愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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不穏な影

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「最近、アボット姉妹とお茶しないんだね」
「知ってるくせに」

 以前はよく一緒にお茶をしていた。もともとアリスとアボット姉妹はお茶飲み友達。それが友達だと思っていると言われて友達だと胸を張って言えるようになったのだが、ナディアがセシルに本気になってから口も利かなくなってしまった。
 同じ学年であるため廊下ですれ違うことはあってもナディアはアリスの横を無言で通り過ぎる。アリシアだけで挨拶をしてくれる。
 このままでいいとは思っていないが、セシルと一緒にいる以上、ナディアは無視を続けるだろうと思っており、どうすればいいかと悩んでいた。

「僕としてはアリスの時間を奪われなくていいけどね」

 セシルはいつも正直に生きている。
 ナディアはが自分をどう思っているか知りながらセシルはそれに配慮しようとはしない。
 アリスはそういうのに憧れるが、それが正しいのかと言うと正しくはないような気がしている。
 自分にとってこれは解決すべき問題で、配慮すべき点は配慮するべきだと。

「セシルはこういうとき、どうする?」
「どうもしない。向こうが無視するならこっちも話さないだけ」
「でもセシルは仲直りしたいって思ってるんだよ?」
「喧嘩したわけじゃないんでしょ? 向こうが一方的に無視するんだよね?」
「そう、だけど……」
「なら謝ってくるまで許さないかな」
「話したいのに?」
「親しき仲にも礼儀アリって言うでしょ?」

 人に確認も取らずにキスする人間が言う台詞ではないと思いながらもアリスは黙っていた。
 セシルと過ごす時間は確かに楽しい。だが、アボット姉妹と過ごす時間もアリスにはとても楽しい時間だったのだ。
 学生生活はまだ一年以上残っているといえど、あっという間に終わってしまう。もたもたしていたらずっとこのままな気がするとアリスは顔を上げて大きく息を吐き出し気合を入れた。

「私、ナディア様と話してくる!」
「待って待って待って待って」

 手を掴んで引っ張りもう一度椅子に座らせたセシルが少し呆れたような表情で首を振る。

「考えなしに勢いだけで行って上手く事を運べるタイプじゃないでしょ?」
「そうだけど……」
「ならアリスなりのやり方でやらないとダメだよ」
「……そうだよね」

 アリスは考えに考え抜いてから行動するタイプなため、このまま行かせてもきっと固まってしまうだけだとセシルは思った。そしてそのままナディアに無視されて終わる。
 セシルとしてはアリスがナディアと仲直りできなくとも一向に構わないのだが、仲直りすることでアリスの笑顔が増えるのであれば協力は惜しまないつもりだった。
 だが、表情はやはり呆れ顔。

「そんなに仲直りしたい? 人を無視するような相手だよ?」
「セシルも話かけてくる人を無視するよね?」
「僕が無視する理由は相手が知らない人間だから。でもナディア・アボットは君と友達だった。それなのに個人的な理由で無視するような無礼な人間と仲直りする必要なんてないと思うけど」
「恋は人をおかしくするって言うでしょ?」
「誰情報?」
「恋愛小説作家」
「あっはっはっはっはっはっ! この世で最もあてにならない人だよ!」
「好きな物をバカにしないで」
「おっと、ごめん」

 アリスもわかっている。いくらロマンス小説を読んだところで恋愛経験ゼロでは語れることは一つもないし、人生は恋愛小説のように甘い世界ではない。
 だが笑われるのは心外。あてにしようなどとは微塵も思っていないが、参考にできる部分はあると思っている。言いはしないが。
 軽く両手を上げて謝るセシルを見てアリスは首を振って両手で頬杖をつく。
 女子だけでお茶をしていた時間が懐かしいと目の前に置かれている紅茶に顔を向けてため息をついた。

「僕とのお昼は飽きた?」
「飽きてないよ。ため息なんてついてごめんなさい」
「んー……困ったなぁ。ナディア・アボットと仲直りすればアリスと過ごす時間が減る。でも仲直りしないとアリスの笑顔が減る。僕はどうすればいいのかなぁ」
「セシルは何もしなくていいの。知らないって顔でいて」
「君を笑顔にするためなら僕はなんだってするよ。こーんな顔とかね」

 口の両端に指を当てて思いきり引っ張り舌を出すセシルにアリスは吹き出したあとに大笑いする。
 笑わせようと美しい顔をお茶目に歪めるセシルの優しさがありがたかった。

「今日一日じっくり考えてみる。ちゃんと話し合いたいし」
「じゃあさ、放課後一緒に考えるってのはどう? ほら、新しくできたカフェあるって言ったでしょ? 結構評判らしいよ」
「魅力的だけど、一人で考えたいの」
「チェッ、デートの誘いだったのに~」
「ふふっ、ごめんなさい」

 セシルの意見は必要ない。セシルの意見を聞いてしまうと偏見まみれで強気に出なければならなくなるからだ。
 相手は友達。恋が理由で少し拗れてしまっているだけで喧嘩をしたわけではない。
 もしかしたらもう、ナディアは喋ってくれないかもしれない。それでもアリスはもう一度だけ話がしたかった。ナディアが何を考えているのか知りたかったから。

「もし仲直りできなかったら僕のとこにおいで。慰めてあげる」
「んー……」
「やな反応しないでよ。何もしないって」
「だってセシル、キスで慰めるのは男の役目って言ってたし……」
「キスはいいでしょ? 僕、アリスとキスするの好きだもん」

 なんとも反応しづらい言葉にアリスは苦笑するだけにした。
 恋人になればこんな反応もせず、笑顔で「私も」と答えることができるのだろうが、アリスはまだそこまでの決定打を得られていない。
 セシルは優しく、ユーモアもあって、何を出しても美味しいと笑顔で食べてくれる。笑わせてくれるし、考えすぎるアリスに呆れながらも突き放すことはせず一緒に考えてくれる。
 嘘はつかず、自分にも他人にも正直に生きている。人に合わせて嘘ばかりつくアリスにとって彼は眩しいほど強く生きている。
 一緒に過ごせば楽しい。これはもはや決定打となるべきことなのではないかと考えもしたが、その先の先まで考えてしまうため答えが出ない。

「まーた考え込んでる。僕といるときはそういう顔禁止」
「ごめんなさい」

 小さな微笑みと共に謝罪を口にするアリスの頭をセシルが撫でる。

「僕はアリスの笑顔が見たいだけ」
「うん」
「じっくり考えればいいよ、ナディア・アボットのことも僕のこともね」

 考えなどお見通しだと言わんばかりの言い方をして笑うセシルにアリスはお手上げだった。
 まだ知り合って一年も経っていないのにセシルはどうしてここまでわかってしまうのか、アリスは不思議で仕方ない。
 でもだからこそ心地よくもある。

「セシル、いつもありがとう」
「いいよ。ごめんなさいよりずっと嬉しい言葉だ」
「そうだね」

 人生でお礼よりも謝罪のほうが多かったアリスにとって謝罪はもはや癖のようなもの。
 
「今日は放課後一緒に帰れる?」
「生徒会抜けれるの?」
「たぶんね」
「じゃあ放課後、お兄様に捕まらなかったら一緒に帰ろうね」
「絶対帰る!」

 その意気込みも虚しく、まるで盗聴でもしていたかのように放課後、カイルはセシルの教室までセシルが出てくるのを待っていた。

「さあ、楽しい楽しい生徒会の時間だぞ」

 ニタァという効果音が合う笑みをセシルに向けて首根っこを掴むカイルはなんとも言えないほど不気味だった。

「なんで!?」
「お前の表情見てりゃわかるんだよ。うちの可愛い妹アリスと一緒に帰ろうとしてるなってことが」
「怖すぎでしょ! どんな能力なのそれ!」
「人を見てないお前には習得不可能な能力だ、諦めろ」
「サイアクッ!」

 廊下で様子を見ていたアリスに気付いたカイルが笑顔で手を振る。

「アリス、気をつけて帰るんだぞ」
「あ、はい」
「寄り道はしないように」
「はい」
「寄り道したら兄様にはわかるからな」
「はい……」

 するつもりはないが、わざわざ言われると怖い。
 朝はリオと一緒に行くのだが、下校はカイルと一緒にということになりアリスは先日から久しぶりに一人の下校時間を過ごしている。
 リオも学校ではそうでもないが、二人になるとよく喋るため馬車の中で退屈することはない。
 こうして一人で馬車に乗って家に着くまでの時間がこれほど長く感じたことは久しくなかっただけに寂しく感じてしまう。

「あれ?」

 長く感じた時間の終わり、アリスは門の前に一台の馬車が停まっていることに気がついた。
 見覚えのある紋章だが、その紋章がどこの家紋かまでは思い出せない。絢爛豪華な馬車。低い身分の者ではないことだけはわかる。
 この家に来る客の大半が父親の知り合いであるため馬車は停めずに屋敷前で降りて階段を上がっていく。

「おかえりなさいアリス、あなたにお客さまよ」
「私に?」

 出迎えてくれた母親の言葉に驚いたのはあの馬車の所持者が父親への訪問者ではなく自分への訪問者だったから。
 あの馬車はアボット家の物ではない。だからナディアが謝りに来たという期待はしない。
 一体誰だと首を傾げるアリスは鞄を使用人に預けて応接間へと向かった。

「おかえりなさい。待たせていただいてたの」
「あ……」

 中へ入るとソファーに座って優雅にお茶を飲む女性がこっちを向いて笑顔を見せた。
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