白に焦がれる紅き誓い

永江寧々

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言い方一つ

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紫雫楼ししつろうを破壊しようとしたのは猛虎邪蛇メンフーシエシェだけど、彼らは紫雫楼に個人的な恨みがあって攻撃したわけじゃない。チョウから依頼を受けたから動いたんだ。張が何故奴らに依頼したかというと紫雫楼で働く香姫こうきに恥をかかされたから。怒らせたのは誰だっけ?」
「……私です」
「だよね。君が客を怒らせなきゃ張が奴らに依頼することはなかった」
「ちょっと待ってよ!」

 瑞成の責めが始まったことに芳蘭ホウランが待ったをかけた。

「ねえ、張はお客様は神様だって怒鳴りつけて杏儿シンアルを殴ろうとしたのよ。そんな人間を紫雫楼では客と認めない。」
「でも彼は実際、此処に金を落とした。それもあの日は結構な額を使っていたよね?」
「大金払ったら香姫に手を上げてもいいっていうの?」
「手を上げようとしたのは杏儿が怒らせたからだよ」
「どうして杏儿が相手を怒らせたか、あなたも理由は知ってるでしょ?」
「確かにお客様は神様じゃないけどさぁ、自分が腹が立ったからって怒らせていい相手でもない。怒らせずに帰らせる方法もあったはずだ」

 口を閉じるも不満げな顔をする芳蘭から杏儿へと視線を移して再度問いかけた。

「紫雫楼は高級娼館で、紳士的な人間が集まる場所だ。でも酔っ払いがいないわけじゃない。商談が上手くいったり、良い出来事に上機嫌になって酒を飲みすぎることもある。面倒な客に成り下がることがある彼らを君たちは受け入れてる。逆も然りじゃない? 相手の機嫌が悪くて八つ当たりを受けたとしても君たちは上手く宥める。心の中で知らねぇよって言いながらもね。違う?」

 杏儿からの返事はない。

「杏儿はさ、入って数日の新人じゃない。もう十年も香姫として働いてる。それなのに自分を抑えきれずに相手を怒らせた。その結果、紫雫楼を巻き込んだ」
「わかっています……」
「原因は君の雪儿シュエアルへの過保護さにある」
「はい……」
「ちょっと!」

 新しいお茶を淹れて戻ってきた雪儿が頬を膨らませ、怒った顔で瑞成を見ている。

「そんな言い方でジエちゃん責めんといて」
「雪儿、これは大事なことなんだよ」
「姐ちゃん反省しとるもん」
「反省ってのはさ、その場限りじゃ意味がないんだよ」
「その場限りやない」
「そう? 俺にはそうは思えないね。杏儿は君のことになるとどうにも感情を抑えきれなくなる傾向にある。自分が抑えていればと後悔し反省しているなら香姫相手にだってさっきみたいな言い方はしないはずだ。言葉っていうのは数えきれないほどあるんだから何をどう選ぶかはその人間の性質を表す。優しく注意することもできたのに杏儿はわざわざ強い言い方を選んだ」
「それは姐ちゃんも悪いけど、雪儿のためを思って──」

 違うとかぶりを振る。

「妹のためって言葉を盾にすれば何を言っていいわけじゃない。姉として腹が立つことだとしても、どうするかは妹が選ぶことだ。拒否できない間柄じゃないんだから尚更ね。杏儿のあの言い方は俺にはあの出来事から何も学ばず、反省もしていないように感じた」
「すみません」
「謝ってほしいわけじゃない。俺は君に反省してほしいだけだよ。ちゃんとした反省をね」

 反省したと言いながら似たようなことを繰り返すのを見て反省していると受け取る人間は少ないだろう。反省はした。でも変わりはしない、というのは通用しない。瑞成の世界では死を意味する。此処はマフィアのアジトではないためそこまで口にはしないが、杏儿が気に入らない気持ちはあった。
 次はないと無言の圧をかける瑞成に香姫たちは黙っていたが、雪儿は口を開いた。

「言い方キツい」
「確かに言い方はキツいかもしれないけど、厳しく言ったほうが記憶には残りやすいんだ」
「そないキツい言い方せんでも皆の前で公開説教されたらそれだけで記憶に染み付く」
「俺はね、此処の楼主として紫雫楼を守る義務があるんだ。ここを守ることが皆を守ることに繋がる。たった一人の個人的な感情で全てを壊されるわけにはいかないから言ってるんだよ」
「そうやって説明したらええやん。わざわざ嫌味な言い方する必要ないし」
「雪儿、これは責任問題に──」
「大人やねんから冷たい言い方で責めずにちゃんと説明したらええやろって言うとんの!」

 声を張る雪儿に瑞成が瞬きを繰り返す。瑞成は詰めるつもりだった。雪儿にはわからないと。だが、まさかの怒鳴りつけが予想外で、驚いてしまった。

「姐ちゃんもすぐにカッカしたあかんって何回も言うたやんか。瑞成が言うたようにお茶淹れるかどうかは雪が決めるし、嫌やったら断る。そんなん当たり前にできる間柄やのにわざわざ怒ることないし、言い方もキツかった。雪のことで怒らへんって言うたんは嘘やったん?」
「嘘じゃない……。紅蓮、キツい言い方してごめんなさい。気をつけるのは私のほうだわ」

