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番外編
この世で最も愛しい者のため
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「ちょっと! 私をこんなところに閉じ込めて何様のつもりよ! 私はクインリーのオリヴィア・クインリーなのよ! もっと丁重に扱いなさいよ!」
扉を開けるまでもなく聞こえる喚きにカイルは指の先まで冷えるのを感じた。恐怖ではなく怒りを通り越した静寂によるもの。心臓に通っているのは熱い血液などではなく冷えた血液なのではないかと思うほど、冷静だった。
しかし、その表情は冷静とは程遠く、地下牢の門番が慌てて目を逸らすほど冷たいもので、慌てて扉の鍵を開けてカイルを中へと通す。
一人の男の顔を見ただけで冷や汗が流れる不思議さに首を傾げながらも名前を呼ぶ勇気すらなかった門番はそっと扉を閉めて何かあったときのために鍵も一緒に閉めておいた。
「逃亡していたわりにはピーピー耳障りな声で喚けるほどの元気があるらしいな」
「カイル様──ギッ……ああぁぁあああああッ!」
ボロボロになった靴で何度も格子を蹴っていたオリヴィアに声をかけると怒った顔もどこへやら表情を明るめて格子の間からカイルへと伸ばす手を思いきり蹴り飛ばした。男でも間違いなく折れるだろう力を込めて蹴った手は骨が折れたことを確信させる見事な音を鳴らし、その痛みにオリヴィアは悲鳴を上げながら床の上をのたうち回る。
「折れただけだ。大袈裟に騒ぐな」
入り口にあった椅子を持って戻ってきたカイルが牢屋の前に置いて腰掛ける。長い足を組むだけで様になっている姿も今のオリヴィアにはそれに見惚れる余裕もない。
「な、なんでぇ……!」
「俺が意味もなく女の手首を折る男だと思っているのか? お前がアリスにしたことに比べればそんな痛みはないも同然だ」
オリヴィアの耳に届いているのはカイルとは思えないほど低い声で、そこに込められた明確な怒りに全身が粟立つ。やったことがバレているのは知っていたが、腐っても王族である自分にこんなことをするような人間とは想像もしていなかった。
「わ、私はあなたを呪縛から解き放とうと思っただけです!」
「呪縛?」
「あ、あなたは妹という呪縛に囚われているんです! だから私の魅力に気付かない! あなたが目を覚ますためには妹から離れないと……アアッ、痛い!」
折れた手首は固定できず、腕にぶら下がっているだけの状態が気持ち悪く、手首だけではなく腕や肩にまで痛みが走っているような感覚にオリヴィアは涙が止まらず牢屋の中でうずくまる。
必死に伝えればわかってくれるはずだと希望を胸に顔を上げるも、その希望はカイルが見せる表情によってすぐに打ち砕かれた。
「ああ……だから俺はお前のような空っぽな人間が嫌いなんだ。怒りよりも殺意が込み上げる……」
自分は正しいことをしたと本気で思っていることが救えないとカイルは長い足を組んだまま上にした足を数回前後に揺らして殺意を抑え込もうとしている。鍵を持っている門番を呼んで鍵を開けさせ、門番が持っている剣を抜いて首を斬り落とすところまで想像できている。
怒りを抑え込むときはいつもアリスの笑顔を思い出すようにしているが、オリヴィアを前にして思い出すのはアリスの笑顔ではなく馬車の中で折り畳まれて血を流していたアリスの顔だけ。死んでいるのではないかと恐怖しながら馬車から救い、死んでしまうのではないかとアリスが目を開けるまでずっと恐怖と戦っていた。寝食も忘れるほどの恐怖を抱えたのは初めてだった。
「わ、私はずっとあなたが好きでした! だから私を見てほしかったのにあなたは妹のために私をフった! 彼女さえいなければ──ヒッ!」
ずっと揺らしていた足を地面に叩きつけるように勢いよく下ろした音がオリヴィアを怯えさせ、門番を心配させる。
ノビリスでは罪人は裁判にかけて絞首刑がルール。いくら王子が許可を出していようとも地下牢での殺害が許されるはずはない。
