愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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餌付けのような

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「フロランタンって好き」
「お口に合えばいいのですが」
「珍しく残してたんだね」
「好きなものは先に食べる派だけど、パン先に食べないと固くなるから」
 
 デザートとして用意しておいたフロランタンをランチボックスから出したセシルが大口を開けてかぶりつく。
 キレイな顔をしているのに豪快な食べ方で大食らい。アルフレッドはイメージ通りの人だったが、セシルはイメージとは全く違う人で、あまりのギャップの大きさに何度も驚いた。
 
「アリスは生徒会に申し込みしなかったんだね」
「俺がダメだと言ったんだ」
「何で?」
「可愛いからに決まってるだろ。一生懸命仕事をする可愛いアリスに悪い虫がついたらどうする! 俺はそいつを屋上から吊るしかねない」
「カイルってさ、過保護通り越してサイコパスだよね」
「兄であれば誰もが通る道だ」
「サイコパスの道を? そんなわけないでしょ」
 
 三人がいつもこんな話を聞かされているのかと思うと申し訳なかった。
 三年間ずっと聞かされていたのだからうんざりしているだろうに「もういい」と言わない三人にアリスは心から感謝すると同時に兄に人差し指を立ててその話はしないようジェスチャーで伝えるも親指を立てた爽やかな笑顔が返ってくるだけ。
 
(わかってないんだろうなぁ)
 
 苦笑するアリスの前に差し出されたフロランタン。
 セシルを見るとなぜか盛大に眉間にしわが寄せられており、もしかして失敗していただろうかと思わず同じように眉を寄せる。
 
「ね、これすごく美味しいんだけど」
 
 表情と発言が合っていないことに安堵するのは初めてで、思わずキョトンとするも気に入ってもらえたことが嬉しくて笑顔になる。
 
「なんだろ……うちのシェフのフロランタンと違うんだよね。うちのシェフのフロランタンってしっとりしてるんだけど、これすっごくサクサクしてる。アーモンドの風味もいいし、キャラメルが濃くて美味しい」
「何本入れたの?」

 一本食べ終わってまたランチボックスからフロランタンを出したセシルにアルフレッドが小声で問いかけ、アリスは三本指を立てる。
 
「キャラメルが濃いって言ってなかったっけ?」
「言った」
「なのにもう三本目食べ終わりそうなの?」
「美味しいからね」

 ゾウが水を吸い上げるようにあっという間に胃袋へと収めてしまったセシルにアルフレッドは信じられないと額に手を当てて首を振った。

「何も気にすることなく食べられる君が羨ましいよ」
「ダイエットなんかやめてヴィンセルに剣術でも教わったら? 引き締まるんじゃない?」
「俺は今の体型が黄金バランスなの。これ以上筋肉つけたらそれが崩れる」
「ふーん」 

 興味ないと言わんばかりの返事だが、アルフレッドにとってセシルのこの返事は日常茶飯事であるため気にしない。
 ポケットから鏡を出して髪形の乱れがないか、口元はキレイかと確認する美意識の高さはアリス以上。
  
「アリスが好きな食べ物ってなに?」
「ベーグルサンドです」
「間に色々挟むと美味しいよね。僕もベーグルサンド大好き。あれってさ、主食にもスイーツにもなるから食べ飽きないんだよ」
「わかります! ラズベリーのベーグルサンドが好きでよく焼くんですけど、クリームチーズとハチミツとの相性が抜群で二個ぐらいペロリとイケます」
「あー美味しいそうだ。それも焼いてくれる?」
「わかりました」

 セシルが来てくれる日はたくさんの食事を用意しようと決めたアリスの頭の中には既にいくつかメニューが浮かんでいた。

「僕さ、お菓子とかパンとか焼ける女性と結婚したいって思ってたんだよね」
「は?」

 聞き捨てならんとカイルの不機嫌な声が漏れた。

「言えばシェフが作るけど、やっぱ奥さんの手作りが食べたいなって思ってさ」
「お前は妻に働かせるのか?」
「僕も一緒に作ってもいいし」
「男子厨房に入るべからずを知らないのか?」
「シェフが男って時点でその言葉は傲慢な人間が作った愚言だよ」
「貴族令嬢は自分より地位の低い者とは結婚しない。それがルールだ」
「そうやって貴族のルールを押し付けて妹の幸せをぶち壊すんだから良い兄だね、カイル。アリスが可哀想だ」

