするのと同時に手が段々と暖かくなってきた。

「触れてもよいか?」
「いつも確認なんかしないのに」
「お前の許可を得ようとするのはおかしなことか?」
「じゃあいつもそうしてください」
「余がルールだと言っただろう」

 眉を下げたミュゲットの口元に笑みが浮かぶ。どうしようもない男だと思うのに、それを受け入れてしまう自分がいる。憎んでいるはずなのにそれに徹せないのが嫌だった。

「ミュゲットー! おーい、ミュゲットー!」

 不意に聞こえたフランの声に場所を探すと家の二階から顔を出して手を振っていた。
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