黒幕がクインリーだとわかり、既に逃亡しているのがわかったとき、カイルは『必ず殺してやる』と言っていたのを他の兵士が聞いており、それは瞬く間に兵士たちの間に広まった。この門番も例外ではない。だから一人で会わせることは心配だが、あの目に逆らう勇気はなかった。
「アリスがいなくなれば俺がお前を見る? 脳みその代わりにお花畑でも詰め込んでるのか? 自分に都合の良い夢を見せてくれる甘い蜜ばっか製造してないで現実見ちゃどうだ?」
爽やかさが印象的な端正な顔立ちが台無しになるような冷たい表情で凄まれると声が出なくなってしまう。
「この俺が、カイル・ベンフィールドがお前のような小国のバカな王女を本気で好きになるとでも思っていたのか?」
「カイル、様……」
「夢の中で生きていたほうが楽だったろうに、空っぽの頭では善し悪しもわからないんだな。ティーナ・ベルフォルンと同じだ。立場も弁えず、妄想と現実の区別もつけられず自分のためにだけ生きることしかできない。本当に……腹が立つ……」
呟くように吐き出された重々しい言葉にオリヴィアが震える。目の前にいる相手は自分が知っている男ではない。自分が好いた男は爽やかで凛とした男。こんな殺人鬼のような目をした男ではなかった。それでも彼の口から発せられる自分の名が彼がカイル・ベンフィールドであることを証明している。
「アリスを罵倒するだけなら多少のことで済んだのになぁ」
彼が言う“多少”がどこまでを意味しているのかがわからない以上、その内容を聞くのは憚られ、オリヴィアはまだ口を開けない。
「殺そうとしなければ死なずに済んだものを」
「ッ!? どういう意味ですか!? まさか私を殺すと!?」
カイルは鼻で笑うことさえしなかった。嘲笑うことさえ馬鹿馬鹿しいともう一度足を組み直した。組んだ手を膝に当て、見下すように少し顎を上げてオリヴィアを見て告げる。
「お前は死刑だ」
「ど、どうして私が!?」
「人を殺そうとしておいてまさか自分は死刑にならないとでも思ったのか?」
「で、でも彼女は死んでいませんよね!?」
「結果が問題ではなく、行動が問題なんだ」
「わ、私は裁判にかけられるはず! そのときに貴族に意見を聞きます! 私は王族です! 貴族は私の味方になるはずですから!」
強気な意見にカイルは天井を見上げて大口を開け、声を上げないまま身体を震わせて笑う。その様子は不気味以外の何者でもなかったが、次第に漏れ始めた声はあっという間に地下牢全体に響き渡り、ヤケになって笑っているようにさえ聞こえるほどだった。
五分ほど笑い続けたあと、ゼンマイ式の玩具が止まったようにピタッと動きも笑い声も止めたカイルが一分ほどそのままでいる。そして顔を上げたときのカイルはオリヴィアが一目惚れしたあの爽やかな笑顔を見せていた。
だが、吐き出す言葉はその笑顔に相応しくないもので
「貴族を狙う愚者を貴族が許すと思うのか? あいつらが大事にしているのは思いやりの心ではなく自分だ。慈悲など持ってはいない。そんな相手に訴えて助かると本気で思っているのか?」
ここは人口の八割が貴族であるノビリスだということを頭に置いていないオリヴィアにはわからない。貴族であれば王族に従うべきだと、それしか頭にないのだ。
「ティーナには罰を与えるだけで許してやったが、生きているだけでも恥を晒すことになっているだろうから生きているかさえもわからんが……」
「な、何をしたのです!?」
生きているだけで恥を晒すような出来事とは心臓の音がうるさい中、緊張を誤魔化すために声を張り上げて問いかけるオリヴィアにカイルはまだ爽やかな笑顔を向け続ける。
「アリスは長い髪が好きで毎日毎日大事にケアをしていたんだ。あの滑らかな指通りはアリスだけではなく俺も両親も好きだった。それをバッサリと切り落としやがって……」
オリヴィアに向けるのと変わらない感情がまだ続いているのか、思い出して再燃したのか、カイルの表情がまた無へと戻って冷たい声色へと戻るが、パッとすぐに明るく戻った。
「だから俺もアイツの髪を切ってやったんだ、これぐらいにな」
