愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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庶民デート

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「カイルは朝から大騒ぎ?」
「ええ、それはもう大声で。お母様と言い合いの嵐」
「どっちが勝った?」
「お母様」
「だと思った」

 既にカイルと二年の付き合いになるセシルにはお見通しかと笑う。
 皆、貴族であれば近しい年齢の子供たちの名前ぐらいは知っている。そこに対面があったかどうかだけで、カイルもセシルも互いの名前は幼少期から認識していただろう。
 ただ、セシルのほうはカイル・ベンフィールドがあんなサイコパスだとは思っていなかっただろうが。

「今日はどこへ行くの?」
「まずカフェ。僕のお気に入りのカフェに行って、ケーキと紅茶を堪能したら次に公園」
「公園?」
「そっ。公園に人気のパン屋さんが来てるんだって」

 貴族は公園でデートなどしたりしない。まずデートという概念がほとんどないのだ。未婚の二人が一緒に歩いているだけで噂になってしまうのだが、セシルはアリスが好きなため噂になってもいい。アリスは両親が許容しているため噂になろうと家に実害が出ることはない。
 伯爵令息と公爵令嬢が揃って公園で一般市民に混ざって屋台のパンを買うなど他の令嬢たちが見たら目を疑うだろう。
 誰の意見も気にしないセシルらしいプランにアリスは笑う。

「もっとロマンチックなのにしようかなって思ったんだよ? レストランに連れてって、夜景の見える場所とか、森の別荘で湖見ながら、とか色々ね。でもアリスは僕より良いレストランに行き慣れてるだろうし、夜景の見える場所って僕に似合わないでしょ? なんかそんなキザなことしてもロマンチックな話題なんか思い浮かばないし、そしたらアリスに気を遣わせる。一生の思い出になるデートにするって約束したのにそんなのかっこ悪すぎだからやめた。森の別荘が一番かなって思ったけど、別荘で何するのって感じだしね。婚約してたらすぐにでも連れていくけどね」

 森の別荘に連れて行くことがどういう意味か、アリスは知らないわけではない。小説にたくさん書いてあった。
 つい妄想してしまいそうになるのをグッと堪えて手で顔を仰ぐ。

「あ、想像した? アリスって意外とエッチだよね」
「そ、そんなことないよ!」
「森にある別荘で男女がすることなんて一つだもんね」
「もうっ、やめて!」
「僕はそういう関係にまでいきたいと思ってる」

 真っ直ぐ見つめて告げるセシルの声にからかいは感じず、アリスはドキッとしてしまう。
 小説を読みながら自分もいつかと何百回妄想しただろう。聖フォンスに入学してから相手はいつもヴィンセル・ブラックバーンだったが、今この瞬間はセシルを意識してしまう。

「なーんてね」

 いつもの笑みを浮かべるセシルにアリスは目を瞬かせる。

「からかったの?」
「からかったわけじゃないよ。さっきのは本心だけど、これ以上黙ってるとアリスが困るでしょ? 何か言わなきゃって。今日はただのデートだから困らせるのは紳士のすることじゃないからね」

 セシルと一緒にいるのが楽しい理由の一つがこれだ。セシルはいつも気を遣ってくれる。迫っているのだからそれなりの答えが欲しいと言う者は多い。家のためにも公爵令嬢と仲良くなれば未来永劫安泰かもしれないからだ。
 だが、セシルは急がない。伯爵令息が公爵令嬢をもらうには公爵家にそれなりのメリットがなければ不可能に近い。
 アッシュバートン家にとってアリスの付加価値は最大級。処女であり、控えめで、ベンフィールド家の長女なら持参金も莫大であることは間違いない。
 セシルはこう言っているが、セシルの父親であるアッシュバートン伯爵はどう思っているのだろうと時々考えることがある。急かしてはいないのだろうかと。

「セシルはその気持ちを両親にお話してるの?」
「してるよ。僕の婚約者はアリスしか考えられないって」
「どう、言ってるの?」
「僕の好きにすればいいけど、相手はお前が不釣り合いな相手だから誠実に接しなさいって。ひどくない? 僕一人息子だよ? 僕が不釣り合いなんだって。まあ、否定はしないけど」

 アッシュバートン伯爵は真面目で厳格な人間だと父親から聞いているため、言いそうだと笑うアリスとは対照的にセシルは不満げ。

「でも、もし君が僕を選んでくれるなら君に相応しい男になるって誓うよ」

 握られた手を見てからセシルを見ると無意識にアリスの唇がキュッと内側にしまわれる。

「あはははっ! 僕がキスすると思ったの?」
「だ、だってセシルいつもキスするから……!」
「まあね。今日はデートだからたくさんしたいなーって思ってるんだけど、どう?」
「だ、ダメ! しない! そういうのは婚約者じゃないとダメ!」
「婚約者じゃないことしちゃったから責任取ってもいい?」
「セ、セシル!」

 直球で来るセシルを上手く回避する方法がアリスにはわからない。もっと色気ある感じで大人の女性を演じたいのにアリスには程遠い。

「ごめんごめん、聞くのはダメだよね」

 愉快そうに笑いながら頭を撫でるセシルにアリスは顔を覆って俯く。

「セシルのそういうの、心臓に悪いよ」
「いっぱいドキドキしてよ。それで、帰っても僕のことで頭いっぱいにして」

 その言葉だけでドキドキしてしまう。これが自分の正しい気持ちなのだろうかとアリスは思う。これが恋であれば今すぐセシルの手を握り返して自分からキスをする。
 だが、これが他の男性からでも同じ気持ちになってしまったら? 同じシチュエーションでヴィンセルやリオから言われても同じ気持ちになってしまったら自分はただ気が多い女なだけ。
 このドキドキを恋と決めつけるにはまだ早く、アリスはその答えに自信がなかった。

