愛し方を知らない氷帝の愛し方

永江寧々

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番外編

愛のために

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「晴れない空ってあるのかな?」

 本を読んでいたジェラルドが顔を上げて不思議そうに呟いた。

「だってさ、晴れないって変だよね。晴れないなんてあるわけないのに」
「この国の空もずーっと太陽が見えなかったのよ?」
「嘘だ」
「今はとってもキレイなお星様やあったかい太陽が出てるけど、ママがここに来たときはずーっと雪が降ってたの」
「太陽は?」
「上手にかくれんぼしてた」
「見つけられなかったの?」
「そうね」

 イヴリンもジェラルドも晴れたグラキエスが当たり前で、雲に覆われ続けたグラキエスを知らない。
 毎日眩しい太陽があって、輝く星空があるグラキエスで日々成長している。
 ミュゲットにとっては懐かしい話だ。

「この空みたいに?」
「ええ、そうよ」

 ミュゲットが大好きだった『雪降る街に落ちる雫』がジェラルドも大好きで、いつも読み聞かせをねだる。
 カラーで刷られた挿絵の空は青空ではなく雪が降るときの空の色。
 
「雨が降るときの色だよ?」

 グラキエスの空にかかる雲はいつも灰色だった。
 雪雲は灰色なのだと思っていたミュゲットにとって晴れてから空にかかった雪雲の白さには驚きしかなかった。

「あなたたちが生まれる少し前に神様が空を晴らしてくれたの」
「パパは神さまはいないって言ってた」

 子供にはちゃんといると教えてほしいと頼んだのにこの結果かと目を閉じるミュゲットは深呼吸をするようにゆっくりと息を吐き出して怒りを抑える。

「パパの愛が空を晴らしたの」
「愛ってなに?」
「その人を大切に大切に思う気持ちのことよ。あなたの大切なもの全部あげられるって気持ちのこと」
「パパやママやイヴリンにならあげてもいいよ」
「それが愛よ」
「そっか」

 愛は誰だって持っている。それを自覚できるか、表現できるかが問題。
 まだ幼いジェラルドに愛とは何かを教えるのは難しい。
 できるだけ簡単な表現でわかりやすく伝えたつもり。それが愛の説明になっているかはミュゲットも多少不安ではあるが、理解したように笑うのを見て安堵する。
 いつか自分で気付く日が来る。
 愛を知った子供はどう変わるのだろう。それが親としての楽しみの一つでもあった。

「パパは大事なものを全部あげちゃったの?」
「ママにくれたの」
「それで空が晴れたの?」
「……そうね」

 自信はない。
 ただ、なんとなくそう思った。
 あの光った宝石のような物を見てアルフローレンスは疑問を口にしなかった。
 何か知っているように微笑んだあの顔は今も鮮明に思い出せる。
 とても優しい顔をしていたから。

「──って、ジェラルドと話をしてて思い出したんだけど、あれはなんだったの?」

 子供を寝かしつけたあと、ミュゲットは髪を梳かすために見ていた鏡越しにベッドの上で本を読むアルフローレンスに問いかけた。

「さあな」
「やっぱり何か知ってる。あれは誰かにもらった物じゃない。あの中に入れた物は全部覚えてるもの」
「忘れただけだろう」
「違う」

 ブラシを置いてベッドに乗ったミュゲットがアルフローレンスの手から本を取り上げる。

「どうして教えてくれないの?」
「知る必要はないからだ」
「隠し事するつもり?」
「嘘はつかぬと言ったが、隠し事まで約束はしていない」
「あ、そう。そういう言い方するわけね? なるほど」
「……お前のその言い方は好かん」
「私も隠し事されるのは好かない」

 それならこっちにも考えがあると言わんばかりの態度を見せるミュゲットにマズイと思ったアルフローレンスはため息をつきながら首を振ってミュゲットの手を引っ張って腕の中へと抱き寄せる。
 それに大人しく身を寄せて顔を見上げると目が合う。

「あれは余の涙だ」
「涙?」

 どう見てもあれは宝石だった。透き通った美しい水色の宝石。ミュゲットの指輪に埋め込まれているアクアマリンと同じ色をしていた。
 それが涙と言われてもミュゲットは納得できない。涙は液体であって固形ではない。何より、手のひら大ほど大きな涙など巨人でもない限り流すことは不可能。

「あなたの涙は何度か見たけど、全部普通の涙よ。あんな風にはなってない」

 プロポーズされたあの場所で彼は涙を流したが、固まることはなかった。
 だから余計にその話を信じることができない。

「魔女の魔法がかかっていたからだろうな」
「魔法?」

 魔女に会った話は聞いた。この世のものとは思えないほど美しい魔女に誘われたことも、彼が何一つ反応しなかったことも。

「あの解毒薬には氷の涙なる物が必要だった。その涙は氷属性の者が流す涙だと。だが余の涙は既に枯れ果てた状態だと伝えると魔女は最も辛かった時代に飛べば涙を流すと言い、無駄だと思いながらも方法がそれしかないのならと余は己が抱える過去の記憶へと入っていった」

 一番辛かった時代──彼にとっていつのことだろうとミュゲットは考える。
 戦争で初めて人を殺したとき?
 愛していた母親が異常性を表したとき?
 兄に見捨てられたとき?
 父親の暴力が向いたとき?

 どれも同じぐらい辛かったはずだ。
 辛いから心を凍らせて何も感じないようにしていたのに、解毒薬のためにその記憶の中へと向かった相手は死ぬほど苦しかっただろうとミュゲットはアルフローレンスを抱きしめた。

「やっぱりもういい」
「ロマンチックな話だぞ」
「……本当に?」

 フッと笑うだけで否定も肯定もしない。
 毒が回ったあの瞬間、ミュゲットは全身の血管に無数の針が刺さっているような感覚と呼吸ができない苦しさでパニックに陥っていた。
 呼吸しようとしても吐くことも吸うこともできなくて、アルフローレンスの声が聞こえたときには既に視界は真っ暗になっていた。
 肉体的な辛さとフランの甲高い笑い声と共に聞こえた本音。精神的に襲い来るダメージの両方に絶望した。
 どっちが辛かっただろうと考えても優劣はない。どっちも辛かった。
 ミュゲットは一瞬だったがアルフローレンスは違う。何年もその両方に耐えてきた。
 もう一度その中へ戻る覚悟は容易ではなかったはず。
 それをロマンチックだと言う相手にミュゲットは話を止めようとはしなかった。

「愚母を母親として純粋に愛していた幼少期から順を追って記憶を辿っていった。客観的に見ていると哀れでしかない人生だった。両親の愛が消えることに怯えて逆らうこともできず耐える日々。心が死んでいく人間の様子を目の当たりにしていた間は平気だった。今の余にはお前がいると、それが折れぬ力なのだと立っていられた。だが、余の心に住む余が作り出したお前が現れて……」
「どんなの?」
「余を愛さぬお前だ。人殺しなど愛さぬ。暴力に怯えるぐらいなら機嫌を取ると……余の傍にいるのは機嫌取りのためであって愛しているからではないと言うのだ」

 彼が臆病であることを知ったのは彼の心が溶けてから。
 いつだって予防線を張って生きてきたのだと知った。
 傷つき続けてきたから、自分がこれ以上傷つかないために自分のために予防線を張る。
 いつだって最悪の事態を想定していれば最悪の事態になっても傷は軽いもので済むという考え方をする人がいるのは知っている。小説の中の登場人物にもたまにいた。
 自分が愛するほど愛してくれなくてもいいと言った彼はそう思うことで予防線を張ろうとしていた。
 人殺しなど愛されるはずがないと自分で思うことで自分の心を守っていたのだろうと思うと切なくも愛おしくてたまらなくなる。
 
「余は人に胸を張れる生き方はしていない。人を殺したのは戦争だけではない。身勝手に殺し続けた。それは一生背負わなければならない罪だ。重罪だ」

 自分の命令を聞かない兵士、命令以外を実行した兵士、機嫌を損ねた兵士、騙された騎士──皆死ぬ必要のなかった者たち。
 今更後悔しようと謝罪しようと彼らは墓から蘇ることはしない。
 彼らにも家族がいた。兵士になったのは家族を、国を守るためであって仕えた皇帝に殺されるためではなかったはず。
 こういうとき、ミュゲットはなんと言葉をかけていいかわからなくなる。

「幼少期から大人になるまでの自分の感情が一気に襲いかかってくると耐えられなくなった。汗が吹き出し、涙がこぼれた。自分の感情を自分で抱えきれず処理できなくなった……」

 あの瞬間の嫌な感覚を覚えているのだろう。ミュゲットを抱きしめる腕に力が入る。

「やめてくれと懇願するしかできなかった余が流した涙がそれだ」
「そうだったのね」

 苦しみの末に出てきたものがあれほどまでに美しいとは信じられないと同時に申し訳なく思った。
 ミュゲットにとってあれは宝石のように美しいもので、アルフローレンスが魔法を使って作った物なのではないかと疑ってさえいた。
 だが、真実を知ってもなお、疑問が一つ残る。

「じゃあどうしてあれを見て笑ったの?」
「笑った?」
「私があれを見せたらあなた驚いた顔をしたあとに笑ってた。すごい優しい顔でね」

 あの頃の相手はまだ感情が少し面に出るようになったばかりで意識的に出していたわけではないのだろう。
 覚えていないのも無理はないと少し表情を真似して見せた。

「余がそんな顔をしていたのだとしたらお前がどこから持ってきたのか教えたからだ」

 自分の表情は覚えていなくてもミュゲットの言葉は覚えている。

「どこからって……宝箱……」
「それをお前は宝物にしてくれたのだ」

 首を傾げるミュゲット。

「だから私が入れたんじゃ──」
「お前にやったのだ、ミュゲット」
「受け取ってない」
「幼き頃のお前だ。余が出会ったばかりの頃のお前に渡した」

 受け取ったはずがない。幼い頃から何度も宝箱を開けている。大きく純度の高いシーポティリが手に入ると宝石箱の中に入れていたし、母親がネックレスをくれたときも宝石箱に入れた。
 宝箱の中に何が入っているのかは把握していただけにアルフローレンスの言葉に頷くことができない。

「当然だ。余は記憶の中で会ったお前に渡したのだから」
「記憶の中で?」

 頷くアルフローレンスは優しい微笑みを浮かべている。

「苦しむ余の前に現れたお前は余に大丈夫か、辛いのかと聞いた」

 あの日と同じ。
 それだけでアルフローレンスは恋しさと愛おしさが込み上げてきたのを今も鮮明に覚えている。
 胸に手を当てながらミュゲットを見るアルフローレンス。

「余の涙が頬を離れると同時に氷をまとい、お前の足元に転がっていった。それを拾ってお前はシーポティリを見るようにキレイだと言ったのだ」

 ミュゲットの記憶にはない思い出。

「だから余はお前にあれを渡した」
「でも、それって記憶の中の話よね?」
「ああ。だから余も驚いた。余が目を覚ましたとき、魔女は十あるはずが一つ足りないと言った。その一つがお前に渡した物だったのだろう」
「不思議な話……」
「余もそう思う」

 あれはあくまでも魔女が見せていた記憶の中の思い出したくもない思い出。
 氷の涙を得るための試練でしかなかった。
 それなのにその中で会った相手に氷の涙を渡し、実際にそれが一つなくなったのだからおかしな話だとアルフローレンスも思う。
 あのとき、確かに涙が止まらなかった。辛く悲しい記憶は痛みさえ感じるほどだったから。
 なのに涙はあの一粒だけ氷の涙となってミュゲットの前まで転がっていった。
 まるで彼女に渡すことが決まっていたかのように。