こめかみの横で手を揺らすカイルにまさかそのラインで切ったのか、とは聞けなかった。聞くまでもない。カイルの表情変わり方や楽しげな言い方から察することができる。
女の髪は長くなくてはならない。それは貴族なら絶対だ。女の命でもある髪をこめかみの長さに切るなど坊主よりも酷い。かといって自分で丸坊主にする勇気が女にあるはずもない。あまりにむごい仕打ちだと絶句する。
「そして頬にPの焼印を押してやった」
「P……」
王族であれば知らないはずがない。Pの焼印の意味を。
「か、髪を切っただけで犯罪者扱いなんて……!」
「犯罪だ。この国は武器の所持を禁止している」
「ハサミは武器ではないでしょう!?」
「人に向けた瞬間、それは武器と認識される」
「じゃああなたも犯罪者ではありませんか!」
叫んで訴えたオリヴィアにカイルは表情を変えずに「そうだ」と答えた。その声があまりにもハッキリと、そして真っ直ぐすぎるからオリヴィアは続けるはずの言葉を飲み込んだ。
「罪はバレなければ罪にはならない。裁かれることがないからな」
まるで何度も罪を犯したことがあるような言い方に心臓を握られている感覚に陥る。全身が冷たくなるような、凍りついて動けないような恐ろしい感覚。一度でも息を吐いたら魂を抜かれてしまうのではないかと全身の震えが大袈裟なほどオリヴィアを揺らす。
「でもお前は違う。綺麗なまま死なせてやるさ。人に注目されるのが好きなお前のために最高の舞台を用意してやるさ。絞首台という名の最高の舞台をな」
「いや……いやよ……わ、私、死にたくない!! どうして!? 妹は生きてるのにどうして私が死ななきゃいけないの!? どうして私がそんな目に遭わなきゃいけないの!? 死ぬなんて絶対に嫌よ!」
「お前の感情など知ったことか。お前が死ぬのはお前がアリスを殺そうとしたからだ。自分の愚かさを悔いながら死ぬんだな」
立ち上がったカイルにオリヴィアは腕の激痛も忘れて手を伸ばす。
「死にたくない!!」
カイルのズボンを掴もうとするもあと数センチ足りない。空振りを繰り返しながら何度も必死に訴えるが、カイルは笑みを作るのをやめてオリヴィアを見下ろす。
「事故に遭ったとき、アリスもそう思っただろうな。好きな相手に好きと伝えられないまま死ぬことを後悔し、恐怖した。俺にとってアリスはただの妹ではなく、この世で最も愛おしい存在だ。それを殺そうとした人間を罪を償わせるだけで釈放するはずないだろ。罪は地獄で償え」
「カイル様! お許しください! カイル様お願いです! 死にたくない! いやっ! いやぁぁあああああ!」
去っていくカイルの背中に向けた死に物狂いの懇願がカイルの感情を揺さぶることはなく、ドアを叩く音のあと、開場の音、開く音、そしてドアが閉まる音がした。それからはどんなに泣こうが叫ぼうが誰かがやってくることはなかった。パン一つどころか水さえ出ないまま三日が過ぎ、四日目にはオリヴィアのために用意された“最高の舞台”の上を歩いていた。
「……批判を浴びるぞ」
「もう既に受けているだろ」
「お前が、だ」
「ハッ、そんなものになんの意味がある」
ヴィンセルの右腕として雇われたときからコネだなんだと言われてきた。やり方が汚いことを何度議会で責められたかわからない。自分のやり方を変えるつもりがない以上はこれからもそれは変わらないことはカイルとて理解している。だから批判を浴びることなど怖くもなんともない。
「貴族が怒りを向けているのは一週間も経たずに死刑を実行する俺にではなく、貴族を襲撃させたオリヴィア・クインシーにだ」
「国がないんじゃ交流もないしな」
「そういうことだ」
一代で作り上げた国は一代で終わった。愚かな親に育てられた愚かな娘。王族との蜜を狙う貴族も国なき王女は守る価値もないと判断して見物しているだけ。
「俺は絞首なんて楽な逝かせ方じゃなくて火炙りにしてやりたかったんだがな」
「ノビリスは絞首刑一択だ」
「火炙りも追加してはどうだ?」
「魔女に狙われたらどうする」
「味方につければいいじゃないか」
呆れたように息を吐くもヴィンセルはカイルならやってしまいそうだと口元に小さな笑みを浮かべる。
