冬に出会って春に恋して

永江寧々

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 客船が出航して一時間が経っても動かない者がいた。

「行ってしまわれましたなぁ」
「それ何度目ですか」
「山井もジジイだからな」

 山井と悠二と冬夜の三人はそこから見える水平線を見つめたまま会話する。

「お二人を巻き込んでしまいました事、お詫び申し上げます」
「やめろよ。年寄りに頭下げさせてる男にはなりたくねぇぞ」
「俺はむしろ感謝してますよ。俺、後悔ばかりで何もしてやれなかった。余計なお世話を親友気取りでやって、傷つけて、泣いて詫びただけ。でも山井さんのおかげで少しだけ救われました」

 ずっと後悔し続けていた悠二にとって山井からの連絡はありがたかった。きっと仕事はクビになるだろう。でも後悔はない。親友のためにした事は親友を苦しめるだけになり、泣いて詫びる事しかできなかった自分をずっと恥じていたから。それが今日、少しだけ晴れた気持ちになれた。

「お仕事のほうは大丈夫ですか?」
「仕事なんて左右見渡せば山のようにありますから。でも親友は一人しかいない。仕事は失っても次がある。親友はそうじゃない。だから後悔してませんよ」
「そう言っていただけると私も救われます」

 悠二にとって柊から頼まれたのも決断した理由の一つ。二つ返事で承諾した。柊の決断には驚いたが、それでも今度は応援しようと、味方しようと決めていたから迷いはなかった。また頼ってもらえた。それだけで涙が出るほど嬉しかった。

「俺も女遊びやめようかな」

 今日は偶然にも休みだった。だから皇家に一人で車を走らせる事ができた。天が味方しているとはこういう事だろうかとその存在を信じたくなる程にはツイていた。でも結局はバレる。ポケットに入れていたスマホが鳴り、画面には【社長】の文字。これがお気に入りの女の子ならどんなにいいか。

「お出にならなくてもよろしいのですか?」
「やーめた」
「おっ」

 そのまま電源を切って海へと放り投げた。チャポンと軽い音で終わった悠二の人生に冬夜が面白そうに笑う。

「女遊びもやめて会社も辞めるってか。大胆すぎやしないか?」
「だって同じレベルにいた柊が今じゃ手が届かないとこまで行ってるんですよ。愛した女のために全部捨てるってどんな感じか知りたくなりません?」

 三人揃って独身。誰もまだ本物の愛を知らない。
 
「男は三十から勝負ですからね」
「それ言う奴って地雷だろ」
「え!?」
「勝負できる三十代は二十代をちゃんと生きてきた奴だからな。培ってきたモノがねぇのに勝負も何もねぇだろ」
「魅力は三十代で蓄えて四十代で放出するみたいな事も言うじゃないですか」
「魅力の蓄え方どころか魅力が何かもわかってねぇ男しか口にしねぇ言葉だぞ」

 言い返したいが、冬夜が放つ色気は明らかに三十代のものではない。雄という表現が似合う風貌と声色は悠二よりもずっと上で、それほど歳は変わらないのにと思うとこれが蓄えてきたものかと納得できた。

「お前、何が得意だ?」
「なんでも得意ですよ。マーケティングも営業も企画も。自分で言うのもなんだけど、結構器量が良いほうなんです。なので──」
「うちで働くか?」

 思いも寄らない提案に目を瞬かせるも返事にそれほど時間はかからなかった。笑顔で頷く悠二に笑顔を返した冬夜が二人の肩を抱く。

「給料分はしっかり働けよ」
「山井さんも!?」
「お世話になる予定でございます」

 よろしくと頭を下げる山井に大笑いしては清々しい気持ちでまた海を見た。

「でもよく手配できましたね」
「本物の偶然だ。たまたま寄港してるって連絡受けてたもんだから飲んだ際に山井から聞いてた事を話してな。出してやりてぇってダメ元で持ち掛けたら協力してやるって言ってくれたんだ」
「どこ繋がり?」
「自分で言うのもなんだが、横の繋がりが広ぇほうなのよ」

