44 / 93
空回り
しおりを挟む
「リーオッ、おっはよー!」
朝から上機嫌なティーナとは対照的に、リオの気分は最低最悪だった。
アリスはどこへ行ったのか、もうすぐHRが始まるというのにまだ教室に入っていない。
今日はリオが早めに来たというのもあるが、それにしても遅い。
「あれ? アリスはお休み?」
昨日のことで休むようなタイプではない。真面目で、何があっても学校には行く。自分の問題一つで休むと決められる性格ではないのだ。
あれで傷ついたのなら話は別だが、アリスは怒っていた。休む理由にはならない。
「じゃあね、アリス。またお昼に迎えに来るから」
教室の後方から聞こえたセシルの声に振り向くと手を振ってセシルを見送ったアリスが中へと入ってくるのが見えた。
「来てるじゃん。おはよー、アリス」
「おはよう」
素っ気ない態度にティーナが不愉快そうな表情を浮かべる。
「なに? 私、アンタに何かした? すっごく感じ悪いんだけど! 私のこと無視することに決めたの?」
「挨拶したでしょ」
「その言い方が気に入らないのよ! 私が挨拶したんだから私の目を見て言いなさいよ!」
「そんな言い方される筋合いない」
「はあ!? 挨拶の基本でしょ!? 公爵令嬢様はお偉いからどんな挨拶してもいいって言うわけ? へー! すごいね! 知らなかった!」
「もうすぐ先生来るよ」
「ハッ、何様のつもりよ! セシル・アッシュバートンに媚び売って一緒にいてもらってるくせに偉そうに!」
アリスは前ほどティーナに怯えなくなった。
今まではティーナにどんなことをされるか、言われるのかがわからなくて怖がっていたが、開き直ってみるとどうでもよくなった。
なにを言われようとかまわない。なにをされようとかまわない。
『上手く生きろ』
カイルにそう言われてアリスはそう生きることにしたのだ。
ティーナは男爵で、ベルフォルン家に大した権力はない。なにがあろうと怯える必要はなかった。
それに気が付くまでに随分と時間がかかってしまった。
だがもうこれからはそんな必要はない。自分は自分を好いてくれる人と一緒にいる。それでいいのだとわかったから。
「ティーナ・ベルフォルン、何を騒いでいるんだ。さっさと席に着きなさい」
教室に入ってきた担任の声に振り返るとティーナの演技が始まった。
「アリスが、私を無視するんですッ」
数秒で涙を流せるのがティーナの得意技。アリスは何百回とその凄技を見てきた。
「リオ・アンダーソン、アリス・ベンフィールドがティーナ・ベルフォルンを無視したのは本当か?」
本人に聞いても白を切ると考えた担任はアリスの隣の席であるリオに問いかけた。
「いや、アリスはおはようって返した」
「でも冷たかったんです! 私は笑顔で挨拶をしたのにアリスは私を見ないまま呟くようにおはようって言っただけなんです! 酷くないですか!?」
ティーナの言い分に担任はため息をついて首を振る。
「相手のテンションに合わせて挨拶をしなければならない規則はない。その日によって人の気分は変わる。お前にとって今日が素晴らしい一日だとしても、他者にとってはそうではないこともある。それにいちいち文句を言っていたらキリがないぞ」
「じゃあ私はアリスからの冷たい挨拶を甘んじて受け入れろって言うんですか!? おはよう、って言ったんですよ!? おはよう、ってこんな言い方で!」
アリスの言い方を真似るティーナに苦笑も浮かべず、担任は無言でティーナの席を手で指した。さっさと座れと無言で伝える。
それでもティーナは引かない。教卓に両手を叩きつけて担任を見る。
「これがイジメに発展する可能性がないとは言いきれませんよね!? 明日はアリスに無視されるかもしれません!」
「明日のことは明日言いにきなさい」
「今注意してくれないと防げません!」
「無視されるとは言いきれないだろう」
「でも可能性はあります! アリスは公爵令嬢だからお高く気取ってるんです! 私が男爵令嬢だからって見下してるんですよ!」
