愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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大笑いと絶句

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 翌日の昼時、庭園では珍しく大きな笑い声が響いていた。

「アハハハハハハハハッ!」
 
 笑うことさえ珍しいセシルの笑い声。
 
「あのヴィンセル・ブラックバーンが誘いを断られるってありえないよね! アハハハハハハハハッ! それ傑作ッ!」
「笑いすぎだ!」
「だって…だってっ…だってっ……アハハハハハハハハッ! やっぱりむりッ! 笑っちゃうよッ!」
 
 ヴィンセルが令嬢を誘って断られたというだけなのにセシルには腹を抱えて笑い転げるほどの事件で、笑いすぎて呼吸困難になる寸前。
 
「もっ、ホントやめて! そんな面白いことッ笑いすぎて死んじゃうッ!」
「よくそこまで笑えるな」
「だって面白くない? 断られたのはあのヴィンセル・ブラックバーンだよ? せっかく僕が一度だけって条件で譲ってあげたのに失敗するとか、さすが女嫌いと名高い王子って感じ」
 
 涙がこぼれるほど笑ったセシルは深呼吸を繰り返し、差し出されたグラスを受け取って一気に水を飲み干し、また込み上げそうになる笑いをぐっと堪えた。
 
「俺は別に女嫌いなわけじゃない」
「アリスは平気なのにアリスに誘い断られて…ッ…もっ、ホントッ……ダメッ」
「なぜ彼女は俺の誘いを断ったのかがわからない」

 ヴィンセルの純粋な疑問にセシルの笑いが止まり、目を細めて気に入らないと言いたげな態度を見せる。

「王子である俺の誘いを断るなんてどうかしてる、とでも言いたいわけ?」
「そうじゃない。彼女の門限まで時間はあった。カイルも遅くなると言っていたし、それまでに送り届けるつもりだったんだ。甘い物が好きなのであれば当然誘いに乗ってくれるものだと思っていただけに……」
「肉が好きだからって肉食べに行こうって誘われてホイホイ行く?」

 セシルの問いにヴィンセルが首を振る。

「そりゃ誰だって王子となんか外に食べに行きたくないでしょ」
「王子は関係ないだろう」
「あるよ。だって王子の前で失敗したら? アイスクリームこぼしちゃったり、ケーキ落としちゃったり、カチャンッて食器鳴らしたらって思っちゃうんじゃない?」
「そんなことは気にしなくていい」
「される側はそう言うよね。僕だってアリスとは食事したいけど、アリスの両親とはしたくないもん。緊張して失敗したら印象最悪だろうから」
「ベンフィールド夫妻はそんな器の小さな人間じゃない」
「わかんないもんだよ、人間なんてさ」

 あまり他人を信じない発言が多いセシルにヴィンセルは静かに首を振る。
 王族が主催するパーティーに招待されてやってきたアリスの両親にヴィンセルは何度か会っている。
 話してみると聡明で魅力的な夫婦という印象を受けた。カイルの賢さは間違いなく二人の子供だからという納得と、どうすればあんなモンスターが生まれるんだという疑問を同時に覚えたのを良く覚えている。
 会ったことがないセシルはベンフィールド夫妻のことを知らないためヴィンセルの言葉を全く信じていなかった。

「アリスを知ることから始めようと思ったのだが、断られるのでは問題に取り組む前に挫折したのと同じだ」
「残念だったね。そうだ、僕が誘ったら絶対に来るだろうからオトモさせてあげてもいいよ」
「問題ある言い方しかできないのか?」
「嫌なら別にいいんだよ? アリスと二人でマカロン楽しむから」

 セシルの言葉にヴィンセルの動きが止まった。

「マカ、ロン……?」
「マカロン。僕がいつも食べてるカラフルなやつね」

 なぜそんなに絶望に満ちた顔をしているのかと不思議に思うセシルと目が合ったヴィンセルだが、頭を抱える。

「マンダロンと……言って、しまった……」
「なにその不気味な名前。こわっ」
「そうか、不気味だと思ったから断ったのかもしれないな。俺はゲテモノを食べさせるように見えるのだろうか?」
「ポジティブでいいね」

 バカにしているように聞こえたことにヴィンセルが眉を寄せるも怒りはしない。
 事実、上手く伝えられなかった自覚はある。
 今日の放課後、セシルがアリスを誘えばアリスはそれを受け入れるだろう。
 一緒にいれば他愛ない話の中でアリスの新情報が見つかるかもしれないし、アリスと少し距離を縮められるかもしれない。
 オトモという言い方は癪だが、アリスを知るためには今のところそれしか方法がないと腕組みをしてセシルを見た。