 客船の船長として寄港していた友人が協力者として申し出てくれたのはラッキーだった。偶然が重なった出来事に冬夜も感謝していた。

「パスポート、よく用意してたな」
「時代のおかげで椿様は既に成人扱い。私の場合は悪い使い方ですが、ツテがございましたので葵様にバレずに用意する事ができました」
「伊達に歳くってねえってことか」

 椿が誕生日を迎えたその日に山井はパスポートの申請に行っていた。本来なら本人が受け取りに行かなければならない物を古い友人に頼んで受け取らせてもらった。皇家の事情を知っている相手であったため説得は容易だった。
 これで問題なく国外へと出られる。出てしまえば皇の力など無いも同然。どこに行くか知っているのは冬夜と山井だけ。この二人は尋問を受けようと話す事しないためバレる事はない。

「しかし、椿もやりやがったな」
「出会ってしまったのです。運命の相手に」
「あそこまでするのが運命かね」

 痩せ細った椿は自分では歩けず、身体が上手く機能していない事に驚いた。話は聞いていたが、実際に見た様子は去年会った人物とは思えないほど変わり果てていた。
 運命の相手を守るために命まで賭す事をロマンチックとは思えない冬夜の表情は険しいものだった。それでも柊が優しく声をかけ、それに椿が薄くとも笑みを浮かべていたから何も言わなかった。言えなかった。その身一つで姪のために外へ出ようとしている男に何を言えるのか。皇の家に姪一人置きっぱなしにした自分が言える事などあるはずがないのだから。
 むしろ感謝しなければならなかった。ありがとうと。よろしく頼むと。それさえ言えなかった。外に出た事がない椿を、今のあの状態で外に出していいものか迷った。客船の中は医者もいればシェフもいる。これから治っていくのに問題はない。皇家にいるよりずっと早い回復が望める。でも、問題はその先だ。見知らぬ土地で二人、どうやって生きていくのか。
 まだ椿は十八歳。厳しい現実が待っているのは間違いない。そう思うと何も言葉が出てこなかった。片手を上げて見送っただけ。
 冬夜の思いも悠二と同じ。何もしてやれなかった。してやらなかった。あの男と一緒に買い物に来て嬉しそうに笑う椿を見たらもっとしてやりたくなってもおかしくなかったのに、過去に警戒して物を与えて終わった。苦しみもがいていた姪を救えたというのは所詮結果論でしかない。自分はできる事があったというだけ。
 情けない男だと苦笑も浮かんでこない。

「俺もそんな出会いしたいなー」
「お前はまず魅力磨くとこからだろ。いや、探すとこからか」
「これでもモテるんですよ!?」
「金と酒が目当ての女以外からモテた経験は?」

 ない。寄ってくるのはいつもそういった職業の女性ばかり。働いていて言い寄られた経験はない。前の会社には柊がいて、今の会社には鳳がいた。オマケのような存在は視界の端にあってもモザイクがかかっていただろう。

「ま、次に会えた時に恥じない男程度にはなってようや」
「そうですね。まだ約束果たしてないし」

 また飲みに行こうと約束した。あそこで突き放さなかったのは柊の優しさだ。謝る友人を罵倒して殴る事もできたのにしなかった。次会えるのがいつになるかはわからない。連絡が来るかもわからない。でも、もし次会えたらイイ男になったと言わせるぐらいの男になりたいと三十超えて初めてそう思った。

「山井も結婚ぐらいしちゃどうだ?」
「私は生涯独身を決めておりますので」
「頑固だよな。初恋のせいだっけ?」
「叶わなかった初恋を未だに忘れられず女々しく想い続ける男に誰が愛されたいと思うでしょう。そんな男に女性を愛する権利などあろうはずもなく」
「漢だなぁ」

 積み上げてきた物全てを投げ捨ててでも手に入れたいたった一つの物を掴んだ男がいるように。初恋を忘れられないからと生涯独身を貫くと決めた男がいるように。面倒なしがらみから逃げ出した男がいるように。何者にもなれていない男がいるように──誰を、何を目指すべきかと同じ場所に立ちながら各々考える。
 全く違う人生を生きてきた男達には共通点があった。
 大切な人を見送る者という立場であること。
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