36 / 74
どこまでも
しおりを挟む
中園は朝からずっと計画を立てていた。
まず同僚に会ったら柊が婚約指輪をしていないことを話題に上げる。彼らはそれに同意するだろう。そしたら挨拶がてら本人に問いかける。あくまでも自然に、ふと気になったから問いかけた程度に、と。
「おはようございま……?」
今日に限って同僚と会うことがなかった。出鼻を挫かれたことに朝から気分が下がり、不機嫌な感情を表に出しながらデスクに鞄を置いたのだが、柊のデスク周りに瑠璃川達が集まっていることに気付いた。彼らの表情からして悪いことではないだろう。
「おはようございます。何話してるんですかぁ?」
「あ、いいとこに来た! これ見ろよ!」
「なんでお前が見せびらかすんだよ」
「だってすげー良い物じゃないッスか!」
「立花さん腕時計でも買ったんで……」
腕時計ならどんなによかっただろう。男に人気の腕時計ならリサーチ済みであるため大体のメーカーはわかる。興味はなくとも話を合わせるのは得意なため、彼らを押し除けて話ができたのに、中園の目に入ったのは腕ではなく指。しかもそれは薬指で光っていた。
「それって……」
「婚約指輪だ」
瑠璃川の口から聞く方がマシだった。柊の口から言われては否定できない事実であることは決定。昨夜、婚約指輪をしてないのはおかしいと寄った勢いで散々喚いた翌日にこれかと無慈悲な現実に心が打ち砕かれそうになる。
「俺らも話してたんですよ。立花さん婚約指輪しないなって」
「注文してたのがようやく届いたんだよ」
「うわー! やっぱそうかー! そうじゃないかって話も上がってたんスよ!」
「くだらない話してんな」
「いやいや、我らがボスが、あの遊び人の立花柊が結婚するかもしれないんですよ? ましてやあんな若い美人と! さすがすけこまし!」
「余計な言葉が多いんだよ」
「嬉しいんですって!」
心の底から祝福を捧げる瑠璃川を中園は冷めた目で見ている。婚約指輪がなければ偽装だと思えたのに嬉しそうに指輪を見せる柊を見ればそれが演技でないことは嫌というほどわかってしまう。
指輪は注文していたからしていなかっただけ。それが届いたからこうして会社にまでつけてきた。
瑠璃川が言った“結婚”というワードが現実となる日もそう遠くないかもしれない。
「結婚式はいつにするかとか予定立ててるんですか?」
「一生に一度のことだぞ。そんなすぐ予定立てるかよ。のんびり立てるつもりだ」
「やっぱ和風ですか?」
「どうだろうな。海外でもいいし、どっちもいいし」
「うわー! 絶対呼んでくださいよ! 海外でも行きますから!」
「旅費は自腹だからな」
「わかってますよ! 帰るまでに金髪美女をゲットして俺も海外で挙式とかワンチャンあるかもなー!」
「夢見るのは自由だからな」
談笑する雰囲気の中、話題を変える気にもならずスッと輪を外れた。自分が抜けたことに気付いてないのか、気付いているのに気にかけないのかわからないものの談笑し続ける彼らが気に食わない。
(立花さんがあの女と結婚なんて絶対許さない!)
立花との結婚式を何度想像したかわからない。狙って落ちない男はおらず、年下だろうと年上だろうと必ずゲットしてきた。遊び人なら尚更揺らぎやすいと思っていたが、根っからの遊び人であったが故に本気になりそうな気配もなく、共に過ごした夜も一度きり。おまけに『やっちまった』の後悔付き。それから向けられるのは意識した態度ではなく鬱陶しげな表情や呆れ顔。それでも諦めなかったのは柊が遊び人であるから。
(海外で挙式? 和風? どっちもあり? ふざけんなッ!)
