愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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反省

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「んっ……」

 目を覚まして一番に目に入ってきたのは真っ白な天井。
 自分の部屋ではないことはわかり、ならばここはどこだと何度か瞬きを繰り返していると見知った顔が視界を覆った。

「アリス、目が覚めた?」

 キレイな顔が視界いっぱいに入ってくるとアリスは思わず身を固くする。

「わ、私……どうして……」
「マッチ乗せゲームの後、アリス倒れちゃったんだ」
「ッ!」
「思い出した?」

 記憶を遡るとよみがえってきた記憶にアリスの顔が真っ赤になる。
 あれはアリスのファーストキスだった。
 セシルからは何度も好きだと言われていたが、まさかキスをされるとは思っていなかった。

「セ、セシル……」
「ごめんなさい」

 頭を下げて謝るセシルにアリスは少し困惑する。

「自分勝手な行動だった。僕はアリスが好きだったからキスしたけど、アリスの気持ちを無視したものだったよね。自分の気持ちを優先しちゃった。本当にごめんなさい」

 ズルいと思った。
 一度ではなく二度もキスをした。一度目は目を閉じている状態での不意打ち。二度目はハッキリと目を開けている状態での確信的なキス。
 意識させるためにやったと笑ってくれればまだ怒れるのに、頭を下げられて謝意を述べられると怒るに怒れない。
 ゆっくり起き上がるアリスの背中に手を添えてセシルが補助をする。

「狙ってしたのに謝るの?」
「アリスってそういうの突いてくるタイプなんだね」

 苦笑するセシルが顔を上げて布団に額を押し付ける。数秒黙り込んでゆっくりと息を吐き出すと顔を横に向けて目だけアリスを見た。

「意識させようと思ったのは確かだよ。でも、こういうのって相手からの気持ちが向いててこそ効果があるものだって思ったんだ。興味ない相手からされれば気持ち悪いし、友達だと思ってた相手から一方的にされたら、僕なら裏切られたって思うなって……考えたら……申し訳なくなった」

 あの四人の中で人との接触を好んでいるのはアルフレッドだけ。セシルも孤高だと言われており、あのメンバーがいないときは一人でいることが多いと聞く。
 ようやく心を許した相手からキスをされたときのことを考えた結果、猛省したセシルの言葉にアリスは眉を下げながら微笑んで柔らかな髪を撫でる。

「髪撫でられるの大嫌いなんだけど、アリスの手はなんか気持ちいいや」

 目を細めてリラックスした声色に目を細めるセシル。

「アリス、もし怒ってるなら何発殴ってくれてもいいから友達やめないで」

 握られた手に込められた強い力がセシルの感情だと思うとアリスはその手をゆっくり握り返した。

「セシルは大事な友達だもの」
「許してくれる?」

 上目遣いで懇願するセシルにそれも狙ってやっている気がすると思いながらも頷いた。

「じゃあもう一回キスしてもいい?」

 本当に反省しているのだろうかと疑問を顔に書くと「冗談」と言って手の甲にキスが落ち、そのままセシルの頬の下敷きにされる。

「カイルに言う?」
「言わない。言ったらセシル、明日から学校来ないもの」
「行けないんだよ。唇削がれてるかも」
「桃みたいな唇なのにね」

 嫌味で言ったカイルの言葉を思い出して告げると気にしているのか、拗ねたように唇を尖らせて顔を反対に向けた。

「アリス、これだけは信じてほしい」

 向こうを向いたまま呟くセシルの言葉を待つ。

「からかうつもりでキスしたわけじゃないから」
「わかってる」

 セシルは理由もなく人を笑ったり、からかったりする人間ではないとわかっている。
 あのキスもセシルなりに考えた意識のさせ方だったとアリスも理解していた。
 
「……セシル、私──」
「言わないでッ」

 思いを向けられるままに受け取って応えないのはズルいのではないかとずっと考えていた。
 セシルはアリスが初めて仲良くした異性の友人。可愛いのに強引で、いっぱい食べる姿はどこか子供っぽいのにどこか妖艶で。魅力溢れる相手だと思っているが、未だ恋には至っていない。
 こうして手を繋いでいると胸が高鳴りはするが、だからといってそれが好きという明確な感情にはならない。
 今の気持ちを伝えておくべきなのかもしれないと口を開いたアリスにセシルが少し声を張った。

