愛し方を知らない氷帝の愛し方

永江寧々

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星空

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「……うそ……」

 目の前に広がるのは見慣れた曇り空ではなく、見たことがないほど輝く満天の星空。
 フローラリアで見る星空が最も美しいと思っていたミュゲットでさえ目の前に広がる景色に息をのむ。

「ありえぬ……。グラキエスの空は……」
「晴れた」

 信じられないと驚いたままのアルフローレンスにミュゲットがこれは夢ではないことを伝える。
 何百年と雲がかかりっぱなしだったはずの空にあるのは数えきれないほど瞬きを見せる星たち。
 アルフローレンスの想像を超える空にアルフローレンスは呼吸さえ忘れていた。 

「……余は……」

 雲を払いたいと思っていた。星空を見せたいと。
 きっとミュゲットは喜ぶ。満面の笑みを見せてくれるのだと。
 だが今のアルフローレンスは今ミュゲットがどういう表情をしているのか確認することができない。
 視界全てを支配するような星空から目が離せなかった。
 何かを紡ごうとしても言葉が止まる。なにを言っても全て吸い込まれてしまうような感覚に襲われていた。
 ミュゲットも今は何も言わない。今この瞬間、彼の中で何かが変わったような気がしているから。
 彼にとって見上げる意味などなかった空を彼は一人で見上げている。
 凍らせたままだった心が雪解けを待ち、愛を知ることで豊かになり、そして今、新たな感情を得ている。
 まるで子供のようにジッと見上げるその姿をミュゲットは母親のように見守っていた。

「……フローラリアで見た星空も美しいと思った。だが、これは……」
「想像以上?」
「ああ……」

 この星空をくだらないと吐き捨てないことが彼の心の清らかさの証明であるとミュゲットは感じる。
 戦争を好んでいた先代皇帝にはない心だと。
 人を支配すること、首を刎ねることしか知らないやり方を続けてきたのは手本がそれしかなかったから。
 皇帝になる頃にはこの清らかな心を凍らせてその上から残忍な皮を被せて生きてきた。
 やってきたことは変えられない。これからも彼は氷帝として人々に恐れられることは間違いない。
 それでもミュゲットはそれだけじゃないんだと知ってほしいと思う。

「もう少し上がればお前に星を取ってやれそうだ」
「ロマンチックね」
「欲しいか?」
「ううん、あなたとこうして見てるだけでじゅうぶん」

 ミュゲットにとって幸せなのは物を与えてもらうことではない。
 高価な物など必要ない。欲しいとさえ思わない。
 アルフローレンスがこうして星を見上げてそれを美しいと思い、取ってやろうと思ってくれるだけでミュゲットは怖いほど幸せだった。 

「月に手が届きそうなほど大きい」

 満月が浮かぶ夜空に手を伸ばすと大きな手が重ねられる。
 
「小さな手だな」
「あなたが大きすぎるのよ」
「お前を守るためだ」

 その大きな身体で、手で、いつだって包み込んでくれた。
 わかってはいるが、言葉にされると少しくすぐったくなってしまう。

「何百人……何千人と殺してきたかわからぬ手だ。何千では足りぬかもしれぬ」

 十二歳で戦場に立ち、父親に人殺しと言われ、それからずっと戦場を駆け抜けてきた。
 そこに流れない血などなく、大地が血に染まるのを見ながらいつしか自分が殺した数を数えるのをやめた。
 戦場では人を殺しても『仕方ない』で終わる。それが戦争だから。
 だが、親を殺すことに『仕方ない』はない。
 とっくに汚れていたはずの手がひどく汚く思えた手だが、ミュゲットが自ら握ってくれるからアルフローレンスは自分の手を汚れていると言うのはやめた。

「必死に戦い続けてきたんだもの。数える必要なんてないわ」
「……そうだな」

 アルフローレンスは自らの手で幾度もミュゲットを傷つけてきた。
 だがミュゲットは自らの言葉で幾度もアルフローレンスを傷つけてきた。
 それは互いに大きな傷となって残っていることだろう。許せないことではなく、そういうこともあった過去として。
 人殺しと言われたこと、殴られたこと、二人の記憶の中には一生残り続ける。
 それでも互いを愛さずにはいられない。愛おしくてたまらないのだ。