「さあ、フィナーレだ」
貴族から投げかけられる罵詈雑言を受けながら必死に口を開けるのに舌がないオリヴィアは訴えたいことも言えずに死ぬ恐怖に泣き叫ぶ。
目の前に広がる大勢が駆けつけた景色は全て自分の死を見るために集まったものなのだと思うと言葉にならない感情を声として発し、それは断末魔のように空へと向かい、そしてオリヴィアの命の灯火が消えると共に声も消えた。
その瞬間、カイルはアリスへの脅威が消えたことで曇天の空の下で晴れ晴れとした気持ちを笑顔で表現しながら仕事へと戻っていった。
扉を開けるまでもなく聞こえる喚きにカイルは指の先まで冷えるのを感じた。恐怖ではなく怒りを通り越した静寂によるもの。心臓に通っているのは熱い血液などではなく冷えた血液なのではないかと思うほど、冷静だった。
しかし、その表情は冷静とは程遠く、地下牢の門番が慌てて目を逸らすほど冷たいもので、慌てて扉の鍵を開けてカイルを中へと通す。
一人の男の顔を見ただけで冷や汗が流れる不思議さに首を傾げながらも名前を呼ぶ勇気すらなかった門番はそっと扉を閉めて何かあったときのために鍵も一緒に閉めておいた。
「逃亡していたわりにはピーピー耳障りな声で喚けるほどの元気があるらしいな」
「カイル様──ギッ……ああぁぁあああああッ!」
ボロボロになった靴で何度も格子を蹴っていたオリヴィアに声をかけると怒った顔もどこへやら表情を明るめて格子の間からカイルへと伸ばす手を思いきり蹴り飛ばした。男でも間違いなく折れるだろう力を込めて蹴った手は骨が折れたことを確信させる見事な音を鳴らし、その痛みにオリヴィアは悲鳴を上げながら床の上をのたうち回る。
「折れただけだ。大袈裟に騒ぐな」
入り口にあった椅子を持って戻ってきたカイルが牢屋の前に置いて腰掛ける。長い足を組むだけで様になっている姿も今のオリヴィアにはそれに見惚れる余裕もない。
「な、なんでぇ……!」
「俺が意味もなく女の手首を折る男だと思っているのか? お前がアリスにしたことに比べればそんな痛みはないも同然だ」
オリヴィアの耳に届いているのはカイルとは思えないほど低い声で、そこに込められた明確な怒りに全身が粟立つ。やったことがバレているのは知っていたが、腐っても王族である自分にこんなことをするような人間とは想像もしていなかった。
「わ、私はあなたを呪縛から解き放とうと思っただけです!」
「呪縛?」
「あ、あなたは妹という呪縛に囚われているんです! だから私の魅力に気付かない! あなたが目を覚ますためには妹から離れないと……アアッ、痛い!」
折れた手首は固定できず、腕にぶら下がっているだけの状態が気持ち悪く、手首だけではなく腕や肩にまで痛みが走っているような感覚にオリヴィアは涙が止まらず牢屋の中でうずくまる。
必死に伝えればわかってくれるはずだと希望を胸に顔を上げるも、その希望はカイルが見せる表情によってすぐに打ち砕かれた。
「ああ……だから俺はお前のような空っぽな人間が嫌いなんだ。怒りよりも殺意が込み上げる……」
自分は正しいことをしたと本気で思っていることが救えないとカイルは長い足を組んだまま上にした足を数回前後に揺らして殺意を抑え込もうとしている。鍵を持っている門番を呼んで鍵を開けさせ、門番が持っている剣を抜いて首を斬り落とすところまで想像できている。
怒りを抑え込むときはいつもアリスの笑顔を思い出すようにしているが、オリヴィアを前にして思い出すのはアリスの笑顔ではなく馬車の中で折り畳まれて血を流していたアリスの顔だけ。死んでいるのではないかと恐怖しながら馬車から救い、死んでしまうのではないかとアリスが目を開けるまでずっと恐怖と戦っていた。寝食も忘れるほどの恐怖を抱えたのは初めてだった。
「わ、私はずっとあなたが好きでした! だから私を見てほしかったのにあなたは妹のために私をフった! 彼女さえいなければ──ヒッ!」
ずっと揺らしていた足を地面に叩きつけるように勢いよく下ろした音がオリヴィアを怯えさせ、門番を心配させる。
ノビリスでは罪人は裁判にかけて絞首刑がルール。いくら王子が許可を出していようとも地下牢での殺害が許されるはずはない。
黒幕がクインリーだとわかり、既に逃亡しているのがわかったとき、カイルは『必ず殺してやる』と言っていたのを他の兵士が聞いており、それは瞬く間に兵士たちの間に広まった。この門番も例外ではない。だから一人で会わせることは心配だが、あの目に逆らう勇気はなかった。
「アリスがいなくなれば俺がお前を見る? 脳みその代わりにお花畑でも詰め込んでるのか? 自分に都合の良い夢を見せてくれる甘い蜜ばっか製造してないで現実見ちゃどうだ?」
爽やかさが印象的な端正な顔立ちが台無しになるような冷たい表情で凄まれると声が出なくなってしまう。
「この俺が、カイル・ベンフィールドがお前のような小国のバカな王女を本気で好きになるとでも思っていたのか?」
「カイル、様……」
「夢の中で生きていたほうが楽だったろうに、空っぽの頭では善し悪しもわからないんだな。ティーナ・ベルフォルンと同じだ。立場も弁えず、妄想と現実の区別もつけられず自分のためにだけ生きることしかできない。本当に……腹が立つ……」
呟くように吐き出された重々しい言葉にオリヴィアが震える。目の前にいる相手は自分が知っている男ではない。自分が好いた男は爽やかで凛とした男。こんな殺人鬼のような目をした男ではなかった。それでも彼の口から発せられる自分の名が彼がカイル・ベンフィールドであることを証明している。
「アリスを罵倒するだけなら多少のことで済んだのになぁ」
彼が言う“多少”がどこまでを意味しているのかがわからない以上、その内容を聞くのは憚られ、オリヴィアはまだ口を開けない。
「殺そうとしなければ死なずに済んだものを」
「ッ!? どういう意味ですか!? まさか私を殺すと!?」
カイルは鼻で笑うことさえしなかった。嘲笑うことさえ馬鹿馬鹿しいともう一度足を組み直した。組んだ手を膝に当て、見下すように少し顎を上げてオリヴィアを見て告げる。
「お前は死刑だ」
「ど、どうして私が!?」
「人を殺そうとしておいてまさか自分は死刑にならないとでも思ったのか?」
「で、でも彼女は死んでいませんよね!?」
「結果が問題ではなく、行動が問題なんだ」
「わ、私は裁判にかけられるはず! そのときに貴族に意見を聞きます! 私は王族です! 貴族は私の味方になるはずですから!」
強気な意見にカイルは天井を見上げて大口を開け、声を上げないまま身体を震わせて笑う。その様子は不気味以外の何者でもなかったが、次第に漏れ始めた声はあっという間に地下牢全体に響き渡り、ヤケになって笑っているようにさえ聞こえるほどだった。
五分ほど笑い続けたあと、ゼンマイ式の玩具が止まったようにピタッと動きも笑い声も止めたカイルが一分ほどそのままでいる。そして顔を上げたときのカイルはオリヴィアが一目惚れしたあの爽やかな笑顔を見せていた。
だが、吐き出す言葉はその笑顔に相応しくないもので
「貴族を狙う愚者を貴族が許すと思うのか? あいつらが大事にしているのは思いやりの心ではなく自分だ。慈悲など持ってはいない。そんな相手に訴えて助かると本気で思っているのか?」
ここは人口の八割が貴族であるノビリスだということを頭に置いていないオリヴィアにはわからない。貴族であれば王族に従うべきだと、それしか頭にないのだ。
「ティーナには罰を与えるだけで許してやったが、生きているだけでも恥を晒すことになっているだろうから生きているかさえもわからんが……」
「な、何をしたのです!?」
生きているだけで恥を晒すような出来事とは心臓の音がうるさい中、緊張を誤魔化すために声を張り上げて問いかけるオリヴィアにカイルはまだ爽やかな笑顔を向け続ける。
「アリスは長い髪が好きで毎日毎日大事にケアをしていたんだ。あの滑らかな指通りはアリスだけではなく俺も両親も好きだった。それをバッサリと切り落としやがって……」
オリヴィアに向けるのと変わらない感情がまだ続いているのか、思い出して再燃したのか、カイルの表情がまた無へと戻って冷たい声色へと戻るが、パッとすぐに明るく戻った。