「断るのはまだ早いよ。そう言うのは僕が気持ち聞かせてって言ってからにして」

 起き上がって目を合わせるセシルの苦笑にもなっていない表情にアリスは何も言えなかった。

「キスって卑怯な手段使った僕にはもうチャンスはない?」
「そんなこと……」
「じゃあもう少し頑張らせてよ。アリスに好きな人ができるか、卒業するまでは頑張るつもりだから」
「卒業まで今年と来年、二年もあるのよ?」
「好きだもん。それぐらい平気」

 真っ直ぐに伝えられると嬉しい反面、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 でもそれをセシルに伝えることはしない。言えばきっと彼のほうが申し訳ない気持ちになってしまうだろうから。
 
「アリスー!」
「キャアッ!」
「アリスッ!」

 ズパンッバリンッドーンッという派手な音がドアを開ける音だと認識できた者はいない。
 地震が起きたのかと勘違いするような揺れを感じ、何事かと思う暇もなくカーテンを破らん勢いでカイルが開けた。

「カイル、アリスが寝てたらどうするつもり?」
「連れて帰るに決まってるだろ! それから国一番の腕利きの医者を呼んで──」
「お兄様、落ち着いてください。もう大丈夫ですから」
「何があったんだ?」
「うわっ、ちょっと!」

 ドンッとセシルを突き飛ばして空いた椅子に座るとアリスの手を握って心配の宿った瞳で見つめる。

「セシルとお昼を食べていたらめまいがして倒れたらしく、セシルがここまで運んでくれたんです」
「そうか。セシル、感謝する」
「感謝はいいから突き飛ばしたこと謝ってよ」
「お前がアリスの手を握ってなかったらしなかったんだがな」

 床に尻餅をついているセシルの腕を引っ張って立たせると悪かったと笑って背中を叩く。
 キスした、それも二回もと告げた瞬間にセシル・アッシュバートンの存在はこの世から抹消されるだろうと確信したセシルは嘘をつかせることにはなってしまったが、アリスには感謝していた。

「私がここにいるって誰から聞いたのですか?」
「ヴィンセルだ」
「ヴィンセル様が?」
「ああ。セシルがお前を抱えて医務室のほうへ走っていくのを見たと教えてくれたんだ」
「そうでしたか」
「ヴィンセルが言わずともお前に何かあれば誰かがすぐに報告してくれるから兄様はいつでもお前のところに駆けつけてやれる」

 それはそれで少し怖いと思いながらも苦笑だけで済ませた。

「帰ったら一応医者に診てもらおう。めまいがするなんて何かあるのかもしれない」
「大袈裟です」
「大袈裟なものか。熱はないのか?」

 コツンと当てられる額に懐かしさを感じながら小さく笑うとカイルも笑う。

「お前はすぐに熱を出していたからな。いつもこうして兄様がお前の熱を確認していた」
「そうですね」

 子供の頃、リオの嫌がらせによるストレスでよく熱を出していた。
 その度にカイルが額を合わせて熱を測り、医者を呼んで大騒ぎになった。
 ミドルスクールに入ってからはリオがいなくなったのもあって熱は出さなくなったため、そういうこともなくなり、今では良い思い出。

「だがまあ、熱はないようで安心した。じゃあ兄様と一緒に帰ろう」
「あと一時間だ。それを欠席したところで問題はない」
「でも……」
「僕が送り届けるよ」

 帰らせる気でいたのだろうカイルが持っていた鞄に伸ばしたセシルの手はカイルが避けたことで届かなかった。

「送り狼にでもなられちゃ困るからな」
「信用ないね?」
「アリスに下心全開で挑む男に信用なんかあるわけないだろ?」

 笑顔で言いきるカイルにセシルは言葉を返さない。
 二度もキスをした口で信頼してほしいなどと言えるはずがない。
 だからセシルはやれやれと首を振って尻についた埃を払い、ドアへと向かう。

