冬に出会って春に恋して

永江寧々

文字の大きさ
73 / 74

見送る者

しおりを挟む
 客船が出航して一時間が経っても動かない者がいた。

「行ってしまわれましたなぁ」
「それ何度目ですか」
「山井もジジイだからな」

 山井と悠二と冬夜の三人はそこから見える水平線を見つめたまま会話する。

「お二人を巻き込んでしまいました事、お詫び申し上げます」
「やめろよ。年寄りに頭下げさせてる男にはなりたくねぇぞ」
「俺はむしろ感謝してますよ。俺、後悔ばかりで何もしてやれなかった。余計なお世話を親友気取りでやって、傷つけて、泣いて詫びただけ。でも山井さんのおかげで少しだけ救われました」

 ずっと後悔し続けていた悠二にとって山井からの連絡はありがたかった。きっと仕事はクビになるだろう。でも後悔はない。親友のためにした事は親友を苦しめるだけになり、泣いて詫びる事しかできなかった自分をずっと恥じていたから。それが今日、少しだけ晴れた気持ちになれた。

「お仕事のほうは大丈夫ですか?」
「仕事なんて左右見渡せば山のようにありますから。でも親友は一人しかいない。仕事は失っても次がある。親友はそうじゃない。だから後悔してませんよ」
「そう言っていただけると私も救われます」

 悠二にとって柊から頼まれたのも決断した理由の一つ。二つ返事で承諾した。柊の決断には驚いたが、それでも今度は応援しようと、味方しようと決めていたから迷いはなかった。また頼ってもらえた。それだけで涙が出るほど嬉しかった。

「俺も女遊びやめようかな」

 今日は偶然にも休みだった。だから皇家に一人で車を走らせる事ができた。天が味方しているとはこういう事だろうかとその存在を信じたくなる程にはツイていた。でも結局はバレる。ポケットに入れていたスマホが鳴り、画面には【社長】の文字。これがお気に入りの女の子ならどんなにいいか。

「お出にならなくてもよろしいのですか?」
「やーめた」
「おっ」

 そのまま電源を切って海へと放り投げた。チャポンと軽い音で終わった悠二の人生に冬夜が面白そうに笑う。

「女遊びもやめて会社も辞めるってか。大胆すぎやしないか?」
「だって同じレベルにいた柊が今じゃ手が届かないとこまで行ってるんですよ。愛した女のために全部捨てるってどんな感じか知りたくなりません?」

 三人揃って独身。誰もまだ本物の愛を知らない。
 
「男は三十から勝負ですからね」
「それ言う奴って地雷だろ」
「え!?」
「勝負できる三十代は二十代をちゃんと生きてきた奴だからな。培ってきたモノがねぇのに勝負も何もねぇだろ」
「魅力は三十代で蓄えて四十代で放出するみたいな事も言うじゃないですか」
「魅力の蓄え方どころか魅力が何かもわかってねぇ男しか口にしねぇ言葉だぞ」

 言い返したいが、冬夜が放つ色気は明らかに三十代のものではない。雄という表現が似合う風貌と声色は悠二よりもずっと上で、それほど歳は変わらないのにと思うとこれが蓄えてきたものかと納得できた。

「お前、何が得意だ?」
「なんでも得意ですよ。マーケティングも営業も企画も。自分で言うのもなんだけど、結構器量が良いほうなんです。なので──」
「うちで働くか?」

 思いも寄らない提案に目を瞬かせるも返事にそれほど時間はかからなかった。笑顔で頷く悠二に笑顔を返した冬夜が二人の肩を抱く。

「給料分はしっかり働けよ」
「山井さんも!?」
「お世話になる予定でございます」

 よろしくと頭を下げる山井に大笑いしては清々しい気持ちでまた海を見た。

「でもよく手配できましたね」
「本物の偶然だ。たまたま寄港してるって連絡受けてたもんだから飲んだ際に山井から聞いてた事を話してな。出してやりてぇってダメ元で持ち掛けたら協力してやるって言ってくれたんだ」
「どこ繋がり?」
「自分で言うのもなんだが、横の繋がりが広ぇほうなのよ」

 客船の船長として寄港していた友人が協力者として申し出てくれたのはラッキーだった。偶然が重なった出来事に冬夜も感謝していた。

「パスポート、よく用意してたな」
「時代のおかげで椿様は既に成人扱い。私の場合は悪い使い方ですが、ツテがございましたので葵様にバレずに用意する事ができました」
「伊達に歳くってねえってことか」

 椿が誕生日を迎えたその日に山井はパスポートの申請に行っていた。本来なら本人が受け取りに行かなければならない物を古い友人に頼んで受け取らせてもらった。皇家の事情を知っている相手であったため説得は容易だった。
 これで問題なく国外へと出られる。出てしまえば皇の力など無いも同然。どこに行くか知っているのは冬夜と山井だけ。この二人は尋問を受けようと話す事しないためバレる事はない。

「しかし、椿もやりやがったな」
「出会ってしまったのです。運命の相手に」
「あそこまでするのが運命かね」

 痩せ細った椿は自分では歩けず、身体が上手く機能していない事に驚いた。話は聞いていたが、実際に見た様子は去年会った人物とは思えないほど変わり果てていた。
 運命の相手を守るために命まで賭す事をロマンチックとは思えない冬夜の表情は険しいものだった。それでも柊が優しく声をかけ、それに椿が薄くとも笑みを浮かべていたから何も言わなかった。言えなかった。その身一つで姪のために外へ出ようとしている男に何を言えるのか。皇の家に姪一人置きっぱなしにした自分が言える事などあるはずがないのだから。
 むしろ感謝しなければならなかった。ありがとうと。よろしく頼むと。それさえ言えなかった。外に出た事がない椿を、今のあの状態で外に出していいものか迷った。客船の中は医者もいればシェフもいる。これから治っていくのに問題はない。皇家にいるよりずっと早い回復が望める。でも、問題はその先だ。見知らぬ土地で二人、どうやって生きていくのか。
 まだ椿は十八歳。厳しい現実が待っているのは間違いない。そう思うと何も言葉が出てこなかった。片手を上げて見送っただけ。
 冬夜の思いも悠二と同じ。何もしてやれなかった。してやらなかった。あの男と一緒に買い物に来て嬉しそうに笑う椿を見たらもっとしてやりたくなってもおかしくなかったのに、過去に警戒して物を与えて終わった。苦しみもがいていた姪を救えたというのは所詮結果論でしかない。自分はできる事があったというだけ。
 情けない男だと苦笑も浮かんでこない。

「俺もそんな出会いしたいなー」
「お前はまず魅力磨くとこからだろ。いや、探すとこからか」
「これでもモテるんですよ!?」
「金と酒が目当ての女以外からモテた経験は?」

 ない。寄ってくるのはいつもそういった職業の女性ばかり。働いていて言い寄られた経験はない。前の会社には柊がいて、今の会社には鳳がいた。オマケのような存在は視界の端にあってもモザイクがかかっていただろう。

「ま、次に会えた時に恥じない男程度にはなってようや」
「そうですね。まだ約束果たしてないし」

 また飲みに行こうと約束した。あそこで突き放さなかったのは柊の優しさだ。謝る友人を罵倒して殴る事もできたのにしなかった。次会えるのがいつになるかはわからない。連絡が来るかもわからない。でも、もし次会えたらイイ男になったと言わせるぐらいの男になりたいと三十超えて初めてそう思った。

「山井も結婚ぐらいしちゃどうだ?」
「私は生涯独身を決めておりますので」
「頑固だよな。初恋のせいだっけ?」
「叶わなかった初恋を未だに忘れられず女々しく想い続ける男に誰が愛されたいと思うでしょう。そんな男に女性を愛する権利などあろうはずもなく」
「漢だなぁ」

 積み上げてきた物全てを投げ捨ててでも手に入れたいたった一つの物を掴んだ男がいるように。初恋を忘れられないからと生涯独身を貫くと決めた男がいるように。面倒なしがらみから逃げ出した男がいるように。何者にもなれていない男がいるように──誰を、何を目指すべきかと同じ場所に立ちながら各々考える。
 全く違う人生を生きてきた男達には共通点があった。
 大切な人を見送る者という立場であること。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...