「証拠はあるのか?」
「私が言ってることが証拠です! 言われた被害者なんですから!」
頭が痛いと言わんばかりの表情でティーナを見るとティーナは鼻息荒く、どこかドヤッと言いたげな顔で訴えている。
自分は正しい、自分は間違っていない、自分が法律だと思っていることが伝わってくる。
アリスを見るもアリスは次の授業の支度をしているだけで焦りも見えなければ弁明のタイミングを待つように教師を見てもいない。
カイル・ベンフィールドは強烈だが、アリス・ベンフィールドは入学以来問題一つ起こさない、あのカイル・ベンフィールドの妹かと疑ってしまうほど目立たなかった。
教師たちの間で警戒されていたのは入学してから一ヶ月間だけで、その一ヶ月の間も二年生に上がった今も問題は起こしていない。
素行調査も問題はなく、アリスの評価は優等生そのもの。
取り巻きを連れ歩く姿は一度も見たことがなく、逆にティーナに引っ付いているように見えていた。
アリスは手を引くほうではなく、手を引かれるほうで、それを引っ張っていたのがティーナ。
だからティーナが見下されている、アリスが見下しているという言い分は担任には納得できないことだった。
「いいから座りなさい」
「それでも担任なの!?」
もう一度伝えるとティーナがまた教卓を叩いたため、今度は担任が黒板を叩いた。
「いい加減にしなさい!」
響く怒声にティーナをはじめ、クラスメイト全員が驚いた。
このクラスの担任は他のクラスの担任と比べると優しめで怒ることはほとんどない。
どちらかといえば弱気。リオが転入してきたときもそうだった。
だから本気の怒声に皆が固まっていた。
「お前は明日起こることを予知できるのか!? アリス・ベンフィールドが明日無視すると断言できるのか!? 起こってもいないことをどうやって対応しろと言うんだ!」
捲し立てる教師の言葉にティーナは唇を噛み締めて睨みつけながら席へと戻り、椅子を乱暴に引いて後ろの席の机にぶつけ、謝罪もせずにそのまま乱暴に座った。担任に聞こえるように大きな舌打ち付きで。
「時間がないので今日伝える予定だったことは廊下の掲示板に貼っておくから忘れず見るように」
舌打ちをしたいのはこっちだと思いながらも担任の声は穏やかなものへと変わり、一枚の紙を揺らして時計を見てから廊下へと出ていった。
入れ替わりで入ってくる一限目の担当も怒声は聞こえていたのだろう。少し笑顔がぎこちなかった。
「……アリス」
ティーナの金魚のフンだったアリスがあんなにもハッキリと伝えるだけの変化があったことを思うとリオは話しかけるのが少し怖かった。話しかけて自分もあんな風に素っ気なく返されたらどうしようと思っていたから。
でも話しかけないわけにはいかない。このまま怒らせて関係を終わらせるようなことだけはしたくないと勇気を出して声をかけた。
「アリス、朝からセシ──」
「授業始まってるよ」
ぶった斬るような遮り方にリオはズキンと胸が痛むのを感じた。
自業自得だ。アリスが仲良くしている相手の秘密を探って、それを手柄にしてアリスと更に接近する予定など立てた自分の過ち。
自分の友人がアリスの秘密を探ろうと、暴こうとすれば激怒することは容易に想像がつくのに、なぜアリスの感情を想像しなかったのだろうと自分に問いかけても返事はない。
分かりきっているのだ。自分が大馬鹿者だからだと。
前を向いて頭に入ってこない授業の内容を見つめるだけしかできない。
隣で真面目に教師の話を聞いてノートをとるアリスの横顔を見つめることすらできなかった。
「マジでムカつく! なにアイツ! なんであんなに偉そうなわけ!? たかが教師の分際で私にあんな口利いてもいいと思ってんの!?」
昼休みになってもティーナの怒りは解消されず、燻り続けた怒りが爆発したのは裏庭での作戦会議中のこと。
「こうなったらセシル・アッシュバートンの秘密暴いてアリスにショック受けさせてやる! 退学どころか逮捕よ! 言い寄ってきてた男が逮捕されてショック受ければいいんだわ! そしたらアリスは一人ぼっちだもの!」