 紅蓮に向かって下げた頭を雪儿が撫でる。紅蓮は自分が地雷を踏んだせいだと反省しており、眉を下げながらかぶりを振る。

「ウチこそごめんやで。雪儿はまだ食べとったのに。雪儿のお茶が飲みたいって言葉もなくお茶淹れてなんて当たり前のように頼んでごめん」

 杏儿と紅蓮の様子を見ていた雪儿が瑞成を見る。首を傾げるその様子は不思議そうではなく、お前はどうする?と言いたげで、苦笑しながら頭を掻いた。

「そうだね。俺もわざわざ嫌味な言い方をする必要はなかったかな。ちゃんと説明すればいいだけなのに、冷たい言い方をした。ごめんね」
「いえ。気をつけていきたいと思います」

 皆で謝り合った様子にその場にいた香姫たちがホッと安堵の息を吐き出す。雪儿も嬉しそうに笑ってお茶を配り始めた。

「ちょっとぬるなってしもた」
「今日はちょっとぬくいからこれぐらいが飲みやすうてええやん」

 もともと熱々で淹れていないため冷めるのはあっという間。外は風が吹くと気持ちいい気温であり、香辛料が使われた熱々の料理を食べた彼女たちにとってはぬるめのお茶が丁度よかった。

「雪儿、また肉饅頭作ってよ」
「食材はそっち持ちやで」
「もちろん。買ってくるよ」
「ほいたらええよ」

 夕方からの開店に向けて香姫たちは身支度に忙しくなるため雪儿が瑞成を見送る。
 材料さえあれば飲茶は目を閉じていても作れると豪語するほど作り慣れている雪儿にとって一人でも母親の飲茶をまた食べたいと思ってくれることほど嬉しいことはない。母親には二度と会えないが、作ればそのたびに思い出が蘇るのだから。

「今日は杏儿のこと怒っちゃってごめんね」
「なんで雪儿に謝るん?」
「君のお姉ちゃんを怒ったから?」
「姐ちゃんも注意されるような言い方したし。でも、姐ちゃん叱ったからって雪儿に謝ることな……あ、あ、でも、蜜華坊みっかぼうのお菓子で許すって手もあるなぁ」

 目を見開いて何度も瞬きを繰り返しながら胸の前で手を組んで表情を変えてまでねだってくるその表情に吹き出して笑う瑞成を見て雪儿は表情を戻し、つられたように笑う。

「許し賃が高くない? 茶香里ちゃこうりに売ってる団子じゃダメ?」
「ケチな男はモテへんで?」
「瑞成苑の主人ってだけでモテるんだよねぇ、これが」
「主人の口が相当悪いって噂流しとく」
「営業妨害で訴えてやる」
「事実やし」

 不満げな顔と挑発顔で暫く見つめ合っていると同じタイミングで吹き出した。

「雪儿、瑞鳳ズイホウが呼んでるよ」
「なんやろ? 瑞成、ほなまたね」
「またね」

 呼びに来た杏儿の横を通りすぎて中へと戻っていったを見て瑞成の前に立った。

「さっきはごめんね、キツい言い方しちゃって」
「事実ですから。反省していると認めてもらえるような行動を取っていきます」
「期待してるよ」

 柔らかい笑顔を見せる瑞成に杏儿は笑顔を返さない。

「楼主に、私から一つ、お願いがあります」
「どうぞ?」
「妹に……雪儿に必要以上に近付かないでください」

 突然の言葉は予想外のもので一瞬固まるが、驚いた顔はしない。

「あなたは私たちの居場所を守ってくださいましたが、マフィアです。あなたと仲良くすることであの子が危険な目に遭うかもしれない。あの子はまだ十八歳で、世の中のことは何も知りません。ですので、必要時以外に雪儿に話しかけるのはやめてください」

 それを決めるのは雪儿だと言いたい気持ちはあるが、マフィアの世界に平和はない。黒龍白虎ヘイロンバイシーの一員であり、ボスの息子というだけでも危険が多い。杏儿の心配も尤もだと理解はできる。

「配慮が足りなかったね」
「偉そうな言い方をしてすみません。でもあの子を危険な世界に一歩だって近付けたくないんです」

 猛虎邪蛇のような組織に属しない野良マフィアが雪儿を勝手に瑞成の弱点だと思い込んで誘拐でもされたらと、ない未来ではない可能性を不安に思っていた。
 瑞成は一見、その柔和さからマフィアであるとは信じ難いが、正真正銘マフィアの、それも黒龍白虎のボスの息子。殺しに躊躇がないことを知っているだけに妹を遠ざけたかった。

「君は良いお姉ちゃんだね」
「よろしくお願いします」

 深々と頭を下げて中に戻っていった杏儿に聞こえないように静かに、だが、長い溜息を吐き出す。
 雪儿に深い思い入れはないが、癒しではある。誰かと軽口を言い合う仲など、十八歳を迎えた時点で消えた。恐れられるか、媚びられるかのどちらかしかない世界で十年過ごしてきた。これからもそうだと思っていた矢先、雪儿と再会した。懐かしい間柄でもなんでもなく、一方的に知っていたような記憶となってはいたが、それでも軽口を叩き合う仲になるまであっという間だった。
 その関係を手放すのが惜しいとすら思っている自分に今、気がついた。

「どうしたもんかね……」

 苦笑しながら煙草を咥え、ポケットを探るもマッチは見つからない。二度目の溜息に更に苦笑を深めながら帰路についた。
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