「だから俺もアイツの髪を切ってやったんだ、これぐらいにな」
こめかみの横で手を揺らすカイルにまさかそのラインで切ったのか、とは聞けなかった。聞くまでもない。カイルの表情変わり方や楽しげな言い方から察することができる。
女の髪は長くなくてはならない。それは貴族なら絶対だ。女の命でもある髪をこめかみの長さに切るなど坊主よりも酷い。かといって自分で丸坊主にする勇気が女にあるはずもない。あまりにむごい仕打ちだと絶句する。
「そして頬にPの焼印を押してやった」
「P……」
王族であれば知らないはずがない。Pの焼印の意味を。
「か、髪を切っただけで犯罪者扱いなんて……!」
「犯罪だ。この国は武器の所持を禁止している」
「ハサミは武器ではないでしょう!?」
「人に向けた瞬間、それは武器と認識される」
「じゃああなたも犯罪者ではありませんか!」
叫んで訴えたオリヴィアにカイルは表情を変えずに「そうだ」と答えた。その声があまりにもハッキリと、そして真っ直ぐすぎるからオリヴィアは続けるはずの言葉を飲み込んだ。
「罪はバレなければ罪にはならない。裁かれることがないからな」
まるで何度も罪を犯したことがあるような言い方に心臓を握られている感覚に陥る。全身が冷たくなるような、凍りついて動けないような恐ろしい感覚。一度でも息を吐いたら魂を抜かれてしまうのではないかと全身の震えが大袈裟なほどオリヴィアを揺らす。
「でもお前は違う。綺麗なまま死なせてやるさ。人に注目されるのが好きなお前のために最高の舞台を用意してやるさ。絞首台という名の最高の舞台をな」
「いや……いやよ……わ、私、死にたくない!! どうして!? 妹は生きてるのにどうして私が死ななきゃいけないの!? どうして私がそんな目に遭わなきゃいけないの!? 死ぬなんて絶対に嫌よ!」
「お前の感情など知ったことか。お前が死ぬのはお前がアリスを殺そうとしたからだ。自分の愚かさを悔いながら死ぬんだな」
立ち上がったカイルにオリヴィアは腕の激痛も忘れて手を伸ばす。
「死にたくない!!」
カイルのズボンを掴もうとするもあと数センチ足りない。空振りを繰り返しながら何度も必死に訴えるが、カイルは笑みを作るのをやめてオリヴィアを見下ろす。
「事故に遭ったとき、アリスもそう思っただろうな。好きな相手に好きと伝えられないまま死ぬことを後悔し、恐怖した。俺にとってアリスはただの妹ではなく、この世で最も愛おしい存在だ。それを殺そうとした人間を罪を償わせるだけで釈放するはずないだろ。罪は地獄で償え」
「カイル様! お許しください! カイル様お願いです! 死にたくない! いやっ! いやぁぁあああああ!」
去っていくカイルの背中に向けた死に物狂いの懇願がカイルの感情を揺さぶることはなく、ドアを叩く音のあと、開場の音、開く音、そしてドアが閉まる音がした。それからはどんなに泣こうが叫ぼうが誰かがやってくることはなかった。パン一つどころか水さえ出ないまま三日が過ぎ、四日目にはオリヴィアのために用意された“最高の舞台”の上を歩いていた。
「……批判を浴びるぞ」
「もう既に受けているだろ」
「お前が、だ」
「ハッ、そんなものになんの意味がある」
ヴィンセルの右腕として雇われたときからコネだなんだと言われてきた。やり方が汚いことを何度議会で責められたかわからない。自分のやり方を変えるつもりがない以上はこれからもそれは変わらないことはカイルとて理解している。だから批判を浴びることなど怖くもなんともない。
「貴族が怒りを向けているのは一週間も経たずに死刑を実行する俺にではなく、貴族を襲撃させたオリヴィア・クインシーにだ」
「国がないんじゃ交流もないしな」
「そういうことだ」
一代で作り上げた国は一代で終わった。愚かな親に育てられた愚かな娘。王族との蜜を狙う貴族も国なき王女は守る価値もないと判断して見物しているだけ。
「俺は絞首なんて楽な逝かせ方じゃなくて火炙りにしてやりたかったんだがな」
「ノビリスは絞首刑一択だ」
「火炙りも追加してはどうだ?」
「魔女に狙われたらどうする」