「じゃあアリス、週末にね」
「え?」
「ランチデートの約束、もう忘れたの?」
「ランチデートだあ?」
「あ、忘れていません!」
「アリス、兄様そんなこと聞いてないぞ」
「じゃ、昼前……十一時ぐらいに行くからオシャレして待ってて」

 手を振って去っていくセシルを見送るとカイルの顔が目の前まで迫ったことに驚き、後ろに倒れた。
 枕があったため頭は打たなかったが、あまりの近さにお化けでも見たような気分になった。

「セシルとランチはいい。デートは聞き捨てならないな、アリス。ランチのあと、どこかに出かける予定か?」
「いえ、その予定はありません」
「そうか。なら兄様もその日は仕事をしないで一緒に過ごそう」
「お兄様はいつも物事を大袈裟に考えすぎです」
「兄というのはそれぐらいでいいんだ」

 両親でさえ呆れるほどの過保護さを発揮するカイルを止める方法は十七年間一緒に育ってきたアリスでさえまだ発見できていない。
 嫌いだと言えば一時的には止まる。だが、それと同時に泣かれてしまう。
 何か抑止力になるようなものがあればいいが、出てこない。
 
「お兄様も婚約者を──」
「俺の婚約者の話はいいんだよ。必要ないから」
「そうですか」

 カイルは婚約者の話をすることを極端に嫌う。両親がしても今アリスに向けたのと同じ言葉で黙らせる。

「よし、帰ろう。週末の準備は兄様に任せておけ」

 差し出されたカイルの手を握ってベッドから降りると一緒に馬車へと向かう。

「料理は私が作ります」
「兄様の料理にだけ愛情を込めてくれ」
「皆のに込めます」
「兄様とセシルは同等じゃないだろ? 天秤にかければ兄様への愛情のほうが多いだろ?」
「天秤にはかけません」
「じゃあ普通にしていても兄様への愛情のほうが多いだろ?」
「そうですね」

 同意するだけでカイルは喜ぶ。
 嘘をついていることへの申し訳なさを感じるのは二度目。
 セシルの銃の所持とセシルとのキス。どちらもセシルのことで嘘をついている。
 真実を知ればきっと悲しむだろう。いや、それだけでは済まないかもしれない。
 失望──それが一番怖いが、正直には話せない。

「お兄様」
「ん?」
「私がお兄様の期待を裏切ったら容赦なく見捨ててください」

 アリスの言葉に少し黙ってからカイルは優しい笑みを見せる。

「お前が何を考えてそんなことを言ってるのか兄様にはわからんが、何があろうとお前は兄様の自慢の妹だ。見捨てるなんてしない」
「私が人を殺めても?」
「もちろんだ」

 極端な例え話をしてもカイルの答えに迷いはなかった。

「お前がそこまでするということは俺の罪でもある。お前がそこまで追い込まれていることに気付かなかったんだからな。だから俺もお前を苦しめた奴を殺めて一緒に牢獄に入るさ」
「私が殺めましたから犯人はもういません。お兄様はどこか異国の地で元気に過ごしてください」
「妹が牢獄の中で罪の意識に苦しんでいるのにできるわけないだろ。妹が犯した罪は兄の罪でもある。一人で背負わせるものか」

 馬車に乗り込んでカイルから鞄を受け取ると膝の上に置く。
 どうしてここまで愛してくれるのかがアリスにはわからない。
 いつでも真っ直ぐに愛情を与えてくれるカイルはアリスのために捨てたものがいくつもある。 
 それを申し訳ないと思わせないために自ら断ち切ったと言い張っていることをアリスは知っている。
 
「兄様がいつも言ってるだろ?」
「お前が困ったときは兄様が助けてやる。お前が迷ったときは兄様が背中を押してやる。お前が前に進めないときは兄様が一緒に立ち止まってやる。お前が何もわからなくなってしまったときは兄様が導いてやる、ですよね」
「そうだ。だから余計なことは何も考えなくていい」

 頭を撫でる優しい手にアリスは頷く。

「ティーナをどうにかしたければ兄様に言え?」
「……いえ、そこまでは……」

 言ってしまえば本当にどうにかしてしまいそうだと苦笑しながら一緒に家へと帰った。
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