 仲が良いのか悪いのかわからない二人に苦笑するアリスは感じた視線に顔を上げると驚きに目を見開いた。
 ヴィンセルがこちらを見ていたのだ。
 見てはいけないと注意して見ないようにしていたのに、まさかのヴィンセルが見ていた。
 信じられない。夢ではないだろうかと確認したかったが勇気がない。
 もう一度視線をやってももう視線はこちらにないだろうとわかっているから無謀なことはやめた。

「馴れ馴れしく呼ぶな! ベンフィールド公爵令嬢と呼べ! もしくはレディアリス!」
「やだ。僕たちはセシルとアリスって呼び合う仲だから」
「ダメだ!」
「何度も言ってるけど、カイルの許可なんかいらない」
 
 セシルは意外にもよく喋るし、カイルは意外にもよく怒る。
 庭園に入ることのできない令嬢たちはいつも近くで耳を澄ませるも『静かよね』『何話してるのかしら?』『聞こえないわ』と言うばかり。今これだけ騒いでいれば聞こえているかもしれないが、外から令嬢たちの盛り上がる声は聞こえない。
 
「ヴィンセル、どしたの? アリスちゃんばっかり見て」
「え?」
「あ、いや……」
 
 アルフレッドのからかうような言葉に反射的に振り向けば確かにヴィンセルと目が合った。絶対に合わないと思っていた視線が確かに合ったのだ。

(え? ばっかり見てって言った?)

 天変地異も起きていないのにそんなことがあり得るのかと一度逸らした目をもう一度向けるとまた合った。
 ヴィンセルの存在を気にしないようにと抑えていたアリスの心臓が周りに聞こえてしまいそうなほど大きく鳴り始める。
 
「ヴィンセル?」

 カイルが近付いてくる前にヴィンセルが手を出して止まるよう指示する。

「聞きたいことがある。いいだろうか?」
「は、はい」

 ヴィンセル・ブラックバーンが聞きたいことなどあるのかと緊張しながら頷いた。

「君は……香水かなにかを、その……つけているのだろうか?」
 
 一目惚れなどしていないことはわかってはいたし、百パーセントその可能性はないと確信はあった。そう、だからショックは受けていない。直接声をかけてもらえる令嬢がこの学園に何人いるだろう。それを考えると喜ぶべきなのだが、アリスは今、喜びとは正反対の感情に支配されている。
 フルーツティーを取るとき、ヴィンセルの側は通らないようにした。だからそれほど匂いは感じなかったはずだが、自分がわかっていないだけで匂っているのだろうかと不安になる。
 今すぐにでも嗅いで確認したいが、ヴィンセるの前でそれができるわけがない。
 今にも汗が吹き出しそうな感覚を覚えながら首を振った。

「いえ、何もつけてないです」
「あ、なら俺が選んであげようか? アリスちゃんに一番似合うの選んでア・ゲ・ル」
「ならアルフレッドの死に装束は俺が選んでやろうな」
「何で!? 香水選ぶだけだよ!?」
「うちはな、香水は禁止なんだよ。大体香水つけて何になる。ボディクリームにハンドクリームにヘアコロンに香水。最近のレディは臭すぎる」
 
 カイルのファンが聞けば膝から崩れ落ちて精神崩壊しかねないワードを表情を歪ませながらハッキリ言ったことに賛同するのはアルフレッド以外の二人。
 
「カフェテリアにいるときに話しかけられると食欲なくすから嫌なんだよね」
 
 セシルが女子生徒を近寄らせない理由の一つがそれだった。イイ香りを選んでいるつもりの女子生徒にとって『臭い』は禁句。
 だから三人は直接言いはしないが、拒絶する理由の一つとして捉えていた。
 
「なあ、君たちはバラ園に行ってもそんな愚かなことを口にするつもりかい? 何百種類とあるバラの中に入って臭いと言い放つなんて愚かだよ。バラたちは姿も違えば香りも違う。だからこそ素晴らしいんじゃないかッ」
「バラ園行かないし」
「俺も」
「興味ない」
 