「私にとっては愛を示してくれる手よ」

 ミュゲットだけに触れる手。エルドレッドのように数多の女に触れる手ではない。
 だからこそ余計に嬉しいのだ。

「ならこの手がお前に愛情を示そう」
「ん?」
「……こんな場所でこんなことをするのはロマンチックではないのかもしれぬが……」

 アルフローレンスが一段下りていくのを追いかけようとしたミュゲットの前で取り出された物に今度はミュゲットが目を見開く。

「……え……?」

 小さな小さなリングケース。
 それを開くと現れたゴールドの指輪。
 男性が女性の目の前で指輪を見せる意味がわからないわけがない。
 それでも想像もしていなかった展開にミュゲットは何度も瞬きを繰り返して指輪からアルフローレンスに視線を移した。
 目が合うとアルフローレンスがその場で膝をつく。

「ミュゲット・フォン・ランベリーローズ、余の妻になってくれぬか?」

 こんな場所でこんなことをされて喜ばない者がいるなら教えてほしいと思うほど、ミュゲットの胸はいっぱいだった。
 
「喜んで」

 笑顔で返事をして手を差し出すが、その手が震えている。
 細めの指輪がミュゲットの細い指に通り、ピッタリとはまる。

「可愛い。このデザイン、あなたが?」
「余は提案しただけだ」
「だからこんなに大きいのね」

 ダイヤが散りばめられているのではなく、透き通る赤の宝石がハートにカットされてドンッと乗っている。
 繊細なデザインではないことが相手らしいと笑うとアルフローレンスが手を握り、指輪に唇を落とす。

「気に入らなかったか?」
「すごく気に入ってる。指輪にハートを施すのって心臓を渡すような意味があるんだって。一番大切な部分を一番大切な相手に渡すっていう意味が」
「そうか」
「知ってた?」
「いや」
「ふふっ、あなたらしい」

 ハートが可愛いからしてくれたのか、それとも相手の愛情の表れだろうかと想像しては嬉しさから笑いが溢れる。
 小説の中では代々受け継いでいる指輪を渡すことが多いが、これはアルフローレンスが用意した指輪。
 どんな理由で作ったにせよ嬉しくないはずがない。

「あのとき私についてくるなって言ったのは指輪のこと?」
「指輪ではない。その石のことだ。純度の高いベリライトが見つかったと報告を受けていた」
「それで私についてくるなって言ったのね」
「あのような場所でバレることだけ避けたかったからな」

 サプライズを考えるのが好きなのだろうかと笑うミュゲットの腕を引いて抱き寄せると素直に背中に腕が回る。
 誰もいない、誰の邪魔を受けることもない星空の下で二人きりという状況にアルフローレンスは心が穏やかになっていくのを感じていた。

「あなたがいなかったら私は今頃ひどい目に遭ってたかな」
「余もひどい目に遭わせたがな」
「でも愛情もたくさんくれたわ」
「いくらでもくれてやる。お前がもういいと言っても与え続けてやる」
「栄養過多で萎れちゃうかも」
「そんなやわな女ではないだろう」
「ええ、逆に太るかも」
「太るぐらいでいいのだ、お前は」

 自分の思っている愛情と相手が感じている愛情が同じであるとは限らないことがアルフローレンスはまだ少し怖いと感じる。
 自分は愛情だと思ってやったことが相手にとっては愛情ではなくただの苦痛だった場合、どう巻き戻していいのかわからなくなるからだ。
 だから一つずつ言葉にしていかなければとアルフローレンスは思う。
 言葉にすれば間違っているかどうかミュゲットが言ってくれるから。
 
「余はお前がいるから生きている意味があると思っている。お前がいない世界など必要ないと思うほどにな」

 いつだって盛大な愛の告白をくれていた。
 プロポーズの言葉がシンプルすぎると感じてしまうほどに。
 歳を取って思い返したときにどれがプロポーズの言葉だったかわからなくなるのではないかと一人想像してはまたミュゲットが笑う。

「もしグラキエスが穏やかな国だったらあなたが私に執着することはなかったのよね、たぶん」
「どんな世界でもお前を愛さぬ余は存在しない」 
「あら、愛を知ってるの?」
「今ここにある感情がそうだ」

 胸に手を当てるアルフローレンス。

「確信はある?」
「余の身体が暖かいのが証拠だ」
「そうね、とってもあったかい」

 冷えていた身体はいつの間にか暖かくなっており、彼の中で溢れる愛が身体を暖めているのだと再確認する。
 背中に回した手を首に回すとアルフローレンスの手が腰に回る。
 一段違うだけで顔の近さが違うと嬉しくなったミュゲットは自分から触れるだけのキスをした。

 満天の星空の下、至近距離で見つめ合い、笑顔になり、今度は深く唇を重ねた。
 
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