自分のデスクに戻ってパソコンの起動を待っている間、自分の理想とする二回に分けた結婚式を椿が柊と挙げる可能性があることが既に許せない。
握った拳をデスクに叩きつけると全員が注目するも誰も声はかけない。
『あなたみたいに?』
そう言い放ったあの女が清楚な淑女であるはずがない。あの女は背を向けて舌を出すタイプに決まっている。遊びを知らない女のフリをして擦り寄っただけ。柊は騙されているのだ。
目を覚まさせてやるべきだと意気込んだ中園は起動した画面を見てさっそくスケジュールを確認し始めた。
「あるじゃん。良いイベントが」
さっきまでの鬼の形相が嘘のように柔らかくなり、ニッコリ笑う。それを遠くから見ていた瑠璃川は嫌な予感がしていた。
最近の中園は暴言が過ぎる。女の嫉妬は怖いと言うが、妄言による暴走が一番厄介なもので、ここまで結果が出ていたら諦めるはずなのにそう思えない表情に見えてしまう。
溺愛しているように見えたため心配ないとは思うが、嫌な予感を自分の中でだけ留めておくより言った方がいいだろうと少し身を屈めて声を潜めた。
「立花さん、気をつけてくださいね。中園の奴、たぶんですけど諦めてないと思うんで」
「婚約者がいるのに諦めないとかあんのかよ」
「普通は諦めますよ。でもなんつーか、中園は立花さんに恋してるっていうより執着に近い気がするんスよ。だから諦めないっていうか」
「ストーカーの心理的な?」
「言い方悪いですけどそうッスね」
柊も感じていないわけではなかった。いつもなら何を言っても甘えてくる構ってちゃんが最近はどこかおかしい。それも全て椿が現れてから……というより椿と対面してからだ。
酒に酔った勢いで何も考えず抱いてしまってからは確かに恋心というより執着に近いものを感じていた。
今回、こうして婚約指輪を見せれば諦めると思っていたのだが、中園は柊の予想と違って大した反応は見せなかった。ただ黙って見ていただけ。ショックを受けた顔はしていたが、それでも「やだぁ!」と子供のように駄々をこねるでもなく、上辺だけの祝福をするでもなくデスクに戻った。
チラッと様子を伺い見るとこちらを気にしている素振りはなく、真面目に仕事をしているように見える。
「気をつけるわ」
椿にさえ手を出されなければそれでいい。
こんな婚約指輪にどこまで効力があるかはわからない。早まった可能性さえある。でも朝起きて朝食を準備する手に、向かい合って食べる手に、玄関でネクタイのチェックをしてくれる手に同じ指輪が光っているのは嬉しかった。
家出中のご令嬢。いつか迎えが来る。そして手の届かない場所へと帰ってしまう。
「かぐや姫かよ」
「あ、笑った! 何思い出して笑ってんスか?」
「なんでもねぇよ」
「スケベー!」
「男は皆そうだろ。オラ、仕事仕事」
笑えるようなことではない。いつか、この指輪のもう一人の所有者がいなくなって指輪だけが家に置かれる日が来るだろう。起こすあの優しい声も、美味すぎる朝食も、メモ付きの昼食も、癒しの夜食も何もかも失われてしまう。
守りたいのに守ることを許さない椿にあと何をしてやれるだろうと考えても何一つ浮かばない。
年末年始を神事のように大切にしている皇家当主がこのまま孫を放置しておくだろうか。娘を失い、息子は縁を切り、唯一残った孫は家出。なぜそれだけのことを経験しておきながら自分の間違いに気付かないのか。なぜ時代錯誤であることを認めようとしないのか。柊にはそれがわからない。
きっと一生わからないのだろう。娘がどれほど切実に訴えようと、息子が呆れ果て縁を切ろうと、孫が家出をしようと皇家に囚われている現当主が変わることはない。そんな気がしていた。
椿の母親は娘に自分と同じ道は歩ませたくなかった。自由に選択肢を与えたかった。世界を見て、レールのない道を歩いて、岐路に立っても指示は出さない。我が子が自分で道を決めるまで見守る。そうしたかったはずだ。
でも残してしまった。悔やんでも悔やみきれないだろう彼らが成仏しているとは思えない。心配で心配で離れることもできず見守っているかもしれない。当然だ。自分達が死んでしまったせいで娘に残された道はたった一つになった。誰がそれを喜ぶのか。最も嫌悪していた、危惧していた最悪の結末を迎えるかもしれないのだ。