「味方につければいいじゃないか」
呆れたように息を吐くもヴィンセルはカイルならやってしまいそうだと口元に小さな笑みを浮かべる。
「さあ、フィナーレだ」
貴族から投げかけられる罵詈雑言を受けながら必死に口を開けるのに舌がないオリヴィアは訴えたいことも言えずに死ぬ恐怖に泣き叫ぶ。
目の前に広がる大勢が駆けつけた景色は全て自分の死を見るために集まったものなのだと思うと言葉にならない感情を声として発し、それは断末魔のように空へと向かい、そしてオリヴィアの命の灯火が消えると共に声も消えた。
その瞬間、カイルはアリスへの脅威が消えたことで曇天の空の下で晴れ晴れとした気持ちを笑顔で表現しながら仕事へと戻っていった。
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逆ハータグが付いているけれど、そこから連想されるほど甘い話でもなく、アリスが精神的に成長し自立していく物語で、その心根の移り変わりがとてもわかりやすく優しくそして厳しい、そんなお話かなと思いました。
誰とくっつくのか最後までわからずもだもだしましたが、アリスの恋はちゃんと始まっていて幸せそうな2人にほっこりしましたが、その他、ハズレたみなさまは果たしてどうするのかしらと大変不憫になりました(笑)みんな一癖も二癖もある野郎ばかりですしね…。
個人的に良かったのは、ティーナに与するアリス側の人間がいなかったこと。勝手に空回りして自滅してるけど、アリスが孤立したりせずにいたことが読み手として鬱屈しなくて良かったなぁと思いました。ヒロインドアマットにしなくても面白い作品は面白いんですよね。永江さんの作文力?文章力?が素晴らしいと思いました。
また他の作品も(完結したら…)読ませていただきたいと思います。ありがとうございました。
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何があっても守ってくれる兄がいて、我慢していれば離れない友人がいる環境は好ましくなくとも変わらない安心できるものだったアリスが恋や新たな友情によって自ら一歩踏み出し変わっていく物語でございました。途中、何が書きたいのかわからなくなって頓挫した作品ではございますが、アリスが動き出してくれたおかげで彼女の成長を書ききることができました。
王子はきっと親によって決められた結婚を嫌々ながらするのではないかと思います。それかアリスと同じように合う人と運命的出会いを果たして即結婚とかもありそうですね。兄は……まだまだ妹を見守っていくシスコンで生きていくのかなと(笑)
ドアマットヒロインも嫌いではないのですが、今までの不幸は全部この幸せのための試練だった!の結末に上手く持っていく自信も技量もないので少しの強さを持って前に一歩踏み出すヒロインを好んで書いています。
とーこ様にお楽しみいただけたのであれば幸いでございます。嬉しいお言葉の数々に感激しております。
また気が向いた時にでもふらりと足をお運びいだければ幸いです。
お読みいただきありがとうございました!
お疲れ様です(*^^*)やっぱりカイル大好きです🎵
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引き続きカイルを好きだと言ってくださいましてありがとうございます^^
お疲れ様です😌💓完結作品で読んでみたら、引き込まれました。カイル推しです!好きすぎて他の誰かと幸せになるなんて😣考えたくない。完結なのに完結してほしくない作品でした。ありがとうございます。
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カイルはちょっとサイコパス的な要素があるので好き嫌い分かれるキャラクターだとは思いますが、推していただけてとても嬉しいです^^
12月中に番外編としてカイルたちのその後についてアップさせていただきますので、もう暫くお待ちいただけますと幸いです^^
お読みいただきありがとうございました!