「お困りのようだね!」

 そんな様子を見ていたアルフレッドがポニーテールをムダに払いながら立ち上がり、背景にバラをまき散らすのを鬱陶しそうに見てはハンカチで鼻を隠して三歩下がったヴィンセル。
 
「この僕の出番のようだ!」
「いや、お前の意見は参考にならん」
「この中でレディの扱い方を知ってるのは俺だけだよ。それでも聞かないと言うのかな?」
 
 カイルには噂こそあるものの実際どうなのかはアルフレッドにもわからないが、セシルとヴィンセルは確実に女を知らない。
 二人が異性とまともに会話したのはアリスだけ。
 令嬢たちに囲まれて生きているアルフレッドは自らを“愛の伝道師”と呼んでいる。
 
「アルフレッドの女々しい女の扱い方なんて誰が知りたいの?」
「女々しくないよ! 俺が花と一緒にいるとこ見たことあるの!?」
「見たくないしね」
「アリスちゃんに効果あるかもよ?」
「アリスをアルフレッド好きの変人と一緒にしないでよ」
「セシル、僕の美しい花たちを侮辱しないでくれるかな?」
 
 頬をひくつかせるアルフレッドのことなどおかまいなしに本日のパンを頬張るセシルに悪びれる様子はない。
 
「俺も興味はない」
「せめてヴィンセルだけでも聞いてよ!」
「いや、参考にならん」
「このままでいいの!? 君の名誉は傷付いたままだよ!?」
「名誉が傷付くわけないだろ」
「君のプライドはどう?」
 
 ヴィンセルの動きが止まる。
 女性に対して男のプライドを前に出すなどくだらないとわかっている。男にとって女のプライドがどうでもいいように、女もまた同じ。それでも喜びや期待の表情一つ見せてもらえなかったことは少なからずヴィンセルのプライドを傷つけた。
 誘い方は悪くなかったはず。タイミングだったのか、カイルの言いつけかと色々考える夜だったが、結局本人に聞かなければ理由はわからないと考えるのはやめた。
 アリスと共にいるためにはまずアリスのことを知らないことには始まらないと決めたことを思い出してため息を吐き出す。

「聞くだけ聞く……」 
「イエスイエスイエス! よろしい。ではまず、アリスちゃんを手に入れるために君が心がけなければならないことを教えよう! それは———ヒッ!?」
 
 どこから出てきたのかスッと現れた黒板。それをバンッと叩いてキメ顔を見せるアルフレッドはその後に続くはずの言葉が出てこなかった。
 身体中の毛穴が一気に開くような、全身隙間なく鳥肌が立つような感覚に襲われている。
 
「それは? そういうの、俺も興味あるな。是非俺にも教えてくれよ」
 
 死んだ。終わった──死を覚悟するアルフレッドが助けを求めるようにヴィンセルを見るとあからさまに顔を逸らしており、セシルを見ればテーブルに突っ伏して寝たふりをしていた。
 
「カ、カイル……いつの間に? ベンフィールド家ってアサシンの一族だったっけ? 音がしなかったんだよね」

 誰一人、カイルがここに入ってくる足音を聞いていない。
 いつの間にアルフレッドの後ろに立ったのかもわからず、カイルはアルフレッドを見ていたはずの二人の視界に突然現れた。

「アリスを手に入れる方法、ねえ?」
「ヒイッ!」

 黒板に書かれた本日の議題を読み上げるカイルが直後にぶつけた拳が黒板を砕く。
 これはヤバいと焦っているのはアルフレッドだけではなく、ヴィンセルとセシルも同じ。 

「カ、カイルさん、あの、これはですね……その、あの、ですね……」
「いいよいいよ、わかってるから。こんな日が来るんじゃないかと思ってたんだよ、本当に」

 笑顔が怖い。優しい声が怖い。拳についた黒板の破片が手を開くと地面に落ちていくのをアルフレッドは目で追う。

「ヴィンセル、アルフレッド、セシル……お前らにはどうやらベンフィールド家長男からのありがたいお話が必要なようだ」
「僕まで!?」
「アリスを好きだと公言したお前も同罪、だろ?」
「……う、ん……」
 
 寝たふりしていたセシルが起き上がるも、それを再び鎮める圧のある笑顔に残りの二人は反論する気も起きず、焼きあがった肉を食べることなく生徒会室へとついて行った。 
 外で話を聞いていたティーナは面白いことを聞いたと笑みを浮かべてそっとその場を後にした。
 
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