あえて大声を出して怒りをぶつけるように笑うティーナの腐りきった性根にリオはうんざりしていた。
「リオが嫌われてなかったらもっと簡単に暴けたのに」
セシルはティーナが近付くと警戒して背中を見せない。
いつも振り向いて嫌味を言ってくる。リオのときも同じ。
あのブレザーさえめくることができればわかるかもしれないのにとティーナが親指の爪を噛む。
「ねえ、何か良い案ない?」
ベーグルサンドを頬張りながら問いかけるティーナを見てリオは腰掛けていたベンチから立ち上がる。
「お前に協力すんのやめるわ」
「は?」
突然の拒絶に慌てて立ち上がったティーナの理解できないという顔にリオは肩を竦める。
「アイツが銃持ってようが持ってなかろうがどうでもいいわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 銃を持ってたらどうなるかって話は前にしたよね!? もう忘れたの!?」
「忘れてねぇよ」
「じゃあアリスが巻き込まれてもいいの!?」
「よくねぇよ。でも銃を持ってることを証明できたからなんだってんだよ」
今更心変わりされるのは困る。復讐を考えるティーナには協力者が必要で、それはセシルと親しくない、好意を持っていない人間でなければならないのだ。
それにはリオが適任で、アリスをダシに使えると思っていたのに昨日の今日でなにがあったんだと混乱していた。
「犯罪者は罰されるべきでしょ! 誰もがルールを守って生きてるの! 強盗が出てるって聞いて不安で夜も眠れない人がたくさんいる! 護身用のために銃を持ち歩きたい人間だっている! でも法律で許されてないから我慢してるのよ! なのにアイツだけ特別ってわけにいかないでしょ!?」
ティーナの力説にリオは表情を変えないまま首を振る。
「それを決めるのは俺でもお前でもなく司法だろ」
「司法が捌けるように私たちが協力するんじゃない! 真実を知ってる私たちがね!」
必死な様子が痛々しく、この口車に乗れば自分は大切なものを全て失うんだと実感し、ため息をついた。
「どうでもいいわ。興味ねぇ」
「あっそ! じゃあアリスがアイツのモノになってもいいんだ!?」
リオの好意を逆手にとって脅すような台詞にもリオは動じない。それどころか自嘲するように鼻を鳴らして苦い笑みを浮かべ
「アイツが誰かのモノになるよりアイツに嫌われることのがずっとコエーよ」
どうしてアリスが良いんだとティーナは怒りに震える。
アリスの良さがティーナにはわからない。
控えめ? ただ地味で大人しいだけ。
優しい? 空気が読める自分のほうが優しい。
可愛さだってスタイルだって自分のほうがいいのにと地団駄を踏みたくなる。
「ッ~~~~~~!! もういいわよ役立たず!!」
それを我慢して、持っていたオレンジジュースを思いきりリオにかけた。
上着もシャツも何もかもがベタベタになってしまった状態に苛立つも、これでティーナに協力は切ったと安堵する。
あれほどティーナと仲が良かったアリスがティーナよりセシルを選んだことに間違いはない。
ティーナはそれに怒り、アリスは対抗を続けている。
子供の頃を知っているリオにとって二人の関係が崩れる日が来るなど想像もしていなかったが、実際は簡単に崩れてしまっていた。
『私のほうがアリスよりずっと公爵令嬢に相応しいのに』
そう言い続けてきたティーナにとって自分より劣っているアリスが公爵令嬢であるということがもはや許せないことなのだ。
自分のほうが相応しいと言い張って威圧的にアリスを従わせることで自分の引き立て役を演じさせてきたのに、今のアリスはティーナがいなくても平気だと言わんばかりの態度を見せる。
それがまたティーナの怒りに燃料を投下することとなった。
リオは二人の関係がこじれることは望んでいなかったが、こじれた以上は仕方ない。あの様子ではティーナは引くことを知らないし、かといってアリスに謝れなどと口が裂けても言えない。