「真っ赤な顔して、可愛い」

 顔を上げたアリスの真っ赤な顔に目を細め、優しく頬を撫でるセシルにアリスはデートが終わるまでに心臓が止まるのではないかと心配していた。

「着いたみたい。行こうか、マイフェアレディ」

 馬車を降りたセシルが差し出す手を取ってアリスも降りた。
 街にはよく出かける。カイルが連れ出してくれるのだ。だからそれなりにカフェは知っているが、セシルのお気に入りのカフェは知らない。

「来たことある?」
「ううん、知らない」
「だよね。ここは貴族はほとんど来ないらしいし」

 なぜ貴族が来ない店にセシルは言ったのだろうとセシルを見ると微笑まれる。

「ここのスコーンがすっごく美味しいって使用人が買ってきてくれたんだ。あとサンドイッチ。お腹すいてる?」
「ペコペコ」
「僕も。いっぱい食べよう」

 降りるときに握った手を離さず、握ったままアリスを店の中へと引っ張っていく。
 
「いらっしゃいませ! あら、女性連れ! 奥へどうぞ」
「ありがとう」

 既に顔馴染みなのか、店主だろう少しふくよかな女性がセシルを見てニヤつきながら奥へと案内してくれる。
 奥のスペースは当然テーブルが多いホールよりは狭いものの、調度品は少し良い物が置いてあった。
 
「セシル様がご令嬢をお連れになるなんて初めてじゃないですか!」
「僕が猛アプローチしてる人だよ。今日は初めてのデートなんだ」
「それでうちを? あっはっはっ! こりゃフラれますね!」

 相手は貴族だというのに媚びることなく大笑いしてハッキリ言う店主に気を悪くすることなくセシルは笑う。

「こんなボロい店に連れてきて食事なんて何考えてんですか。もっと良いとこ連れて行かないと」
「アリスはそういうタイプじゃないんだよ。公爵令嬢様だからね」
「こうしゃッ……はあっ!? こ、こうしゃっ……! はあっ!?」

 公爵令嬢には会ったことがないのだろう店主の驚き方にセシルと一緒にアリスも笑ってしまう。

「う、うちの物を食べてお腹でも下したら……!」
「大丈夫だよ」
「い、いやでもっ……!」
「ここのスコーンとサンドイッチが美味しいって言って連れてきたのに追い返されたら僕すごく恥かくことになるんだけど」
「で、でもですよ!? うちみたいなボロい店じゃ何かあっても責任なんて取れませんよ!」
「大丈夫、僕が取るから」
「ええ……」

 そうは言っても店の責任になるのではないのかと疑いはあるものの、セシルはずっとこの店に通ってくれているため断るに断れず、受け入れることにした。

「お口に合わなければすぐに食べるのやめてくださいね」

 運ばれてきたセシルの“いつもの”が並ぶとアリスはそれを凝視する。

「普通の物ですからね? 期待しないでくださいね?」

 公爵令嬢の口に入れても大丈夫な物かどうか自信がない店主の心配の声が続く。

「もし万が一にでもお腹を下したとしても責任を取れなどと言うつもりはありませんから。それに、美味しい物が大好きなセシルが通っている場所なんですもの。心配はしていません。むしろ楽しみです」
「は、はあ……」

 これ以上話していると緊張で吐きそうだと口を押さえた店主はそのまま深く頭を下げて数秒そのまま待つとホールへと戻っていった。

「あ、美味しい!」
「でしょ? 僕ね、このスコーンは家でシェフが焼くのより好きなんだ」
「わかる気がする」

 まずは何もつけずに食べたスコーンの絶妙な食感にアリスは目を見開く。
 アリスもお菓子を作るときは食感を大切にしているのだが、これはなんとも気持ちのいい食感だと噛みながら感動を表情で伝える。
 
「こういう特別じゃないお菓子ってもしかしたらこういう店のほうが美味しいんじゃないかなって思ったんだよね。僕たちは最高級の食材を使えるけど、使ったから必ず美味しい物ができるってわけじゃないような気がするんだ。ここがその証明」
「私が作るスコーンよりずっと美味しい」
「アリスのスコーンのほうが美味しいよ」
「……お兄様みたい」

 それは贔屓目で言っているんだと指摘するアリスにセシルは首を振る。

「好きな子が作った物が一番美味しいに決まってる」
「でもこれ本当に美味しいよ」
「アリスのも本当に美味しい」

 頬杖をつきながら親指でアリスの唇を撫で、スコーンを食べたときについたジャムを拭うセシルにはそれを否定し続けても答えは変わらないと諦めた。
 ありがとうを告げるだけでセシルは笑顔を見せる。
 どこでも食べられる物を初デートで食べに行くのはセシルらしいとアリスは既に満足していた。美味しい物が食べられるのなら一般市民が通う店だっていいじゃないか。そう思えた瞬間だった。
 特別な物は挟んでいない。シンプルでどこでも食べられそうな物。それなのにアリスはこのサンドイッチを不思議ととても美味しいと感じた。 
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