「あなたの記憶の中で会った私がもらった物が現実世界の私の箱に入ってたって……そんなことある?」
「信じずともよい」
「信じてないわけじゃないけど……」

 信じられない部分もある。だが、信じるしかないと思うのはフローラリアに行ってからアルフローレンスは宝箱には触っていない。ある場所さえ知らなかっただろう。
 彼は苦しみの末に流した涙など欲しがらない。それをミュゲットに渡そうなどと天地がひっくり返ってもありえないこと。
 だからこの話は信じるに値する。

「あれはあなたの愛の形ね」
「愛などではない。余の弱さの証だ」
「愛よ。だってあれにはあなたの全てが詰まってたんだから。あなたが抱えてきた痛みも苦しみも辛さも全部。そしてあの頃の私を大事に思ってくれたあなたの想い。それを私にくれた。あなたの全てを。あれは間違いなくあなたの愛だった」

 いつだってミュゲットは真っ直ぐ見つめてくる。
 海を思い出す青い瞳に吸い込まれるように唇を重ねるとミュゲットの手がアルフローレンスの服を掴む。

「愛を知ったことで過去の自分を恥じて悔いたあなたを神様が許してくれたのよ。」
「また神か。くだらん。神がいたら余をあのような愚図のもとへ送るはずがないだろう」
「私に出会うまでの試練だとしたら?」
「そのせいでお前を迎えに行くのに時間がかかった。もしあえて余をあの愚図のもとへ送り込んだのだとしたらその神とやらの首を刎ねてやる」
「でもあの二人の子供じゃなかったら会えてなかったし、私を光だと思うこともなかったんじゃない?」
「言っただろう。どの世界でもお前を愛さぬ余はいないと」

 ハッキリ言い切ってしまう相手がおかしくて笑ってしまう。
 愛に溢れる人。子供のことも愛してはいるが、妻に向ける愛と同等の愛を捧げはしない。
 愛する妻と自分の子がいくら目に入れても痛くないほど可愛かろうとも妻が一番。

「全部ちゃんと繋がってるのよ。別の世界で私たちは敵国の王子と王女かもしれない。傲慢な女王と明日を生きることさえ心配する貧民かもしれない。それはわからないけど、この世界での私たちは無関係だったようで繋がってた」
「お前がどこにいようと誰になっていようと余が探し出す。生まれ変わってもそれだけは忘れるな」

 無茶を言うとミュゲットは笑いながら首を振る。

「きっと前世もあなたは私にそう言ったんだと思う」
「だろうな。そして来世のお前も余にそう言うだろう」
「来世も一緒になれると思ってるの?」
「来世であろうとお前を手放すつもりはない。他の男との恋愛は諦めろ」
「金髪の王子様が現れるかもしれないのに邪魔するの?」
「そうだ」

 言い切る相手に笑いが止まらないミュゲットはアルフローレンスの頭に手を伸ばして両手で髪をワザと掻き乱した。

「何をする……」
「あなたのことがすごく好きだと思ったの」
「それと髪を乱すこととなんの関係が──」

 遮るようにミュゲットが唇を重ねる。

「誤魔化すな──」
「愛してる、アルフローレンス」

 愛というものがこれほどまでに暖かいものだと何十回何百回経験しようともアルフローレンスは驚いてしまう。
 わざわざ表情に出してまで驚くようなことではないが、それでも胸が締め付けられる。
 嘘で言っているのではない。来世でもきっとミュゲットを探し出す。どこにいようと、互いにどんな立場であろうと必ずこの腕の中に取り戻すと誓っている。
 全てを差し出すことが愛だというのなら何度でも差し出す。

「余もお前を心から愛している」

 この愛は永遠でなければならないのだから。
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