自分にで着ることはどちらかの味方につくことだけ。
それは迷う必要もなくアリスだったのにと後悔していた。
「もう喋ってもらえねぇかもな……」
花壇の近くに行き、聖フォンスの生徒なら絶対に触れることもしないだろう水撒き用のホースを取って軽く背中を曲げて頭から水をかけてオレンジジュースを洗い流す。
声をかけても顔も向けずに言い放ったアリスの言葉は『授業が始まってる』だけではなく『だから話しかけるな』までがセットだったのだろうと想像すると辛くて仕方ない。
母親が死んで帰国が許され、リオは何よりもアリスに会えることを楽しみにしていた。
成長したアリスに心臓が跳ね、当時の気持ちは変わらず胸にあって、ドキドキした。名前を呼ばれただけなのに好きだと思った。
だからこそ嫌われたくないのに、いつだって上手くいかない。
仲良くしようと気合を入れれば入れるほど空回りしてしまうのだ。
「ダサ……」
自虐を吐いて水を止めると保健室に予備の制服を借りに行こうと向かうリオに女子生徒の視線が集まる。
男のシャツの下などなかなか見る機会がない令嬢たちにとって鍛えられた身体が歩いているのは悲鳴を上げたくなるほどラッキーなハプニング。
食い入るように見つめながら友人と手を合わせる。
今のリオは令嬢たちの視線など気にもならず、見られていることすら気付いていない。
なんとかして仲直りしたい。いや、許してもらいたいという思いで頭がいっぱいだった。
「リオちゃん……?」
聞き慣れた声。この世で最も愛おしい声にリオの足が止まる。
聞き間違えるはずがない声に振り返るとやはりアリスが立っていた。
「どうしたの!?」
なぜ服を着ていないのか、なぜびしょ濡れなのかわからないアリスはリオの身に何があったんだと困惑して駆け寄った。
ポケットからハンカチを取り出して頬や額を拭き、前髪から滴る水を払おうと手を伸ばすアリスに眉を下げてリオが笑う。
そのまま腕の中に閉じ込めるとアリスは目を見開き、焦る。
「リ、リオちゃん!?」
カイルにさえ裸で抱きしめられたことはなく、生肌の熱と上から降ってくる水の冷たさを感じて恥ずかしくなり離れようとするも反動でリオの力が強くなる。
ここは人がいない場所ではなく、大勢の生徒がいる廊下。引き剥がそうにも服がないため掴めない。胸を押そうにも密着していて腕が入らない。
どうすればいいんだと焦るアリスは痛みを与えないよう軽く背中を叩いた。
「寒いの?」
震えているわけではないが、こんな場所で人目も憚らずに抱きしめる理由はそれしか考えられないとアリスが問いかけるもリオは何も答えない。
「リオちゃん、苦しいよ」
強すぎる腕の力を訴えるとリオが呟いた。
「やっぱお前に嫌われんのが一番怖い」
頭上から降ってきた呟きはアリスにしか聞こえていない。
だが、言葉は聞こえずとも皆が見ている。
それを気に入らないと睨みつける者がいた。
朝から上機嫌なティーナとは対照的に、リオの気分は最低最悪だった。
アリスはどこへ行ったのか、もうすぐHRが始まるというのにまだ教室に入っていない。
今日はリオが早めに来たというのもあるが、それにしても遅い。
「あれ? アリスはお休み?」
昨日のことで休むようなタイプではない。真面目で、何があっても学校には行く。自分の問題一つで休むと決められる性格ではないのだ。
あれで傷ついたのなら話は別だが、アリスは怒っていた。休む理由にはならない。
「じゃあね、アリス。またお昼に迎えに来るから」
教室の後方から聞こえたセシルの声に振り向くと手を振ってセシルを見送ったアリスが中へと入ってくるのが見えた。
「来てるじゃん。おはよー、アリス」
「おはよう」
素っ気ない態度にティーナが不愉快そうな表情を浮かべる。
「なに? 私、アンタに何かした? すっごく感じ悪いんだけど! 私のこと無視することに決めたの?」
「挨拶したでしょ」