 ポニーテールを揺らしてキラキラを飛ばすアルフレッドの様子に三人が呆れた顔で冷めた視線を送る。
 
「花を愛でられない君たちに未来はないな」
「婚約者を決められない無責任な男に言われたくない」
「決められないんじゃない、決めないんだよ。俺が一人に絞れば多くの花たちが悲しむだろう?」
「どうせまたどっかで咲くからいんじゃない?」
「ノンノン」
「それウザいからやめて。ムカつく」
 
 人差し指を立てて左右に振り、得意げな顔を見せるアルフレッドをバッサリと斬るセシルの冷たい言い方を誰も注意しない。ヴィンセルもカイルも同じことを思っているのだ。
 そこに吹き出したアリスの笑い声だけが静かに広がり、カイルが笑顔になる。
 
「え、アリスなんで笑ってるの? ウザくない?」
「面白くって」
「アルフレッドの顔が面白いのはわかるけど、笑うほど?」
「笑えない冗談だね、セシル」

 アルフレッドの言葉をセシルは無視する。

「いえ、とっても仲良しなんだなぁって思って」

 アリスの言葉に皆が顔を見合わせる。

「兄は家ではいつも笑顔なんです。今日みたいに怒ったり嫌味を行ったりすることなんてなくて。それって皆さんのおかげなんですよね」

 カイルはしっかり者で両親の期待を一身に背負う長男。その期待に応え続け、これからもそれはきっと変わらない。苦労ばかりだろうことも何でもないと言わんばかりに完璧にこなす姿をアリスはずっと見てきた。
 生徒会長として仕事をこなす姿は自分に見せる顔とは違う大人の顔。家に帰れば自分がよく知る兄の顔。そして今は自分が知らない高校三年生の男子生徒の顔。
 カイルがやってこれたのはこういう場所でこういう仲間がいたからなのだとアリスは嬉しくなった。

「言いたいことが言い合える仲が微笑ましくて笑ってしまいました。けしてアルフレッド様のお顔が面白かったというわけではありませんので」
「アリスちゃん、真面目に受け取らなくていいからね。セシルの冗談だから」
「僕が冗談言ったことある?」
「じゃあファーストジョークだね」
「まあ、そう思ってるほうが幸せだよね」

 この中で一番の大人はアルフレッドなのだとアリスは思った。
 言いたい放題言われても怒らない、その場の空気に合わせてノリを変えるのはアリスにもカイルにもできないことだ。
 
「で、ヴィンセルがアリスを見てた理由は? 好きになったとかじゃなければ許す。匂いを嗅ぎたいとかだったら…………コロス」
「いや、言葉選んだっぽくして選んでないじゃん」 

 そんなことあるはずがないとわかっていても『そうじゃない』と言われれば傷付くのは目に見えているだけに返事次第では兄を呪い殺すかもしれないと覚悟しながらヴィンセルのほうを向いたアリスは尋常じゃない手汗をスカートで拭き、ヴィンセルの言葉を待った。
 
「その、香水以外の何かをつけているとしたらカイルと同じ物を使っているのか?」
「何も使ってはいないのですが、洗濯洗剤は家族共有ですので」
「残念だったなヴィンセル! 我が家のは特別に配合された特注品だ。どこにも売っていない! はーっはっはっはっ!」
 
 目の前で下品に高笑いをする男が本当にあの完璧な兄なのかと目を疑う。
 
「そうか……」
「なーるほど。ヴィンセルはアリスちゃんと同じ匂いになりたかったんだね~」
「黙れアルフレッド」
「ギャアッ! なんで俺なのぉぉおお!?」
 
 ヴィンセルへのからかいを聞いたカイルの手のひらはアルフレッドの頬を殴打という形で通り過ぎていった。
 兄も自分も両親も同じ物を使っている。特別な物は何も使っていない。
 部屋に香水瓶が置いてあるのは可愛いと思う。ティーナの部屋には香水専用の棚があって、クリスタルで作られた容器はどれも美しかった。
 誰が見ても可愛い女の子の部屋はアリスの憧れだが、アリスの部屋はオシャレとは縁遠い本まみれの部屋。香水瓶は一本だって置いてはいない。
 ヴィンセルはどういう女性がタイプなのだろうかと問いかけたくはあるものの、下心丸出しの下品な質問はできない。
 自分とは正反対のタイプであった場合、きっとこの一年ずっと立ち直れない気がするため安全を選んでヴィンセルから目を逸らした。
 
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