だから柊は彼らを安心させるためにも椿を守りたいと思うのに拒まれてしまった。互いに想い合っているのに許されない壁があって、逃げようと伸ばした手を掴まない椿はきっと望まない人生を歩む覚悟ができてしまっている。巻き込まないようにと考えていることは明らか。それを柊が望んでいないと知っても椿はそれ以外の道は選ばない。最愛の人の手を取って逃げるという道が残っていたとしても。
「頑固だからな」
左手薬指にはまっている指輪を見つめながら左右に動かしながら浮かべるのは苦笑。
年末年始、恐れているのは柊も同じ。それでも互いに言葉にはせず、年末年始を一緒に過ごすつもりで準備を進めていた。
まず同僚に会ったら柊が婚約指輪をしていないことを話題に上げる。彼らはそれに同意するだろう。そしたら挨拶がてら本人に問いかける。あくまでも自然に、ふと気になったから問いかけた程度に、と。
「おはようございま……?」
今日に限って同僚と会うことがなかった。出鼻を挫かれたことに朝から気分が下がり、不機嫌な感情を表に出しながらデスクに鞄を置いたのだが、柊のデスク周りに瑠璃川達が集まっていることに気付いた。彼らの表情からして悪いことではないだろう。
「おはようございます。何話してるんですかぁ?」
「あ、いいとこに来た! これ見ろよ!」
「なんでお前が見せびらかすんだよ」
「だってすげー良い物じゃないッスか!」
「立花さん腕時計でも買ったんで……」
腕時計ならどんなによかっただろう。男に人気の腕時計ならリサーチ済みであるため大体のメーカーはわかる。興味はなくとも話を合わせるのは得意なため、彼らを押し除けて話ができたのに、中園の目に入ったのは腕ではなく指。しかもそれは薬指で光っていた。
「それって……」
「婚約指輪だ」
瑠璃川の口から聞く方がマシだった。柊の口から言われては否定できない事実であることは決定。昨夜、婚約指輪をしてないのはおかしいと寄った勢いで散々喚いた翌日にこれかと無慈悲な現実に心が打ち砕かれそうになる。
「俺らも話してたんですよ。立花さん婚約指輪しないなって」
「注文してたのがようやく届いたんだよ」
「うわー! やっぱそうかー! そうじゃないかって話も上がってたんスよ!」
「くだらない話してんな」
「いやいや、我らがボスが、あの遊び人の立花柊が結婚するかもしれないんですよ? ましてやあんな若い美人と! さすがすけこまし!」
「余計な言葉が多いんだよ」
「嬉しいんですって!」
心の底から祝福を捧げる瑠璃川を中園は冷めた目で見ている。婚約指輪がなければ偽装だと思えたのに嬉しそうに指輪を見せる柊を見ればそれが演技でないことは嫌というほどわかってしまう。
指輪は注文していたからしていなかっただけ。それが届いたからこうして会社にまでつけてきた。
瑠璃川が言った“結婚”というワードが現実となる日もそう遠くないかもしれない。
「結婚式はいつにするかとか予定立ててるんですか?」
「一生に一度のことだぞ。そんなすぐ予定立てるかよ。のんびり立てるつもりだ」
「やっぱ和風ですか?」
「どうだろうな。海外でもいいし、どっちもいいし」
「うわー! 絶対呼んでくださいよ! 海外でも行きますから!」
「旅費は自腹だからな」
「わかってますよ! 帰るまでに金髪美女をゲットして俺も海外で挙式とかワンチャンあるかもなー!」
「夢見るのは自由だからな」
談笑する雰囲気の中、話題を変える気にもならずスッと輪を外れた。自分が抜けたことに気付いてないのか、気付いているのに気にかけないのかわからないものの談笑し続ける彼らが気に食わない。
(立花さんがあの女と結婚なんて絶対許さない!)
立花との結婚式を何度想像したかわからない。狙って落ちない男はおらず、年下だろうと年上だろうと必ずゲットしてきた。遊び人なら尚更揺らぎやすいと思っていたが、根っからの遊び人であったが故に本気になりそうな気配もなく、共に過ごした夜も一度きり。おまけに『やっちまった』の後悔付き。それから向けられるのは意識した態度ではなく鬱陶しげな表情や呆れ顔。それでも諦めなかったのは柊が遊び人であるから。
(海外で挙式? 和風? どっちもあり? ふざけんなッ!)