「その言い方が気に入らないのよ! 私が挨拶したんだから私の目を見て言いなさいよ!」
「そんな言い方される筋合いない」
「はあ!? 挨拶の基本でしょ!? 公爵令嬢様はお偉いからどんな挨拶してもいいって言うわけ? へー! すごいね! 知らなかった!」
「もうすぐ先生来るよ」
「ハッ、何様のつもりよ! セシル・アッシュバートンに媚び売って一緒にいてもらってるくせに偉そうに!」
アリスは前ほどティーナに怯えなくなった。
今まではティーナにどんなことをされるか、言われるのかがわからなくて怖がっていたが、開き直ってみるとどうでもよくなった。
なにを言われようとかまわない。なにをされようとかまわない。
『上手く生きろ』
カイルにそう言われてアリスはそう生きることにしたのだ。
ティーナは男爵で、ベルフォルン家に大した権力はない。なにがあろうと怯える必要はなかった。
それに気が付くまでに随分と時間がかかってしまった。
だがもうこれからはそんな必要はない。自分は自分を好いてくれる人と一緒にいる。それでいいのだとわかったから。
「ティーナ・ベルフォルン、何を騒いでいるんだ。さっさと席に着きなさい」
教室に入ってきた担任の声に振り返るとティーナの演技が始まった。
「アリスが、私を無視するんですッ」
数秒で涙を流せるのがティーナの得意技。アリスは何百回とその凄技を見てきた。
「リオ・アンダーソン、アリス・ベンフィールドがティーナ・ベルフォルンを無視したのは本当か?」
本人に聞いても白を切ると考えた担任はアリスの隣の席であるリオに問いかけた。
「いや、アリスはおはようって返した」
「でも冷たかったんです! 私は笑顔で挨拶をしたのにアリスは私を見ないまま呟くようにおはようって言っただけなんです! 酷くないですか!?」
ティーナの言い分に担任はため息をついて首を振る。
「相手のテンションに合わせて挨拶をしなければならない規則はない。その日によって人の気分は変わる。お前にとって今日が素晴らしい一日だとしても、他者にとってはそうではないこともある。それにいちいち文句を言っていたらキリがないぞ」
「じゃあ私はアリスからの冷たい挨拶を甘んじて受け入れろって言うんですか!? おはよう、って言ったんですよ!? おはよう、ってこんな言い方で!」
アリスの言い方を真似るティーナに苦笑も浮かべず、担任は無言でティーナの席を手で指した。さっさと座れと無言で伝える。
それでもティーナは引かない。教卓に両手を叩きつけて担任を見る。
「これがイジメに発展する可能性がないとは言いきれませんよね!? 明日はアリスに無視されるかもしれません!」
「明日のことは明日言いにきなさい」
「今注意してくれないと防げません!」
「無視されるとは言いきれないだろう」
「でも可能性はあります! アリスは公爵令嬢だからお高く気取ってるんです! 私が男爵令嬢だからって見下してるんですよ!」
「証拠はあるのか?」
「私が言ってることが証拠です! 言われた被害者なんですから!」
頭が痛いと言わんばかりの表情でティーナを見るとティーナは鼻息荒く、どこかドヤッと言いたげな顔で訴えている。
自分は正しい、自分は間違っていない、自分が法律だと思っていることが伝わってくる。
アリスを見るもアリスは次の授業の支度をしているだけで焦りも見えなければ弁明のタイミングを待つように教師を見てもいない。
カイル・ベンフィールドは強烈だが、アリス・ベンフィールドは入学以来問題一つ起こさない、あのカイル・ベンフィールドの妹かと疑ってしまうほど目立たなかった。
教師たちの間で警戒されていたのは入学してから一ヶ月間だけで、その一ヶ月の間も二年生に上がった今も問題は起こしていない。
素行調査も問題はなく、アリスの評価は優等生そのもの。
取り巻きを連れ歩く姿は一度も見たことがなく、逆にティーナに引っ付いているように見えていた。
アリスは手を引くほうではなく、手を引かれるほうで、それを引っ張っていたのがティーナ。
だからティーナが見下されている、アリスが見下しているという言い分は担任には納得できないことだった。
「いいから座りなさい」
「それでも担任なの!?」
もう一度伝えるとティーナがまた教卓を叩いたため、今度は担任が黒板を叩いた。
「いい加減にしなさい!」
響く怒声にティーナをはじめ、クラスメイト全員が驚いた。
このクラスの担任は他のクラスの担任と比べると優しめで怒ることはほとんどない。
どちらかといえば弱気。リオが転入してきたときもそうだった。
だから本気の怒声に皆が固まっていた。
「お前は明日起こることを予知できるのか!? アリス・ベンフィールドが明日無視すると断言できるのか!? 起こってもいないことをどうやって対応しろと言うんだ!」
捲し立てる教師の言葉にティーナは唇を噛み締めて睨みつけながら席へと戻り、椅子を乱暴に引いて後ろの席の机にぶつけ、謝罪もせずにそのまま乱暴に座った。担任に聞こえるように大きな舌打ち付きで。
「時間がないので今日伝える予定だったことは廊下の掲示板に貼っておくから忘れず見るように」
舌打ちをしたいのはこっちだと思いながらも担任の声は穏やかなものへと変わり、一枚の紙を揺らして時計を見てから廊下へと出ていった。
入れ替わりで入ってくる一限目の担当も怒声は聞こえていたのだろう。少し笑顔がぎこちなかった。
「……アリス」
ティーナの金魚のフンだったアリスがあんなにもハッキリと伝えるだけの変化があったことを思うとリオは話しかけるのが少し怖かった。話しかけて自分もあんな風に素っ気なく返されたらどうしようと思っていたから。
でも話しかけないわけにはいかない。このまま怒らせて関係を終わらせるようなことだけはしたくないと勇気を出して声をかけた。
「アリス、朝からセシ──」
「授業始まってるよ」
ぶった斬るような遮り方にリオはズキンと胸が痛むのを感じた。
自業自得だ。アリスが仲良くしている相手の秘密を探って、それを手柄にしてアリスと更に接近する予定など立てた自分の過ち。
自分の友人がアリスの秘密を探ろうと、暴こうとすれば激怒することは容易に想像がつくのに、なぜアリスの感情を想像しなかったのだろうと自分に問いかけても返事はない。
分かりきっているのだ。自分が大馬鹿者だからだと。
前を向いて頭に入ってこない授業の内容を見つめるだけしかできない。
隣で真面目に教師の話を聞いてノートをとるアリスの横顔を見つめることすらできなかった。
「マジでムカつく! なにアイツ! なんであんなに偉そうなわけ!? たかが教師の分際で私にあんな口利いてもいいと思ってんの!?」
昼休みになってもティーナの怒りは解消されず、燻り続けた怒りが爆発したのは裏庭での作戦会議中のこと。
「こうなったらセシル・アッシュバートンの秘密暴いてアリスにショック受けさせてやる! 退学どころか逮捕よ! 言い寄ってきてた男が逮捕されてショック受ければいいんだわ! そしたらアリスは一人ぼっちだもの!」
あえて大声を出して怒りをぶつけるように笑うティーナの腐りきった性根にリオはうんざりしていた。
「リオが嫌われてなかったらもっと簡単に暴けたのに」
セシルはティーナが近付くと警戒して背中を見せない。
いつも振り向いて嫌味を言ってくる。リオのときも同じ。
あのブレザーさえめくることができればわかるかもしれないのにとティーナが親指の爪を噛む。
「ねえ、何か良い案ない?」
ベーグルサンドを頬張りながら問いかけるティーナを見てリオは腰掛けていたベンチから立ち上がる。
「お前に協力すんのやめるわ」
「は?」
突然の拒絶に慌てて立ち上がったティーナの理解できないという顔にリオは肩を竦める。
「アイツが銃持ってようが持ってなかろうがどうでもいいわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 銃を持ってたらどうなるかって話は前にしたよね!? もう忘れたの!?」
「忘れてねぇよ」
「じゃあアリスが巻き込まれてもいいの!?」
「よくねぇよ。でも銃を持ってることを証明できたからなんだってんだよ」
今更心変わりされるのは困る。復讐を考えるティーナには協力者が必要で、それはセシルと親しくない、好意を持っていない人間でなければならないのだ。
それにはリオが適任で、アリスをダシに使えると思っていたのに昨日の今日でなにがあったんだと混乱していた。
「犯罪者は罰されるべきでしょ! 誰もがルールを守って生きてるの! 強盗が出てるって聞いて不安で夜も眠れない人がたくさんいる! 護身用のために銃を持ち歩きたい人間だっている! でも法律で許されてないから我慢してるのよ! なのにアイツだけ特別ってわけにいかないでしょ!?」
ティーナの力説にリオは表情を変えないまま首を振る。
「それを決めるのは俺でもお前でもなく司法だろ」
「司法が捌けるように私たちが協力するんじゃない! 真実を知ってる私たちがね!」
必死な様子が痛々しく、この口車に乗れば自分は大切なものを全て失うんだと実感し、ため息をついた。
「どうでもいいわ。興味ねぇ」
「あっそ! じゃあアリスがアイツのモノになってもいいんだ!?」
リオの好意を逆手にとって脅すような台詞にもリオは動じない。それどころか自嘲するように鼻を鳴らして苦い笑みを浮かべ
「アイツが誰かのモノになるよりアイツに嫌われることのがずっとコエーよ」
どうしてアリスが良いんだとティーナは怒りに震える。
アリスの良さがティーナにはわからない。
控えめ? ただ地味で大人しいだけ。
優しい? 空気が読める自分のほうが優しい。
可愛さだってスタイルだって自分のほうがいいのにと地団駄を踏みたくなる。
「ッ~~~~~~!! もういいわよ役立たず!!」
それを我慢して、持っていたオレンジジュースを思いきりリオにかけた。
上着もシャツも何もかもがベタベタになってしまった状態に苛立つも、これでティーナに協力は切ったと安堵する。
あれほどティーナと仲が良かったアリスがティーナよりセシルを選んだことに間違いはない。
ティーナはそれに怒り、アリスは対抗を続けている。
子供の頃を知っているリオにとって二人の関係が崩れる日が来るなど想像もしていなかったが、実際は簡単に崩れてしまっていた。
『私のほうがアリスよりずっと公爵令嬢に相応しいのに』
そう言い続けてきたティーナにとって自分より劣っているアリスが公爵令嬢であるということがもはや許せないことなのだ。
自分のほうが相応しいと言い張って威圧的にアリスを従わせることで自分の引き立て役を演じさせてきたのに、今のアリスはティーナがいなくても平気だと言わんばかりの態度を見せる。
それがまたティーナの怒りに燃料を投下することとなった。
リオは二人の関係がこじれることは望んでいなかったが、こじれた以上は仕方ない。あの様子ではティーナは引くことを知らないし、かといってアリスに謝れなどと口が裂けても言えない。
自分にで着ることはどちらかの味方につくことだけ。
それは迷う必要もなくアリスだったのにと後悔していた。
「もう喋ってもらえねぇかもな……」
花壇の近くに行き、聖フォンスの生徒なら絶対に触れることもしないだろう水撒き用のホースを取って軽く背中を曲げて頭から水をかけてオレンジジュースを洗い流す。
声をかけても顔も向けずに言い放ったアリスの言葉は『授業が始まってる』だけではなく『だから話しかけるな』までがセットだったのだろうと想像すると辛くて仕方ない。
母親が死んで帰国が許され、リオは何よりもアリスに会えることを楽しみにしていた。
成長したアリスに心臓が跳ね、当時の気持ちは変わらず胸にあって、ドキドキした。名前を呼ばれただけなのに好きだと思った。
だからこそ嫌われたくないのに、いつだって上手くいかない。
仲良くしようと気合を入れれば入れるほど空回りしてしまうのだ。
「ダサ……」
自虐を吐いて水を止めると保健室に予備の制服を借りに行こうと向かうリオに女子生徒の視線が集まる。
男のシャツの下などなかなか見る機会がない令嬢たちにとって鍛えられた身体が歩いているのは悲鳴を上げたくなるほどラッキーなハプニング。
食い入るように見つめながら友人と手を合わせる。
今のリオは令嬢たちの視線など気にもならず、見られていることすら気付いていない。
なんとかして仲直りしたい。いや、許してもらいたいという思いで頭がいっぱいだった。
「リオちゃん……?」
聞き慣れた声。この世で最も愛おしい声にリオの足が止まる。
聞き間違えるはずがない声に振り返るとやはりアリスが立っていた。
「どうしたの!?」
なぜ服を着ていないのか、なぜびしょ濡れなのかわからないアリスはリオの身に何があったんだと困惑して駆け寄った。
ポケットからハンカチを取り出して頬や額を拭き、前髪から滴る水を払おうと手を伸ばすアリスに眉を下げてリオが笑う。
そのまま腕の中に閉じ込めるとアリスは目を見開き、焦る。
「リ、リオちゃん!?」
カイルにさえ裸で抱きしめられたことはなく、生肌の熱と上から降ってくる水の冷たさを感じて恥ずかしくなり離れようとするも反動でリオの力が強くなる。
ここは人がいない場所ではなく、大勢の生徒がいる廊下。引き剥がそうにも服がないため掴めない。胸を押そうにも密着していて腕が入らない。
どうすればいいんだと焦るアリスは痛みを与えないよう軽く背中を叩いた。
「寒いの?」
震えているわけではないが、こんな場所で人目も憚らずに抱きしめる理由はそれしか考えられないとアリスが問いかけるもリオは何も答えない。
「リオちゃん、苦しいよ」
強すぎる腕の力を訴えるとリオが呟いた。
「やっぱお前に嫌われんのが一番怖い」
頭上から降ってきた呟きはアリスにしか聞こえていない。
だが、言葉は聞こえずとも皆が見ている。
それを気に入らないと睨みつける者がいた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
私の願いは貴方の幸せです
mahiro
恋愛
「君、すごくいいね」
滅多に私のことを褒めることがないその人が初めて会った女の子を褒めている姿に、彼の興味が私から彼女に移ったのだと感じた。
私は2人の邪魔にならないよう出来るだけ早く去ることにしたのだが。
【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中
白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。
思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。
愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ
向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。
アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。
そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___
異世界恋愛 《完結しました》
【完結】ありのままのわたしを愛して
彩華(あやはな)
恋愛
私、ノエルは左目に傷があった。
そのため学園では悪意に晒されている。婚約者であるマルス様は庇ってくれないので、図書館に逃げていた。そんな時、外交官である兄が国外視察から帰ってきたことで、王立大図書館に行けることに。そこで、一人の青年に会うー。
私は好きなことをしてはいけないの?傷があってはいけないの?
自分が自分らしくあるために私は動き出すー。ありのままでいいよね?
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる