愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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令嬢vs令嬢

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「貴女がアリス・ベンフィールド?」
「そうです、けど……」
「少し、よろしいかしら?」
 
 ナディアたちとランチのために庭園へと向かっていたとき、かけられた声に振り向くと女が三人立っていた。
 直接話したことがある相手ではないがアリスはこの人物を知っていた。遠くからヴィンセルを見ていたときにいつも視界に入る追っかけのリーダー格の女だ。
 それが自分を呼び出したということは間違いなく文句だとアリスは察する。ヴィンセルと過ごしている自分のことが気に食わないのだと。
 あの日、ヴィンセルとぶつかった日から遅かれ早かれこんな日が来ると思っていた。
 
「怪我は良くなられまして?」
 
 手首に巻かれた包帯を見た女の言葉で確信する。
 
「何のお話でしょうか?」
 
 大丈夫とは言いたくなかった。言えば『じゃあもうヴィンセル様とご一緒される必要はありませんわね』と返ってきそうだったから。
 アリスも嘘をついて長引かせるつもりはない。医者からもう大丈夫だと言われればその日のうちに伝えると決めている。
 だから他人にどうこう言われたくはなく、しっかりと相手の目を見つめる。
 
「噂で聞いたのですけれど、貴女、ご自分からヴィンセル様にぶつかりに行ったそうじゃありませんの」
「誰がそんなことを……」
「誰でもいいでしょう。で、実際はどうなんですの?」
「王子に迷惑をかけるような真似はしていません」
「でも貴女、今までずっと遠目に私たちのことを羨ましげに見ていらしただけですのに急にヴィンセル様に接近し始めましたわよね?」
「それは、私がカイル・ベンフィールドの妹だから王子が気にかけてくださっているだけです」
 
 面白くないと面白いほど顔に書いてある。
 誰の娘で、誰の妹で、誰の姉になるかは自分では選べない。自分はたまたま兄がカイル・ベンフィールドだっただけ。それだけだと言っても恵まれていない環境にいる令嬢たちにはそれさえも嫌味に聞こえてしまうのだろう。
 ヴィンセルとは他愛ない話をするようにはなったが、それでも親しい間柄かと言えばそうではない。
 走りながら後ろを振り返ったヴィンセルも、あんな場所で鏡を取り出したアリスもどちらも不注意だった。それ故に起きた事故。
 互いに迷惑かけて申し訳ないと思っているのだが、令嬢たちはそれを素直に受け取らない。

「では王子に断ってくださる? もう送迎も何もかも必要ないと」
「私もお断りさせていただきましたが、王子は皆様がご存じの通り責任感の強いお方です。お医者様から完治と言われるまで付き添うと言ってくださっているのです」
「ですから、それを貴女が強くお断りになればヴィンセル様も聞き入れてくださるということがどうしてわかりませんの?」
 
 今まで平凡に生きてきたアリスにとって誰かに絡まれるというのは酷く恐ろしいこと。幼馴染のティーナでさえ怒った姿は怖いのだ。
 一対一ならまだしも、相手は大人数連れてアリスの前に並んでいる。
 妬まれることはわかっていた。絶対に誰かが文句を言いに来るか、嫌がらせをするだろうと。予想よりずっと遅かったぐらいだ。
 
「皆様なら王子のご厚意を無にされてお断りなさるのでしょうね」
「なっ…なんなんですのその言い方は! 失礼じゃありませんの!」
「王子は多忙な方です。私は王子の多忙なスケジュールの中に私の介助など入れてほしくはありません」
「だったら断りなさいよ! カイル様にでも伝えていただけばいいわ!」
 
 皆、ティーナと同じだとアリスは拳を握る。静かに反論しても自分の望む回答が聞けなければ本性を現す。
 怖いはずなのに今は怖さよりも嫌気の方が強く、この時間がとても馬鹿馬鹿しいものに思えて仕方なかった。
 
「わたくし、あなたを知ってますわ。毎日飽きもせず望みもないのにヴィンセル・ブラックバーンの大きなお尻を追いかけ回す品性の欠片もない伯爵令嬢。確かお名前は……アリシア、覚えてる?」
「ドリス・ヘルモルト子爵令嬢」
「ああ、そうそう! ドリス・ヘルモルト!」
「ナディア・アボット、アリシア・アボット……」

 まるで因縁でもあるようにドリスが二人を睨みつける。

「ヴィンセル王子に相手にされないからといって、アリスに八つ当たりするのは品のない人間のすることですわよ。ねえ、アリシア?」
「ええ、そうですわね。でも仕方ないんじゃなくて? 品性の欠片すらないんですもの」
「それもそうね!」

 手の甲を口端に当てて笑う二人の嘲笑めいた表情にドリスが拳を握る。

「プライドの塊のようなお二人が公爵令嬢の取り巻きになってるなんて驚きましたわ」
「あら、品性だけじゃなく教養もなかったみたいですわね」
「ふふふっ、それを言っては可哀想よ、ナディア。彼女はわたくしたちに嫌味を言ったつもりでしたのよ」
「ああいう考え方しかできない自分を恥じるべきですのに、おかしな方よね。わたくしたちはお友達ですのに」
「彼女が男爵令嬢しか連れ歩かない理由がわかりましたわね」
「ええ、そうですわね。最初からわかっていましたけど。だって彼女、自己顕示欲の塊なんですもの」
「ッ!」

 ナディアとアリシアが顔を見合わせてよく似た笑顔でバカにするのをドリスは悔しげに見ているが、強く反論はしない。
 アボット家はこの学園にかなりの額の寄付をしており、それなりの権力を持っている。
 彼女たちを怒らせればヘルモルト家など簡単に貴族界から孤立させられてしまうことだろう。
 親が持っている権力の使い方、この学園での振る舞い方を心得ているアボット姉妹に逆らおうと思う者はこの学園ではなかなかに少ない。
 だからドリスは唇を噛んで睨みつけるしかできない。

「そもそも、言う相手を間違っているのではありませんの? やめて欲しいのならヴィンセル王子に手紙でも出してはいかが? アリス・ベンフィールドの介助などやめてくださいと」
「されている本人の口から伝えるほうが早いとは思いませんの? ヴィンセル様に面倒をかけているなんて許されることじゃありませんのよ!」

 ドリスの言葉に二人は顔を見合わせて呆れた顔を見せる。

「迷惑をかけている張本人がどの面下げて、どの口でそんなことを言ってますの?」
「なんですって?」
「あら、ご自覚がないようだから、もしよろしければ鏡をご用意しますわよ?」
「私がヴィンセル様に迷惑をかけているとおっしゃるの?」

 握りしめた拳を震わせるドリスに二人はまた顔を見合わせ、次は声を上げて笑った。

「まさか自覚がないだなんて言いませんわよね? ヴィンセル王子はとても多忙な方ですのに、あなたたちは自分のことしか考えず、毎日毎日追いかけ回してる。それを彼が喜んでいるとでも思ってますの?」
「アリシア、言いすぎよ。彼女みたいないじめっ子は自分がしていることは正当化するようにできてますの。自分がしていることは好意を伝えるための行動であって嫌がらせではない。たとえそれが相手に地獄を味わわせていることだとしても自分がしていることに間違いはないと思ってしまうみたい」
「悪質なストーカーですわね」
「ええ、立派なストーカーですわ」

 ドリスの顔が真っ赤に染まる。
 二人の笑い声、表情、そして言葉が全てドリスに恥をかかせる。
 自分からふっかけたといえど、ここは個室でもなければ人通りがない路地裏でもない。
 多くの生徒、それも庭園を使用できる上流貴族たちが通る場所。
 蔑むような視線にドリスの取り巻きはナディアたちを睨むのをやめて俯いている。
 
「わたくしたちも暇ではありませんの。大切なランチタイムをあなたのような傲慢で恥知らずな人間のために使いたくありませんわ。ねえ、アリシア」
「ええ、ナディア。これぞまさに無駄な時間の使い方ですわね」
「ならさっさとランチに行けばよろしいのでは? わたくしが用があるのはアリス・ベンフィールドですのよ」

 ナディアが思いきりあからさまにため息をついて首を振る。

「アリスはわたくしたちの大切なお友達ですの。いじめられるとわかっていながらこの場を去ることなどできるわけありませんわ」
「人を勝手にいじめっ子呼ばわりするのは侮辱ですわよ」
「あら、三人がかりで一人に文句を言うのはいじめではありませんの? ああ、それが正当化ですのね」
「ふふふっ、ナディア、直接指摘しては可哀想ですわ。彼女は自覚がないんですもの」
「やっちゃった」

 ペロッと舌を出して笑うアリシアの悪意にドリスがヒールで地面を蹴る。
 カツンッと大きな音が鳴り、睨みつける先にはアリス・ベンフィールド。

「あなた、人の後ろに隠れて恥ずかしくありませんの?」
「大した権力も持っていないくせに取り巻きを連れ歩くことのほうがよっぽど恥ずかしいことだと思いますけど」
「あなた方は黙っていてくださる!?」
「……誰にそんな口を利いているのか、わかった上での発言と捉えてよろしいのかしら?」

 ナディアの雰囲気が変わったことにドリスが慌てるも今更遅い。
 一瞬で乾いた喉を潤すように唾液を飲み込んだ。

「だ、だって──」
「アーリスッ」
「……ティーナ」
 
 令嬢たちの後方からひょっこり顔を覗かせたティーナに驚きはしなかった。
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