自分のデスクに戻ってパソコンの起動を待っている間、自分の理想とする二回に分けた結婚式を椿が柊と挙げる可能性があることが既に許せない。
握った拳をデスクに叩きつけると全員が注目するも誰も声はかけない。
『あなたみたいに?』
そう言い放ったあの女が清楚な淑女であるはずがない。あの女は背を向けて舌を出すタイプに決まっている。遊びを知らない女のフリをして擦り寄っただけ。柊は騙されているのだ。
目を覚まさせてやるべきだと意気込んだ中園は起動した画面を見てさっそくスケジュールを確認し始めた。
「あるじゃん。良いイベントが」
さっきまでの鬼の形相が嘘のように柔らかくなり、ニッコリ笑う。それを遠くから見ていた瑠璃川は嫌な予感がしていた。
最近の中園は暴言が過ぎる。女の嫉妬は怖いと言うが、妄言による暴走が一番厄介なもので、ここまで結果が出ていたら諦めるはずなのにそう思えない表情に見えてしまう。
溺愛しているように見えたため心配ないとは思うが、嫌な予感を自分の中でだけ留めておくより言った方がいいだろうと少し身を屈めて声を潜めた。
「立花さん、気をつけてくださいね。中園の奴、たぶんですけど諦めてないと思うんで」
「婚約者がいるのに諦めないとかあんのかよ」
「普通は諦めますよ。でもなんつーか、中園は立花さんに恋してるっていうより執着に近い気がするんスよ。だから諦めないっていうか」
「ストーカーの心理的な?」
「言い方悪いですけどそうッスね」
柊も感じていないわけではなかった。いつもなら何を言っても甘えてくる構ってちゃんが最近はどこかおかしい。それも全て椿が現れてから……というより椿と対面してからだ。
酒に酔った勢いで何も考えず抱いてしまってからは確かに恋心というより執着に近いものを感じていた。
今回、こうして婚約指輪を見せれば諦めると思っていたのだが、中園は柊の予想と違って大した反応は見せなかった。ただ黙って見ていただけ。ショックを受けた顔はしていたが、それでも「やだぁ!」と子供のように駄々をこねるでもなく、上辺だけの祝福をするでもなくデスクに戻った。
チラッと様子を伺い見るとこちらを気にしている素振りはなく、真面目に仕事をしているように見える。
「気をつけるわ」
椿にさえ手を出されなければそれでいい。
こんな婚約指輪にどこまで効力があるかはわからない。早まった可能性さえある。でも朝起きて朝食を準備する手に、向かい合って食べる手に、玄関でネクタイのチェックをしてくれる手に同じ指輪が光っているのは嬉しかった。
家出中のご令嬢。いつか迎えが来る。そして手の届かない場所へと帰ってしまう。
「かぐや姫かよ」
「あ、笑った! 何思い出して笑ってんスか?」
「なんでもねぇよ」
「スケベー!」
「男は皆そうだろ。オラ、仕事仕事」
笑えるようなことではない。いつか、この指輪のもう一人の所有者がいなくなって指輪だけが家に置かれる日が来るだろう。起こすあの優しい声も、美味すぎる朝食も、メモ付きの昼食も、癒しの夜食も何もかも失われてしまう。
守りたいのに守ることを許さない椿にあと何をしてやれるだろうと考えても何一つ浮かばない。
年末年始を神事のように大切にしている皇家当主がこのまま孫を放置しておくだろうか。娘を失い、息子は縁を切り、唯一残った孫は家出。なぜそれだけのことを経験しておきながら自分の間違いに気付かないのか。なぜ時代錯誤であることを認めようとしないのか。柊にはそれがわからない。
きっと一生わからないのだろう。娘がどれほど切実に訴えようと、息子が呆れ果て縁を切ろうと、孫が家出をしようと皇家に囚われている現当主が変わることはない。そんな気がしていた。
椿の母親は娘に自分と同じ道は歩ませたくなかった。自由に選択肢を与えたかった。世界を見て、レールのない道を歩いて、岐路に立っても指示は出さない。我が子が自分で道を決めるまで見守る。そうしたかったはずだ。
でも残してしまった。悔やんでも悔やみきれないだろう彼らが成仏しているとは思えない。心配で心配で離れることもできず見守っているかもしれない。当然だ。自分達が死んでしまったせいで娘に残された道はたった一つになった。誰がそれを喜ぶのか。最も嫌悪していた、危惧していた最悪の結末を迎えるかもしれないのだ。
だから柊は彼らを安心させるためにも椿を守りたいと思うのに拒まれてしまった。互いに想い合っているのに許されない壁があって、逃げようと伸ばした手を掴まない椿はきっと望まない人生を歩む覚悟ができてしまっている。巻き込まないようにと考えていることは明らか。それを柊が望んでいないと知っても椿はそれ以外の道は選ばない。最愛の人の手を取って逃げるという道が残っていたとしても。
「頑固だからな」
左手薬指にはまっている指輪を見つめながら左右に動かしながら浮かべるのは苦笑。
年末年始、恐れているのは柊も同じ。それでも互いに言葉にはせず、年末年始を一緒に過ごすつもりで準備を進めていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
44
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる